第九話 奏と紅愛
私達の関係、一歩前進
ケーキ屋としては一番人が来るであろうおやつ時の午後三時を、私一人でなんとか乗り切った。現在の時刻は客足がだんだん落ち着いてきた午後四時半。あとお客さんが来るのは仕事帰りとかにケーキを買いに来る人くらいだ。とにかくこの後はお客さんの数も多くはないし、ゆっくり在庫確認とかしておこうかな。ショーウインドウに並べてあるケーキの数を順番に数えていく。やっぱり、イチゴのショートが一番減ってるな……イチゴのショート、ガトーショコラ、ミルクレープが残り少ないが営業時間もあと四時間くらいだし、補充はしなくても良さそうだ。お客さんも今は居ないし、在庫も補充しなくていいとなると……やることが無い……とはいえ、ぼーっと突っ立っているのもなんかだらしないし、軽く窓とか床の掃除でもしようかな……先にやっておけばお店を閉めるときに掃除しなくて済むし。私は掃除用具が入っているロッカーからほうきとちりとりを取り出して床をはく。お客さんが来ても対応は出来るし大丈夫。せっせとほうきでほこりやごみをはいて、ちりとりに入れていく。そもそもそんなに床は汚れて無かったので、すぐに終わってしまった。ちりとりのごみをスタッフルームのごみ箱に入れに行こうと、店の奥に向かう。
――――すると、お店のドアが開いた音がした。
私はちりとりを持ったまま振り返る。
「いらっしゃいま…………せ」
私の挨拶が途中で止まったと思ったら、最後の一文字が遅れて口からこぼれた。お店の入り口には紺のブレザーに、黒と白のチェックのスカート。怜悧高校の制服だ。そして、綺麗な黒髪を高い位置にポニーテールにしていた。彼女は少しむすっとした表情をしている。その髪型と怜悧高校の制服を着ている人物は一人しか居ない。
お店の入り口に立っているのは間違いなく、私の従姉妹である南野紅愛だった。
「……ほんとに居たよ……」
紅愛は何故かため息交じりに呆れたような表情をしながら言った。
「紅愛ちゃん!? なんで私の仕事場分かったの!? お店の住所言って無かったよね?」
まさかの紅愛の登場によって、私は紅愛に疑問をぶつけた。
「分かった分かった、順番に説明するから質問攻めするのやめて」
「ご、ごめん」
一旦気持ちを落ち着かせる。今はお客も居ないし、紅愛と話していても大丈夫だろう。
「それで? 何から聞きたい?」
紅愛がショーウインドウにもたれ掛かり、頬杖をついた。その仕草も可愛い……
「えっと、まずは……なんで私の仕事場の住所を知ってるの?」
紅愛には何の仕事をしているのかも言っていないし、住所を言ってもいない。なのに何故彼女はここに来れたのだろうか?
「母親から聞いた、それで、この店のポイントカードを貰ってそれに住所が書いてたから来た」
「なるほど……」
確かに紗英さんに、ポイントカードを作った記憶がある。ようするに、全部紗英さんから聞いてここに来たらしい。
「なんで今日来てくれたの?」
次の疑問を紅愛に聞く。
「それは…………分かんない」
「え?」
さっきは即答で答えていたのに、何故か紅愛の様子が変わった。
「紅愛ちゃんも分からないの?」
「……うん……えっと……」
紅愛が珍しく考え込んでいる。うんうんと唸っている紅愛ちゃんも可愛い。いつもは見せない表情が見れて、少しは最初よりは仲良くなれたと思って嬉しくなった。
「……うーん……」
紅愛はまだ考え込んでいた。
「もしかして紅愛ちゃん、私のこと迎えに来てくれたとか?」
お店を見るついでに私と一緒に帰ろうとしたのかな? そう思って紅愛に聞いてみる。
「……!! ……ち、違うよ……私はただ、あんたって何の仕事してるのか気になっただけだよ」
そう言って紅愛はぷいっとそっぽ向いてしまった。その顔は少し赤くなっている気がした。
「……そっか、言って無かったもんね。良かったらケーキ食べる? 美味しいよ」
せっかく来たことだし、紅愛にケーキを勧めてみる。
「……いいよ、この後晩ご飯にするんでしょ」
「それはそうだけど、うちのケーキ美味しいよ?」
「また今度にする」
またいつもの紅愛に戻ってしまった。
「閉店時間までまだ時間があるから、紅愛ちゃん先に帰っててもいいよ?」
閉店時間の準備をするには早いし、このまま待つと紅愛は四時間も待たないといけないし、せっかく来てくれたのは嬉しいけど紅愛には先に家に帰ってもらおう。
