014. 閑話 スターヴェーク王国
王の私室へと続く廊下を歩きながら、何事だろうかと考えていた。
この時間、王は政務中のはずで、私室にいらっしゃることは珍しいのだ。それに夕食の時には父上とは顔を合わせることも多い。その時では不味い用事ということだろうか。
王の私室の前に着いた。守衛の近衛騎士ダルシムとカロットに頷きかける。もちろん顔見知りで子供の時から仕えている者たちだ。
ダルシムが扉をノックし少し扉を開け、[姫殿下がいらっしゃいました]と告げた。
「入れ」
部屋の中に入ると兄上も居て、とても驚いた。
「父上、お呼びと聞き参上致しました」一礼する。
「おお、クレリア。突然呼び出してすまなかったな」
「久しぶりだな! クレリア」
兄上と会うのは確かに久しぶりだ。3ヶ月ぶりくらいか。
「お久しぶりです! 兄上」
兄上はいつも私を可愛がってくれる、頼りになる兄だ。会えて嬉しい。
「早速だが、クレリアには国内の視察に出てもらおうと考えておる」
どういうことだろうか、兄上は視察に行っていたはずで、今、戻ったばかりのはずだ。たしかに続けて私が視察に行ってもおかしいことはないが、通常はもっと間隔を空けることが多いはずだ。
「勿論、私に否やはありませんが、何か理由があるのでしょうか?」
「クレリアには全て伝えたほうが良いのではないでしょうか? クレリアは、もう子供ではありません」
「そうか、そうだな。アルフ、話してやってくれ」
「クレリア、私が南と西の方面の視察に行っていたことは知っているな」
「勿論、知っています」
南と西は旧アロイス王国の血筋の貴族が治めることが多い地方だ。
アロイス王国とは、162年前にスターヴェーク王国に併合された国だ。併合の条件として、アロイス王国の主要な貴族に貴族位を安堵し、治めさせてきた地域だ。しかし、主義主張が旧来のスターヴェークの貴族と異なることが多く度々問題を起こしてきた地方でもある。
兄上によると南と西の主要な都市の視察を行ったが、なにか不穏な動きがあるという。特にこれといった証があるわけではないが、貴族の態度が妙に余所余所しかったり、なにか不穏当な雰囲気を感じたり、閲兵した兵の数が報告されていた数より多かったりと些細な事柄と言ってしまえば、それで片付いてしまうことばかりだが気になるという。
「まさか、南と西が謀反を起こすとでも?」
「いや、クレリア。私と父上も、まだそこまで考えているわけではないよ。しかし気になっていることは事実だ」
「しかし、父上は、南と西の貴族との関係を改善するために力を尽くしてきました」
そう、南と西の貴族に対する宥和政策として軍のトップである軍務大臣と財政のトップである財務大臣にそれぞれ南と西の血筋の貴族を五年前に大抜擢したのだ。
二人共に優秀な人物でいくつかの画期的な改革をおこない周囲を驚かせていたものだ。ただ、その過程で人事を刷新したことが少し問題となったことも事実だった。
それに、まだ子を成してはいないが南の貴族の血筋の者を側室に迎えてもいる。
「うむ、言いたいことは分かっておる。ただ、先程アルフが言った通り直ぐに謀反を起こすとは考えていない。そこでお前には東と北の視察に行ってもらいたいのだ」
「私は父上と、これらのことについて対応しなければならないので王都を離れられない」
なるほど、南と西の様子がおかしいならば、東と北の様子をみることは当然のことだ。東と北は、旧来のスターヴェーク貴族の治める地だ。最悪、南と西が謀反を起こしても東と北で対抗することはできる。これは重要な任務だ。なんとしてもやり遂げねばならない。
「父上、このクレリア、東と北の視察、確かに拝命致しました」
そのあと兄上より、視察するにあたっての注意点、見るべきポイントなどを簡単に教えてもらった。
アルフはクレリアが王の私室から退出するのを見送った。
クレリアには、余計な先入観を与えたくなかったので、言わなかったが南と西はすべてが旧アロイス王国出身の貴族が治めているわけではない。
南と西の四割の貴族は旧来のスターヴェーク王国出身の血筋の者に興させた貴族だ。今回の視察で、不穏当な感じを受けたのは、これら四割の貴族も含まれていたことは敢えて言わなかった。
クレリアの視察にも同様のことがなければいいが。
アルフは父王と、この状況を改善するための方策を考える作業に戻った。
王の私室から出るとファルが待っていて、私のほうへ駆け寄ってきた。
「クレリア様、王の御用とはどのようなものでしょう?」
「東と北に視察に出ることになった。付いてきてくれるな? ファル」
「勿論です! クレリア様」
それからは視察の準備に追われることになった。去年成人したばかりで、視察にでるのは初めてのことで分からないことだらけだった。
王命を賜り、三日後にはもう出発の日だ。父上、兄上、母上共に挨拶は済ませてある。母上は父上から、なにか聞いていたのか十分に気をつけるのですよと声をかけてくれた。
見送りに兄上が来てくれた。嬉しい!
