003-2:赤土の迷宮【邂逅偏】②
「おまえの仲間じゃないやつを探そうか」
片手には剣を、片手にはグミを抱えて、ハアトは歩いている。
ステータスプレートなる腕のバンドにもモンスターの体力を教えてくれるなどという機能はないらしい。
ハアトの脇に挟んで抱えられているグミは、その抵抗こそやめてくれたが、ダメージを追っている様子はない。
けっこうな時間、剣でペチペチとドリブルしていた気がするが、あれにはダメージが発生していなかったのだろうか。
グミ以外のモンスターを倒してアイテムを集めた方が手っ取り早そうだ。
次の戦闘にそなえ、ひとまず剣でグミの相手をしていても仕方がないので、手で持ち上げて連れてきた。
剣先から伝わっていた物と同じ水風船のようなゼリー状の弾力の塊が、しっとりと手に吸いつくように揺れる。
なぜだろう、男子の本能がザワつく柔らかさだ。
表面は想像していたよりもツヤツヤしていて、少しだけひんやりと冷たい。
両手で掴みあげると、驚くほど軽かった。
ただの水よりも、たぶんもっと軽い。
グミは今まで跳ねていた地面を失って、それを探すようにジタバタと暴れた。
跳ねる事が出来なくなったことをさとったのか、しばらくすると大人しくなった。
抱えて歩いてどうしようというわけでもなかったが、ずっと体当たりされるのも困る。
かといって倒せもしないわけで、その妥協点が「とりあえず抱えてみる」だっただけだ。
軽いおかげで持ち歩くのは苦でもない。
次の部屋へはすぐに辿りついた。
先ほどと同じくらいの大きさだが、はっきりわかる違いが一つだけあった。
「分かれ道か……」
部屋の奥には、先へと続く道が二つ伸びていた。
「あれ、ここにはモンスターいないのか?」
それ以外には部屋には何もなかった。
奥に通路が二つあるだけで、あとはただ広い空間が広がっているだ。
道を分岐させるためだけの部屋のようにも思えた。
「まぁ、良かったな。おまえの仲間がいたら困ったしな」
その広さが寂しさを際立たせる気がした。
唐突にどこからかモンスターが飛び出してきそうな、根拠もないそんな気配に、たまに後ろを振り返ったりしながら奥へと進む。
広い迷宮の奥へ、たった一人で探索しているのだという事を思い出させるような、そんな静かな部屋だった。
かすかに反響する足音も、小さな息遣いも、全てハアトだけのものだ。
気を紛らわせるように、ハアトは仲間になったわけでもないグミに話しかけ始めたが、当然ながら反応はなかった。
罠の一つでもあるかもしれないと警戒しながら、結局なにもなく分岐までたどり着いた。
「さぁ、問題はここだよな」
どっちに進むのか。それが問題だ。
正面にぽっかりと空いた二つの道。
一見すると、そこに差は見られない。
右と左、どちらの道も少し進んだところで曲がり角になっていて、先までは見えないようになっている。
右の道はさらに右へ、左の道は左へと曲がっていて、二つの道がすぐに繋がっているというような無意味な分岐ではないようだ。
音もなければ臭いもなく、その先を予測出来うる材料はない。
「悩んでいても仕方がないか」
人間は無意識のうちに左側へと進もうとする傾向があるという。
例えば学校の陸上グラウンドなどもそうだが、左回りが基本になっていたりする。
何もない所でまっすぐ歩こうとしても、知らず知らずの内に左に逸れていたりもするらしく、これが森などでの遭難の一員でもあるといわれていたりするくらいだとか。
それを逆手にとってか、迷路の正解は右に多かったりするらしかったりする、らしい。
そんなネットで拾ったような知識がハアトの頭に浮かんだが、考えるのは止めた。
それらはあくまでも、人間の話だ。ダンジョンとはバグの象徴。そもそもが人外であり超常の存在だ。
人間の常識など、考えるだけ無駄に思える。
