突撃ドキュメンタリー
十二月。場所は秋田の山奥。ここで俺はひとりガクガクと震えていた。だが、これは別に寒いからというわけではない。その原因はもっと他にある。
俺はちらりと横に目をやった。そこには大きな洞穴があり、その奥からは地鳴りのようないびきが聞こえてくる。
……もうここまで言えば大体わかるだろう。俺は今、クマが冬眠している洞穴の前に来ている。
別にこれは俺が自殺志願者だからでも単なるモノ好きだからでもない。仕事で頼まれたからだ。
あれは一か月前。俺が某所でテレビの収録を終えた後だった。
マフラーを首のあたりで捩じりまくったいかにもプロデューサーという風貌の男性が声をかけてきたのだ。彼は人のよさそうな笑みを浮かべていた。
「よう、高瀬ちゃん! お疲れ!」
「お疲れ様です」
「いやぁ~今日も面白かったよ! 流石、今が旬のお笑い芸人だね!」
そう。俺は近頃人気急上昇中のお笑い芸人だ。いや、この場合だったの方が適切かもしれない。なぜなら今から死ぬかもしれないのだから。
まぁ、それはどうでもいい。なぜ俺がここに来たか、が問題なのだから。
その人は俺にこう言った。
「あのさ~いい仕事があるだけど、受けてみない?」
「どんな仕事ですか?」
「単なる寝起きドッキリだよ! もちろん、高瀬ちゃんが仕掛け人ね!」
……まさかそれがクマに対する寝起きドッキリだったと知る余地はなかった。
結果、俺は二つ返事でオーケーしてしまい、こんな状況に陥ってしまったわけだ。
一応装備は整えてある。動きやすい服装をしているし、逃げられるようクマにやる餌も持ってきている。極めつけは、俺が被っているヘルメットだ。そこにはビデオカメラが取り付けられており、今も映像を納めている。
ここまで言えばわかると思うが、俺はひとりでここに来ている。というか、無理矢理連れてこられた。
俺はひっそりと涙を流しながらも口を開く。
「皆さん、こんにちは。高瀬元気です。今日はここ、秋田の山へときています」
もしかしたらこれが最期のビデオレターになるかもしれない、と思うと無意識に言葉に熱がこもった。これが遺書代わりにならないことを祈ろう……。
俺は続けて口を開いた。
「さて、私が今日ここに来たのは他でもありません。寝起きドッキリのためです。おっと、もちろん普通の相手じゃありませんよ? なんと、冬眠中のクマです!」
危機的状況にあってここまで言える自分はやはり才能があると思う。やっぱり死にたくないなぁ……。
俺は盛大なため息をついた後でゆっくりと洞穴の中を覗き込んだ。結構奥行きがあるらしく中は見えないが、いびきは聞こえてくる。それは間違いなくこのビデオにも納められていることだろう。
俺は息を呑み、意を決して口を開いた。
「……さて、そろそろ突入したいと思います」
俺はそろそろと忍び足で中へと向かっていった。薄暗い洞穴はそれだけで不気味だ。しかもここがクマの巣穴とあってはそれも割増だ。できるだけ穏便に事を済ませたいが、おそらくそれは叶わぬ願いだろう。
こんな仕事を受けるんじゃなかった……いや、だめだめ!
お笑い芸人たるもの笑っていなくちゃ!
俺はそう思い、少しだけ歩を進める。と、そこで奥の方に小さな山――いや、違う。熊の体が見えた。
で、でかい……俺よりも大きいんじゃないか?
俺はカメラをそちらに向けつつ、ちょっとずつ前へと進む。やはり大きい。確実に成熟しているクマだ。しかも、体中傷だらけ。それなりの猛者だ。
俺は近くまで寄って、改めてビデオに語りかける。
「……とうとう来ました。なんとか、生きて帰ります」
俺はポケットから別のマイクを取り出してそっと囁いた。
「……おはようございま~す」
返ってくるのは大きないびきだけ。それが恐ろしくもあり、逆に安心する要素ともなっていた。まだ起きていない。あくまでも、まだ、だが。
俺は少しだけクマから遠ざかり、マイクを掲げた。
これからどうするかは……お察しの通りだ。
俺は力の限り、声を張り上げる。
「おはようございまああああああああああああああああああああああああすっ!」
刹那、クマの巨体がビクンと揺れた。それとほぼ同時、俺は全力で逃げ出していた。
もう無理だ! 怖い怖い怖い!
死にたくねえよ!
俺は必死に足を動かした――が、突如として後ろから雪を蹴りあげるような音が聞こえてくる。
まさかと思って見てみればそこには――怒り狂ったクマの姿!
咆哮をあげながら一直線にこちらに向かってきている!
確実に殺す気じゃん!
俺はとっさに背中に背負っていたバッグからあるものを取り出してクマに掲げてみせた。
「ど、ドッキリだいせいこぉおおおおおおおおおおおおっ!」
普通、これが人間ならどんなに寝起きが悪くても笑って澄ましてくれるだろう。
だが、相手はクマだった。
「ごおおおおおおおおおおっ!」
「ひぃいいいいいいいいいっ! すぃませんんんんんんんんっ!」
逆に神経を逆なでしてしまったらしく、猛スピードで駆けてきた!
俺は持っていたプラカードをクマへと投げつける。少しの足止め――にもならなかった。
奴は着実にこちらに近づいてくる。生肉を投げてもみたが、見向きもされなかった。
「うぉおおおおおおおおおおおおっ! 死んでたまるかぁああああああああああああっ!」
俺の絶叫だけが辺りにこだまする。
――この数十分後。俺は何とかクマを撒くことに成功した。
どうやらクマというのは体の造り上坂道が苦手らしい。そのおかげで逃げられた、と地元の猟師さんが言っていた。
なお、これはのちにテレビで放映され、莫大な視聴率を得たという。
そのせいでまたオファーが来ることになったのだが……当然ながら、丁重にお断りした。
もう寝起きドッキリだけはこりごりだ。