episode3-3 妹④
ドッペルゲンガーさんから、可能であれば特番が終了した後すぐにタワーマンションの一室に来て欲しいという連絡を受けて、私は指定された部屋の前までやって来ていました。
ちなみに私の連絡先は悪魔から聞いたとのことで、本来なら勝手に教えるなと怒るところですけど、ちょうど私も連絡を取りたいと思ってはいたところなので今回だけは許してあげることにします。
インターホンを押すとすぐに玄関の扉が開いてドッペルゲンガーさんが出てきました。
「いらっしゃい、シルフちゃん」
「お邪魔します」
「急に呼び出しちゃってごめんなさいね」
「いえ、私も一度直接会って打ち合わせはしたいと思ってたので」
「そう? なら良かったわ」
「エクスマグナさんは?」
「まだ来てないけど、連絡は取れてるから直に来ると思うわ」
案内された部屋の間取りは私にも割り振られてる部屋と同じでした。
ただ、備え付けの家具は置いてありますけどそれ以外の物はありません。生活感は感じられませんし、物置に使っているような感じでもなさそうです。
「さっぱりしてるでしょう? 私もそろそろ引退だから、私物は引き払ってるのよ」
キョロキョロと室内を見回していると、透明なグラスに注がれた麦茶を持って戻ってきたドッペルゲンガーさんが私の心を読んだかのようにそう言ってきました。わかりやすかったのでしょうか。
それにしても引退ですか。私は20歳まで魔法少女をやるつもりなんて毛頭ないのであまり意識したことはなかったですけど、こうやって年齢的な問題で引退する魔法少女も当然存在するんですよね。
「実際に引退されるのはいつ頃の予定なんですか?」
「12月の末ごろよ。昔からクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントを一緒くたにされちゃって参っちゃう」
「はぁ、それは……残念ですね?」
「ふふ、冗談よ冗談」
プレゼントなんて、あげたことはあっても貰ったことはないのでどういう意味合いの冗談なのかはよくわかりませんでしたけど、ドッペルゲンガーさんは一人で満足そうにくすくす笑ってるのでとりあえずそれ以上は反応せずに流しておきます。多分持ちネタか何かなんでしょう。
それは置いておくとして、ドッペルゲンガーさんの引退は12月の末ごろですか。普段なら他人の引退時期なんて興味ないですし社交辞令でも聞かなかったと思いますけど、この人がいなくなると悪魔の手綱を握る人が居なくなるということになりますから、あらかじめ知っておいて損はないと思います。その情報で何か出来るのかと言われると難しいですけど、心の持ちようが変わってきますから。12月以降は今まで以上に悪魔への警戒が必要です。まあ、それまでこの戦いが続いていればの話ですけどね。
「マグナちゃんは少しかかりそうみたいだから、対抗戦のお話の前にちょっとだけ別のお話をしても良いかしら?」
「……聞くだけなら」
「ええ、とりあえずは聞いてくれるだけで良いわ」
ドッペルゲンガーさんは何かを確認するようにマギホンの画面を見てそう切り出しました。エクスマグナさんから遅れるという連絡があったんだと思います。
「クローソちゃん、糸の魔女のことなんだけれど、シルフちゃんは多分あの子のことを勘違いしてるんじゃないかと思うの」
「勘違いですか?」
「そう、勘違い。シルフちゃん、前に一度クローソちゃんに呼び出されてお話したことがあるでしょう? 途中でラビットフットちゃんに連れ出されたと思うんだけど」
「そうですね」
悪魔がその本性を剥き出しにして私を脅迫してきた時のことですね。どうしてドッペルゲンガーさんがそのことを知ってるのかと一瞬疑問に思いましたけど、単純に悪魔から聞いたということでしょう。だとしたら聞いた内容もきっと悪魔にとって都合の良い話になってるはずです。あんなことをしておいて、勘違いだなんて言い分が通ると本気で思ってるんでしょうか。ドッペルゲンガーさんは悪魔に騙されてる可能性もあるので悪意はないかもしれないですけど、普通に考えてそんな勘違いをされるような天然が存在するはずありません。
あの時のことを思い出すだけで気分が悪くなり、相槌を返す私の声は自然と冷たく平坦になっていました。
「話は全部聞いてるわ。信じられないかもしれないけど、そんなことありえるわけないって思うかもしれないけど、あの子に悪意はないの。本当に、対人能力が壊滅的で滅茶苦茶に間が悪いだけで、あなたを害そうだとか騙して利用しようなんて気持ちはなかったのよ」
「そうなんですか。てっきり私は脅されてるのかと思いました」
「やっぱり……。何が大丈夫だと思いますよ……。私はもう引退しちゃうし、あの子もそろそろ一人でこういうことを収められるようにならきゃいけないと思ってたから、本当は口出しするつもりはなかったんだけどね」
