006. クレリア
目が覚めた。しかし状況が全く判らない。夜だ。確か……。
ハッと身を起こす。そうだ! グレイハウンドの群れに襲われたのだ! みんな一人ずつ倒されていき、最後はアンテス団長と二人だけになってしまった。
そして、飛びかかられて左腕と足を…… 左腕を上げてみると肘から先が無かった。じゃあ足も…見ると右足も脛から先が無かった。
『ああっ』
泣きそうになるが、ぐっと我慢する。
アンテス団長が助けてくれたのだろうか。治療してある。不思議なことに全く痛みがない。
まさかファルが生きていたのだろうか!? でも、戦いの中でグレイハウンドに押し倒されたのを見た気がする。
ハッとして辺りを見回す。すると見慣れない男がこちらに歩いてくるところだった。
◇◇◇◇◇
彼女が目を覚まして声をあげた後に、パニックになりそうなのを我慢しているのを見て少し安心した。理性的な子のようだ。
歩いて近づいていく。
「やぁ、今晩は! 痛みはありませんか?」
挨拶の言葉は、なんでもいい。どうせ通じないのだから。
重要なのは話を続けさせることだ。少しでも早くナノムに言葉を覚えてもらわなければならない。
◇◇◇◇◇
男が何を言っているのか全く解らなかった。
男の格好は、なんとも奇妙なものだった。全身黒の見るからにツルツルしていそうな生地でできている服で、よく見ると上下で服が分かれていない。
どうやって着ているんだろうか。縫っているのだろうか?
焚き火の明かりを受けて所々光っているように見えた。
道化なのだろうか? いやそうは見えない。若い男だ。年齢は二十歳くらいか。
『貴方は誰ですか? 今なんと言ったのですか?』
◇◇◇◇◇
「そうですか、痛みはないですか。それは良かった」
「この度は災難でしたね。でもお気を落とさないように。良いこともあれば悪いこともあります。次はきっと良いことがありますよ」
適当な言葉を掛ける。
◇◇◇◇◇
さっきは聞き取り違いをしていたと思っていたが、そうではなく男が全く別の言葉を話していることが判った。
どういうことだろうか。私の知る限り話しているこの言葉が通じない国はない。
私が知らない国から来たとでもいうのだろうか。
『貴方が助けてくれたのですか? 皆はどこです?』
◇◇◇◇◇
「ところで、お腹は空いていませんか? 食べ物と水もありますよ」
バックパックからペットボトルと非常用固形食を取り出してみせた。
◇◇◇◇◇
やっぱりこの男もこちらの言っていることが全然解っていないようだった。
透明なガラス瓶に入った水と、何か銀色の四角い箱? のようなものを見せてきた。
あんな透明なガラス瓶など見たことがない。ものすごく喉は渇いていたがそれどころではない。
『皆はどこです? 』
周りを見渡すと広場の反対側の離れた所に皆が寝かされているのが見えた。
『ああっ!』
やっぱり皆は……
会いたい! 見たい! クレリアは這って皆のところに行こうとした。
すると、男が立ちふさがり、止めるような仕草をした。
◇◇◇◇◇
あちゃー、やっぱりそうなるよな。
這っていこうとするのを止めた。そんなことで怪我を悪化させでもしたら、俺が頑張った意味がなくなる。
ここからはジェスチャーゲームだ。
◇◇◇◇◇
男は奇妙な行動を取り始めた。
座った状態から僅かに曲げた腕を広げて立ち上がり、皆の方向に三歩歩いて首だけ振り向いて止まった。
私が固まっていると戻ってきて、また同じ動作をして止まって首を傾けた。理由は解らないが何故か無言だ。
もしかして私を自分が抱えて向こうまでいくと言っているのだろうか? 男に触れられるのは嫌だが、この際しようがない。
頷いてみる。
◇◇◇◇◇
おおっ! 通じた。やってみるもんだ。
