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ライフ  作者: 照手白
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交わる糸4

 店からの帰り道、カヤは汗や煙草で臭くなった体に鞭打ってシャワーを浴びようと考えていた。一歩進むたびにギギッと嫌な音を立てる階段を上がった、二階の最奥が彼女の自宅だ。

 以前は田舎に住んでいたため広い家に父親と二人で悠々と暮らしていたが、オニードラに来てからは当時の自室の丁度半分くらいの大きさの部屋が彼女の城となった。今でもこの狭さに辟易する事はあるが、三年もすれば慣れたものだ。住めば都とはよく言ったもの。

 第二の故郷と言っても過言ではない、この街に居着いてから住む場所が度々変わる事態はあったが、ここしばらくはごたごたがなく、割と安定した生活を送っている。

 しかし――残りわずかな秒読みは既に始まっていた。

 階段を登りきってからカヤは足を止めた。息をのみ、目を見開いてその瞳に映ったのもを理解しようとする。そして家のドアの前で倒れている人間が親友だと分かると一気に彼女の意識は覚醒した。

「カレン!!どうした!カレンッ?」

 ぐったりとしたカレンは頬を叩いてもピクリともしない。息はある。脈もある。しかしカレンの腹からはおびただしい血が今も出ていた。傷は浅いが出血が酷い。多少の血止めはしているみたいだが、これは縫った方がいい。彼女は何故直ぐに助けを呼ばなかったんだと思いながら、火事場の馬鹿力で二十センチ近く差のあるカレンの体を担いで家に入る。――こんな寒空の下で一体何時間彼女は私の帰りを待っていたんだ?

 カヤはカレンの世話を一生懸命にやった。傷を縫って薬を塗り、服を変えた。

 一息ついて、カヤはベッドの上で静かに寝息をたてるカレンの瞳の色と同じ、澄んだ青空を彷彿とさせる青色の髪を一房手に取った。手には防御創があった。必死に戦ったのだろう。

 ――心当たりならある。あいつだ。あいつが関係しているだろう。確か名前はエリシオと言ったか。恋人のマダグを通してカレンに…。きっとそうなのだろう。

 カレンの顔色は死人同然だ。カヤの部屋に薬は気休め程度しかないが、医者は呼ばない方がいいのかもしれない。彼女は私のところへ来たのだから、事情があるのだろう。だが、とやはりカヤは医者を呼びに行こうと立ち上がった。

「父さん…」とカレンの口が開いた。

 振り返って親友を見たカヤは考えた。彼女は、五分間微動だにしなかった。過去の記憶が甦る。

 ―――八十年前大陸を震撼させた闇の組織。組織が忽然と姿を消してから、あぶれた残党が各地で人を殺している事実も含め、闇の歴史としてその過去はカヤの記憶に新しい。彼女の中では今も終わっていないからだった。そしてカレンもまたそんな一人だった。

 魂を抜きとっていた事実までは殆どの人間は知らなかったが、彼女は別だ。カヤは知っている。カレンの父親の魂が、比喩ではなくその体から奪われていたことを。カレンの父親はその残党に殺害され、娘の彼女がその組織に恨みを持っている事も。

 エリシオが十中八九その残党だとして。

(カレンは、カレンは聡い…だからか?)

 憶測を超えないが、カレンはエリシオが何者か見抜いたのだ。カヤとは違う方法で。――そう、例えば腕に彫られた入れ墨を見つけたとか。

(だから来たのか。カレン。私はもっと何かしておくべきだったのだろうか…)

「ああ。これは駄目だ…」

 吐き捨てるような、消え入りそうな声が室内で呟かれた。

 今も人殺しを続けているというのなら、あの忌わしい宝石を持つカヤが引導を渡すのが道理なのかもしれない。特に身近な人を傷つけられたとあっては。

 それから彼女はエメラルドの鎮座する豪華な首飾りを隠し場所から取り出した。宝石に宿る光が鋭く尖る残忍な刃の様に冷たく、重たかった。カヤはそれを持って家を出た。

 通り二つ向こうの近所の藪かもしれない闇医者に金を掴ませて彼女の自宅に行く様に指示してから、自称何でも屋で、最近巷で幸運な男と呼ばれる奴に会いに行った。知っている事を聞きだし、何か気がついたらしい奴に時間稼ぎの口止め料を渡し、まずカヤはカレンの恋人の事務所へと向かう。ここまでで二十分程度しかかかっていなかったが、事務所までが少し遠い。

