交わる糸3
マダグがそろそろ帰ろうかと思い始めた時、見知らぬ男が二人のテーブルの前に立った。
「あんたがマダグさんかい?」
「そう言うあんたは。見た覚えはねーな」
被っていたフードを脱いだ男はエリシオと名乗った。
「頼みがあるんだ。引き受けてもらいたい仕事がある。話しを聞いて貰いたい」
「ほーう。それは話しによるが、あんた俺の仕事がどんなのか知ってんのか」
「凄腕の泥棒だろう。前金でこれだけ払う」
エリシオは腰にぶら下げていた袋の紐を緩めてテーブルに置いた。
その金額に目を輝かせたのはラルーだ。マダグは眉を少し潜めるに止めた。
「いいだろ、話しぐらい聞こうぜ」とラルー。
「…いいだろう。で、どんな依頼か聞く前に質問がある」
「何だ?」
マダグが彼に幾つか質問を浴びせる。エリシオが少々誤魔化しながらも答えていくと、一応満足したマダグが話を先に進めた。
「ここじゃあ人目につくから、場所を移そう」
「いや、話はここで聞く。それが嫌ならあきらめな」
マダグとエリシオはしばらく互いを見つめあって、渋々エリシオはマダグの隣の席に座った。
「ブツっていうのは人間だ。攫って来てもらいたい」
「そりゃ何でまた?」
「それを話すつもりはない。強いて言うなら、子供好きの野郎がいるのさ」
「ここらへんじゃあ、虎児なんて珍しくもなんともない。違うのか?」
「そうだ。私が言っているのは虎児じゃない」
「わざわざ誘拐して欲しいってんならそうだろうな。そいやぁ、俺の事は何処で聞いた」
「あんたの事はその辺の奴に聞いたら直ぐに教えてくれたさ。ここらじゃ有名だからな」
「そうかい」
「それで、その餓鬼ってのは誰だ?」ここでラルーが口を挿んだ。
エリシオが口を開こうとした時、酒場で歓声が上がった。三人が何事だと、事情に追いつけていない者達と同じように騒ぎのする方へと目を向けた。
騒ぎの中心では酒を掲げながら男が雄たけびを上げて喜んでいた。その隣では不機嫌そうなカヤが男を睨みつけていた。
「カヤのケツ触ったぞー!」
「なんだとーっ」
「カヤ、本当なのかよ!?」
嬉しそうな顔の男が客達から金を次々と回収していっていた。
「どうしてこんな騒ぎに?」
ラルーが笑いながら言った。「知らねえのか?カヤの体に触るのは物凄く難しいんだ。それこそ、グロンステンで天災が起こるくれーには難易度が高くて、野郎共の手を華麗に回避しまくってるから年中賭けの対象さ。カヤだったら矢の雨が降っても生き残るって噂だぜ!チッ。両方の意味で幸運な奴だ。前だって――」
金の回収をするため幸運な男がマダグ達のテーブルに来た。帽子の中が羨ましい事になっている。
「俺は賭けていない」
「そうかい、そうかい」
マダグと手持ちの少ないラルーが苦々しい顔で金を払い終えると、男は次のテーブルへと移動して行った。
「話が逸れたな。誰の子供なんだ?」それから店での三人の話は、直ぐに終わった。
「続きは俺の事務所でしようか」
マダグが腰を上げると二人も立ち上がって店を後にした。
<ガラテイア亭>の閉店時間は日が昇る直前だった。カヤが店を終えて裏口から出ると、小遣い稼ぎにしては多い金額を手にした男が壁に背を預けて座りこんでいた。夜中いたのだろうかとカヤは眉を潜めて首を傾げたが、煙草の本数だけで見るなら、一時間程度だろうと当たりをつけた。
「どうだった?」
「残念ながら何もない。俺も顔を見たが見たこたー無かった。後をつけて街の外へ向かっているらしい所までは確認したが、邪魔が入ってな…すまねぇ。こんなに貰っちまって悪いな」
「引き続き探ってくれる?」
「少しなら分けるぜ?」
「もしかしたら…それは次の貸しということでよろしく」
「お前がそう言うなら、そうなるんだろうな」
「そんなことはないよ。それじゃあ、帰るわ」
「ああ。気をつけな」
「ありがとう」
あ、と言ってカヤは振り返った。「煙草一本ちょうだい?」
「ほらよ」男はカヤの煙草に火をつけながら、彼女の顔をじっと見つめた。 カヤはそれに気が付いていない。彼女は手を振り、男は頷いた。
カヤの後ろ姿を送りながら彼は腕を擦った。寒さだけでは無い。その腕には鳥肌が立っている。
「誰も気がついちゃいねーのが不思議だよ、まったく」
エリシオが<ガラテイア亭>を訪れて二週間が過ぎ、ある日、夜も眠らない下街が慌ただしくなった。警備兵や雇われた者達が賞金欲しさに、誘拐された少年を見つけようと我先にと街中を捜索し始めたからだ。領主の妹の息子、金髪の見た目麗しいと噂の十二歳になる少年が帰宅途中に失踪した。その噂はあっという間に街に広がり、どう考えても怪しげな街の南地区、低所得者層の多い荒んだ地区に兵やら何やらがなだれ込んで来た。
―――ドタドタドタッ!