「気をつけろよ、クレリア。見事、御役目を果たしてみせろ」
「勿論です、兄上。行ってまいります」
護衛には近衛騎士八十名とその従者が付いている。なんとアンテス近衛騎士団長までいた。それに、あちらこちらに私が子供の時から仕えている者も見受けられる。
父上の私への過保護ぶりは王宮でも有名だったが、いつか私から御諌めせねばならないと思った。
王都五十万の人々が暮らす街中を抜け視察へと旅立った。
視察は順調に行なわれた。しかし、いくつかの街を回るうちに違和感を覚えるようになった。
上級貴族からは熱烈に歓迎されるのだが、それ以下の男爵以下の貴族の中には、歓迎はしているが一歩引いたような余所余所しい態度で接してくるような者がいるような気がするのだ。
位が異なることからそう感じるのだろうか? ファルに聞いてもそのようなことは感じられないという。
視察の行程は進み、いよいよ終盤だ。王都を出発して三ヶ月が過ぎようとしていた。この地は、母上の実家であるルドヴィーク辺境伯の治める土地だ。辺境伯は母上の兄にあたる。当然のことのように熱烈に歓迎された。
到着した次の日の明け方、私の部屋のドアがノックされた。ファルが続きの別室から素早く起きてきて誰何する。
「何者か!?」
「近衛のダルシムです。辺境伯の使いで火急にて姫殿下に御拝謁願いたいとの旨です。断ったのですが是非とも、とのことです」
であれば是非もない。ここは辺境伯の城の中だ。ファルに頷いてみせる。「しばし待て」とファルが言い、早速、私の身支度に取り掛かかった。
案内された部屋には辺境伯とその側近と思われる老齢の一人の貴族がいた。
「姫殿下、このような時刻にお呼び立てして申し訳ありません」と辺境伯。
「よい、それより何事だ」
「王都より早馬が参りました。謀反です」
思わず、声を上げそうになるのを、ぐっと堪えた。
「規模は?」
「確かなことは申し上げられませんが、恐らく南と西の貴族の六割から七割、それと東と北の貴族の二割から三割、それに軍の六割ほどかと思われます」
すばやく計算する。貴族の半数以上と軍が…
「辺境伯はどちらの御味方か?」
それを聞いた隣にいるファルが剣に手をかける。
「姫殿下、いや、我が姪クレリアよ。悲しいことを聞いてくれるな。我がルドヴィーク家は建国以来三百年、スターヴェーク王国ではなくスターヴァイン家に忠誠を捧げてきたことを誇りとしてきた家。少し言葉が過ぎますぞ」
「伯父上、動揺のあまり失言してしまった。どうか許してほしい」
そうだ、敵味方を見誤るな。仮に敵だとしたら、このようなことを知らせるはずもない。
伯父上に詳細を聞く。
事の発端は、二十日前、王より軍務大臣アロイス卿に聞きたいことがあるとの名目で召喚したところ、これを無視したことから始まった。
事情を聞こうと王宮に近しい軍の関係者に連絡をとるも、いずれも連絡が取れなくなっていた。召喚した二日後にはアロイス卿は兵を挙げ、それに合わせるように貴族が謀反を起こしたようだ。
王都は封鎖され、軍に囲まれた王宮は三日で落ちてしまった。
「父上は!? 母上と兄上は!?」
伯父上は首を振っている。
「王城前の広場にて斬首されました。罪状はアラム聖国への売国の容疑です」
「ばかなっ! あり得ない!」
アラム聖国は度々、我が領土を脅かしてきた隣国だ。
「わかっています。敵味方含めて、これを信じる者などいないでしょう」
「くっ! 直ぐにでも王都を奪還せねば!」
「姫殿下、今は東と北の貴族を姫の名においてまとめ上げ、迫りくる敵を迎え討つ準備をする時です」
確かに伯父上の言う通りだ。反乱の貴族共だけならばともかく、軍までもが敵なのだ。生半可な勢力では太刀打ちできない。
「すまなかった、伯父上。頭に血が上っていた」