「わかりました。わざわざ教えてくれてありがとうございます」
そんな戯言は絶対に信じませんけどね。
きっとドッペルゲンガーさんはあの悪魔の本性を見たことがないんでしょう。だからどんなに私がそうじゃないと言っても、勘違いなんかじゃないと訴えかけても、逆に私の認識を改めようと躍起になるだけです。
議論の意味がありません。最初からドッペルゲンガーさんは悪魔の味方で、私は敵。お互いにそのスタンスを崩すつもりがない以上、どれだけ話を聞いても、聞いて貰っても時間の無駄です。だから、表向きは納得したことにしておきます。こう言っておけばドッペルゲンガーさんも満足でしょう。別にドッペルゲンガーさんと仲良くするつもりはありませんし、この対抗戦の間だけ良好な関係を維持できれば良いんですから、私が大人になってあげましょう。
「自分で言っておいてなんだけど、随分と素直に信じてくれるのね」
「クローソさんとの付き合いはドッペルゲンガーさんの方が長いわけですし、それほど気にしていたわけでもないので」
「まあ、わかってくれたなら良いんだけれど」
今後悪魔の前でまた冷たい態度を取ったらドッペルゲンガーさんが何か言ってくるかもしれませんけど、どうせ今後はお茶会に出るつもりもないですし、むこうから何かしてこない限り悪魔と会う機会なんてほとんどないはずですから、全く信じてないことが露呈することはまずないでしょう。あと3ヶ月でドッペルゲンガーさんはいなくなるわけですし、今だけやり過ごせれば充分です。
それからもドッペルゲンガーさんから色々と悪魔の良い人エピソードを聞かされましたけど、興味がないので聞き流していると、甲高いインターホンの音が鳴り響きました。
どうやらエクスマグナさんが到着したみたいです。玄関まで迎えに行ったドッペルゲンガーさんと二人並んで戻って来ました。
「やっほー、こないだぶりだね」
「どうも」
「相変わらずクールだなー。中々お返事もくれないしお姉さん寂しい」
「状況が変わったんです。もう少し待って下さい」
目元に手を当ててシクシクと嘘泣きするエクスマグナさんをスルーして淡々とそれだけ返します。
先日のお茶会でコラボがどうのこうのみたいな話になりましたけど、エレファントさんがシャドウさんを助けに行ってしまったのと私生活も忙しいとのことでまだ話を切り出せてません。
エレファントさんがシャドウさんを説得して戻ってくるまでは一旦この話は保留です。まあ、全員で活動するようになったとしてもシャドウさんは仲良しアピールなんてする気はないでしょうけど。
「何の話か知らないけど、とりあえずウィッチカップの打ち合わせを始めましょう。話はその後でゆっくりすればいいわ」
「あ、そのことで一つ聞きたかったんですけど、やっぱりドッペルゲンガーさんは優勝狙ってる感じですか?」
「当然じゃない。やるからには勝つ気でやるわよ」
「タイラントシルフも?」
「当たり前です。絶対に勝ちます」
勝ちたいんじゃくて、勝たなきゃいけないんです。
MVPなんて取得条件がよくわからないですし、性転換の薬を手に入れるために最も確実なのは優勝することですから。
「ほほぅ、お二人とも志が高いようで感心感心」
エクスマグナさんが腕を組みながらしたり顔でしきりに頷いています。
「……何が言いたいんですか?」
「いやね、私としても勿論勝てれば勝ちたいとは思ってるよ? 優勝賞金もおいしいし。ただまぁ、絶対に何が何でも勝ちたいかって言われるとそういうわけでもないんだよね~。楽しめればそれで良いかなって感じ?」
「アースから賞金とは別に優勝賞品を提示されてるでしょ? それは魅力的じゃないの?」
「あ、やっぱみんなそうなんですね。魅力的っちゃあ魅力的ですけど、ねぇ?」
優勝するかMVPを取れたら性転換の薬を貰えるっていうのは私だけの話なのかと思ってましたけど、他の魔女も同じような話になってたみたいです。賞品は魔女によって様々みたいですけど、話を聞く限りエクスマグナさんの場合は最悪貰えなくても特に問題はない物だってことでしょう。
別に、チームの全員に私と同程度の気持ちでウィッチカップに挑んで欲しいとは思ってませんから、ドッペルゲンガーさんみたいにやるからには勝ちたいとか、エクスマグナさんみたいに楽しめれば良いというような人が居ることは予想してました。
わざと負けるとか、露骨に手を抜くとか、そういうことをしないで最低限勝利を目指して戦ってくれるなら文句を言うつもりはありません。
「つまり何が言いたいかって言うと、今の私はそんなにモチベがないんですよ。こんな状態じゃきっと本番でも大したパフォーマンスは発揮できません。別にわざと負けるとかじゃなくて、気分が乗らないっていうか?」
「……そう」
エクスマグナさんの言葉にドッペルゲンガーさんは何か含みのある様子で簡潔に言葉を返して続きを促します。
