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室町時代

「農民は何を食べるのじゃ?」

南の天皇は無邪気に聞いた。

「は! 農民は稲のそばに生えている稗や沫を食して御座います。」

「ほう、ならば米は必要無いという事だな。年貢米をもっと増やせ!」

こうして、ある時を境に年貢のノルマが急激に増えた。




当時の寺の僧は『僧兵』といって、武力を持つ事も珍しくなかった時代でもある。

天皇同士の南北朝戦争にて僧侶は幾万の死体と向き合っていた。

農民達を戦争の道具として使わせない為に、仏の道を歩む僧侶は天皇家と戦わなければいけなかった。

しかし、当時の僧侶は腰抜けだった。戦争に成すがまま、傍観するままで、念仏する事しかできなかった。、

仏の道を歩むには、いざという時の為に権力に逆らい戦う術も必要になる。由緒ある寺の多くも、修行の時間の多くは木槍を扱う事に浪費する。



千菊丸が戦争の道を歩まなかったのは、豪族や大名達に甘やかされて育てられた我侭な子達と、寺で共に過ごしたからだ。


当時の修行僧の多くは、血筋を気にしてる者が多く、公家や家柄が伴わない僧を見下していた。

親の出世欲の為に、無理やり寺に入れられた子僧は捻くれていた。純粋に善の道を学ぼうとする謙虚な子僧は、

「武僧兵教育」の名の下で、しごかれる。

所謂、虐めの様なものである。


力の強いモノが結局は偉い。仏教とは何ら関係のない空気の中で千菊丸は育ち、ある時、寺を捨て、貧乏寺の門を叩いた。


貧乏寺は豪族や大名に媚びない宗教観を持っていて、農民の暮らしを第一に考え、農民と共に生きる。そんな善寺だった。

農業で作った作物は、困っている民が居れば分け与える。寺の僧は常に生きるか死ぬかの極限状態にあった。


その間に皇族同士の戦争がまた起こる。応仁の乱だが、それは10年続く。過酷の戦争であり死者は数十万を超えた。。

日本全土の町は幾度も火の海になり、年貢も多くなり、餓死者を出した。大名の多くも労働者を多く失い生活が苦しくなった。


この戦争を契機に人々は武士や大名を信用しなくなり、より強く仏の宗教に安らぎを求めた。



言い代えると、仏の道を究める為に修行して得る武力は、いずれ政争の道具にもなりえる。

歴史を振り返れば僧侶から天皇に出世する事例も多々ある。後継者を育てる為に我子を寺に預ける。多くの豪族や大名達は子供を寺に入れて、僧侶として出世させる事を願っていた。



千菊丸が戦争の道を歩まなかったのは、豪族や大名達に甘やかされて育てられた我侭な子達と、寺で共に過ごしたからだ。


当時の修行僧の多くは、血筋を気にしてる者が多く、公家や家柄が伴わない僧を見下していた。

親の出世欲の為に、無理やり寺に入れられた子僧は捻くれていた。純粋に善の道を学ぼうとする謙虚な子僧は、

「武僧兵教育」の名の下で、しごかれる。

所謂、虐めの様なものである。


力の強いモノが結局は偉い。仏教とは何ら関係のない空気の中で千菊丸は育ち、ある時、寺を捨て、貧乏寺の門を叩いた。


貧乏寺は豪族や大名に媚びない宗教観を持っていて、農民の暮らしを第一に考え、農民と共に生きる。そんな善寺だった。

農業で作った作物は、困っている民が居れば分け与える。寺の僧は常に生きるか死ぬかの極限状態にあった。


皇族同士の戦争がまた起こる。応仁の乱だが10年を超えて続く、過酷の戦争であり死者は数十万を超えた。。

日本全土の町は幾度も火の海になり、年貢も多くなり、餓死者を出した。大名の多くも労働者を多く失い生活が苦しくなった。


この戦争を契機に人々は武士や大名を信用しなくなり、より強く仏の宗教に安らぎを求めた。

千菊丸が人々に必要とされたのは、たまたまか、やはり悪魔の成せる技なのか……



いずれにせよ、権力に逆らえる更なる武僧兵が仏教界は必要とされた。


千菊丸こと一休宗純が、大衆の人気を得ている事に目をつけた将軍は、イメージアップの為に大きな寺を作り、その寺の和尚(管理者)に一休を任命し、大名や豪族の子供を寺に入所させた。


一休は母親を将軍に人質に取られていたから、任命に逆らえなかった。

大名(金持ち)の子は甘やかされていた。我侭放題であり、一休の見えないところで、小僧クラスメイトを自殺に追いやった。

自殺とは名ばかりであり、殺人同然だった。将軍のイメージ保持の為に、事件は隠蔽される



この時代の一休に何ができたのか?

武僧兵となり、天皇を討つ事か?

あるいは将軍を討つ事か?


一休は仏の存在を信じようとする世界を呪った。


天皇も皇族も貴族も大名も平民も、

仏にうつつをぬかしていた。

戦乱の世でも、仏に縋る人ばかり


仏さえ信じていなければ、寺の中で虐め殺人事件は起こらなかった。


今更一休にできることはなかった。


できることは死を持ってして、仏の存在意義が無い事を世間に訴えることのみ


だが一休の考え方は浅墓だった。1000年続いた仏の風習を

たかだか一世代で変えられる筈がない。


仏を否定して民衆の不信感を得たとして、弱き人の信じる道を奪うだけ、





一休は、それから先、民衆に対して反面教師となった。


僧侶も仏もロクデナシ、人でなし、そんな記憶が残れば仏を信じない人が増やせる気がした。


だが一休の死後も仏教は続いた。



一休の魂は死後、白い世界に入るのだが、それ程多くのカルマを達成しただろうか。、キリストの様に世の救世主として人の命を救っただろうか


この時点では救えてない。しかし仏教を否定する行為で、その後に続く1000年の間に犠牲になる筈だった魂が救われる


一休が居なければ、西暦2000の今でも、科学は仏教の下に位置していた。


信長も秀吉も一休の魂の影響を受けて神仏を否定して、虐殺をするが、、それは悪魔の仕業だ。


悪魔さえ存在していなければ、21世紀はもっと平和であったワケなのだが・・・





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