黄昏の雲居に浮かぶ惑星に しかと目をやる心もなしや
何もすることがない代わりに、考えなければいけないことがいっぱいあった。どのくらいそのことを考えないといけないのかも、なにも見当がつかないので、もしかしたらそんな気がしているだけかもしれなかった。考えて考えて考えて、それが資産だとか自分の力だとかいうのはほとほと自惚れではなかろうか。
考える事とわかる事は、同じ動作の癖に全くもって性質が違っている。思考をただぐるぐると巡らす、それも十分かもしれない。堂々巡りになることが非生産だとは思わない。むしろ生産性のある行為だと思う。だが、それに力を宿らせているのは、自分の手前ではなくて経過した時間であるように思われる。簡単な話、考える事とは皆平等にする能力がある一方、わかる事とは極少数の人に与えられた境地である。達するまでの道のりの長いも短いも様々で、極地も恐らくひとつではない。考えるというステップが意味を持つ行為である以上、わかるというゴールにだけ価値があるわけではないだろうが、その上下互換は明らかだろう。
などとくだらないことばかりで頭をいっぱいにする。そうして頭をいっぱいにして、なんだか重たい気にさせて、その重たい頭は枕に乗せて、気だるい体に毛布をかける。春休みは今日で3日目だが、俄然予定の無い私はだらけるしかない。
さて、あの手紙のことだが。今はどこにあるのかというと、一度読んだぎりで机の引き出しにしまってしまった。無駄だとはわかりつつも、あの封筒から何からの几帳面さが怖くなった私は、再び折った便箋を元の向きで封筒へ入れ直し、シールを貼った。そうして引き出しにしまって、あれから触っていない。あの内容を完全に覚えているわけではないが、もう私には、おそろしくって読むことができない。だからもう考えたくない。だって、私は完全敗北したのだから。
それまで、私に優る者はあの学校には居なかった。
この出会いというものを、私ははっきりと覚えていない。同じ学校に毎日通っているわけだから、その前にも会ったことはあるかもしれないし、何か接点はあったのかもしれない。だから出会いというよりは接点だが、それすらも、なんといっていいのかわからない。
そもそも私は、上級生というものが苦手であった。今も、先輩を除けばそうであるかもしれない。一年の差を重んじるのが学校生活だからなのか、たかが一年早く生まれたその威勢や偉ぶった態度が嫌になる反面、たかが一年と言いながらなにかとつけて上級生を「上級生なのに……」と品定めするような目で見てしまう、自分のなかで生まれる矛盾に折り合いがつけられなくて、どうも苦手であった。
先輩は普遍であったけれど、そういう面において、他の人とは全く違う印象を私にもたせた。やわらかく、しなやかな普通の女の子でありながら、一部は全くわからないような、誰にも触らせぬようなところがあるように思われた。
ただでさえ苦手な上級生というものが、受験戦争というものを目の前にしてよりいっそう手強くなり始めたのは、ちょうどこの時期から一年前に遡る。上級生は皆、他人の進捗に気をとられたり、進むべき道や手段に疑心暗鬼になっていたりと、校舎にいる間もとにかく余裕なく忙しなくしていた。誰かがやれあの先生はダメだとか、やれああいう勉強法がいいだのと声を大にして言うと、皆はじめは聞かないフリをしているのに、真似し始めたり陰で批判し始めたりするものなのだ。
情報戦のはじまりだった。皆が自分のことで手一杯になると、個人規模の集まりにすぎない社会という構造は脆くも崩れていく。学校という場ではそれが顕著だった。通学路は参考書を見ながら歩く上級生で停滞していたし、いわゆる学校の奉仕活動なんかはほとんど放棄され始めた。受験なんて毎年必ずあって、必ず誰しも勉強しなければならないのに、受験生というものは皆自分のことしかわからないでいる。雑談も相談も、話の行き先はいつだって自分の将来に帰着する。皆、それくらいに必死だった。
構内の図書室にある学習席をよく利用する私は、その学習席を使う上級生の中でも、いつもこの席を使う、というようなお決まりがあるということに気がついた。学習席は仕切りのついた個人席と、大きな机を分け合う自由席に分かれており、上級生のほとんどは個人席を使っていたので、なるべく邪魔にならぬよう私は自由席を使った。勉強することを苦に感じない私は、図書室に居座って上級生というものを毎日のように見つつ日々を過ごしていたのだが、そんなピリピリとした空気の中に、毎日消ゴムの屑を机の隅へ寄せてから帰るショートカットの女性を見つけるようになっていた。
それが先輩であった。別段目立つ動作というわけでもないが、私から見て、上級生は皆下校のチャイムが鳴ると、焦りだったり疲れだったりを露にして帰る支度をし始めるものだから、清掃の用務員が机を拭きやすいようにと、丁寧に指先で消し屑を払う動作が、一層気遣いに溢れて見えたのである。そうして、ふぅ、と一息はいて、他と同じように帰り支度をする。
私はそのひと手間が、大変にいとおしかった。