「そこで、私のモチベを上げるために二人に協力して欲しいことがあるんですよ! そんなに難しいことじゃないから安心してください!」
「前から言ってるけど声当てはしないわよ」
「なんでですかー!」
食い気味に反応したドッペルゲンガーさんに対してエクスマグナさんが食って掛かります。
前にも似たようなことが何度もあったんだと思います。そのたびにドッペルゲンガーさんは断ってる。だから、この話の流れからエクスマグナさんが要求してくることにも見当がついてたんでしょうね。
「マグナちゃんが本調子じゃないならそれも加味して作戦は立てるから心配しなくても大丈夫よ。わざと手を抜くようなことをしたらお仕置きするけど」
「やだー! 声当てしてくださいよー! スプライトさんはしてくれたじゃないですかー!!」
エクスマグナさんは地面に寝転がってじたばたと駄々をこね始めました。
スーパーで良く見るヤツです。この人にはプライドというものがないんでしょうか。
「他所は他所、うちはうちよ。我慢しなさい」
「お母さんのケチ!」
「誰がお母さんよ。まだそんな歳じゃないわ」
「ちぇー、相変わらず頑固なんですから……。タイラントシルフは?」
「へ?」
「タイラントシルフはやってくれるの?」
二人の手慣れたコントのようなやり取りに呆気にとられてしまっていたので、急に話を振られて間抜けな声をあげてしまいました。
今の流れから普通に私にもそれを聞いてくるんですか。
「ドッペルゲンガーさんはやらないんですよね? 私だけやったってしょうがないじゃないですか」
「そんなことない! タイラントシルフがやってくれるならもうテンション爆上げ! ウィッチカップも絶好調で挑めるだろうなー!」
「……怪しいですね」
さっきまで寝っ転がってたくせに私がすぐに否定しないとなると素早く起き上がって詰め寄りながら力説してきました。モチベがあがらないから調子が出ないとか本当なんでしょうか? 適当なことを言ってるだけなんじゃないですか?
「シルフちゃん、残念だけどその子の言ってることは本当よ。かなり気分に左右されるタイプの安定しない魔女なのよ」
「そーそー、流石ドッペルゲンガーさんは私のこと良く分かってるじゃないですか。ほら、タイラントシルフ、勝ちたいんでしょ? ちょーっと声を録音するだけだから。この前言った通り報酬も出すし、ね?」
「……この前はそんなに執着してないみたいなこと言ってたと思いますけど、今のあなたを見てるととてもそうは思えませんね」
「そりゃチャンスがあったら全力で掴みに行くでしょ。無理強いはしないけど、だからって消極的なわけじゃないよ」
ドッペルゲンガーさんの言葉を信じるなら、エクスマグナさんは悪気がなくてもウィッチカップで全力を出し切れない可能性が高いってことです。それでも勝てる作戦を立てるとは言ってますけど、それはあくまでも次善策であって、一番良いのは当然エクスマグナさんが最高のパフォーマンスを発揮することに決まってます。
やるからには勝ちたいドッペルゲンガーさんにとってはその次善策でも良いのかもしれないですけど、絶対に勝つ必要がある私は出来ることは何でもやってより確実な勝利への道筋を立てなきゃいけません。
だったら、恥ずかしいですけどその程度のことで少しでも勝利の確率が上がるのなら、そんなの安いものです。
「わかりました。勝敗に関係なく、エクスマグナさんが全力で試合に臨むのならその条件を呑みます」
「やりぃ! 後からやっぱなしってのはなしだからね。口約束で言った言わないにならないように紙にまとめたからサインよろ。私は真面目にウィッチカップに参加する、タイラントシルフは私の企画に協力する、声当てとか、あと動画のコラボの件とか、この前話した感じのこととかが書いてあるだけだから。一通り目を通してからサインしてね」
「……随分と用意が良いですね」
「考え直してやっぱやめますってなったら勿体ないじゃん?」
そもそも今のままだと本調子で参加出来なさそうだから声当てやってとエクスマグナさんが自分で言い出した話ですし、こういう書類を用意していること自体は別に不自然でもないんですけど、ちゃっかりしてるというか何というか、魔女だけあってやっぱり一癖も二癖もある人ですね……。
簡単に目を通してサインしたものを返すと、エクスマグナさんもサインをして紙を二つ分けました。複写になっていたみたいです。
「じゃあこれなくさないように持っててね。よーし、やる気出て来たー!」
「現金な人ですね」
「ほら、マグナちゃんももう満足したでしょ。早くウィッチカップの打ち合わせを始めるわよ」
ドッペルゲンガーさんが空気を切り替えるように手をパンパンと叩いてから仕切りを始めました。まったく、エクスマグナさんのせいで余計な時間を取られちゃったじゃないですか。