episode5-閑 魔術師、熱尾遊里
とある地下の小さな一室、薄暗く冷たい部屋の中で、小学校低学年程度の小さな少女が分厚い本を広げながら白いチョークを使い石畳の床に何かを描いていた。綺麗な円やカクカクとした幾何学的な図形がいくつも重ねられた、漫画やアニメに登場する魔法陣のようなそれは、子供の落書きとは思えない、知識のない者でも何らかの法則に則っているのだろうことが読み取れるほどに整っている。
「原初の叡智、汝我が祈りに答えその姿を現したまえ」
年齢に見合わない流暢な口ぶりに反して、紡がれる言葉は現実感のない呪文のようなもの。
小さな子供が何かのアニメにでも影響されキャラの真似でもしているのだろうと、普通の大人ならばそう思うことだろう。
だが
「点火」
締めくくるようなその一言が発されると同時、小さな火花が発生してほんの一瞬だけ薄暗い地下室を僅かに照らした。
少女が持っているものはチョークと本のみで、ライターやマッチといった一般的に用いられる点火の道具はこの場に存在しない。
そう、つまりそれはなりきりやごっこ遊びなどではなく、紛れもなく、この世の裏側にある特別な力。
少女の名は熱尾遊里。魔術師の家系に先天術式を持って生まれ、魔術師としての厳しい英才教育を受けて来た魔術師の卵。
「遊里! 何度言ったらわかるんだ!!」
魔術の発動を感じ取った遊里の父が血相を変えて地下室の扉を勢いよく開け放ち、暗い部屋の中で座り込む遊里を怒鳴りつけた。
「お前に汎用魔術の才能はない! 『偽装』の先天術式に専念しなさい!!」
「……でも」
恩恵と呼ばれる先天術式を持って生まれた術師は、脳の構造が先天術式に最適化されている影響でその他の術式をほとんど使えないケースが多い。遊里もその例に漏れず、通常魔術師の子供ならば物心つくころには普通に使えるようになる汎用魔術、その中でも難易度の低い「点火」ですら一瞬火花を散らす程度にしか使うことが出来ない。
遊里の両親は遊里が「偽装」の先天術式を持っていることを知った時から、汎用魔術やその先にある発展的な魔術を教えることをやめ、先天術式の制御と練度の向上へ教育方針を切り替えた。それは遊里にはいくら汎用魔術の練習をさせても無駄であると言う合理的な理由と、今後遊里が自分の身を自分で守れるよう早い段階で先天術式を一定のラインまで引き上げる必要があるという親としての愛による理由だった。
「良いから言うことを聞きなさい!」
「っ、ぅぅ、うわああああん!! パパがぶったああぁぁ!!」
不貞腐れたように口答えする遊里の頬を父が平手で張り付けると、遊里は目から大粒の涙をこぼし大きな泣き声を上げながら地下室を出ていった。
「遊里! まだ今日の修行は終わってないぞ!!」
地上へと続く階段を一段飛ばしで駆け上がっていく遊里の背後から父が声をそう声をかけたが、遊里はそれを無視して家を飛び出していってしまった。
科学が発達し指先一つで人を死に至らしめられるようになった現代において、防御術式を使えない魔術師はいつ死んでもおかしくないほどに脆く、狙われやすい。先天術式持ちともなれば研究のため生きたまま死んだ方がマシだと思うような目にあう可能性もある。もちろん遊里の両親は遊里を守るために最善を尽くすつもりだが、彼らがプロの魔術師であるように、先天術式を狙う卑劣な術師もまたプロだ。いざという時、自分の身を守る力があるのとないのとでは迎えるであろう結末も大きく変わってくるだろう。
だから遊里の両親は、端から見れば虐待とも見られかねないほどに厳しい教育をする。たとえそれで娘から嫌われることになったとしても構わないと覚悟して。
・
学校が終わり放課後に友達と遊びに来ているのだろう子供たちの笑い声が響く公園で、目元を泣きはらした遊里がボーっとベンチに座っていた。
