008-2:千金学園②
「なんだよコレ、どうすればいいんだよ……」
安部心臓は悩んでいた。心臓と書いてハアトと読む。
その名前の画数の多さに子供の頃は確かに悩んだが、今悩んでいることはそんなことではない。
入口が見つからなくて困っているのだ。
ハアトの住む町の東に、そこそこ名の知れた学校が建っている。
古くからある女学院で、広大な敷地と豪華な校舎を持つ富裕層向けの進学校。
いわゆるお嬢様学校と言われている所だ。
私立千金学園中学高等女子学校。
バグ発生後、その学校はまるごとダンジョンと化した。
そしてその校舎の大きさ故に巨大なダンジョンとなり、今では冒険者達の集まる有名なダンジョンとなったらしい。
「マップオープン。現在地、表示」
ハアトが小声でそういうと、左手首につけられたバンドからデジタルウインドウが浮かび上がる。
青白く発光するデジタル線で作られた図形は、今まさにハアトが立往生している場所の周辺地図を示している。中央の青い点がハアトの居場所そのものだ。
マップに目的地として設定された千金学園の場所が緑色に表示されている。
目の前だ。
ハアトはここを目指して半日以上ほど歩いてきた。
世界のバグ化によって公共の交通機関は機能を停止し、車どころか自転車すら持っていないハアトはただ歩くしかなかった。
道すがら放置された自転車を見かけたが、持ち主不在のそれに手を出すことは出来なかった。
世界中にモンスターが現れているというこんな非常事態に、常識もなにもあったものではないと思いながらも、その常識の観念に人としての最後の一線を引いてしまっている自分に辟易する。
それを捨てるという事は、世界のバグ化に自らの精神までもが汚染されてしまうような、そんな強烈な嫌悪感じてしまって無理だった。
地図を見ながら最短のルートを進んだが、それでも半日以上かかったのだ。
何もない時ならばもっと素早く進めていただろうが、そうはいかなかった。
モンスターの存在を体感し、その恐ろしさをも知っているからこそ、敏感になってしまう。
何でもない風やちょっとした物音が、居もしない何かの気配に感じられ、その度に周囲の様子を伺っては警戒する。そんな進み方では遅くなるのも当然だった。
そうして何とか辿りついた目的地だが、中に入れない。
目的地となっていたのは校門らしき場所だ。
目の前には鉄の檻のような巨大な鉄格子の門がそびえている。
鉄格子の隙間からは、水の止まった噴水や枯れた並木の様子が伺えるが、入り込めるほどの間隔はない。
学園の敷地なのだろうその奥に、巨大な校舎の姿が見えた。
その薄暗い校舎こそが目的地のはずなのだが、門は固く閉ざされていて入ることができない。
身長の倍は高さがあるその扉をよじ登るなども出来そうにない。
門には鍵穴も無ければインターフォンのようなものも無い。
受付のような場所も見当たらない。
「ごめんくださーい! 誰かいませんかー!」
声を張り上げても返事はない。
押したり引いたりスライドさせたりと試してみるが、門はピクリとも動かなかった。
いったいどうやって開けるのだろうとハアトは困り果てた。
マップを見れば、学園の敷地自体ははかなり広い。
だが設定された目的地はここになっているのだから、この門が入口のハズなのだ。
「こうなったらやるしかないか、アレを……」
そうした試行錯誤の末に、ハアト一つの結論を導き出した。
幼いころから知識としてはあったが、今まで一度たりとも使う機会はなかったソレを使うのは今しかないのだと。
ハアトはその己の悪魔的なひらめきに身震いした。
背負っていたリュックを地面に置き、門との距離を少しだけ作ると、肺一杯に息を吸い込んだ。
手のひらを門にかざし、ハアトは一息にその言葉を紡いだ。
「……開け、ゴマ!」
門は開かなかった。
まぁ、そうだろう。
冷静さを取り戻して急に恥ずかしくなったハアトの背に、声が飛んできた。
「おい、なんか変なヤツがいるぞ」
「ダ、ダメですよレティさん! き、聞こえちゃいますよっ……」
「いやもう遅いだろ。この距離だぞ」
ハアトの恥ずかしさが突き抜けた。




