007-2:ファン1号②
「あれ……ここは……」
ハアトが目を覚ますと、目の前には赤い土の壁が広がっていた。
ダンジョンの天井だ。
ダンジョンから戻り、カオリが用意してくれた応急ベッドでそのまま眠ってしまったのだとぼんやり思い出す。
「そうだった……って、うわひゃぁ!」
カウンターの方へ視線を向けようとして悲鳴を上げた。
吐息を感じるほどの距離にカオリの顔があった。
「ん、ふぁ……あ、ハアトさん、おはようございます……ん~……ってアレ?」
ハアトの悲鳴を目覚ましにしてカオリも目を覚ました。
寝ぼけたような声でおはようを言うと、猫のように背を伸ばしながら、自分の姿を見て目を丸くした。
キッチリとした受付嬢の姿ではなく、Tシャツにジーパンのラフなスタイル。
私服だ。
髪も揺らめく赤髪から、艶のある元の黒髪に戻っている。
カオリはボンっと赤面すると同時に、めくれていたシャツを慌てて戻しながらベッドから飛び起きた。
「ご、ごめんなさい! すぐに素材の買い取り処理しますので!」
「い、いえ、そんなに慌てなくても大丈夫ですから……」
ジョブモードに切り替わるカオリと一緒に、ハアトもベッドから出るとカウンターへ向かった。
グミはまだ寝ているのか大人しい。
そのままそっとしておくことにした。
「き、傷の様子はどうですか?」
なんとなく気恥ずかしい空気を誤魔化すようにカオリが聞いてきた。
ハアトの疲労は嘘のように抜けていた。
傷も見事にふさがっている。
さすがに破れたジャージはそのままだが、それは仕方がない。
「完治みたいです。すごい効果ですよ、疲れも抜けてる気がします」
「それは良かったです。でも、今回は傷自体が浅かったからですよ? そのベッドには応急処理程度の効果しかありませんから、過信は禁物です」
「りょ、了解です!」
ハアトが何げなく携帯電話の時間を確認すると、時刻は朝の九時を示していた。
「朝まで寝てしまっていたんですね。すいません、少し横になるくらいのつもりだったんですけど……」
疲れも取れるわけだ。
「ハアトさん、お疲れのようでしたから。ハアトさんのすごく気持ちよさそうな寝顔を見てたら、私の方まで眠くなってきちゃって……」
気が付けばカオリまで一緒に眠ってしまっていたらしい。
「なんだか不思議です」
ハアトが集めてきたアイテムを処理しながら、カオリが小さく笑った。
「私、こう見えてすっごく人見知りするタイプなんですよ。初めて会った人なんかと話す時はすっごく緊張しちゃって、上手くしゃべれないくらい。特に男性は苦手で、それに接客だって得意じゃないです」
意外なカミングアウトだった。
ハアトには、まるでそうは見えない。
カオリは明るくて、誰とでもすに仲良くなれそうな子だと思っていた。
「でも、ハアトさんは出会ったばっかりなのに、なんだか全然緊張しないんです」
それは素直に喜んで良い事なのだろうか。
男として意識されていないような気もして残念な気もするし、親しく思ってくれているのだと嬉しいような気もする。
どちらにせよ、そう言ってはにかむように笑うカオリの表情が愛らしくて、ハアトはとても直視できなかった。
「そ、そういえば! あ、あの、防具……買おうかと思ってて……!」
ドギマギしながら言ったハアトの意図を察して、カオリが防具の一覧を新たなウインドウとして表示してくれた。
ハアトは気恥ずさを隠すようにウインドウを覗き込んだ。
カオリの買い取り処理が終わるまで、小さな静寂が続いた。
気恥ずかしさがあったが不思議と嫌な時間ではなかった。
「では、合計で買い取り金額が51カインになります」
今回の探索での戦闘はほとんどがゴブリンとのものだった。
必然的に手に入るアイテムもゴブリンに由来するものが多くなる。
そしてそのゴブリン達はドロップの種類が少ないらしく、小牙ばかりを落とした。
つまりは、今回ハアトが集めた素材のほとんどがゴブリンの小牙なのだった。