自分に汎用魔術の才能がないことはわかっていた。
先天術式を磨くことを両親に望まれ、そしてそれが自分のためなのだろうこともわかっていた。
術師の世界は綺麗事ばかりでは生きていけない、残酷で容赦のない敵が数えきれないほど潜んでいることもわかっているつもりだった。
けれど遊里は、それでも父や母が使う魔術を自分も使いたかったのだ。家族と同じものを使ってみたかったのだ。本来なら使えるはずのないその魔術を使って、凄いねと褒めて欲しかったのだ。
だから昔教わった汎用魔術を独学で勉強して、両親の目を盗み先天魔術と並行して鍛錬していた。
父や母にそれが見つかったのはこれが初めてではなく、その度に厳しくしかられたものだが、それでも汎用魔術の練習を諦めなかった。そして今日、ようやくほんの一瞬ではあるけれど「点火」を成功させ、きっと褒めてもらえると思っていた。まだまだ未熟な魔術ではあるけれど、自分は先天術式を持ちながら汎用魔術も使える凄い子なんだって、認めて貰えると思っていた。
この時の遊里は知らなかったことだが、先天術式を持って生まれた術師はそれ以外の術式をほとんど使えないことが多いが、勉強と練習を欠かさなければ実用性皆無の児戯程度には使えなくもない。別に遊里が特別優秀だったから「点火」を発動出来たわけではなく、火花を散らす程度であれば他の先天術式持ちにも出来ることなのだ。それをやらないのは、汎用魔術を使わないのは、労力と結果が全く釣り合っていないからだ。どれだけ頑張っても小さな火花を散らす程度が限界ならば、火種はライターでも使って浮いた時間を先天術式の修練にあてた方がよほど有意義。
もしも遊里がその事実を知っていれば、もしかしたら最初から汎用魔術の練習などせず、両親から言われたように先天術式を磨くことに集中していたかもしれないが、汎用魔術を諦めさせるため大袈裟に先天術式持ちは汎用魔術を使えないと教えられていたことが裏目に出たのだった。
「パパのバカ、きらい」
爆発した感情に任せて我武者羅に走り続けた遊里は、すっかり疲れてしまい見覚えのない公園でベンチに腰掛けながらそう呟いた。
本心ではないが、この時ばかりは嘘とも言い切れない複雑な子供心だった。
「見ーつけた!」
眉間に皺を寄せて空を見上げていた遊里が、いきなりかけられた声に驚いて一瞬びくりとしながら視線を正面に移動させると、そこには見ず知らずの少女が満面の笑みで立っていた。
「……なに?」
遊里はキョロキョロとあたりを見回して、自分の後ろやベンチの下には誰もいないことを確認して、ようやく自分が声をかけられているのだと認識し不機嫌そうに尋ねる。
両親から非術師は程度の低い旧人類、猿のようなものだと教えられて育った遊里はバリバリの選民思想を持っており、多くの術師の例に漏れず非術師を見下している。
もちろん術師とは世界の裏側の存在であり、面と向かって低能な非術師と話すことはない、などと言えるはずもないため一応の受け答えはしているが、話しかけるなというオーラは全く隠せていなかった。
「見つかったらオリの中で待つんだよ? こっちこっち!」
「やめ、引っ張らないで! 私はそんな遊び」
「はい、じゃあこの中で待っててね! 他の子が隠れたとこは教えちゃ駄目だからね!」
「だから私は」
「あっ、りっちゃん見ーつけた!」
「ちょっと!」
元気一杯といった様子のパワフルな女の子に腕を引かれ、半ば強引に地面に描かれた円の中に押し込まれた遊里は抗議の声をあげるが、少女はそれに一切耳を傾けることなく目についた友人を指さしながら大声をあげて突撃していってしまった。
かくれんぼ、遊里も聞いたことくらいはある。鬼役の子供とそれ以外の子供に別れ、鬼役以外は一定の範囲内に身を隠して鬼はそれを探すのだ。
