侯爵令嬢と王妃様
エリアーナが王妃教育を受け始めてから早一年。
語学に歴史に作法にと、王宮が用意した有能な教師陣からの厳しい教育を何とか熟していたエリアーナにある日、王妃様から直々に特別授業のお誘いがあった。
王妃様とは妃教育の一環で、王妃の心得を御享受して頂いていたので何度も会っている。
いつもは和やかにお茶をしながら、王妃様の話を聞くだけの筈なのだが、今回は何故か勝手が違っていた。
二日ぶりに訪れた王妃専用のサロンで、エリアーナは集まっていた顔ぶれに驚いていた。
「あ、あの……王妃様、これは……」
目の前には自分の婚約者に瓜二つな御仁が、にこにこと柔和な笑顔を向けながらこちらを見ていた。
「今日は、この人にも協力して貰いたくて来て頂いたのよ。」
この国のトップでもある王妃が、敬語を使う相手は限られている。
その最たる相手を目の前にしながら、王妃様はにこにこと美しい笑顔でエリアーナを見ていた。
何故かサロンには、多忙の筈の国王陛下が居たのだ。
しかも、最愛の王妃様の達てのお願いと聞いて喜んで来てくれたそうだ。
――相変わらず仲睦まじいお二人だなぁ。
王妃を見つめる国王の優しそうな眼差しを見ながら、エリアーナは何れは自分たちもああなりたいと羨ましく思いながら、そんな感想を胸中で呟く。
おしどり夫婦と国中でも評判の国王夫妻は、エリアーナの憧れの夫婦像だった。
そんな二人を微笑ましく見ていると、王妃様が話しかけてきた。
「ではエリアーナ。早速ですが特別授業を致しましょう。」
「はい、王妃様。」
王妃の言葉に、エリアーナは肯定の意を込めたカーテシーを披露する。
その美しい所作に満足気に頷くと、王妃は手を軽く数回打つと、側で控えていた侍女達に合図を送った。
すると、侍女達は流れるような動作で近くにあった椅子などを壁際に避けていく。
彼女たちの動きを見ながら、一体何が始まるのかとエリアーナは不思議そうな顔をする。
そして、サロンの中央に広い場所を作ると、そこへ王妃が移動してきた。
「あなた、こちらへ。」
「ああ。それで、私は何をすれば」
いいのかな?と王妃に手招きされて、笑顔で移動してきた国王の言葉は、最後まで続くことは無かった。
王妃に近づいていった国王は、突然「ふぐぅ」と潰れたカエルのような声を上げながら前屈みになった。
国王は何とか倒れる事にはならなかったのだが、顔は真っ青になっていて何やら呻いている。
何が起きたのかわからないエリアーナは、目を見張ったまま混乱していた。
――え!え?なに?どうしたの一体!?
混乱しながら見ていると、国王の顔からは尋常ではないほどの汗が噴き出している事に気づいた。
「エリアーナ、良く見えましたか?」
「え?いやあの……はい……良く見えていました……けど。」
王妃からの無言の圧力に、エリアーナは青褪めながら頷く。
確かに、何が起きたかはエリアーナの視界に、ばっちりはっきり見えていた。
王妃に近づく国王に、あろうことか王妃の片足がフルスイングでヒットしたのだ。
ドスっと鈍い音と同時に、国王の腰が浮く姿もしっかり見えてしまっていた。
そう、王妃が蹴り上げたのは王様の股間だった。
――あれは……よくわからないけど、かなり痛いわよね?
今度はぶるぶる震えだしてきた陛下を見ながら、大丈夫なのかと、エリアーナは心配になる。
はらはらしながら国王陛下を見守っていると、額に脂汗を滲ませ真っ青な顔になっている陛下が、王妃に話しかけてきた。
「リ、リーナ……な、なにを……」
「あら、忘れたとは言わせませんわよ?」
「は、はい!?」
国王陛下の蚊の鳴くような質問に、王妃は羽の付いた扇を開き、口元を隠しながら冷たく言い放ってきた。
「先日、どこぞの貴族の娘と個室で逢っておりましたでしょう?」
「あ、あれは誤解で……。」
「言い訳は無用!後でたっぷりお話は聞きますから、貴方はもう下がってよろしいわ。誰かこの人を運んであげて頂戴。」
国王の言葉を遮り、ぴしゃりと冷たく言い放った王妃の言葉に、近くにいた従者たちが素早く動く。
腰をくの字に曲げたまま、動けないでいる国王を支えながら、部屋を後にしたのだった。
部屋の中に取り残されたエリアーナは、何と言って良いのかわからず困っていた。
すると、王妃が優しい声でエリアーナに話しかけてきた。
「エリアーナ。」
「は、はい!」
王妃の声に、エリアーナは飛び上がる勢いで返事をする。
そんなエリアーナを見下ろしながら、王妃は扇を口元に当てたまま静かに話し出した。
「王妃という者は、常に気高く強くあらねばなりません。」
「……は、はい。」
「そして王妃の役目とは、王のサポートはもちろんですが、夜会や式典で王のパートナーとして恥じない姿を見せる事も、重要と先日説明しましたわね。」
「は、はい……。」
「その為、女の戦場はパーティー会場やお茶会であることだとも説明しました。」
「……はい。」
「その際、相手は主に貴族の女性と言いましたが、何も敵は女性だけとは限らないのです……。」
そう言うときりり、と今までにない程の凛々しい顔をしながら王妃は話を続けた。
「夜会や会場では、時に不埒な事を考える輩が出没します。そういう相手に遭遇した時に、一番有効なのが先程の手です。エリアーナ、相手がどうあっても引き下がらない時は、躊躇なくあの技を繰り出しなさい。あれは我が王家に伝わる王妃直伝の必殺技です。良く練習し完璧に習得しておくのですよ。」
王妃は真面目な顔でそう説明すると、「それでは、今日の授業はここまで」と言って退室して行った。
――え?あれを私が習得するの?というか王様大丈夫だったったのかしら?というか、もしかして私もいずれ、レイにあれをお見舞いする日が来るの??それよりも、練習ってどうやってやればいいの?ちょっと、誰か教えて~私どうすればいいの~?
後に残されたエリアーナは、青褪める顔のまま声には出さず、脳内で先程あった出来事に突込みを入れるのであった。