「なに、気持ちは一緒ですぞ、姫殿下。我が主と可愛い妹に汚名を着せ手に掛けたこと、必ずやヤツらに後悔させてやるっ!」
殺気をみなぎらせた伯父上が言い放った。
私は朝から伯父上の参謀たる老家令に指示されるままに、王都での凶行を知らせ召集を呼び掛ける何十通もの手紙を書いた。二百騎以上もの騎士が、その手紙を届けるべく東と北の貴族に向けて散っていく。
なにかおかしいと気づいたのは使者を送ってから三日目の朝を迎えた時だった。
遅すぎる。辺境伯領に近い貴族領からは何らかの返事が来てもよい頃だし、届け終わった騎士が戻ってくる頃を過ぎている。いやな予感がよぎる。
ようやく、軍を率いた貴族が姿を現したのは四日目の朝のことだった。旗を見ると伯父上が右腕と頼むアルセニー老男爵だ。
伯父上と一緒に男爵を出迎える。二騎の共をつれて男爵がこちらへやってきた。
私を見た瞬間、男爵は驚愕の表情を浮かべた。
「これは姫殿下! 御無事でしたか! 女神ルミナスへ感謝を!」
「久しいな、男爵。無事とはどういうことだ?」
意味が判らないと見回すと、伯父上と老家令の顔は、真っ青になっている。
「いえ、申し訳ありません。姫殿下がこちらにおいでとは知りませんでしたので」
「どういうことだ? 男爵は私の手紙を見て来てくれたのではないのか?」
「姫殿下の手紙ですと? そのようなものは受け取っておりません。2日前に今回の王都での事を知り、辺境伯閣下に御指示を仰ぎましたが返事が来ないもので直接来てしまいました」
「くそっ! やられたっ! 奴らめ!」
伯父上が激昂した。
ようやく私にも何が起きているのか理解することができた。まさか私の手紙を持った全ての使者が届いていない!?
「やられました、姫殿下。恐らく奴らは何年も前から今回の事を計画していたに違いありません」
「では、私の使者は?」
「恐らく全滅でしょう。おそらく奴らは主要な街道に少数の兵を潜ませているに違いありません。使者のような少人数の者だけを襲うようにしているのでしょう」
「逆にいえば、纏まった人数の者であれば、襲われない、いえ襲えないでしょうから、直ぐに纏まった人数の斥候隊を派遣します」
何てことだ! 奴らがここまで用意周到であるとすると…。
直ぐにいくつもの斥候隊が出発していき、街道から兵を狩り出すための隊も出発していく。
一日、二日、三日と経つうちに隊が戻ってきては、また、出発していく。
少しずつ状況がわかってきた。
相手は軍を主力とした約四万の兵であること。
その軍に続々と南と西からの貴族軍が合流していること。
抵抗を見せる貴族家に対して、城を包囲するだけの軍勢を残して本隊はこちらに向けて進軍していること。
領民を人質として開城をせまり、降伏し家族を王都に住まわせること、引退し次代に貴族位を譲り渡すことを条件に、その貴族位を安堵すると交渉していること。
既に敵の主力は、東と北の奥深くまで侵攻しており、迂闊に東と北の貴族が兵を挙げて、こちらに合流しようとしても、各個撃破される危険があること。
どれもこれもが良くない知らせばかりであった。半ば呆然としながら、それらの報告を受ける。
こちらの味方は全てを集めても、五千に満たない。
そんな中、伯父上に呼び出された。
「先ほど、抵抗を続けていたダヴィード伯爵の城が落とされたとの早馬が来ました。ここまで、最短で一日半くらいで敵の主力が来ます」
半ば覚悟はしていた。
「わかった、敵わぬまでも敵に一矢報いてみせる!」
「スターヴァインらしい、その御覚悟、見事です」
「しかし、姫殿下には落ち延びていただきたい」
「ばかな! 私に生き恥を晒せというのか!?」
「生き恥ではございません。姫殿下にはベルタ王国へ向かっていただきます」