非術師らしい、何の生産性もない野蛮で愚かな遊びだと断じて遊里は溜息をつきながら円の中から出ようとするが、その都度目ざとく例の少女に見つかって足止めを食らい、結局他の子が全員見つかるまでその場を離れることは出来なかった。
もっとも、本気で逃げようとすれば逃れることは出来ただろうが、非術師相手に躍起になるのも馬鹿らしいという考えがあったのと、自分が逃げようとするたびにそれに気が付いて反応をしてくる少女がほんの少しだけ滑稽で、ずるずると時間が経ってしまったのだった。
「よーし、じゃあ次はあなたが鬼ね!」
「はぁ? だから私、一緒に遊ぶなんて言ってないし、そもそもあんた誰」
「私はちさき! こっちはみぃちゃんで、この子はりっちゃん、それにゆうくんとようちゃんとイッシー!」
「あっそ。とにかく私は鬼なんてやらないから」
かくれんぼは一番最初に見つかった子が次の鬼になるというルールは遊里も聞いたことがあったが、まさか一緒に遊んでいたわけでもない自分を鬼に指名してくるなどとは考えてもいなかった。元より一緒に遊ぶつもりなどなかった遊里は、付き合ってられないとばかりに鼻で笑ってその場を後にしようとしたのだが
「こいつ逃げる気だ! 自信がないからやりたくねーんだ!」
「俺たち隠れるのうまいからな。そういうことならしょうがないよな」
「やめなよイッシー。感じ悪いよ」
「誰だって苦手なことくらいあるでしょ」
「そーそー、無理言ったら可哀想じゃん」
無自覚なキッズたちの煽りがプライドの高い遊里に火をつけた。
「……は? 逃げる? 無理? 可哀想?」
「も、もう! みんなそんな風に言ったらだめだよ! ごめんね? えーっと……」
「遊里」
「え?」
「私の名前は熱尾遊里。この私が、たかだかかくれんぼなんて遊びから逃げる? 無理? 可哀想? バカ言わないでよ。そこまで言うならやってあげるけど、後悔してもしらないから」
そしてその宣言通り、遊里は初めてのかくれんぼとは思えないほど的確に隠れた子供たちを探し出し、あっと言う間に自分の鬼役を終わらせてしまった。隠れられる範囲が公園内のみと非常に狭いことと、英才教育を受けてきた遊里はそこいらの子供よりもずっと賢いということを考えれば当たり前の結果ではあった。
「あはは! そら見ろ! じゃあ次はあんたが鬼だからね! 私を見つけられるもんなら見つけてみなよ!」
そして遊里の本領が発揮されるのはむしろ隠れる側の時だった。奇しくも遊里の先天術式「偽装」は物事を覆い隠すことや偽ることに特化した術式であり、かくれんぼという遊びに対してチート級の性能を発揮することとなった。
普段の遊里であれば、非術師を相手に遊びで術式を使うなどというある種大人げないとも言えるようなことはしなかっただろう。そもそも非術師と遊ぶという選択肢がありえず、多少煽られたからと言ってムキになって鬼をやってやるなんて言うことがありえない。
だが今日の遊里はむしゃくしゃしていた。頑張っている自分をちっとも褒めてくれず、それどころか頬をはたくような父に反抗心を抱いていた。だから普段父が言っている、非術師は低能な劣等種であり、あんな猿どもと友人になるなど言語道断、という言いつけを破ってあてつけのように一緒に遊んでやった。そして気が付けば、いつの間にか父への怒りなどどこかへいってしまって、夢中になって遊び始めていた。
皮肉なことに、そうして非術師の子供たちと一緒に遊ぶことで遊里の先天術式は大きな成長を遂げていた。本来遊里の持つ先天術式はまだまだ未熟であり、人間に対して認識をごまかすほどの性能はないはずだった。それがいつの間にか、簡単に見つけられるのは悔しいという純粋な思いが術式への理解を深める結果となり、人一人を覆い隠すほどの力へと至っていたのだ。
あらゆる術式は感情によってその出力が変動したりはしない。