 しばらく走り続けた後、海の見える場所に建つ倉庫に辿り着いた。

 同じ倉庫が何十棟と並ぶ間をくねくねと歩みながら、息切れを直していく。心臓が激しく打ち鳴って、やけに大きく聞こえる音がカヤの体に何かを訴えかける。

 小さな倉庫の並ぶ区間を越えると、二階建はありそうな一つの倉庫に辿り着いた。周りから少しだけ距離のあるその倉庫の扉には大きく白いペンキで203と数字が殴り書きされていて所々色褪せている。元々は食糧庫として機能していた石造りの建物は、時を経てマダグ達が使い始めてからは事務所や品物を売る店として役立っていた。

 倉庫の扉は僅かに開いていて、――その不用心さはこの街では大袈裟じゃなく命取りになるので――あり得ない事だった。

 扉の近くで息を潜めてカヤは様子を探ったが、人の気配はしなかった。扉に手を掛け、一気に押し開いて中に入る。

 蒼然として淡い光が降る倉庫内は破壊に閉ざされていた。辺りを観察すれば倒れた棚の隙間から人の足が飛び出していて、周りはそこを中心に床が真っ赤になっていた。

 カヤは駆け寄って状態を確認すると、男の両足を持って隙間から引きずり出した。

 ラルーだった。既に手遅れで、死んでいた。倉庫には他にも知り合いの姿が二人見受けられたが皆息をしていない。

 どうして殺したんだよ。とカヤは思ってから、その理由がポンッと頭に浮かぶ。

 ラルーの瞼を閉じてから体を調べると恐れていた痕跡は容易く見つかった。魂が体から無理やり引き剥がされている跡が…。

 こんなことを出来る人間は少なく、精霊がやったとすると完全に闇落ちしている。この世には闇の精霊という者が存在するが、闇落ちした精霊とは字こそ似ていても遠くかけ離れた存在だった。

 ――ここに留まっていても意味は無い。まずは居ないマダグを探すのが先決か?

 とりあえず彼女は手短に庫内を回って何か無いかと探すと、運よく――気味が悪い程、本当に運がいい――手掛かりを見つけた。イニシャルが刺繍された絹のハンカチだ。

 普通絹のハンカチは盗まれた後刺繍されたイニシャルはまず消されるので、こうして一枚だけ残っているのはおかしいし、そもそもマダグはケチな盗みはよっぽど困ったときでないとたぶんしない。魔が差すとかは措いといてだ。他の者が何処かで盗んできたという可能性もあるが、考えると切りがない。

 となると…領主の妹の息子という人物は詳しくは知らないが、下の名前は確か、アルフリー…アルバン…アルバノとかいうとにかくアルがつく名前だったはずなので、少なくとも一文字は刺繍と当てはまる。

 ハンカチをポケットに突っ込んだカヤは勢い良く倉庫を飛び出して、用心棒など荒事を仕事にしている知り合い二人との待ち合わせ場所に向かった。幸運な男に頼んでおいたのだ。

 カヤは走りながら、何処か遠くで自分の魂が圧し掛かる重りに耐えているような感覚に、気持ちが落ちた。切れる息の合間に乾いた笑い声がどっと出てきて、口には笑みが浮かんだ。

 そんな彼女を見たすれ違う人々はあまりの気持ち悪さにぞっとしたのだった。

(私明日は絶対知恵熱出るな。いや、今体が熱いのがそうなのかも。何だかだるいわぁ。というより私は何故こんなことを?いや、答えは出ている。分かってるんだ。答えは…はて、何だったのか)

