私文C
「北見、ごめん。私立代文系Cクラスのサブチューターやってくれる?」
「はい、今ひとクラスしか持ってないので大歓迎ですけど…急にどうしたんですか」
「塩谷が煮詰まっててさ」
私文C。この校舎で一番成績が低いとされるクラスで、塩谷さんが担当している。成績下位だからといって指導が簡単というわけではなく、むしろその逆だ。新人の塩谷さんにはしんどいかもしれないとは思っていたのだが、校舎長から聞いた話だと、状況は思ったより深刻だった。
塩谷さんは国立のH大の文系学部の出身。私文Cクラスの子たちが狙っている私立大学の文系学部を滑り止めとして受験して合格した経験があり、それをチュートリアルや面談でいつも自慢するのだという。そして「B大くらい、ちゃんと勉強してたら誰でも合格できる」というのが口癖らしい。本人は励ましのつもりかもしれないが、生徒からしたら志望校をB大くらいなんて言われるのは、馬鹿にされているように感じるはず。
「それに塩谷、どうしても国理Aに注力しちゃっててさ。私文Cの子たちは、塩谷さんは私たちのこと考えてくれてないって思ってるみたい。離脱者も徐々に出てきてて」
「ああ…」
去年もそうだったのだが、私文Cなどの下位クラスでは、年度後半になると授業をサボって食堂でウダウダしたり、自習室前でおしゃべりして他の生徒から苦情を言われたりする生徒が出てきてしまうのだ。それがクラス全体の士気を下げてしまうことも多々ある。
「塩谷じゃどうにもならないけど、森は体調第一だから担当増やせないし、管理職も手が回らなくて」
「わかりました」
次のチュートリアルで自己紹介し、「小さなことでも相談してください」と精一杯の笑顔で伝えたが、生徒たちの反応は薄い。それでもめげるわけにはいかない。私は食堂と自習室前のパトロールから始めることにした。
「あ、いた」
「あ、新しいチューター」
「北見です」
チュートリアル中に大きな声で話して塩谷さんに注意されていた男の子が昼休み後の食堂に残っていた。
「もう昼休み終わったよ。授業でしょ。古瀬先生は五分以上遅刻したら教室入れないんだよ。今から行けばギリ間に合うよ」
「英語苦手なんだもん」
「苦手だから勉強するんじゃん!ほら、行って行って!放課後カウンター来なさい」
「えー、カウンターはパスだわ」
彼を追い立てて一息つく。席に戻ると竹浦チーフが「私文C、大変でしょ」と薄い笑いを浮かべた。
「今まで持ったクラスが全部上位だったので、異世界です」
「だよね。何のために予備校来てんだかって子もいるよね。授業料がもったいない。親御さんがかわいそうだよ」
「最初はやる気を持って通い始めたはずなのに」
「私文Cに入れられた時点でやる気失っちゃう子もいるんだよね。期待されてない、馬鹿だと思われてるって」
「そんなことないのに。だって、できないことをできるようにするためにここにいるのに」
「理想はそうなんだけどね。俺も若い頃はそうやって生徒に言ってたけど、綺麗事って言われて傷ついたよ。今は確かに綺麗事だよなって思いが強いわ」と竹浦チーフはため息をついた。
放課後、あの男の子はちゃんとカウンターにやってきた。意外に素直だ。
「授業はちゃんと出ないと。親御さんも悲しむよ。授業料出してくれてるのに」
「そうなんだけど、どうしてもやる気が出なくて。塩谷さんも成績見て滑り止めの話とか機械的にするだけだし、最後には私は受かったみたいな自慢話で、相談する気失せるし」
「そうだったの」
「俺らのことなんてどうでもいいんだろうなって。どうせさ、○○大何名合格とかって書けないような大学にしか受からないって思われてるんだろうなって」
「勘違いだよ」とは言えない、手厳しい指摘。どうすればいいのだろう。
「樹、私文の下位クラス持ったことある?」
「あるけど、なんで?」
私文Cの担当になったこと、クラスの雰囲気、生徒や竹浦さんの話をすると、樹は「わかる」と苦笑した。
「これくらいの時期から、諦めモード強くなってくるよな」
「そうなの」
「授業持ってたときは、俺のとこにチューターのこと相談しにくる生徒もいたな。おざなりに扱われるって」
「そうなんだ」
彼らのために、何かしないとダメだ。話を聞いてふんふん言ってるだけでは、何も伝わらない。考え込んでいると、頬を両手で挟まれる。
「私文Cの奴らは幸せだな、よつばにこんなに真剣に想われて」
「もう」
でも足りない。考えているだけではダメだ。行動しないと。私は校舎長と古瀬先生に頭を下げる。
「B大対策特別ゼミをやりたい?私文Cで?」
私文Cで志望している子が多いB大対策のゼミを打ちたいと相談したのだ。古瀬先生は快諾してくれたけれど、校舎長は渋い顔だ。
「B大狙える子って、正直私文Cに何人いるの」
「3人くらいです」
「北見、少なすぎるって」
見込みの少ないところに予算は出せないという校舎長。当然か。
「あ!それなら校舎長!」
ひとつ上の私文Bクラスと合同で、という条件で何とかゼミを開講してもらう。そして、条件付きで私文Cのみで行う二回目のゼミの約束もとりつけた。早速次のチュートリアルで、ゼミについて告知する。
「ただ、このゼミは前回模試の合否判定C以上じゃないと参加不可です」
「えー!けちー!」と声が飛ぶ。前回のチュートリアルはシーンとしていたので、それを考えたら反応があるだけでもいい。
「茶化さないで。このゼミを受けたからといって、それだけで成績が上がるわけではないです。基本があって、その大学対策の応用があるわけだよね。だから基礎ができてない子は受講できない。わかるね?」
生徒たちは顔を見合わせている。
「今回はBと合同だけど、二回目はCクラスだけでやってもらうっていう約束も、古瀬先生としてます。だけど二回目のゼミは、次回の模試でC判定出た子が増えたらの話だよ」
私は教室を見回して言葉を続ける。生徒に向かってこんな厳しいことを言うのは初めてだから、声が震えてしまう。
「今のみんなの努力で、本当に志望校に届くのかな?私はこのクラスの担当になったばかりだけど、真面目にやっている子もいれば、そうじゃない子もいるように見える。授業中なのに廊下で喋ったり、遅刻して教室に入って他の子の集中を途切れさせたり、不真面目な子が真面目の子の邪魔をしているようにも見えるよ。正直、中弛みしてるって自分でわかってる子もいるんじゃない?ゼミ受けたかったら、志望校に受かりたかったら、やる気見せてください」
用意していた台詞を言い終わって、急に怖くなる。ここまで言って、そっぽを向かれたら終わりだ。何か言ってまとめようと「あの…」と言おうとしたとき、大きなくしゃみが出てしまった。誰かが笑い出し、教室中に笑いが広がっていく。
「きたちゅー、せっかくいい話してたのに」
「俺、頑張るよ」
「私も。ゼミ受けたい」




