手ごわい後輩
ゼミ室に社員が集まり、夏期講習の募集戦略を考えている。今通っている生徒たちに夏期講習を申し込んでもらうための施策だ。
みんなが考え込んでいる中、今年入ってきた新人の塩谷さんが「私、自分が受験生だったときには三つくらいしか夏期講習とりませんでしたよ。それで十分でした」と空気を読まない発言をしてしまう。最初はハキハキ喋る明るいいい子だなという印象だったが、実はなかなかの曲者だということに皆気づき始めている。
喋るのはいいのだが、喋りすぎる。というか人の話を全然聞かないし自分の考えを曲げない。校舎のスタッフにも生徒にも講師にも、自分の話ばかりしている。スタッフや講師はまだしも、生徒の話を聞くのは仕事のうちなのに。気になったときに注意しても、「私のやり方があるので」とうるさそうにされてしまうばかり。
「お金もかかるし、そんなにたくさん受講しても」「できるだけ数は絞りたい」という生徒や塩谷さんの気持ちもわかるが、それでは経営がなりたたないし、苦手科目の補強が疎かになれば取り返しがつかない。「塩谷、そんな消極的じゃダメ。どうやったら生徒が夏期講習をとりたくなるか考えて。結局は生徒のためでもあるんだから」と校舎長がたしなめる。
四月に着任した新校舎長は、校舎長としては珍しく女性だ。女性が多いこの会社だけど、校舎長まで出世する人は少ない。たいてい結婚出産を機に辞めてしまうか、昇進してもいいとこチーフどまりだ。
厳しいけれど母性を感じさせる人だから、叱られても愛情を感じる。発言もしやすい。
「あ」
「北見、何?言ってみて」
「去年の合格実績と夏期講習の受講クラスの相関を見せたらどうでしょうか。〇〇大学〇学部に合格した先輩は、これだけ講習とってたよと。チューターに言われると営業だと感じて引いちゃう子もいますが、先輩の実績を見せれば効果あると思います」
「いいね。成績が上がった子を抜き出せたら、偏差値の変化を見せるのもいいよね」
「確かに」
「壁に貼りだせば夏期講習だけとりにくる現役生にも訴求できるし。各クラス向けには紙一枚にまとめてチュートリアルで配ろう。北見、生徒情報システムで去年の生徒を誰か抜き出して、テンプレ作ってみて」
「はい」
二年目になり、去年以上にいろんな仕事を任されるようになってやりがいを感じる。どうやら、私と校舎長との相性もいいらしい。去年より断然仕事がやりやすくて楽しい。
休憩室で、大沼さんの後任としてやってきた森綾女さんにそんな話をしていると、「北見ちゃん、大沼に聞いてたより断然いい子だね。会議で提案ちゃんとするし、生徒のこともバイトさんのこともちゃんと見て大事にしてるし」と言ってくれた。大沼さんから何をどう聞いていたのだろう。大体想像はつくけれど。
「私ね、新人時代の大沼の指導係だったんだ」
「そうだったんですか」
「大沼が北見ちゃんの指導係になってから、北見ちゃんのこともいろいろ聞かされてた」
「大沼さん、私のことトロいとおっしゃってたのでは…」
森さんは苦笑してそれには答えず、「大沼は女の後輩に厳しすぎたんだよね。男の子には親切だったけど」と呟いた。
「いない人のことあんまり言っちゃダメだけど、大沼のこと後輩クラッシャーって呼んでた人もいるくらい。北見ちゃんはサバイバーって呼ばれてるよ」
「知らなかったです」
「北見ちゃんの前に大沼についてた子は、一年で辞めちゃったんだよ」
「それも知りませんでした」
「北見ちゃんは生き残っただけでも偉いってこと」と森さんは笑い、それからため息をついた。
「私、北見ちゃんの指導係だったらよかった。塩谷さんはなかなか手強いわ。今まで指導した子の中で一、二を争う」
「自分もあれなんで言いにくいですけど、わかります」
塩谷さんは人の話を聞かないのもあるし、二言目には学歴自慢なのだ。予備校だからみんな我慢しているが、正直、チューターに学歴はあまり関係ない。彼女は自分自身の受験や卒業から時間が経っていないからまだいいが、受験や大学の在り方は変わっていくものだから、「自分の時はこうだった」という先入観が邪魔になることだってある。全員が彼女の卒業した大学を受験するわけでもないし。そう言って塩谷さんをたしなめたこともあるのだが、「K大卒の北見さんに言われても響かない」と一蹴された。
「ああ、逆に北見ちゃんには劣等感持ってるんだね。あれだけ学歴学歴言ってるんだから当然か。私はF大卒だから下に見られてるわ」
「学歴以上に必要なことがあるのに。私、仕事するうえでK大卒で良かったとか得したなんて思ったことないです」
あるとしたら、樹と付き合うきっかけになったということくらいだ。
「だよね。電話もあんまりとらないし、自分のクラスの生徒じゃないとカウンター出ようとしないし、注意しても、他に仕事があるとか言われて。そのときはまあ嫌々動くんだけど、次また同じこと繰り返すんだよね。なかなか伝わらなくて困るわ」
「そうですね…」
休憩が終わって席に戻る途中、早めに講師室に来た樹と目が合う。校舎では必要以上に話さないようにしているので、私たちは少しだけ微笑み合った。




