000-1:エンドロール①
金色に光り輝く剣先が、魔王の纏う闇の衣を引き裂いた。
底知れぬ深淵を覗くかの如く、あらゆる攻撃を無効化してきたその暗黒のベールが、空気に溶けるように霧散して消えていく。
後に残ったのは、まだ幼くも見える一人の少女の姿だけだった。
一糸纏わぬままの姿で、ただ無防備に立つその姿を、人間たちの視線が捉えた。
「やったぞ! 闇の衣が剥がれた!」
勇者の背後でどっと歓声が沸いた。
無敵とも謳われた最後の防御の力を失った魔王の姿に、具現化した殺意の塊が殺到する。
爆炎の弾丸が飛び、真空の刃が走る。
雨雲は雷の束をつくって轟き、銀の矢尻をつがえた矢の雨が降った。
「今だ! 殺せ! 殺せ!」
名前も顔も知らない誰かの言葉が勇者の心臓を揺さぶった。
人類を救うための戦いに集った勇敢なる者達。命知らずの義勇兵。
その中心である勇者ですら、全ての名前は知らない。全ての顔は覚えていない。
勇者は、周囲の人間が自分の脇を走り抜け、魔王に殺到する姿を見送った。
――これで、良かったのだろうか。
魔王が魔力を込めた腕を無造作に振るう。
弾かれた爆炎が矢の雨を吹き飛ばした。
魔王に目がけて落ちたはずの雷は、魔王の左手に帯電すると、雷の竜に姿を変えて人間達を食らい伝った。
真空の刃は、魔王のため息の前に霧散して消えた。
それでも、人間達の攻撃は終わらない。
一人の人間が死ぬたびに、確実に魔王の魔力も弱っていく。
人間たちは魔王に挑むと決めたとき、すでにその命も捨てていた。
それをきっと、覚悟と呼ぶのだろう。
追いかけたかった夢を、故郷に残した者を、全てを捨てて、彼らはこの場所に集ったのだ。
だからこそ、勇者は戦わなければならない。
勇者の手に握られた聖剣は、今も金色に光り輝いている。
お前の使命を果たせと、私の使命を果たさせろと、叫ぶように光り輝いている。
無防備にも見える魔王の裸体が、その鮮血に染まっていく。
炎がその白い肌を焼き、雷が艶やかな黒髪を焦がす。
容赦ない斬撃が腕を飛ばし、大槌が足をへし折った。
目をそむけたくなった。
それでも堪えた。
そんな勇者の視線を受けて、魔王が笑う。
――これで、良かったのだ。
守るべき者の姿をした魔王が、そう言った気がした。
「うおおおおおおおおおお!」
勇者は吠えた。
そして、駆けた。
呼応するように、魔王は微かに残った魔力を振り絞った。
魔力が爆ぜ、まるでそこに居場所を開けるように、密集する人間の群れを弾き飛ばした。
勇者だけが、その衝撃の波を突き破り、光の剣を掲げる。
二人だけの世界。
振り下ろす剣先が、魔王の首筋を撫でる。
勇者は祈った。
せめて、これ以上の痛みがないようにと。
その魂だけは安らかにありますようにと。
勇者の剣筋が届いたかのように、雨雲が割れて光が差した。
切れ目から覗いた巨大な太陽が、二人の最後を照らしていた。
~ fin ~
* * * * *
「なんだよコレ、どうすればいいんだよ……」
安部心臓は悩んでいた。
「心臓」と書いて「ハアト」と読む。
その名前の読み難さを悩んでいるのではない。
これからどうすればいいのかという悩みだ。
大型のディスプレイには、妙に明るい音楽と共に、下から上へと英語の人名がとめどなく流れている。
エンディングである。
「やべぇ、気持ちの整理がつかない……」
本来ならば達成感で満たされるはずの超大作RPGの最後を飾るエンディングである。
購入してすぐにプレイを開始して、気付けばすでに五日目になっていた。
単純に、ここまで百時間以上の時間をかけた計算になる。
サクッとお手軽☆が主流の昨今のゲームにしては、かなり長い方だろう。
それもシナリオ重視のプレイであり、レアアイテムの収拾やモンスター図鑑のコンプリートにコロシアムの全階級制覇など、詰め込まれたやり込み要素には手を付けてすらいないのだ。
それらの遊びは本来ならば、一通りストーリーをクリアしたこれからだろう。
ワールドマップも全て解放され、移動手段やショートカット、ファストトラベルなども様々に使えるようになったこれからが、真の冒険の始まりである。
だが、心臓はまったくそんな気分にはなれないでいた。
この際だから断言してしまう。このゲームはクソゲーである、と。
分かり難いわりに無駄に長ったらしいチュートリアルに始まり、初っ端から初期装備を集めるための無駄なお使いクエスト。
街を一歩出ればやたらクリティカルで首を刎ねてくる雑魚モンスターが蔓延っているし、最初のダンジョンでは当然のように、もはや理不尽でしかない初見殺しが炸裂する。
オートセーブなどという生易しい機能など当然のように存在せず、なぜか非常に分かり難い場所に隠れるセーブポイント達。
スキップできない長めのイベントムービーと全滅必至の強ボスとの合わせ技。
もしかしてこれは新手のストレステストか何かだろうか。
最近の若者は我慢ができないなどと良く聞くが、その真偽をプレイヤー達に問いかけようとでもいうのだろうか。
そう思わせるようなシステム、設定の盛り合わせだった。
だが、それはまだ許す。許そう。
心臓はそんなゲームなんていくらでもクリアしてきた。
世の中にはセーブしたらデータがバグってフリーズしたり、そもそもセーブできないくせにプレイ時間が百時間越えだったり、今どきパスワード式セーブだったりとといろんなゲームがあるものだと知っているからだ。
だが、問題はこのストーリーだ。心臓はそれが許せなかったのだ。
序盤から中盤までは萌えアニメよろしい無駄な日常パート満載で進みまくり、「魔王は悪だよ滅ぼそう!」と深く考えさせない作りをいよいよ物語終盤まで貫いてきたかと思いきや、ラスボス戦の最中に急に生き別れの妹が魔王の正体だとわかったり、急に魔王を庇って登場した魔物達が一体倒される度にほんわか日常パートや彼らの守るべき者なんかの走馬燈を挟んで「あれ? これ本当に魔王は悪いヤツなの?」みたいな展開に持っていくのはどうなのか。
しかもさっきまで萌え萌えしていた仲間たちが急に命知らずの漢集団になってるのは何なんだ。
金髪ツンデレの幼いお姫様はどこに行った? ロリ眼鏡メイドは? ドジっ娘ボーイッシュな幼い弟子は? 生意気なロリ妖精は? 宿屋で待ってる幼い巨乳な幼馴染は?
