episode5-閑 安寧の神
建築様式から使用されている建材まで、地球のどこでも見られない奇妙な雰囲気の建造物。あえて何か近しいものをあげるとするのであれば、城と表現するのが最も妥当だろうか。そんな不可思議な城の最上階、仰々しい装飾がほどこされた大きな玉座が置かれ、様々な動物や人が寄り添うように眠った壁画が描かれた一室で、地球模様の人型生物は覚醒した。
「『……目が覚めた? この俺が、人の身を超越した存在である亜神が、眠っていたのか?』」
人型地球儀、またの名をアース。異世界と衝突することで世界が滅びる未来を回避するため、人知れず暗躍していた超越者。特定分野の術理を極めることで人間の域を超え、あらゆる生命活動から脱却した術師の到達点。
だからこそ困惑していた。理の亜神に次ぐ二柱目の亜神となって以来、アースは意識が途切れたことなど一度としてなく、長い年月を休みなく活動し続けていた。意識が覚醒する感覚などとうの昔に忘却の彼方へと消え去り、二度と味わうことなどないはずだった。
「『どこだ、ここは。俺は何を……』」
「視野が狭い、というのはどうやら事実のようですね」
「『っ!?』」
混乱していたために気が付かなかったのか、あるいは先ほどまでそこにはいなかったのか、真相は不明だがアースは声をかけられたことでようやくこの妙な広間の玉座に何者かが座っていることに気が付いた。
地べたに広がるほど長いエメラルドグリーンの髪の毛に、真っ白の一枚の布を巻きつけたような装いの、眠たそうな目の少女。
「『貴様、タイラントシルフか!』」
その少女の姿を確認した瞬間、アースは自分の身に起きた出来事を思い出し激高して叫び声をあげた。
世界を救うため何十年も前から準備していた計画が魔法少女の手によってひっくり返され、異世界へと追放されたのだ。非術師など、本来ならば相手にもならないような劣等種であるにもかかわらず、亜神たる己が出し抜かれたことはアースにとってあまりにも屈辱的だった。
「これだけのヒントがありながら、一つの物事に固執し、それゆえに至らない。不正解。あなたの知る呼称を用いるのであれば私の名はレイジィレイジ」
「『レイジィレイジだと!? ありえん、やつの姿は……、いやそもそも貴様の魂の形はタイラントシルフそのものだ!!』」
「偽っていただけのこと。魂の形すらも」
少女がつまらなそうにそう告げると、アースの目の前で少女の姿かたちが次々と目まぐるしく変化していく。それはアースがレイジィレイジだと認識していた者の姿であったり、ディスカース、ウィグスクローソ、モナークスプライト、その他大勢の魔法少女や、一般的な成人女性や老人などなど、百面相どころではないほどに多種多様だった。
ただし、見た目を偽る程度の変装ならばある程度の高みに至った術師であれば同じことは出来る。アース自身その程度のことは造作もない。
アースにとって予想外だったのは
「『馬鹿、な……。魂の形が、変わっただと?』」
魂。それはあらゆる生命が持つ精神の根源。指紋やDNAのようにそれぞれが違う形を持つ、千差万別の心。
科学ではまだ到達できていない、術理でもまだ解明できていないそれは、外見を自在に変えることの出来る術師にとって個人証明として慣れ親しんだものだ。指紋やDNAは術理によって変えることは出来るが、魂の形だけは何者も、亜神ですら干渉できない。だからこそ、魂の形が同一であれば例えどれほど姿が変わっていようとも、その生命が何者なのかを特定できる。
つまり目の前で起きているそれは、アースにとってありえないことだった。つい先ほどまでタイラントシルフと同じ形をしていたはずの目の前の魂が、外見に合わせるように変化し続け、そしてまた最初のタイラントシルフに酷似した姿、魂へ戻った。
「『違う、お前はタイラントシルフなんかじゃない……。お前は一体、何者だ!?』」
「頭が高い」
「『ガッ!?』」
錯乱したように叫び声をあげるアースの頭部が、レイジィの呟きと共に突如地面に叩きつけられた。
凄まじい力で押さえつけられ顔を上げることのできないアースは自分の身に何が起きているのか正確に理解は出来なかったが、レイジィから攻撃を受けていることはわかった。
