北見大変身スペシャル
休憩に行こうとしたら、「北見ぃ」と大沼さんに呼び止められる。猫なで声だから機嫌がいい。私の中の「大沼機嫌センサー」は、かなり発達してきている。叱られることはなさそうだとほっとしながら振り向くと「ねえ一緒に休憩いこ」。話したいことがあるらしい。
大沼さんはニコニコしながら「また生徒に告白されちゃったんだ」と言う。入社してから毎年生徒に告白されるというのが、彼女のご自慢らしい。
「すごいですね」
「なんでだろうねぇ」
こっちが聞きたい。私にとってはこんなに怖い先輩なのに、どこをどう好きになるのか。
「相談に乗ってるうちに好きになられちゃうっていうか。チュートリアルの話もためになるって言われて」
チュートリアルというのは、この予備校のホームルームみたいなもので、週一回設定されている。各クラスを担当するチューターが、事務的な連絡をしたり、受験情報や受験の心構えを伝えたりするのだ。私はまだまだチュートリアルに慣れないけれど、大沼さんは得意だそうだ。
「でね。その子に何て言われたと思う?色が白くてきれいだって言われちゃった」と自慢され、「大沼さんの肌は白くて羨ましいです」と話を合わせてしまう自分が悲しい。
「でしょう。たぶん小さいころから毎日メザシを食べてるからなんだ」
メザシ?どうでもよすぎる情報、ありがとうございます。
「北見もさ、ちゃんとお手入れしないとだめだよ。髪とか肌とか。手もガサガサじゃん」
「そうですね」
「ハンドクリーム塗る暇くらいあるでしょ?服とかももっといいやつ買ったほうがいいよ、社会人なんだし」
「すみません」
「今時このデザインの服はないって。古い服しかないの?」
「はい」
「新しいの買いなよ。自分で働いてるんだし。うち給料悪くないでしょ。残業代もちゃんと出るしさ」
確かに学生時代に比べたらお金はある。けれど奨学金の返済はあるし、実家は貧乏だし、校舎の近くで一人暮らしをしているしで、できるだけ服や化粧品にお金は使わずとっておきたいと思ってきた。服の選び方もわからないし。
「私のこと見なよ。ちゃんと社会人してるって感じできれいめでしょ?仕事用の服は、最低でも百貨店で買わなきゃ」と自分のパフスリーブのブラウス、ひらりと広がるプリーツスカートに目をやりながら大沼さんが心底馬鹿にしたように言い、「ねぇ、北見のこと思って言ってるんだよ」と付け加える。
「コスメもね。百貨店ブランドはやっぱり違うよ。北見はいつもドラッグストアとか100均だろうからわかんないだろうけど」
「そうですね」
「髪も美容室でトリートメントしてもらえば見違えるよ」
「はあ」
「ねえ北見、彼氏もいないんでしょ」
「はい」
「私はね、もうすぐ結婚するんだ。ハワイで結婚式やるんだよ」
「素敵ですね。女子の夢ですね」
「でしょ」
大沼さんの彼氏は、同じ会社の後輩だ。私にとっては先輩にあたる。私は会ったことがないけれど、地区教務本部勤務で、穏やかで優しい人だと評判だ。新人時代に校舎勤務をしていたとき、先輩だった大沼さんと付き合い始めたらしい。
「あ、そういえば彼氏もねぇ、相談してるうちに私のこと好きになったんだって。私って頼られちゃうタイプみたい」
「そうですね」
大沼さんの自慢話なんて聞きたくもないけど、ヒステリックに叱られるよりはずっといい。「彼氏さんは大沼さんのヒステリックな一面を知ってるのかな」と思いつつ、葵ちゃんが「お疲れ様でーす」と休憩室に入ってくるまで、私は貴重な休憩時間を無駄にし続けた。
帰りがけ、葵ちゃんが私に聞く。
「休憩室で大沼さんに何言われてたの?」
「え」
「何か言われてたんでしょ。また怒られた?北見ちゃん、顔やばかったよ」
「怒られてたわけじゃないんだけど」
大沼さんに言われたことを説明すると、葵ちゃんは笑いを噛み殺す。
「服装とか化粧がやばいって?大沼さんがそう言ったの?」
「うん。確かに私そういうの疎いし」
「ねえ、見返してやろうよ!大沼さんより北見ちゃんのほうが断然素材はいいんだし。服装とメイクに気を使えば見違えるよ。今度休みが重なった日、一緒に買い物行こ!見立ててあげる」
あまりの勢いに断ることもできず、私はATMで初めてのボーナスを引きだして、葵ちゃんと一緒に百貨店に向かった。
葵ちゃん御用達だというコスメブランドでひと通り化粧品を揃えると何万円にもなった。美容部員のお姉さんに「どういう色味がお好みですか?」と聞かれても、わかるわけがない。葵ちゃんとお姉さんにお任せで選んでもらい、それを使った化粧の仕方を教えてもらい、長い時間をコスメカウンターで過ごしているともうお昼。ランチを済ませてから服売り場に移動し、服は着回しできそうなシンプルなモノを葵ちゃんに選んでもらい、久々に靴も買う。
「楽しかったね。私、自分のものを買ったみたいに満足」
「う…うん」
朝から来たのに、もう夕方近くになっている。葵ちゃんは何とかラテを飲みながら楽しそうに私の買い物袋を眺める。普段なら絶対入らないような、キラキラした女の子のお客さんが多いカフェで、私はまったく落ち着かない。完璧女子の葵ちゃんとボサボサ頭の私は、どういう関係にうつっているのだろう。
「ねえ、北見ちゃん。まだ時間とお金ある?」
「え…う、うん」
「美容室も行こ!今日平日だし、この辺は美容室たくさんあるから、予約してなくてもやってもらえるとこがあると思う」
まるで平日の主婦向け情報番組の「大変身企画」みたいだ。平日に仕事が休みの時、昼の十二時近くに目が覚めて何もやる気がしないと、よくぼーっと見ている。あれを同じことが自分に起こっているのだ。
癖毛の髪にストレートパーマをかけて毛先だけくるんと内巻きにしてもらい、痛みきった髪に一番高いトリートメントもしてもらう。髪の毛が生き返るとともに、また万札が飛んでいく。テレビでは、大変身にいくらかかるかまでは教えてくれなった。
「北見ちゃん、めちゃくちゃ良くなったじゃん」
「僕も満足ですよ」
葵ちゃんと美容師さんが鏡に映る私を見て、ニッコリ微笑んだ。