しかし、なんだか本当にジェスチャーゲームをやってる気になって無言でやってしまった。別に喋ってはいけないなんてルールはなかったのに。ちょっと恥ずかしい。
◇◇◇◇◇
男が近づいてきて抱え上げられた。家族以外でこれほど男と接近したのは初めてだ。緊張する。
皆のほうに歩いていく。あぁ みんな……
皆、無残にも喉を食い破られていた。やはり戦闘中に見たままだ。あぁアンテス団長まで…
皆、寝かせられて手を胸の前で組んだ状態だった。どうやらこの男は皆を丁重に扱ってくれたようだ。
一人ずつ順に見せてくれるようだ。
ライナー、ジーモン、アーロ、アンテロ、ミエス、ミルカ、オルヴォ、ファル、アンテス団長。
皆、子供の頃から仕えてくれた者ばかりだ。ファルは幼馴染だった。自然と涙が溢れる。五分くらいは泣いていただろうか。
男が毛布のあった場所に戻って座らせてくれた。
◇◇◇◇◇
ふぅ、やっぱり女の子に泣かれるとどうしていいのか判らなくなるなぁ。
やはり仲間の死がよほどショックだったようだ。うん、その気持ちはよく分かる。
さて、墓掘りの続きをしなきゃな。一応説明してみるか。
◇◇◇◇◇
男はスコップをもってきて、また芝居のようなことを始めた。
スコップで地面を掘るマネをして何かを抱え上げて置いてスコップで埋めるような動作だ。これも何故か無言だ。
これはすぐ解った。皆を埋葬してくれるというのだろう。うなずく。
早速、男が作業に向かいそうになるのを引き止めた。
『ちょっと待っていただきたい! 手伝うことはできないが、私も見送りたいのだ』
主として最期くらい見送ってやれなくて、なにが主だ!
男はキョトンとした感じでこちらを見ている。
『だから、私も見送りたいのだ!』
男は今度はそちらの番だとでも言いたげに手をふってきた。なるほど、動作で説明せねば伝わらないか。これは難しい。
皆のほうを指差して、今度は自分を指差す。そして、もう一度皆のほうを指差してみせた。
男は解ったという顔になって頷いた。おおっ伝わった。なかなか賢い男だ。
男は再び私を抱え上げると皆のところに向かった。男は何をするのかといった風でこちらを見ている。
私も男がどこで見送らせてくれるのかと男を見た。無言の時間が続く。
男は元の場所に戻ってしまった。
ダメだ! この男、全然解っていなかった!
思い返してみると確かにあれで解れというのは無理があったかもしれない。少し考えて脇においてあったスコップを指差す。次に男を指差した。男がスコップを手に取る。
また、男を指差したあと掘る動作をしてみた。片手なので難しい。すると男が戸惑いながらも掘る動作をし始める。
そこで自分を指差した後、指で目を見開いてみせた。これでどうだ! 男は納得顔で指で丸を形作り大きく頷いた。伝わったようだ。
男は少し考えた後、馬車に積んであったトランクケースを皆の前に積み始めた。三つ重ねてその上に座らせてくれた。
男が掘り始める。既に皆が入れるくらいの大きさの2/3くらいの穴が掘ってある。私は皆の顔を見つめながら、その作業を見守った。涙がでてくる。
一時間くらい経っただろうか、やっと皆が入れるくらいの穴を掘ることができた。
つまり男は三時間は掘っていたことになる。頭が下がる思いだ。皆を丁重に穴に横たえた。
男はなにかを思い出したように何かを取りにいった。持ってきたのは私の腕と足のようだ。ブーツは脱がしてある。自分の手足をこうして眺めるのは実に複雑な気分だった。
男が墓の中に入れる動作をする。うなずく。私の体の一部と共にあれば、少しは皆も慰められるかもしれない。
男が土を掛けていいのかと動作で伝えてくる。穴の中が見たいと動作で伝えた。ここからでは見えないのだ。すぐに伝わったようだ。