ベルタ王国? 隣国には違いないが、未開の地を挟んでいるため遠い国のような印象の地だ。
「ベルタ王国には余り知られてはいませんが、姫殿下の祖母エリカ様の妹君のイレナ様が正室として嫁いでいらっしゃいます。つまりベルタ王国の現国王アマド様はクレリア様の はとこ に当たります」
「ベルタ王国に救援を求めよと?」
「そうです。しかし今回の戦いには到底間に合わないでしょう。それどころか、姫殿下が訴えてもベルタ王国が救援を出す確率は限りなく低いでしょう」
確かにベルタ王国が逆の立場で、スターヴェーク王国に救援を求めてきたとしても、父上が自国の臣民を兵を犠牲にしてまで救援を出すかどうかは怪しい。
「それでも我らは希望を繋げたいのです。このまま破れ朽ちていくとしても、いつか王朝の再興を、一族の再興を夢見ながら朽ちていきたいのです」
「ならば伯父上も私の共をせよ、共に王国を再興しよう」
「いえ、私にもスターヴァイン家、第一の家臣としての矜持が、誇りがあります。何卒、このまま一矢報いさせていただきたい」
「降伏すれば――」
素早く伯父上に遮られる。
「姫殿下、我家とスターヴァイン家との関係を考えれば、命が助かるわけもありません。いえ、他の家についても、降伏して仮に一時の命を安堵されたとしても、そのうちに何らかの罪を着せられて断罪されることは火を見るより明らかです」
このまま私がこの地に残ったとして近衛を勘定に入れたとしても戦力としては、ほぼ皆無だ。ならば、伯父上の言う通り、望みを繋いだほうがよいのだろうか。
伯父上が跪く。
「重ねて姫殿下、いえ、我が主にお願いしたい儀があります」
「申せ」
「御身には、我がルドヴィーク家の血も濃く流れております。スターヴァイン家への三百年以上に渡る我が一族の忠誠の功として、いつの日にか我がルドヴィーク家の再興をお願いしたいのです」
是非もない。
「わかった。必ずや我が直系をもってルドヴィーク家の再興を成してみせる。女神ルミナスに誓う」
魔力を込めて女神ルミナスに誓う。誓いが受け入れられた証として体が光った。
「ははっ! 有り難き幸せ!」
私は落ち延びることとなった。それからは出発の準備に明け暮れる。
「ここに八台の馬車を用意しました。この地から我が国の外に至る道は八通りの道があります」
「姫殿下には近衛を八つに分けて、それぞれの馬車に護衛を付けたのち、同時に出発していただきます。勿論、兵にも近衛にも、どの馬車に姫殿下が乗車しているのかは知らせずにです」
「行き先はセシリオ王国とベルタ王国ですが、ベルタ王国へと至る道は地元の猟師しか知らぬほど知られてない道です」
「大抵の者は間違いなく距離の近いセシリオ王国へ向かうものと思うはずです」
「これらの馬車にそれぞれ、斥候と後詰めの部隊を付けます。いかな反乱軍とはいえ、外国へと続く街道の奥深くまで兵は配置していないでしょう」
「我が領土に間者がいることは間違いないでしょうが、斥候と後詰めの部隊がいる以上、同時に八方向への追跡が行えるほど居るとは思えません」
なるほど、万全のようだ。
出発の時が来た。伯父上と老家令のみの見送りだ。
「姫殿下、こちらを。王城が落ちる寸前に私の手の者が陛下にお願いし書いていただいたものです。お渡しするのが遅れ申し訳ありません」と伯父上。
見ると一枚の紙に3つの文が記されているものだ。一番上には父上の字で「クレリア、すまない」二番目には母上の字で「幸せになりなさい クレリア」三番目には兄上の字で「スターヴァイン家を頼む」と書いてある。いずれも慌ただしく書いたことが判るような筆跡で書いてあった。
涙で目が霞む。
「では、さらばだ 伯父上」
「女神ルミナスよ! クレリアに幸運を」