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001-1:異世界が来た①

2016/9/14 心臓と書くとややこしいので、主人公の名前は読み仮名で書くことにしました。

「なんだよコレ、どうすればいいんだよ……」


 安部心臓は悩んでいた。

 「心臓」と書いて「ハアト」と読む。

 その名前に両親が込めたであろう意味を図りかねて悩んでいるわけではない。

 目の前の現実を理解できないから悩んでいるのだ。


 ハアトの目の前には、一振りの剣がある。


 いつの間にか意識を失っていたハアトは、銃声で飛び起きた。

 体中の節々が痛んだが、それよりも銃声が気になった。

 そして何事かとカーテンの隙間から外を覗き、その光景を目にしてしまえば、体が勝手に窓を開けていた。


 久しぶりに吸う室外の空気は、焦げ臭くて煙たかった。サイレンが遠くで鳴っていた。


 眼下に広がる光景に、頭の回転がついていかない。

 というよりは、むしろ止まった。

 思考が停止した。

 体の痛みすら、どこかに消えていく。


 ハアトが住む街の真ん中に、巨大な城がそびえていた。

 遠目にもわかるほどの高度を持った建物だった。

 石造りの外壁の所々を朱い土が覆っていて、どこか廃退的な印象がする巨大な建造物。

 螺旋を描くような構造の中心に、巨大な屋根が広がっているその様は、まるで天を衝く大樹のようにも思われた。

 街に点々と存在する高層ビルが、急に縮んでしまったのかと錯覚しそうになる。

 その城が大樹ならば、街のビル群はただのコンクリートの雑草だ。


 自分の部屋の窓を開けたのは何年振りだろうか、記憶は定かではない。

 ハアトの部屋は長い間、窓どころかそのカーテンすら開けられないままだった。開ける必要がなかったからだ。

 開き難くなった窓の鍵も、握るカーテンの埃っぽさも、その布地がカーテンレールに絡まり軋むのも、それらが長く使われてこなかった証拠だろう。

 目の前の光景から目を逸らすように、そんなどうでも良いことを考えながら少しづつ思考を再開させていく。


 一度、落ち着こう。そう心の内に呟いて、網戸、窓、カーテンと順番に閉じて鍵をかけなおす。

 窓を背に体を預けて、ため息を一つ。

 よし、落ち着いた。と、思う。


 何かニュースになっていないか、ネットで確認しようと顔を上げて、ハアトはやっとそれに気が付いた。


 開口一番にこぼれたそれと同じ言葉を、つい最近、口にした気がする。

 あぁ、そうだ。クソゲーだ。

 クリアしたんだっけ、と思い出して、けれどそれは何の意味をもなさなかった。


 目の前には一振りの剣があった。


 スナック菓子の袋にジュースのカンやペットボトル、ティッシュ、ゲームソフトや漫画本。床に散らかったそれらの中に紛れるように、一振りの剣が置かれていた。

 見覚えはあるが、身に覚えのない剣だ。

 ここはハアトの部屋で、ハアトは自分以外に誰も入れたりしない。

 そもそも招く相手など今は居ない。

 誰かが故意に、わざわざ置きに来なければ、そうしなければハアトの知らない物がこの部屋にあるわけがない。

 だというのに、それは確かにそこに存在していた。


「いったい、なにが、どうなってるんだ……」


 よくわからない事態に頭痛を覚える。

 ひとまず剣には触れず、ノートパソコンを開いた。


 ハアトは普段からテレビを見ないため、ニュースの類は基本的にインターネットで閲覧している。

 いつも見ているニュースサイトを開くと、記事を開くまでもなく、嫌でも今の状況が理解できた。


「現実世界に異世界が来た」

「モンスター被害、止まらず」

「世界各地でダンジョン化、打つ手なし」

「国際的モンスター討伐組織が結成」

「冒険者募集中。今なら初心者応援キャンペーン実施中」

「政府機能崩壊す」


 などなど、冗談めいた記事のタイトルが並んでいる。

 エイプリルフールにでも流れないような記事の連続だが、それらはすぐにハアトの頭の中で先ほどの外の光景と結び付き、ジョークなどではないのだと理解できた。


「まじかよ……」


 いつの間にこんなことに、と慌てるが、記事の日付に気づいて、今度はマヌケな声がでた。


「あ」


 記事はの日付は、ハアトが思っていたよりも三日進んでいた。

 今日という日がズレている。

 三日も時間が飛んでいるのだ。


 ハアトは三日も意識を失っていたのだ。

 徹夜続きだったせいかと思っていたこの体の痛みや、異様な空腹感もそのせいらしいとやっと気が付く。