男に抱えてもらうと穴の中が一望できる位置に移動する。
『皆、今までよく仕えてくれた。皆の忠義、このクレリアの一生の誇りとする。ゆっくりと休んでくれ。さらばだ。』
声をかけ、男に頷く。そのあと土を掛け終わるのに更に一時間掛かった。
そのあと男が元の毛布に座らせてくれた。
まずは礼を言わなければならない。男と真っ直ぐ向き合うように座り直す。
『此度のこと、そなたには感謝してもしきれない。命を救ってもらったこと、皆を丁重に弔ってもらったこと、いずれもこの私にとって何よりも重要なことだった。
ありがとう、この恩は必ず返す。必ず返さなければならない恩義が、そなたにあることを私は女神ルミナスに誓う』
魔力をこめて女神ルミナスに誓う。
誓いが女神に受け入れられた証として体が光った。
そう、私はまだ死ぬわけにはいかない。
◇◇◇◇◇
ふーっ、さすがに疲れた。腹も減ったし、さすがに今日はもう動きたくない。走りっぱなしだったし、思わぬ土木作業もやった。
夕食は馬を解体して食べようかと思っていたが、もうそれどころじゃない。あぁ 馬刺、食いたかったなぁ。
埋葬が終わり彼女を元の毛布のところまで運んだ。
食事休憩にしませんかとどうやって伝えようと考えていたら、彼女が真面目な感じでこちらを見てきたので、こちらも思わず身を正す。
なにやら話しだした。何時になく長いセリフで厳粛な雰囲気が伝わってくる。
なにかに喋り終わった後、目を瞑ったと思ったら彼女の体が光った!
(なんだっ!?)
[判りません。ただ彼女が目を瞑って、約一秒後に何らかのエネルギーを感知しました]
(何らかってなんだ?)
[判りません]
ナノムに判らないとか、よっぽどだな。まぁ意思の疎通ができるようになってから聞くしかないな。
もういい! 飯にしよう。彼女も腹は減っているだろう。
ペットボトルと非常用固形食二個を取り出す。ラベルを見る。女の子は甘いものが好きだろうから、こっちのほうがいいだろう。非常用固形食には二種類の味がある。甘い系としょっぱい系だ。俺はもちろん汗をかいたし、しょっぱい系だ。
自作コップに水を注いで彼女に渡す。彼女は物凄い勢いで飲み干してしまった。コップを返してもらい、また注ぐ。今度は口を付けただけだった。コップをまじまじと見ている。
俺も喉が乾いていたので、大きなコップで一杯の水を飲んだ。近いうちに水を見つけないといけないな。
じゃ、侘しい食事といきますか。彼女に非常用固形食を渡す。渡された彼女は、しばらく非常用固形食を珍しげに眺めていたが、それだけだった。
ああ、そりゃそうだ。俺、疲れてるなぁ。非常用固形食を返してもらいパッケージを開けて渡し、噛る動作をしてみた。
彼女は、まじまじと見たあと、角をちょっと齧った。その後にかなりの勢いで食べ始めた。
かわいそうに普段あまりいいものを食べていなかったに違いない。さっき埋葬した一団では一番の若手だったし、こき使われていたのだろう。
俺も食べ始める。旨いっていえば旨いんだが、なにか足りないんだよなぁコレ。
◇◇◇◇◇
どっと疲れがでる。
そもそも、たった何時間前に手足をもがれた人間がこんなにピンピンしているなんて聞いたことが無い。
男は、よほど優秀な治癒魔法の使い手なのだろう。
私が、女神に誓いを立てた時に、男はひどく驚いていたようだ。言葉が全く判らない状態では無理もないことかもしれない。
私が何に対して女神に誓ったのか、それを男は気にしているのだろう。
女神に誓うなど一生の内に、そう何度もあることではない。
私は立場上、臣下が女神に誓うのを何度も見てきたが、貴族でない者には女神に誓うという行為自体、珍しいものかもしれない。