「実はゴブリンがこのダンジョンで一番多いモンスターなんですよ。そして一番弱いモンスターでもあります。ですので、素材の取引額も小さいんですよね」
その価格は何と一つ1カインである。
ポーチに入らなくなった分までせっせと広い集めてきたその数は43個。
数は多いが金額としては小さかった。
「うぅ、確かに安いですね……」
その他に落ちていたアイテム袋から手に入れた素材、『小さな固石』が5カインと、『普通の小枝』が3カイン。合計で51カインだ。
「全て買い取りで問題ないですか?」
「お願いします」
数があったのでもう少し稼げるかと思ったが、まさかの前回よりも少ない稼ぎになってしまった。
前回は運が良かった……と言っていいのかわからないが、短時間での効率を考えると良かったのだと考える。
染み付いたゲーマーの思考だった。
「確かに安いですが、新たな素材が入ったので品数は増えましたよ。元気出してください!」
あげくの果てには慰められる始末だが、ここでヘコんでいても仕方がないと気持ちを切り替える。
「せめてNSEのドロップがあれば良かったんですけどね」
NSEからは特殊な素材や貴重な素材が手に入るらしく、それらがあれば大きな金額で買い取りができたらしいが、残念ながらシャーマンから素材は落ちなかった。
「あと、他に何かありますか?」
「えぇと、武器があるんですけど……」
素材は落ちなかったが、代わりに武器らしきものは落ちたのだ。
ハアトはポーチから、木でできたフルートのような笛の形をした武器を取り出した。
「ほほう、これは未開封品ですか……では私の鑑定力で……って、あら?」
自信ありげに手をかざそうとして、カオリが首を傾げた。
「ど、どうかしましたか?」
「えーと、これ、私では開封できないみたいです。何か特殊な鑑定スキルが必要らしくて……専門のジョブに持っていく必要があるみたいですね」
なんでも『楽器知識』という鑑定スキルが必要なのだという。
やはり笛なのだろう。
シャーマンが使っていたものに良く似ている。
召喚士のジョブでもあるのだろうか。
「楽器を使うジョブ自体がレアジョブですから、見つけ出すのは大変かもしれませんね。けど、開封できれば性能は高いでしょうし、ハアトさんが使えなくても高値で取引されると思いますから、お家などで保管しておいた方が良いと思いますよ」
「そうですね。けっこう大変な思いをして手に入れた物ですから、有効に使いたいですけど」
まさに死にもの狂いと言った勝利だった。
それ故に手に入れたアイテムへは期待もしてしまう。
「ちなみに、ハアトさんが退治したゴブリンシャーマンのリポップはワンウィークとなっているみたいですよ」
リポップとは、再びモンスターが現れる事だ。
シャーマンは倒しても一週間以内に復活するという事らしい。
そのタイミングはバラバラらしく、一日後かも二日後かもわからない。
倒した日に復活することはなく、そして最低でも一週間経つまでには復活する。
「という事は、今日にでも遭遇する危険が付きまとうという事ですか……」
「はい。確率は低いですけど……また地下一階で遭遇する可能性も無いとは言い切れないです。それに、もう日を跨ぎましたから他のモンスター達も復活しています。ワープの特性がある以上、いつどこで遭遇するか分かったものじゃないですから」
説明してくれながら、カオリの表情にも影が落ちる。
再びあのゴブリンの群れに遭遇するかもしれない。
それは正直、かなりの恐怖だ。
切り札だったネギももうない。
単体ならまだしも、複数の魔法使いを相手にするならば、アクジキに溜まる魔力の消費方法も新たに考えなければいけない。
「そこで提案があるのですけど……」
考え込むハアトに、カオリが一つのウインドウを開いた。
見ると、そこには町の地図らしきものが表示されている。
「他のダンジョンに、行ってみませんか?」