咄嗟に使い慣れた自然魔術を用いて反撃を試みるが、生み出された炎はひどく不安定でほんの一瞬燃え盛ったかと思えばあっと言う間に消えてしまった。
「『馬鹿な!?』」
「ここはあなたの世界とは異なる世界です。世界の理に干渉するタイプの魔術がこちらでそのまま使えるはずもないでしょう。考えが足りていない」
「『ならば、貴様は一体何だ!? 貴様に出来て俺に出来ないなど、そんなふざけた話があってたまるか!!』」
異世界では本来の力を発揮できないという可能性はアースも考えていたが、目の前の少女が明らかに魔術的な手段で攻撃を仕掛けてきたことで、魔法少女如きに出来て亜神である己に出来ないはずがないという傲慢な先入観が働き、魔術を使えるはずだと誤認した。
亜神になって以来力づくで平伏させられたことなど一度としてないアースは、あまりの屈辱にレイジィレイジという存在が正体不明の、魔法少女であるかさえもわからない謎の存在であるという前提を完全に失念してしまっていたのだ。
「まだわからないのですか? ロウは眠りの中で薄々感づいていたというのに……、やはり視野が狭い。簡単な話です。私のホームはこちらの世界、私にとってはあなたたちの世界こそが異世界であったと、ただそれだけのこと」
「『……そうか、そういうことかっ』」
そこまで言われてようやくアースは目の前の少女の正体に思い至る。
今のこの状況だけを切り取って見れば、満足に魔術を使えないアースを制圧することなど現地人の術師であれば簡単だろう。
だがアースの目の前にいる少女は、自分のホームではないはずの異世界、アースたちの世界でも亜神を眠りにつかせるほど強大な力を持った存在。アースが十全に魔術を使えたとしても決して真似することの出来ない、魂の形に干渉出来るほどの優れた術理の使い手。
「『貴様はこの世界の神か! そして俺たちの世界を破壊するために送り込まれた刺客だな!!』」
「80点と言ったところですね」
二つの世界が衝突することによって甚大な被害が生じるのは、何もアースたちの世界に限った話ではない。異世界にも壊滅的な被害が齎されるであろうことは簡単に想像できる。だとすれば、異世界の住人も世界の滅びを回避するために動くのは自然なことだ。当然だともいえる。
「衝突を回避するためあなたが画策していたのと同じように、こちらの世界でも異世界を破壊するという声は多かった。それが最も簡単で労力が少ないやり方だからです。ですが、これは私個人の我儘ですが、私はあなたたちの世界を壊したくはなかったのですよ」
「『ふん、お優しいことだな。だがならばなぜ貴様は何もしなかった。貴様は俺たちの世界でずっと眠っていただけだ。俺たちの世界を壊したくなかったと言うのなら、なぜ俺たち亜神に何の説明もしなかった』」
最も簡単で労力が少ないという言い方は、裏を返せばレイジィたちの世界には異世界を破壊する以外にも衝突を回避するやり方があったということになる。
タイラントシルフとエレファントがやって見せたように、アースたちの世界にも異世界を破壊する以外の選択肢はなかったわけではないが、それは世界が混沌に包まれる恐れのある危険な賭けであり、労力というよりは安全性の観点から異世界の破壊という手段をアースは選んでいた。
つまりその事実だけで比べてみても、術理の進歩はレイジィたちの世界の方が進んでいることがわかる。
さらに言えば、レイジィの見せた魂の形を変化させるというデモンストレーションは、明確にレイジィの方が神としての格が上であるという認識をアースに植え付けた。
だからこそアースは解せなかった。それほどの力を持ち、アースたちの世界を壊したくないという目的を持ちながら、なぜレイジィはアースたち亜神に接触することなく眠りこけていたのか。
「面倒くさかったからですね」
「『……は?』」
「壊さないで済むならその方が良いとは思いましたけど、だからと言ってそのために私が積極的に動くのは面倒だったんですよ。異世界だと余計に疲れますしね。なので、あなた方が馬鹿なことをしないかの監視と、万が一私にとって都合の良い状況になったら少しだけ助力してあげることにしたんです」
「『監視だと?』」