しかもなんでロリっ娘な魔王のやられ方だけやたらグロいんだよ。
しかもなんで全裸なんだよ。
他のモンスターたちは普通のビジュアルだったし、やられたら最後はボカンと煙になって消えてただろうが。
つーか女の子たちロリ属性ばっかりだな!
「何なんだ。いったい何を伝えたいんだこのゲームは……」
やたらと濃厚な描写が随所に挟まれたラスボス戦を終え、そして今に至る。
ちなみに全裸な妹姿の最終形態までに七戦あった。もちろん長いイベントムービーもてんこ盛り。
合計戦闘時間は二桁台だ。
「んで、いつ終わるんだよ。このエンドロールは……」
バッドエンドかと思う程度には悲壮感の漂う暗いBGMから始まり、なぜか急にポップで明るめな曲、テンション高めな陽気な音楽へと変わっていったエンディングは、いつの間にかテンションは低めだがリズム隊の主張が異様に激しいヘビメタチックな曲に変化していた。
純和製ゲームのくせに何故がエンドロールは全てが英語で、英語の読めない心臓には今なにが流れているのかもわからない。
だが、時間を確認してみると、かれこれ一時間ほどたっていた。
長すぎるエンディング。最後まで見事にクソゲーである。
もう、切るか。
心臓は一瞬そう考えたが、電源ボタンに触れる寸前に考え直した。
「多分まだ、クリア後のセーブされてないよな……」
最後にセーブした記憶があるのは、半日以上戦ったボス戦の直前だ。
不気味に紅く染まった二つの月の下にそびえたつラストダンジョン、魔王城。
その最上階、その最奥。
魔王の玉座の真後ろにある謎の鳥籠を解放すると出てくる初めて戦うタイプの鳥人モンスターを倒して得た「近くにセーブポイントがあるよ」というヒントを得るというフラグを立てることによってやっと現れる一度調べたはずの玉座の上でいっさい光っていない水晶玉が最後のセーブポイントだった。
心臓はヒントを得ても中々それを見つけられずに、十五分かけて見つけたときには「そこは光れよ」と激怒したものである。
それらも含めて、クリアまでのこれまでの苦悩を思うと、クリアまでしてそれをなかったことにしてしまうのは悔しかった。
このゲームがクソゲーであるという断固たる事実は変わらないが、クリアした今、確かな達成感を感じているのも、また事実だった。
オートセーブなんてないこのゲームの事である。
最後まで見させてセーブさせるつもりだろう。
そう思い、期待もせずに、試しにコントローラーのボタンをいろいろと押してみるが、反応はなかった。
心臓は「ですよねー」と一人呟きながら、コントローラーを床に投げ捨て、背後のベッドに背中を落とした。
ボフっと埃が部屋を舞う。
「あー、めっちゃ疲れた」
柔らかな布団に体を預けると、途端に睡魔が襲ってきた。
クリアのために徹夜続きだったのだから、当然だ。
少し、眠るか。
このエンディングもいつまで続くか分かったものではない。
また曲調が変化したらしく、今は穏やかなクラシックのようなものが流れている。
窓のカーテン越しに、弱々しく朝の陽ざしが滑り込んでくる。
早起きな小鳥の囀りがガラスを叩く。
どこか遠くで電車の揺れる音がした。
睡魔に抵抗することもなく、心臓はまぶたを落とした。
起きる頃にはきっとエンディングも終わっている。
そしたらまず、セーブしよう。
それから、やり込みは起きたときの気分で考えればいいか。
やり込まないなら、次、何をしようかな。
そういえば、なんかの新作でてたっけ。
なんだったっけな、あれ……。
そうして、心臓は深い眠りに落ちていった。