そのあと、男は例のガラス瓶とこれまた透明な容器を取り出し水を注ぎ渡してくれた。物凄く喉が渇いていたので夢中で飲んだ。飲み干すと更に注いでくれた。
落ち着くとその透明なガラス容器の異様さに改めて気づいた。極薄の仕上げになっており、先程、水を飲み干した時にはまるで持っていないように感じた。
それにこの複雑な造形、全くの左右対称に見える。これほどの品、いったいどれほどの金貨を出せば手に入れられるか想像もつかない。
しきりに感心していると、今度は銀色の箱のようなものを渡された。なんだろうか、重さからすると金属の塊というわけではなかった。全く想像がつかない。
私が戸惑っていると、渡すように促されたので渡す。すると男は手品のように金属を剥き中身を露出させ、また私に渡す。
渡されたものを見て、また驚愕した。金属の箱と思っていたものは、極薄の金属に包まれた何かだった。極薄の金属が垂れ下がっている。
男が食べるような動作をしてくる。これが食べ物だと!? 試しに口に近づけてみると得も言われぬ香りがしてくる。
角をちょっと齧ってみる。甘い! 甘味だろうか? ほのかに甘くしっとりした食感だ。夢中で食べ始めた。
ふぅ、食べ終わってしまった。これほど旨い甘味を食べたのは生まれて初めてだ。
少しして男も食べ終わると自分を指差して「アラン」、間を取って「アラン・コリント」と言った。
もしかして男の名前を言っているのだろうか。そう言えば自己紹介もしていなかった。
試しに男を指差し、「アラン」間を取って「アラン・コリント」と言ってみた。すると男は凄く嬉しそうに頷いた。
ならば、こちらも名乗らねばなるまい。自分を指差し「クレリア」、間を取って「クレリア・スターヴァイン」と言った。
男は私を指差して、「クレリア」、「クレリア・スターヴァイン」と言った。その後、何回か私の名前を繰り返した。練習しているようだ。
私は自分の名前を言う際、男の表情に注目していた。スターヴァインの名を聞いても特に何の反応もしなかった。やはりこの男、いや、アラン・コリントはこの周辺の者ではないようだ。
それにしても、やはり貴族だったか。先程のガラス容器といい、この食事といい平民の持ち物にしては不相応すぎる。
王国はもちろん、周辺国の主要な家名は知っていたが、コリント家という家名は聞いたことがなかった。
お腹が膨れると急に眠くなってきた。アラン・コリントが貴族だと判り、安心したのもあるかもしれない。
◇◇◇◇◇
俺は自己紹介がうまくいったことに気を良くしていた。
クレリア・スターヴァイン なかなかカッコイイ名前だ。
職業はなんだろうか、やはり剣を持ち、鎧を着ているので兵士の類だろう。
となれば言ってみれば、俺と同業者だ。なにか解り合える部分も出てくるだろう。
まだまだ聞きたいことがたくさんあったが、クレリアが眠そうにしているので、寝るように身振りで伝えると何か呟いて毛布に横になった。
疲れていたが、夜はまだまだこれからだ。
(緊急事態だ! 朝までにクレリアに義足を作らねばならなくなった)
いや、朝までの猶予もないかもしれない。
[どのレベルの義足でしょう?]
(簡易的なものでいい。常用できなくてもいい。しかし少なくとも数分間は歩けるようにしたい。ただ、安定性を欠くものや直ぐに壊れるようなものは困る。材料はここにあるものだけだ。直ぐに設計を始めてくれ)
[材料を見て回ってください]
ものを見て回りながら、さっき気づいた驚愕の事実を思い返していた。
クレリアは水をガブ飲みしていた。
あとで用を足したくなる。
彼女は歩けない。
片手、片足の彼女が一人でうまく用を足せるとは思えない。
俺が補助することになる。
恐ろしい未来が待っている。なんとか回避せねばならない。
俺の戦いはこれからだった。