しかし術式を紐解き、よく理解し、その性能を十全に発揮するためには術式に真剣に向き合う必要がある。
今まで遊里は頭では先天術式の重要性を理解していても感情がついてきていなかった。
どれだけ賢いとは言ってもまだ子供であることに変わりはなく、やりたくないこと、つまらないことに対する関心が低いのは当たり前。
だからこそ、今この瞬間、楽しい遊びの中で心の底から求めたことで術式への理解が深まった。
偽装の魔術師、熱尾遊里はここから始まった。
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「――以上、魔術師熱尾遊里の誕生秘話でした。ご清聴感謝感激、はい拍手~」
わざとらしくおどけて自ら拍手を始めたプレスに対して、ディスカースは無表情で言われるがままに拍手を始めた。
「んふふ、命をかけるにはしょぼい理由だと思いました?」
『いえ、それだけあなたにとって大事なことだったのだということは伝わりました』
欺瞞世界の中にある偽りの学校の屋上で、ゴスロリ風の魔法少女プレスと毒々しい色合いの魔法少女ディスカースがフェンスに体重を預けながら話をしていた。
全ての因縁、そして戦いに決着がついた今、以前に打ち合わせした時は時間の都合で伝えることの出来なかったエレファントを助けたい理由を伝えていたのだ。
あえて語らずともディスカースの方から追求することはなかっただろうが、用事が済んだらはいさよならというのはあまりにも同義に反すると、プレスは仁義を切った。
「まあ、この時点でコロッと堕ちてたわけじゃないですけどね。そりゃいくらなんでもチョロインすぎますから」
『ではその後も交流を続けていたのですか?』
「そうですねー、半年くらいかな? 親には内緒でこっそり遊んでました。今思い返すと、当時はツンデレキャラだったんですよ。自分から例の公園に足を運んでおいて、そこまで言うなら一緒に遊んであげる、みたいな。うぎゃー! 黒歴史だー!」
『言いたくないのなら聞きませんが』
顔を赤くして突然床をゴロゴロと転がり急停止して足をじたばたと動かしだしたプレスを見て、ディスカースが若干引き気味に告げるが、プレスは何事もなかったかのようにすっと立ち上がり話を再開した。
「エレちゃんが白心炉を持ってることを知って、あたしと遊んでた記憶ごと隠蔽したのは半年くらい経ってからのことです。その時になって初めてあたしは、エレちゃんのことをかけがえのない友達だって思ってることに気が付きました。もっと早く気付いてれば、素直な気持ちで仲良く出来たのに、馬鹿だったあたしは全部手遅れになってから後悔する羽目になったんです」
『……ですが自分の選択を後悔はしていない。そうでしょう』
「当たり前です。エレちゃんがあたしを魔術師にしてくれた。エレちゃんがあたしを人間にしてくれた。エレちゃんがいなかったらあたしは、他の術師と変わらないただ力があるだけのクズだった」
ちさきのことを友達だと思っていたこと、非術師は低能な原始人なんかじゃなかったこと、間違っているのは自分だったこと、それをもっと早く気付けていれば、認められていれば、もっと素晴らしい思い出を残せたはずだと、そんな後悔は何度もしてきた。
けれどちさきの持つ白心炉を覆い隠す選択は、熱尾遊里という存在との記憶ごと隠蔽する選択は、間違っていなかった。それを後悔したことなど一度もない。
「あたしにとってエレちゃんはずっとずっと大事な友達なんです。たとえエレちゃんがあたしを覚えていなくても、あたしはずっと覚えてる。それだけで十分だったんです。またエレちゃんと友達になれるなんて思ってなかったんです。だから、今が楽しいからオールオッケーです!」
いつもの嘘くさい笑顔とも、珍しい真剣な表情とも違う、心の底から嬉しそうな笑顔をディスカースに向けてプレスはそう締めくくるのだった。




