一年の終わり
やっぱり葵ちゃんは校舎長とも本部長とも、ホテルで夜を一緒に過ごしてた。隠し撮りすることに罪悪感を覚えながら、私も証拠の写真を撮った。
「正規のルートでやろう」
「それは賛成なんだけど、もう少し待って」
「なんで」
「葵ちゃんが担当してるの、国公立大理系クラスなんだ。入試が全部終わるまでは」
「なんでそんな情けかける?今だって何企んでるかわからないのに」
「葵ちゃん、あれでも生徒には慕われてるんだよ。突然チューターがいなくなったら、生徒に悪影響だと思う。大沼さんがいなくなったときも…大沼さん、私にはあんなだったけど、悲しんで泣いてる生徒もいて、みんなかなり動揺してて。葵ちゃんじゃくて生徒のため」
「…そうか」
「今はとにかく仕事が忙しいから、いくら葵ちゃんで余裕ないと思うし」
予想通り葵ちゃんはとても忙しそうだ。そうこうしているうちに国公立大の試験が始まった。前期日程初日、私は校舎で留守番だ。本当は応援に行きたかったけれど、校舎番も必要なためだ。あらかじめクラスの生徒たちには「本当に残念だけど当日は行けない」と伝えてある。K大理系クラスのチューターにくれぐれもよろしくと頼み、そわそわしながら校舎で仕事をこなす。この時期になると、希望の私立大学に不合格だった高校三年生が、保護者と一緒に具体的な入塾の手続きにやってくる。
電話がなった。入塾の相談かと思い、元気に、笑顔で、電話をとる。
「…北見さん…」
「西中くん!?どしたの?試験は?」
K大で試験を受けているはずの西中くん。真面目で慎重で、模試では一番早く教室に到着するようなタイプの子なのに、まさか遅刻したのだろうか。泣いている。
「今英語終わって…なんか全然できた気しなくて…帰りたい…俺終わったもう…」
「西中くん、落ち着いて」
もともと少し気の弱い子だ。思ったより問題が難しく、動揺しているのだろう。
「ハンカチある?まずは涙拭いてみよ。ね」
「うん…」
「深呼吸して」
呼吸の音が聞こえる。
「もう一回」
また深呼吸の音。
「ねえ聞いて。二次の英語だけで合否が決まるわけじゃないじゃん。でしょ?」
「うん」
「センターはボーダー余裕で超えてたんだよ。だから君はアドバンテージあるよね」
「うん」
「それに次の国語も、最終の日本史も得意でしょ。数学も頑張って、模試の成績が良くなってきてたの知ってるよ」
「うん」
「だから、西中くんなら、次からの三教科で英語の分を取り返せる。だよね?」
「うん」
電話の向こうでチャイムが鳴るのが聞こえる。
「チャイム鳴ったね。教室戻れる?トイレ大丈夫?」
「うん」
「オッケー、じゃあ戻ろうか。話したかったら、次の休み時間にまたかけておいで。全部終わったら校舎来てもいいし。待ってるから」
「うん」
西中くんは最後まで試験を受け、終わってから「数学と日本史はかなりできた」と涙が消えた顔で校舎にやってきた。
「最後までよく頑張ったね」
「北見さんのおかげ。ありがとう」
「西中くんの力だよ」
「あと、滝川先生も。今日正門前にいてくれたんだよ。先生が声かけてくれたの思い出して、頑張れた」
「そっか」
「今から必死で後期の対策するわ」と冗談めかして西中くんは自習室へ向かい、その後姿を見ながら、彼も入塾したときよりは強くなったんだなと思う。
「樹、K大の応援行ったんだね」
「よつばが外れたって言ってたから、代わりに」
「ありがとう。西中くんお礼言ってた」
「…受かるといいな」
「うん」
もとより全員が受かるとは思っていない。「この子は無理だろうな」と思って受験校を変更させることもあるし、後期試験のことを想定しながらダメ元で送り出す子もいる。確率、数字で生徒を見るのもチューターの仕事なのだ。けれど、ひとりひとりと向き合ったら、やっぱり全員志望校に受かってほしい。
結果、西中くんは前期は不合格、後期でK大に合格した。第一希望の学科には入れず第二希望になってしまったけれど、涙を流して報告してくれる彼に、こちらも涙が出る。
「合格おめでとう」
「北見さん、ありがとう。本当に」
このために一年間頑張ってきたんだと、心から思う。走り回って怒られて混乱して疲れた社会人一年目だったけれど、最後に最高のご褒美だ。
最終的に、担当しているクラスの入試実績はまずまずだった。トップクラス私文は、成績優秀な生徒たちがA大の複数学部に合格したこともあって、目標一割増で着地。途中まで全落ちしていた彼も、何とか地元の難関私立大のひとつに合格した。K文クラスは何とか目標をギリギリで達成し、「目標厳しめにしてたから、万々歳。目標達成したの、今年はここの校舎だけだよ。うちとしても助かったわ、ありがとね」と教務本部のコース担当者から労いの言葉をもらった。
私たちは、国公立大の入試日程が全て終わってから写真を本社のコンプライアンス担当に送り、葵ちゃんと校舎長が地区本部に呼び出され、しばらくしてから本部長も入れた三人は、揃って会社を辞めた。大沼さんと同じように送別会も何もなく、気持ち悪いほどあっさりと。事情を知っているのかいないのか、誰も何も言わず、三人の名前は禁句になった。
一年で大沼さん、葵ちゃん、校舎長と三人も社員が辞めてしまった校舎は混乱したけれど、生徒募集業務に全力で専念する。大沼さんの騒動の噂が先輩から後輩へと広がって不調に終わるかと心配していたが、前年とほぼ同数の生徒が集まった。
あっという間に二年目が始まり、K文クラスにいた西中くんや平岸さんは校舎バイトとして働くことになった。野々ちゃんは大学と両立しながら講師室の仕事をテキパキこなし、講師室担当になった平岸さんを「山崎先生は硬めの新品チョークだけで、白二本、赤一本…」と指導している。
私は、一年目に比べたら仕事をこなせるようになった。一年やってみて、いつ何が起きるか把握できるようになったのが大きい。慌てることがなくなったし、大沼さんに監視されているわけでもないから落ち着いて仕事ができる。
後輩もできた。まだ指導係はできないけれど、相談に乗ったり仕事を教えながら一緒に作業をしたりしていると、自分も先輩になったんだと実感する。
樹とも順調だ。公にはできないけれど、仕事帰りに一緒にご飯に行ったり、お互いの家に泊まったり、休みが合えばデートしたり。
「よつば」
「何?」
「愛してる」
「私も」
樹に包まれて眠りにつくのが本当に幸せ。
「よつば、可愛い」
「ん…知ってるよ」




