016. 再出発
ついに私の足と手が治った! 左手をぐっと握りしめてみる。この感覚も久しぶりだ。無くなって初めてありがたみが分かるとよく聞くが本当にそうだ。私は運良く取り戻すことができた。これからはこの体を大切にしていこう。
いよいよ今日、ベルタ王国のゴタニアに向けて出発だ。短い間だったが、この拠点を離れてしまうのも寂しい気もする。
朝食を作っているコリント卿、いやアランを見ながら考える。
これまでの人生で、この数日間ほど自由な日々はなかった。
いや、今まで何かを強制されていたという訳ではないが、王女という立場上、振る舞わなければならない行動がある。
姿勢、歩き方、言葉遣い、いや考え方でさえも王族に相応しい行動を心掛けなければならない。
例えば言葉遣い一つとってみても父上より年上の人に対しても、さも自分のほうが上等な人間のような尊大な言葉遣いをしなければならない。
子供の時の教育係のテリス子爵夫人には言葉遣いの重要性を、嫌というほど教えられた。
王族が気安い言葉遣いをしていたために馴れ合ってしまい、つい立場を忘れた召使が貴族がいる前で王族に対して無礼な態度をとってしまい処刑された話。
貴族に対して王族が気安い言葉遣いをしていたために馴れ合い、貴族にいつの間にか下に見られ謀反を起こされかけた話などの王国初期の話や他国での話など散々聞かされた。
王族の言葉遣いというものは、お互い立場を分からせ自然と取るべき行動を相手に分からせる。臣下の者を守ることにもなると学んだ。
なるほどと思い今まで実践してきたが、この尊大な言葉遣いが殊の外、嫌いだった。
自分が優れた人物であればともかく、そうでないことはもう知っている。
しかも王宮に出入りする人物は優れた人物ばかりだ。臣下と会話しないわけにはいかないので、日々ストレスとなり日常の家族との会話だけが大いに救いになっていた。
しかし、アランは違う。これまで聞いたことのないくらいの気安さで会話してくれる。自然と自分も同じような口調になる。この自由がたまらなく心地良かった。
数日前にアランから、追われている理由を訊かれた。理由を話すと自ずと身分も話さなくてはならなくなる。
アランも貴族だ。王族に、いや、元王族に対しても今までのような気安い口調で話しかけてはくれないだろう。
もう少しだけでいいから、この自由を味わいたいがために理由を話すのを待ってもらった。
本当はアランの国や身分のことも色々と訊いてみたいが、代わりに自分のことも話さなくてはならないだろう。故に今まで訊くことができなかった。
この旅の安全のためにも近いうちに全てを話し明らかにしなければならない。
◇◇◇◇◇
よし、朝食も食べたし出発だ。持っていく荷物は相変わらず多いが、魔法があるので水をあまり持たなくていいので荷物の重さは減っている。
三本あった水入りペットボトルも二本は畳んで仕舞った。そう、このペットボトルは、なにも入っていない状態で無理な応力をかけると、途端にふにゃふにゃの柔らかい素材になって畳めるのだ。
液体を少しでも入れると途端に元の形状に戻る形状記憶素材でできていた。このペットボトルメーカーはこの特許で帝国一のペットボトルメーカーになったらしい。
空いたスペースには、サーモンの干物が入っている。試しに作ってみたところ、なかなか美味いものができた。食料というより珍味の類で酒のツマミにピッタリな品物だ。ただし、バカみたいに塩を使うので作ったのは二本だけだ。
ああ、そういえば酒も飲みたいなぁ。街に行けば飲むことができるだろうか?
街道に戻るため、以前歩いてきた河原を戻る。たしか三時間くらいは歩いてきたような気がする。警戒はナノムが担当してくれるので時間を有効活用するためにクレリアに色々なことを訊いてみる。
今までは言葉を覚えるのに必死で、基本的なことは全然聞くことができないでいたし、いきなりこの世界の名前はなんていうんだ? なんて質問をして頭がおかしいと思われるのも嫌だったので質問を控えていたというのもある。
変な質問は控えてきたつもりだったが、ここ数日クレリアは俺のことを記憶喪失者か、この大陸の出身ではない者と思っているような感じで質問に答えてくるようになった。
聞いてもいない基本的なことまで答えてくれることが多くなったのだ。恐らく頓珍漢な質問をしていたのでそう思うようになったのだろう。
いい兆候だ。今まで疑問だったことをどんどん訊いてみよう。
クレリアは俺の出身や職業などの質問は一切してこない。勿論、訊かれても本当のことを答えることはできないが、俺も気になっているのだからクレリアも気になっているはずだ。
訊いてこないということは恐らく訊くと自分のことも答えなければならなくなるので訊かないようにしていると思っている。
それが恐らく追われている理由とも関係しているのだろう。近々話してくれるというのであれば、その関連のことは訊かないようにしよう。
これから向かうのはベルタ王国という国のゴタニアという街らしい。そういえば街の名前は聞いていたが、国の名前は聞いていなかった。
親類を訪ねるために向かうとのことだった。なるほど、仕事で丁度行くことになったからそのついでに親戚に会おうということだったんだな。
ちなみに今歩いているこの土地はどの国にも属していない土地だという。結構肥沃で開拓すれば人が住めそうではあるが、平らな土地が全然ない。そこら辺が開拓していない理由かもしれない。
ベルタ王国で話されている言葉は、今話している言葉と同じだ。というかクレリアの知る限りこの言葉で通じない国はないとのことだ。