 そういえば、とハアトはもう一つ気が付いた。


 いつの間にか、ディスプレイもゲーム機も、電源が落ちていた。

 最後に見た光景は、爆発するように光を放ったこのディスプレイだ。

 そして、気が付けばこの非常事態である。


 偶然なのだろうか。


 なにか、自分がとんでもない事件の引き金になってしまったのではないかという考えがハアトの頭をよぎり、ゴクリと息をのんだ。


「うげ」


 カラカラに乾いた喉の粘膜が張り付いて、変な声がでた。

 足元に散らかったペットボトルから、まだ水が入っているものを拾い上げて一息にあおる。

 十分な水分を得て、やっと思考が正常に戻ってきた気がした。

 縮こまっていた胃が活動を再開しだし、グゥゥと情けない鳴き声を上げる。

 急に空腹感が増したように感じられた。


「とりあず、なんか食うか……」


 散らかった床を探ってみたが、食べ物らしきものはほとんど空だった。

 ブロックタイプのクッキーが一袋残っていただけだ。

 口に含むと、バターの風味とボロボロとした食感が広がり、さっき補給したばかりの口内の水分が急激に奪われていく。

 部屋には飲料もあまり残っておらず、多少の腹は膨れたたものの、今度は喉が渇いてしかたがなくなった。


「下、おりるか」


 誰に言うでもなく呟いて、立ち上がる。

 ハアトが住んでいるのは二階建ての一軒家だ。

 今いる部屋はその二階の一部屋にあたり、食料などは大型冷蔵庫のある一階のリビングにまとめてある。

 飲み物を取りに行くならば、当然、部屋を出なければならない。


「…………大丈夫、だよな」


 いざ扉を開けようとして、ついさっき読んだネットの記事が頭をよぎった。

 斜め読み程度にしか目を通してはいないが、どの記事も世界に突如として現れたダンジョンと、そこからあふれ出てきたモンスター達の恐ろしさを叫んでいた。


 ハアトはそっとドアに耳をあて、外の様子をうかがってみるが、物音はない。

 サイレンはいつの間にか聞こえなくなっていた。

 さっきの銃声も、今はもうしない。

 あれはなんだったんだろうか。

 自衛隊がモンスターと戦かっていたのかもしれない。銃声がやんだのなら、もう安心していいのだろうか。


 家の中なんだし、大丈夫だろう。

 平和ボケした発想だろうか、我が家、すなわち安全という、良くわからない独自の理論で自分の背中を押し、ハアトはゆっくりとドアを開いた。


 まずは片目だけを隙間から覗かせ、部屋のすぶ前にあるリビングへ続く階段を見る。

 普段と変わったところはないようだ。

 そのまま、できるだけ音を立てないようにドアを押す。

 滑るようにドアの隙間を抜けると、木製の床が軋まぬよう、ゆっくりと階段に足を下していく。

 それでもギッ、と小さな音がした。

 何げないその音が、今はやけに響いて感じられる。

 片足だけ一段下りたその姿勢のまま硬直し、息を殺して周囲をうかがうが、音に反応するような気配はなにもなかった。

 ひときわ跳ねた心音が落ち着くのを待ってから、ギッ、ギッ、と出来るだけ小さな音を立てて階段を下り終えると、そこはもうリビングの入口だ。


 薄いレースカーテンの間仕切りを潜ると、いつもと同じ、人気のない空間がそこにあった。

 空のシンクはにもう長いあいだ水一滴も流れていない。誰にも使われず、綺麗なままだ。

 棚にしまわれた食器が、すこしだけバランスを崩しているのが見えた。

 それ以外は特に変化もないらしい。


「ふぅ……。まぁ、何にもない事はわかってたけどな……」


 誰にともなく強がりながら、水分を求めてまっすぐに冷蔵庫へ向かい、その扉を引く。

 青白い光が冷気と共にこぼれ出てくる。

 どうやらちゃんと電気も通っているらしい。


 安堵して、綺麗に並んだままの透明なペットボトルから一本を引き出そうと手を伸ばして、ハアトは背後にドチャ、と粘り気を含んだ音を聞いた。


「え?」


 それは落下音だった。

 天井から、その粘液がだらりと垂れているのが見える。


 落ちてきたそれは、ハアトの膝ほどの高さの、大きくて平べったい生き物だった。

 肌色の体が纏うぬらりとした粘膜が、明滅する蛍光灯の光を反射する。

 ニュッっと伸びたの二本の触覚の先端に、眼球のような球体がついていた。

 ギョロギョロと動いていた二つの眼球が、ハアトの姿を捉えて動きを止める。


 天井から降ってきたそれは、あまりに巨大なナメクジだった。

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