「目印だけでも残しておこうか」
先がどうなっているかは分からないが、もし戻る時には目印にはなるだろうと、地面に剣先を走らせてみた。
普通に歩いていても靴跡が残らないくらいには固い赤土だが、剣を使えば簡単に線が残った。
部屋から道へと続くように、少し長めの矢印を書く。
「……よし、行くか」
まずは右側から進んでみることにした。
迷路の攻略といえば定番の、右手法である。
壁伝いに進めば必ずゴールにたどり着くというシンプルな攻略法だ。
ハアトはダンジョンを踏破しに来たわけではない。
モンスターを倒してダンジョンの通貨を集めればいいのだ。なのだが、分岐の度に無駄に悩んでいても仕方がないのでとりあえずの方向性をそれに託すことにした。
部屋からも見えていた曲がり角にすぐつきあたり、そこを曲がってさらに進む。
道の先にはまたしても部屋があった。
「……お、おぉ!」
その部屋を見て、ハアトは思わず感嘆の声をもらした。
さきほどよりも小さめの空間。
その中央に鎮座している四角い物体の存在感にハアトは目を奪われたのだ。
それは肩幅と同じくらいの幅を持った大きめの箱だった。
長方形の上に曲線を描いた蓋が乗っている。
木製ではあるが、鍵口や角には綺麗な装飾が施されている、しっかりとした造りの木箱だ。
「宝箱だ!」
それはどこからどうみても宝箱だった。それに思わず駆け寄ってしまい、ハアトは慌てて部屋の中を見回した。
「よ、よし、モンスターもいないみたいだな……」
宝箱に気を取られてモンスターから奇襲を食らうなんてとんだマヌケな事態に陥るところだった。
ひとまず「落ち着け」と自分に言い聞かせ、一息ついてから宝箱に手をかける。
中にはいったい何が入っているのだろうか。
胸が高鳴った。しらずしらずに口元がニヤついてしまう。
宝箱には鍵穴がついていたが、鍵はかかっていなかった。
蓋を軽く持ち上げると、抵抗なく開いていく。
その中身が目に映るそれよりも早く、反応したのは腕のバンドだった。
パッと何かが表示され、ハアトの視線が反射的にそれを捉えた。
「警告:トラップ確認。『アラーム』が発動しました」
「え?」
宝箱には罠が仕掛けられていたのだ。
宝箱に舞い上がり、完全に油断していたハアトはマヌケな顔でその音を聞いた。
パン、パン、パン、と破裂音が連続した。
それがアラーム、つまり警報なのだろう。
その音に合わせる様に、宝箱の奥の何もなかった壁の真ん中にが、ボロっと剥がれ落ちた。
現れたのは顔の大きさくらいの穴だ。
穴の奥の暗闇に、小さな赤い光が覗いていた。
穴から飛び出してきたのは二匹の巨大なネズミだった。
グミよりも一回り大きな、見るからに狂暴そうな顔つきをしたネズミだ。
異様に発達した前歯はまるでシャベルのように先端をとがらせ、全身の毛も逆立つように跳ねている。
ハアトが知っているネズミとは全体的に何かが違う。
当然だ。それはただの動物ではなく、立派なモンスターなのだから。
そして何よりも、そのビー玉のような瞳には、目の前の敵への殺意が宿っているように見えた。
「うわぁ!」
慌てて宝箱から離れて距離をとると、バンドを向けてステータスを確認する。
モンスター名、リトルマウス。
種族、小型動物。
危険度、G。
「これでリトルって、ウソだろ!」
小型動物という種族はまだわかる。どう見てもモデルがネズミなのだから、そうなるだろう。
だが名前はおかしいだろうと誰にともなく思わず突っ込んだ。
目の前のネズミは名前と違ってかなり巨大だ。
少なくともハアトの知っている基準では、リトルなんて大きさではない。
二匹のリトルマウスは「キィ!」と甲高い鳴き声を上げ、警戒するように距離を保ってハアトの様子を伺っているようだった。すぐには襲い掛かってこないらしい。
