小悪魔な男の子
塩谷さんが担当する国公立大理系Aクラスの生徒がカウンターにやってきた。モデルみたいなスタイルで、目が大きい色白の男の子。目立つし、よく塩谷さんと話しているので四月に授業が始まってからすぐ顔を覚えた。今、塩谷さんは席を外している。
「塩谷さんだよね。多分すぐ戻ってくると思うからここで待っててくれるかな」
「いえ、今日は北見さんと話したくて」
「私?」
「はい。俺、国理Aの知内幹哉です。北見さん、国理Bクラスの担当ですよね」
「そうだよ」
「俺、Bに変わりたいんです」
国公立大理系のAクラスとBクラスは、成績順に振り分けられている。Aのほうが成績上位だ。レベルの高い授業を受けるためにBからAに上がりたいという生徒はたまにいるが、AからBに変わりたいというのはかなり珍しい。プライドがあるためか、授業が難しくてもみんな変わりたがらないのだ。
「どうしてBに変わりたいの?Aの授業、ついていけない?」
「いえ、俺割と成績いいんで」
じゃあ何故。
「クラスの雰囲気が良くないとか?」
「いえ。おもしろいやつが多くて楽しいです」
ますます何故。
聞くと、Bクラスの生徒から私の話を聞いたらしい。AとBは理科や社会の選択科目の関係で合同で授業を受けることがあり、そのときにチューターの話になったという。
「塩谷さん、俺のこと気にかけてくれてるのか、よく話しかけてくれるんですけど、結局自分の話ばっかで。俺の時間無駄になるっていうか」
「そう」
「北見さんだったらそんなことないって言われて。ちゃんと話聞いてくれてアドバイスくれたりゼミやってくれたり、普段も見てないようで見てるって」
「Bのみんな、だから怖いとも言ってましたけど」と彼は笑って、「塩谷さんグイグイくるし苦手なんです。だから変わりたい。北見さん美人だし」とカウンターに肘をついて上目遣いに私をみる。色白の肌に大きなキラキラした目の彼がそうしていると、正直、すごく可愛い。アイドルみたいだ。
「可愛いな」と思いつつ、生徒情報システムで彼の成績情報を呼び出す。成績はAクラスの中でも上位。これでBにうつるのは勿体ない。しかも彼の志望は人気も難易度も高い獣医学部だ。
「今、知内くんの成績や志望校を見せてもらったけれど、受験のこと考えたらAクラスのほうがいいよ。授業やテキストのレベルは下げたくないでしょ。国公立の獣医狙いなんだし」
「それは確かに」と彼は頷く。素直だ。
「塩谷さんと話し合って彼女が態度を改められるなら、それが一番いいと思う。話し合ってみたうえでどうしてもBに移りたいというなら、校舎内で話をしてみることはできるよ。でも、理由がどうあれ大きな変更だし、こちらの都合で悪いけど教室のキャパとかも絡んでくる話なの。だから難しいかもしれないっていうのは承知しておいてね」
「塩谷さんが嫌」というのがどれくらい彼の勉強や受験に影響を与えるのかがよくわからないから、本当になんともいえない。
「塩谷さんと直接話しにくいなら、間に入るけどどうする?」と聞くと、彼は「いや、やっぱりいいです。このままAにいます。塩谷さんは適当にあしらいます」と笑った。
あまりにあっさり引き下がるので「?」という顔をしていると、「本当はクラスを変わるつもりなんてなかったんです。今のクラスとテキストが合ってるのわかってるし」と彼は笑ったまま言う。
「じゃあなんでこんな話をしにきたの」
「北見さんのこと気になったから、がっつり話したくて」
「ええ!?」
「今のやり取りで、いい人ってわかった。俺、真剣に好きになるかも」
「ええええ!?」
顔が赤くなっていくのがわかる。5歳も年下の男の子に翻弄されるなんて。
「ごめ…あの…」
「わかってます。生徒とは付き合えないんですよね」
「そ、そう。それに付き合ってる人もいるから」
