007-1:ファン1号①
「ハ、ハアトさん!? だだだ大丈夫ですか!?」
受付フロアに戻ったハアトを見るや、カオリは慌ててカウンターから駆け寄ってきた。
「えぇ、なんとか無事です」
「傷だらけじゃないですか! どう見ても無事には見えません! グミちゃんも怯えてるじゃないですか」
致命傷となるような攻撃は受けずに済んだが、ジャージの至る所が破れてしまっている。
木の棒の先で切ったのか、出血している箇所もあった。
グミはカオリの姿を見つけるや否や、カオリの肩に飛び乗っていった。
裏切りか。
「もう、今のハアトさんの装備は武器以外、裸と同じなんです。無理しちゃダメですよ! 一体どこまで潜ったんですか!?」
炎のような赤髪が逆立ちでも始めそうな、まるで子供を叱りつける母親のような剣幕に、ハアトはモゴモゴと返事をするしかなかった。
「いえ、地下二階までですけど……」
「その素材の数……また何かの罠に引っかかりでもしたんですか?」
ハアトが抱えていた、ポーチに入りきらなかった獲得アイテムを一瞥してカオリが呆れたようにため息を吐く。
「えーと、それが……」
カオリにもアイテムを持ってもらい、二人でカウンターに向かって歩きながら、ハアトはその経緯を説明した。
「それは『Non-Standard Enemy』の事ですね。通称NSEと呼ばれているモンスターです」
規格外の敵という意味だ。その名の通り、通常のモンスターとは一線を画す強力なモンスターの事なのだという。
強力なモンスターだがボスとは別の存在であり、ダンジョンによって居たり居なかったりするらしい。
ボスのように周囲のモンスターに魔力的な影響を及ぼす事はないが、特殊なスキルや特性を持つことが多く、その結果として強力な仲間を連れている事があるのだとか。
NSEは単純な個体の強さだけでなく、その行動パターンも通常のモンスターとは異なっているため、危険度も高くなる。
時にはダンジョンボス以上の脅威に成り得る存在だ。
「ゴブリンシャーマンはダンジョン内を、それもフロアに関わらず移動する『ワープ』という特殊な移動手段を持っています。普段は深い階層にいますから、浅い階層に現れることは珍しいんですけど……」
ハアトはそれに偶然にも出会ってしまったらしい。
「無事に戻ってこられて良かったですよぉ! それにしても、あのネギがそんなに役に立つなんて……」
ゴブリンシャーマンはNSEの中でもそんなに強くないモンスターなのだという。
それでも駆け出しの冒険者にとっては十分すぎる脅威である事は変わりない。
実際、ハアトもネギがなければどうすることもできなかった。
「鑑定のおかげですね。助かりました」
「えへへ、次からも頼ってくださいね」
ネギの鑑定が成功したことで失いかけていた自信を取り戻したようだ。
背丈に似合わぬ豊満な胸を張り、戻ってきてからやっと笑顔を見せてくた。
その笑顔に、胸がじんわりと温かくなる。
またこの笑顔を見ることができて良かった。
「じゃ、じゃあ、コレを。今回の分です」
カウンター着くと、手にしていたアイテムを二人して広げ、後はカオリに買い取りをお任せする。
「ハアトさん、ベッドを用意しますから、横になって待っていてください。まずは傷を癒さないと、化膿したりしたら大変ですから」
カオリがそう良いながら受付のウインドウを操作すると、カウンターの側の壁に真っ白いベッドが現れた。
「『応急ベッド』です。横になって休むと、時間の経過と共に傷が癒えていく優れものですよ! まだランクは低いので効果も低いですけど、それくらいの小さな傷なら完治できるみたいですから使ってください」
カオリの説明によると、ダンジョン特有の『ダメージ』は時間と共に消えるが、生身の肉体が負った肉体の傷はまた別物なのだと言う。
こればかりは治療が必要になるらしい。
つまり、冒険者はダンジョンの中でモンスターと戦う時、その攻撃からバグ現象の顕現である『ダメージ』と物理的な『傷』という二種類の危険を相手にしなければならない。
「こ、こんな物もあったんですね」
「いえいえ、ありませんよ。たった今、機能を追加したんです」
「……追加、ですか?」
ハアトが驚いていると、カオリが得意げに説明してくれた。
「受付嬢としての業務をこなすことでダインジョンポイントというものが手に入るんですよ。それを使って受付の施設を増やしたり拡張したりできるんです」
それはハアトからの素材の買い取りや装備の販売、鑑定などで少しずつ貯まっていたらしい。
受付嬢のランクとはまた別の機能のようだ。
「まだまだポイントが足りなくて、私に出来ることは限られているんですけどね」
ポイントの使い道について、本当はハアトに相談してから決めようと思っていたらしい。
今、新たに増設できるのは『鑑定メガネ』と『応急ベッド』。
鑑定メガネはその名前から察する通り、鑑定の成功率を上昇させる物。
応急ベッドはカオリに説明された通りだ。
今はまだ足りないが、もう少しポイントを貯めれば『カウンター拡張』が出来るところだったらしい。
「カウンターを拡張すると品揃えが増えるらしいので、今はそれを優先すべきかと悩んでいたんですけど、冒険者は体が資本ですからね!」
まずは今のハアトの傷を癒すことが優先だと『応急ベッド』を設置してくれたというワケだ。
ここまで来ると受付嬢というよりはもう、ダンジョンマスターといった権限だが、そんなものなのだろうか。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言って靴を脱ぎ、ハアトはベッドに横になった。
ベッドの上に体を収めた途端、体中が温かくなるのを感じだ。
応急ベッドの効果なのだろう。
体中に残っていた痛みが引いていくのが分かる。
応急ベッドは木造の簡素な造りながら、思っていたよりも柔らかいベッドだった。
シーツのふわりとした感触に、小学校の頃の保健室を思い出した。
「お礼なんて良いんですよ。私たちは仲間ですから。ポイントだってハアトさんのおかげで獲得できているワケですし……」
度重なるダンジョンでの戦闘によって蓄積した疲労はハアト自身が思うよりも大きく、すぐに瞼が重くなる。
体の傷が回復していく暖かな感覚もそれを増長させ、一気に睡魔に襲われた。
眠気を払うように頭を振るうと、カウンターからカオリがやってきて優しく微笑んだ。
「初めてのダンジョン探検でしたから、お疲れなんです。少し眠ってください。素材の処理はしておきますから」
カオリの小さな手のひらが、ハアトの額をやさしく撫でてる。
「あ……、ぅ……」
ありがとうは言葉にならず、心の内側に温かく落ちていく。
自分の部屋でもなく、ましてや奇妙奇天烈なダンジョンの中だというのに、ハアトは安心しきった安らかな表情のまま瞼を閉じた。
「ゆっくり休んでくださいね、ハアトさん」
暖かな夢の奥底へと、ハアトの意識はゆっくりと沈んでいった。