「……いや、あんたが終わるのを待っとく」
いつもの紅愛なら「じゃあ帰る」と言って、さっさと帰るかと思ったのに紅愛は私の仕事が終わるまで待つつもりらしい。
「うーーん……でも紅愛ちゃんを待たせるのも悪いし……ほんとに帰ってていいんだよ?」
紅愛に本当に帰らないのか聞いてみる。
「……私は待つよ、それとも何? そんなに帰ってほしいの?」
「帰ってほしいとかそんな事じゃなくて……」
「……私と一緒に帰るのが嫌なの……?」
紅愛は眉をしゅんと下げて、捨てられた子犬のような表情を浮かべ、うつむいた。……紅愛がこんな表情を浮かべるとは……紅愛には申し訳ないけどその表情があまりにも可愛かった。私の中にある何かが刺激された気がした。
「園原さーん? 何かあったんですか?」
店の奥から沙樹ちゃんが出てきて、声をかけてきた。
「沙樹ちゃん……えっと……」
「あれ? その制服……怜悧高校の制服ですか? やっぱり怜悧高校の制服可愛いなぁ」
沙樹ちゃんは正面にいる紅愛の制服に食い付いた。
「私もブレザーの制服が良かったなぁ……私の高校の制服セーラー服だったんですよ。珍しいですよねー高校でセーラー服なの」
沙樹ちゃんは紅愛の事を気にしないで話した。
「園原さんがしばらく喋っていたということは、この人知り合いですか?」
沙樹ちゃんがやっと紅愛の話しをしだす。
「そうなんだ、私の従姉妹で」
「へぇ~それにしても従姉妹さん可愛いですね! もしかして、モデルとかアイドルとかやってたりするんじゃないんですか?」
沙樹ちゃんが紅愛の容姿を褒めた。確かにアイドルとかモデルとかも出来そうなくらい可愛いけど……その代わり表情があんまり変わらないけど……
「……何こいつ……」
さっきまでしゅんとしていた紅愛もすっかりその表情はなくなり、得体が知らない生物に遭遇したときみたいな表情を浮かべている。沙樹ちゃんは少し? いや、そこそこ陽気なところがあるから紅愛とはあまり相性が良くないかも……
「紅愛ちゃん、この子は私の後輩の沙樹ちゃん」
とりあえず紅愛に沙樹ちゃんを紹介する。
「初めまして、園原さんにはお世話になってます」
沙樹ちゃんも紅愛に挨拶をした。
「そして沙樹ちゃん、この子は私の従姉妹の紅愛ちゃんだよ」
「へぇ~なかなかおしゃれな名前ですね。どういう意味を込めて名付けられたんですか?」
沙樹ちゃんが紅愛の名前の理由を知りたがっている。それは紅愛にとっては触れられたくない話題なんだけど……おそるおそる紅愛の様子をちらりと見る。
「…………あんたには関係ないでしょ……」
……やっぱり紅愛には聞かれたくない話だったようだ。紅愛のドスが効いた声が静かな店内に響いた。紅愛はいかにも不機嫌そうな表情をしていた。その表情とドスが効いた声に沙樹ちゃんはびっくりして黙り込んじゃったし、店内に気まずい空気が流れる。誰も喋ろうとしないし、目も合わせようともしなかった。私はこの空気をなんとか切り替えようと思ったが、ただ重い空気が流れているだけだった。
「さっきから何をお喋りしてるの?」
すると、店の奥から奈美さんが出てきた。
「奈美さん!」
奈美さんが来たおかげで気まずい空気が薄くなった気がした。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
紅愛をお客さんだと思った奈美さんが紅愛に声をかける。
「奈美さん、この子は私の従姉妹で……」
奈美さんに紅愛の事を話す。
「あら? そうなの? 迎えに来るなんて偉いわねぇ」
奈美さんが紅愛の事を褒め出す。
「わざわざ、学校帰りに園原さんを迎えに来たのね」
紅愛は少し戸惑った表情を浮かべながら、こくりと頷いた。
「そう……園原さん、もう上がって良いわよ」
「ええっ!? 良いんですか? 閉店時間までかなりありますけど」
まさかの早帰りに驚きながら奈美さんに聞く。
「この子、せっかく迎えに来てくれたのに一人で帰すの可哀想でしょ? だから、この子と一緒に帰ってあげなさい」
「でも……悪いですよ……」
「大丈夫よ、後の事は私と沙樹ちゃんに任せて? その方が沙樹ちゃんも良い経験になるだろうし……いつかは接客もさせようと思ってたのよ。だから、早く帰りなさい? その子のご飯とかも作らないといけないんでしょ? 帰れるうちに帰った方が良いわよ」