「彼氏いるんだ。でも俺、かなりいい男になる予定ですよ。俺がここ卒業するときにまだその人と付き合ってたら、天秤にかけて考えてくださいね。別れてたら本当付き合って」
「い、いや、だから…あのね…」
「今の反応見て、ますます好きになっちゃった。よつばさん、美人なのにピュアな感じで可愛い」
「下の名前…」
「Bの連中から聞きました」
「じゃ、また話にきます」と知内くんは帰っていく。はっとして講師室を見ると、樹がこっちを睨んでいた。逃げるように台車に資料をのせて倉庫へ向かう。すると四月からここでバイトをしている西中君がニヤニヤしながら近づいてきた。
「北見さん、知内に告白されてましたね」
「もう!やめてよ」
あれ。西中君はなぜ知内くんのことを知っているのだろう。聞くと、高校の後輩らしい。彼らはどちらも県内有数の公立進学校の出身だ。
「でも学年違うんでしょ。よく知ってたね。部活が一緒だった?」
「いや違うんだけど、あいつ目立つでしょ。一年のときから”年上キラー”って有名で。学校ではいつも周りに女子が群れてたし」
想像できすぎて笑ってしまう。絵になる。
「北見さんに目をつけるとは、さすがとしかいいようがない」
「私なんておもしろくもなんともないのにね」
「そんなことないですよ」
そこへ講師室バイトとして野々ちゃんに鍛えられている平岸さんが「何?西中くんも北見さんのこと好きなの?」と言いながらやってきた。西中くんは「違うよ」と慌てながら自習室の受付係をするために小走りでエレベーターに向かう。
「北見さん、モテモテだね」
「そんなことないよ。平岸さんこそ絶対モテるでしょ。元から可愛かったけど、大学に行ってから洗練されたよね」
平岸さんは去年樹が日本史を担当していたK大文系クラスにいたけれど、K大には成績が届かずD大に通っている。
「そうかな?ま、実際よく声はかけられる。カットモデルやりませんかとか。キャンパス新聞のスナップとかもよく頼まれるし」
「すごいね。私の学生時代とは別次元」
美桜が言ったように資料と出土品に囲まれていた私の学生時代は、華やかなキャンパスライフとは程遠かった。平岸さんは「去年のはじめごろは、北見さん地味だったもんね。学生時代もそうだったんだね」と笑って、「私、講師室でも可愛がられてるよ」と自慢して去っていった。
「よつば、隙があるからあんな風に生徒に言い寄られるんだぞ」
「隙って…」
家に来た樹は、オムライスを頬張りながら大変に機嫌が悪い。隙を作っているなんて、そんなつもりは全然ない私は、そういわれてもどうしていいかわからない。「ちゃんと断ったし大丈夫だよ」と言っても、樹はまだ考え込んでいる。
「なあよつば。前々から考えてたんだけど、俺のマンションで一緒に暮らさないか?」
「同棲ってこと?」
「そう。俺今年度はよつばの校舎の授業少ないし、一緒にいられる時間を増やしたい」
一緒にいられる時間が増えるのはもちろん嬉しいけれど、「結婚したいね」くらいで、まだちゃんと結婚の約束をしたわけでもないのに同棲なんて、少なくない抵抗がある。正直にそういうと、樹は「わかった」と苦笑した。
「怒った?嫌なわけじゃないんだよ。ただ親にどう言おうとか考えちゃうし、なんか…ごめん。せっかく提案してくれたのに」
「いいんだ。たぶん俺、よつばのそういうところも好きなんだと思う」
「そういうところ?」
「古風っていうか、堅いっていうか」
冗談めかして「樹は私のすべてが好きだね」というと、「そうだよ。心も身体も全部」と返ってきて、攻撃したつもりが見事に反撃されてダメージを食らう。
「よつばも俺のすべてが好きだろ」
「うん、好き」
「とにかくあの生徒には隙を見せるなよ」
「見せてるつもりないってば」