危険度はグミと同じGになっている。
今回は二匹だが、恐らく、問題なく倒せる相手だ。
グミの時には残念な結果になってしまったが、今度こそ木彫りの剣の試し切りにちょうどいいモンスターかも知れない。
大きいがネズミだ。
魔法しか効かないなんてことはないハズだろう。
ハアトはそう思考を切り替えて、剣をしっかり握り込んだ。と、戦い始めるその前に、抱えたままのグミを地面におろす事にする。
さすがに抱えたまま戦闘をするのは危ないだろう。
軽いとはいえ、やはり動きは鈍る。回避のようなとっさの動きだとなおさらだ。
ハアトは未だ、モンスターから攻撃を受けるという経験をしていない。
できることなら一度もしたくはないと思っていた。
「良いかい、僕とお前はもう仲間だ」
そっと手を緩め、しゃがむ。
大人しかったグミがビクンと動いた気がした。
「だからここで大人しくしているんだ。いや、ほんとマジでお願いだから……」
その反応に地面に置いた瞬間に顔面に突っ込んでくるグミの姿を想像しながら、命令というよりは半ば懇願のような形で言い聞かせてみる。
大人しくなったままでいてくれるなら助かるが、そうでない場合は、体当たりをされながら戦うよりは抱えたままの方が良いかもしれない。いやどっちもダメだろ。
そんな事を思いながらグミを地面に置くと、瞬間、グミの体が跳ねとんだ。
「やっぱりかー! ……って、おい!?」
ただし、向かった先はハアトの顔面ではなく、遠くで様子を伺っていたリトルマウスだ。
「な、なにやってんのー!?」
グミはそのままリトルマウスの一匹に不意打ち気味の体当たりを仕掛ける。
ネズミ達も戦闘モードに切り替わったのか、グミを襲い始めた。
「あぁ、もう! どうなってんの!」
予想外の事態にハアトも慌てながら戦闘に参加する。
リトルマウスが体当たりのお返しとばかりに鋭い前歯をグミに突き立てるが、案の定グミはプルンと揺れるだけでそれを弾いてしまう。そしてグミが再び体当たりを繰り返す。
防御には優れるグミだが、攻撃はなんとも言えないレベルである。
その衝撃は硬い枕がぶつかったレベルなのだから仕方がない。もしハアトがそれを持っていたとしても、枕なんて武器としては使わないだろう。
素手の方がよっぽど攻撃力がありそうだ。
つまりは二体一で繰り広げられる泥仕合だ。
そこにハアトも加わった。
グミに飛びかかろうとしていたリトルマウスの一匹を、木彫りの剣で横なぎに振り払う。
切る、という感触はなかった。
腐りかけの生肉を棒で叩き潰すような、少しだけ柔らかい嫌な感覚。
打撃じみた斬撃。だが、グミの時とは違う、確かな手ごたえがあった。
その感触に気持ち悪さを覚えながらも、込めた力は緩めずに剣を振りきる。
殴り飛ばされたリトルマウスは「ギッ」と鈍い悲鳴を上げて、地面を転がった。
一度だけ体を痙攣させて動かなくなると、煙のように消えていなくなる。
「よし!」
切れ味、という意味ではイマイチだろう。
しかし攻撃力としては申し分ない。
一撃で倒せるのなら、十分だ。
「キィィイ!」
一匹がやられ、残ったリトルマウスが大きな鳴き声を上げた。
威嚇のつもりだろうか、などと見当違いな考えが頭をよぎって、すぐにハアトは後悔した。
それは威嚇などではなかったのだと思い知ることになったからだ。
ドサ、と乾いた土が落ちるような音がした。残ったリトルマウスに向かおうとしていたハアトが「何だ?」と音の方へと振り返ると、入口付近の壁に穴が増えていた。
その穴から、次々に新たなリトルマウスが飛び出してくる。
威嚇などではなく、仲間を呼んだのだ。それも、巣ごと。
「……う、うそだろ」
部屋がネズミの群れに覆われていく。
一転して訪れた危機に、ハアトがおもわず後ずさる中、グミだけは元気に暴れまわっていた。