 待ち合わせ場所に到着するとサンドイッチを笑いながら食べている二人を見つけた。髪を振り乱し、満面の笑みを浮かべて手を振るカヤに気がついた二人が固まった。

 色の黒い肌と赤い髪の男がセルビーで、スキンヘッドの男がネルヒムだ。

「おはよう!まずは来てくれてありがとう。町外れに行くから馬がいる。三頭ちゃちゃっと借りてこよう」

 そう言って進路を変えて手招きする彼女に慌てて二人は走り寄った。

「おいおい、何をそんなに急いでるんだ?」とネルヒム。

「歩きながら話すよ。ちょっと待ってね。まずは馬、馬」

 駆け足で息も絶え絶えなカヤにそれ以上二人は話しかけず、ついて行くことにした。

 馬を借りる前、カヤはようやく事情を少し説明した。

「二人に手伝ってもらいたいんだ。マダグが行方不明で、ラルーは仲間と三人、倉庫で死んでた。カレンは今危篤で私の家にいる。敵は二人以上。その中には闇落ちした精霊がいるかもしれない。私の命は二の次でいいから、マダグが生きていたら助けてあげて欲しい」

「はぁ!?」

「どういう事だよ、もっと詳しく話せ」

 カヤは二人に耳を貸せと、引き寄せて小さな声で言った。

「領主の妹の息子が関わっている可能性があるんだよ。マダグ達はそれに巻き込まれたか、おそらく最初から加担していて裏切られたと思う。情報によると街の外れに最近マダグ達に仕事を持ちかけた奴のアジトか住処かがあるみたい。行ってみたい」

「おいおい。そりゃー兵達に言った方が良くないか?」とセルビーが言った。

「俺もその方が丸く収まると思うぜ」

 カヤはその言葉に押し黙って考えた。

「人が死んだ時点で丸く収まってねーよ。たぶんカレンは少し私情が入ってる。それに、マダグ達が絡んでるって知られたら、例え生き残っても…殺されるでしょう?」

「そんだけのことがありゃ、いずれマダグもカレンも捕まるだろう」

「闇落ちした精霊なんぞ俺達が相手出来るのか?へたすりゃミイラ取りがミイラになる」

「それは私が相手する」カヤは二人の目を交互に真剣に見つめた。「お願い。それとちょっと私事が入るけど…事が済んだ後誰にも何も言わないで。私も危なくなる」

 二人は難しい顔を見合わせてカヤを値踏みするように見た後、「金は?どれくらい払える」とネルヒムは言った。

「一人」と考えるように句切る。「金貨二枚と銀貨六枚出せる」

「乗った」

「うーん…いいだろう」

「あ、それと行って何もなかったら三分の一でお願い!」

「…一気に減ったな」

「まあ…何もなければただの散歩と口止めでこれだ。多いだろうが」

「…報奨金があるだろう」と言ったセルビーにカヤとネルヒムの視線が刺さった。

 ネルヒムの言いたいことをセルビーは理解していた。二人はマダグ達と面識があり、カヤも交えて共に楽しく飲んだことのある仲なのだ。情が無いと言えば嘘になる。

「わかったよ」

「それなら金貨一枚でいい?」

 口止め料だけで考えると彼女の頭の中では破格の金額だが、ここで出し惜しみするつもりは…少なくとも財布と相談の上で無かった。

「交渉成立だ」

「ありがとう!」

 三人は頷きあった。

 足を確保するため知り合いの商人に割引してもらって一日馬を借り、お金は足りたのでその場で払った。

 街から出たところでカヤは二人に意見を聞いた。少年が誘拐されたのが昨日の夜九時頃なので、それからマダグとラルーは別行動をとり、ラルーは倉庫で殺された。カヤはカレンがうわ言で父親の名前を口にしていたから、きっと彼女の父親を殺した犯人と相手とに繋がりがあるのではと話した。

 カレンは死んでいないことと、傷つけられた凶器が違う事から、何らかの理由でその直前に邪魔だったため殺されそうになるが、どうにか逃げ延びてカヤの家に行った。大方そういう見解で話し合いは行われた。

 誘拐事件が起こってから十時間近く経っている。すでにマダグを殺して行方をくらませているだろうとセルビーとネルヒムは言った。

 頬をかすめる風がカヤの頭痛を少し抑えたが、気安めにはならなかった。焦る気持ちが重圧の塊となって伸し掛る。

(何も考えず、今はマダグを見つけよう。出来ることなら、罪の無い少年も助けよう。二人共死んでいなければ)

 馬は広い道に出て、街道から外れてスピードを上げて行く。三人の影は森の中へと小さく消えた。


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