「ええ、あなたはあの魔法少女たちにもう少し感謝するべきでしょうね。もしも彼女たちがやってみせたように軌道を変えることで衝突を回避するのではなく、私たちの世界を破壊しようとすれば、その瞬間私はあなたたちの世界を粉々に打ち砕いて帰還する予定だったので。人間万事塞翁が馬、何が幸いするかわからないものですね」
レイジィのその物言いに、アースは絶句して言葉も出なかった。
今の言葉が本当であれば、アースのこれまでの活動は全て無駄だったということになる。
ロウやエレファントによって計画を邪魔されず、予定通りタイラントシルフを使って異世界を破壊しようとしたとしても、それより先にレイジィの手によって自らの世界が壊される。
アースのやり方では、何をどうやっても世界の滅びを回避することなど出来なかったのだ。
「『俺は、俺は今まで……、何のために……』」
「自分のためでしょう? あなたは元より世界のこともそこに根を張る住民のことも、そして術師のことさえどうでも良いと思っていたでしょう? 術師至上主義などというのは建前で、結局あなたは自分のことしか考えていない。自分が生き残れれば、一番だと証明できれば、優越できれば、他のことなんてどうでも良かった。因果は回るものです」
「『貴様に何がわかる……、異世界の神が!! 貴様に人間の苦悩が! 野望が! 執念が! 理解できるか!?』」
「都合が悪くなると自分は人間ですか。度し難い」
「『誰も救ってなんざくれやしない! 救われたいんなら、自分で掴み取るしかないんだよぉ!!』」
自らを押さえつける不可視の力に対して、アースは強引に抵抗して力任せに立ち上がり、両手から魔術の炎を噴き出させながら雄叫びをあげてレイジィへ肉薄していく。
世界の理は違うが、アースは腐っても亜神と呼ばれるまで術理を磨いた術師だ。会話によって時間稼ぎをしながら、この世界の理を少しずつ紐解き、今この瞬間、この世界での術式の形を理解した。
「もういい」
しかしそれも、レイジィが退屈そうに溜息を吐くと、まるで蠟燭の炎が吹き消されるようにあっさりと消えてしまった。そしてアース、人型地球儀も崩れ落ちるように動きを止めて、ぴくりとも動かなくなった。
「あなたは永遠に眠っていた方が良い」
どれだけ時間をかけてもアースがレイジィに届くことはないが、しかし世界を渡る程度の術式にはいずれ辿り着くだろう。元の世界に戻ったアースの魔の手が真っ先に迫るのは、同格の亜神ではなくタイラントシルフやエレファントのような魔法少女であろうことは容易に予想出来る。
レイジィにとってタイラントシルフのことはどうでも良い些事に過ぎないが、エレファントのことは非常に好ましく思っており、彼女に危害を加える可能性が高いのであればアースを排除することに何の躊躇も感慨もなかった。
まるで路傍の石を軽く蹴っ飛ばすかのように、いとも簡単にアースは二度と覚めぬ眠りに落ちた。
「もしも、かつての私が、水上良一だった頃の私があなたに出会えていたなら……、もっと違った未来があったのでしょうか」
夢の中、打ちあがる花火を背景に重なる二人の姿を思い出し、レイジィはそっと自らの唇を指で撫でる。
「神よ!! おぉっ! 我が安寧の神!! お戻りになられていたのですね!! 国民一同、あなた様のお帰りを今か今かとお待ちしておりました!!」
「ふふ、今日からしばらくはお祭り騒ぎになりそうね~」
「神様! 報告は沢山ありますけどまた悪夢の騎士団が暴走してます!! 戦争になっちゃいます!!」
「ふん、良いではないか。眠り神様が出るまでもない。歯向かう者にはこの私が死を与えてやろう」
「眠獣には損耗ありません。神聖国の先遣隊は怠惰の張った結解を超えられなかったようです」
「麗しき安寧の神に触れようなどと万死に値する~、とか言ってアレックスの馬鹿が飛び出してったこと以外は大きな問題はないっすね」
勢いよく開いた玉座の間の扉から性別や年齢、外見すら大きく異なる6人の男女が恭しく礼を取りながら入室し、それぞれが片膝をついて頭を垂れながら勢いよく喋り出した。順番を譲り合う気はさらさらないらしく、声が何重にも重なってしまっている。
「……ふっ、私としたことが、つまらない感傷に浸ってしまいましたね」
レイジィはそんな彼らの様子を見て、暖かい微笑みを浮かべながら肩を竦めるのだった。
勧善懲悪