クレリアが俺のことをこの大陸の出身ではない者と考えても不思議でない理由が判った。
通貨も各国共通で、銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、大金貨、白金貨の種類があり、銅貨十枚で大銅貨、大銅貨十枚で銀貨といった感じで銅、銀、金、白金貨の順で価値が上がっていく。
白金貨というのはどのような金属だろうか。通貨の単位はギニーというらしい。
ちなみに俺がいま所持しているのは 大銅貨、銀貨、金貨が各五枚ずつだ。五万五百五十ギニーということになる。
ちなみにパン一個でいくらするのかと訊いてみたが、よく判らないとのことだった。パンを買ったことがないのだろう。買う金が無かったのか、買う機会が無かったということになる。どちらかというと買う機会が無かったの方だろうな。
なるほどクレリアはお嬢様に見えなくもない。着ている服もあまりゴワゴワしてなさそうだし、剣も凝った装飾がしてある。なぜ今まで気づかなかったのだろう。あぁ、最初の血塗れのイメージが強すぎて、何か可哀想な子というイメージで固定されてしまったのかもしれない。
今までは、クレリアは傭兵の類で一番若手の下っ端の子というイメージだったが、ひょっとしたらお嬢様とその護衛だったというのが真相なのか? しかし、お嬢様が鎧なんて着るのだろうか。
いや未開のこの惑星であればそれが常識ということも十分あり得る。いや、こんな不毛な想像していてもしょうがない。
そんなことを考えていたら街道が見えてきた。ここからは十分注意していこう。といっても探知魔法があるので特にすることはない。
今は小動物以上、例えば小さいビッグボア以上の反応のみを検出するような設定にしているが、半径七百メートル以内の反応はない。
この設定だと探知魔法の検出は七百メートル以上になると魔素同士の干渉が激しくなって結構精度が落ちるので、探知範囲は七百メートルだ。
ちなみに探知対象を大きなものに設定すれば、もっと探知距離を広げることは可能だ。
街道は曲がりくねっているので、見通しは悪く半径七百メートルの情報が判れば危険を察知してからでも十分隠れる時間はあるはずだ。
よし、やっと街道に戻ることができた。特に問題もなく、クレリアと一緒に歩き始める。
「前から気になっていたんだけど、それは何?」
クレリアが俺のライフルを指差して訊いてきた。
「これは… 武器だよ」
誤魔化してもしようがない。途端にクレリアが目を輝かせ始める。
「どんな武器なの!? どうやって使うの?」
「こうやって構えて、狙いをさだめてここを動かすと魔法の矢みたいなものが発射されるんだよ。矢は目には見えないけどね」
実際に構えて打つ真似をしてみせる。
「すごい! 魔道具!」
魔道具とな!? また興味深い言葉が出てきた。
「触らせてもらってもいい?」
ライフルを肩から外してクレリアに持たせた。勿論、ライフルは登録した俺以外がトリガーを引いても動作はしない。
クレリアは見よう見まねで、ライフルを構えたりしている。
「これ、使ってみてもいい!?」
「悪いけど、これは使用できる回数が決まっているんだ。俺の切り札だから無駄に使うことはできない」
そういえばあとどれくらい使えるんだろう?
[通常出力で四千九百八十回です]
十分な残数に思えるが一生使える量じゃないな。年間五百発で十年か、無駄撃ちはできないな。
「アランの切り札… じゃあ使えないわね」
クレリアにライフルを渡された。
早速、先程耳にした魔道具について訊いてみる。
魔道具とは、単体で魔法を行使できる道具で、様々な機能を持ったものがある。水を出す道具や、火を付ける道具、明かりを灯す道具など色々だ。
必要な魔力は魔石を利用しているらしい。魔石とはこの世界のエネルギーパックということだな。なるほど、魔石の需要はありそうだ。
ただし、物にもよるがどれも非常に高額で、中には今では作ることができないアーティファクトと呼ばれる伝説級の道具も存在し、金額が付けられないような物もあるとか。いつか見てみたいものだ。
おっと、もう正午だ。昼飯にしよう! クレリアがさっきからソワソワしていたのは、お腹が空いたからなのかもしれないな。
昼飯は、黒鳥肉たっぷりの野菜炒めと定番のサーモンの塩焼きだ。これは朝食と一緒に作っておいたものだ。ペットボトル素材のコップを弁当箱代わりに野菜炒めを詰めてある。うん、美味い!
食べながら食料のことを考える。ここまで歩いてくる途中にも野菜やハーブなど見つけたものはバッグに詰めてきている。夕食は、黒鳥の肉が余っているのでそれを使おう。多分、よく焼けば大丈夫だろう。
完治してクレリアの食欲も収まったかと思って試しに朝食で、いつもの量の朝食を出したらぺろっと食べてた。明日から肉なし野菜炒めじゃ満足しないだろうなぁ。機会があれば積極的に肉を狩るようにしよう。
昼食後、また歩き始める。色々と訊きたいことはまだまだある。
午後四時になり今晩泊まるところを探さないとなと思っていると脇道が現れた。脇道が始まる所には柱のような物が立ててあり、なにやら文字らしきものが書いてある。クレリアを見る。
「タラス村まで二キロと書いてあるのよ」
なるほど村があるのか、是非行ってみたい!
「クレリアは、ここに村があるって知ってた?」
「知らなかった。でも仲間と旅をしていた時は、時々村に寄って泊まることもあったわ」
多分、道中は仲間に任せっきりだったんだろうな。っていうか目的地まで、ずっと野宿するのかと思ってたよ。
「寄ってみてもいいかな?」
「勿論、いいわ」
おお! ついにクレリア以外の人間との接触だな! これは楽しみだ。