「……すいません……それじゃあ、先に上がらせてもらいますね」
奈美さんに感謝しながら、帰りの準備を進める。
「紅愛ちゃん、ちょっと待っててね、今帰る支度するから」
そう言って私はスタッフルームの自分のロッカーを開け、荷物を取り出してエプロンを外しロッカーのハンガーにかける。忘れ物が無いか確認するとお店の裏口から出て、お店の正面入り口から店内に戻る。
「それじゃあ、先に上がらせてもらいます。お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
「お疲れ様、帰り気をつけるのよ」
沙樹ちゃんと奈美さんにそれぞれ挨拶をして、紅愛に声をかける。
「それじゃあ、帰ろっか」
「うん」
紅愛と一緒にお店を出た。時刻は午後五時。空は青から赤になるところだった。
「晩ご飯何にしよっかなぁ……紅愛ちゃんは食べたいものある?」
一緒に歩いている紅愛に食べたいものを聞いてみる。
「私は何でもいいよ」
「それが一番困るんだけど……」
紅愛は相変わらず無愛想な返事だが、やっぱり紅愛とは少し仲良くなれた気がする。
「確か、冷蔵庫に豚肉がまだ余ってたから、豚の生姜焼きとかどう?」
「それでいいよ」
紅愛はあんまりお腹が空いていないのかな? いつか好物とか知りたいけどそれまでどのくらいかかるかなぁ。
「……ねぇ」
ふと紅愛が話しかけてきた。
「あんた……今幸せ?」
「……え?」
紅愛がいきなり難しい事を聞いてきた。
「ほら……今の生活とか、仕事とか……」
「うーん……私は満足してるよ? 今の仕事も、生活も」
私は正直に今思っていることを紅愛に話した。
「……その満足してる生活に、私は邪魔だった?」
「え? そんなことないよ。私、紅愛ちゃんとはまだ少ししか一緒に居ないけど、紅愛ちゃんの事好きだしもっと紅愛ちゃんの事知りたいなって思うよ」
「……え……?」
「だから、これからもっと仲良くなりたいから、思った事は言っていいんだよ? 私も紅愛ちゃんに遠慮はしないし、紅愛ちゃんも私に遠慮しなくていいんだよ?」
紅愛に私の思いをぶつける。
「これから一年間、一緒に暮らすんだから出来れば紅愛ちゃんとは、家族みたいに仲良くなりたいから」
「……!!」
「だからこれからはお互い遠慮は無しだからね!」
「……うん、分かった私もこれからは遠慮しないから、覚悟しててよ奏」
「……!! 紅愛ちゃん……今……名前で呼んでくれた……?」
今、紅愛が初めて私の名前を呼んでくれた。こんなに名前を呼ばれて嬉しくなるとは思わなかった。
「名前呼びでいいでしょ? それとも、ちゃんとかさんで呼ばれたかった?」
「そ、そんなことないよ! 名前呼びでいいから!」
「分かったよ、それじゃ早く帰ろ」
紅愛が私より先に歩き出した。
「ちょ、ちょっと! 先に行かないでよ~」
私は小走りで紅愛の後を追う。やっと紅愛の横に並んだ時は少し息が乱れていた。
「体力なさ過ぎじゃない? 私も無いけど、奏の方が無さそう」
「私、運動苦手なの!」
「ところでさ、あんたのケーキ屋さんに白くてほわほわしたやつが来なかった?」
「白くてほわほわしたやつ……?」
何のことか分からなくて首を傾げた。
「ほら怜悧高校の制服を着てて、アイスキャンディ? を気に入ってたやつ」
「……ああ! 確かケーキよりアイスキャンディの方を凄く気に入ってた女の子居たなぁ」
「あれ、うちのクラスメイト」
「そうだったの? お友達とか?」
「いや、友達でも何でも無い……ただ、あいつに絡むと面倒くさい事になるから気を付けた方がいいよ」
「そうなの?」
そう言えば紅愛の友人関係とか全然知らない。この機会に聞いてみようかな。
「ねぇ、紅愛ちゃんはどんな友達がいるの?」
「聞いても面白くないよ」
「じゃあ、今日は学校どうだった?」
「普通」
「その普通を教えてよ」
「嫌だ」
そんな軽い言い合いをしながら私達は帰り道を歩いた。
ここから、二人の日常会話や日常シーンが多めになります!! 少し仲良くなった二人の事を書いていきたいと思います!!これからも応援よろしくお願いします。続きが気になる方、おもしろかったという方は、ブックマーク登録、評価、感想コメントなどをよろしくお願いします!!それではまた次の話で!!