煩い足音と共に、多くの情報が集まる<ガラテイア亭>にも帯剣した兵が続々と現れ、従業員や客達に聞き込みをすると情報屋を持っていそうな輩を連れ去り、嵐のように去って行った。
領主の身内とあっては発見して保護すれば報奨金の額が見込めると、客が鼻息を荒くして店を出て行くのを眺めながらマスターがぽつりと呟いた。
「身代金が目的なのか?ったく、こっちは商売上がったりだぜ。こうも下っ端兵士共に来られちゃ売り上げが落ちる。さっさと捕まってくれりゃいい。ところで…おいカヤ、お前何か心当たりは無いのか?ペラペラお喋りなあいつが言ってたろ、報奨金出るって」
「ん?無いですよ。兵士に居座られるの嫌だったんじゃないんですか」
「なーに言ってやがる。俺だって金が欲しいんだよ。情報だけでも売ったら金になるだろ。それよりか、本当に何も知らないんだよな?」
「当り前じゃないですか。私が社交的じゃないの知ってるじゃないですか、マスター」
「社交的だと?あんだけ客を相手にしたり、あしらったりして、社交的じゃなきゃそこらで見つけようって息巻いて出てった野郎共は、チューチューうるせー鼠かよ」
カヤはマスターの例えがいまいち理解しがたかったので首を傾げた。
「はあ?私あんな怖い人達と話すの、すっごく怖いんですけど。いつもビビってるんですけど」
「どの口が言う、どの口が!」とマスターはカヤの頭をはたいた。
金属製のお盆の良い音が鈍く響いた。
「痛ーい。本当なのに…」と彼女が言うとマスターの手がまた頭に伸びた。「うー…ひどい」
「二発目を避けるんじゃねーよ!」
「はいはい。じゃなかった、避けますよ!マスターの武器はお盆じゃなくて、その明晰な頭と――」マスターの小鼻が少し膨らんだ。「…その口でしょうっ?」
「カヤ、お前も言うようになったじゃないか」
「冗談です。すみません!いじめないでください」
「給料減らすぞ、コラ」
「嘘ーん!止めてー。ごめんなさい、ごめんなさい」
「俺を敬え!おい、謝りながら口元がニヤけてるぞ」
「そんなはずございません。申し訳ございません」と真面目腐ってカヤが言う。
マスターは盛大にため息をついた。「まあ、確かに父親がお前を連れて来た時は、ほんっとに何も知らねえ、右も左もわからねぇ奴だったからな。氷を指差して――すごく綺麗!この綺麗な塊は何ですか?コップに入れてる意味はあるんですか?って聞いた時には、哀れに思ったぞ。隣にいたお前の親父も苦笑いして、あ、見た事無かったのか?それじゃあ、オースキン後はよろしくな。とかほざきやがる」
何処か遠くを見つめ始めたオースキンにカヤの顔が引きつり、今度はその言葉にカヤの目も遠くを見つめ始める。
「…そんな事もありましたかね」
「教育するために色々教えて店に出したはいいが、始終無言で笑うだけ…。キレた客に俺が殴られて。お前を狙って手を出した野郎に何故か俺が殴られた事もあったな…」
またもや、あれは哀れだったなとカヤは微妙な思い出を振り返る。
「殴られる前にお前なら止められただろうが。他には――」
「マスター、止めましょう。ね?次は全力で守りますから。ていうか、命助けた事もあったじゃないですか。…じゃあ、私オーダー受けてきまーす」
彼はそんなカヤを見てため息をつき、手近にあった空のグラスに酒を入れるとクイッと飲みほした。
「どっかあいつと似てるところもあるんだよな。しかしあれからずいぶん経つな…」とそこで何を年寄りくさい事をと彼は舌打ちした。「ああ、報奨金欲しー…」
マスターに感謝の念を送りながら、カヤは窓の外に視線を移動した。
店内の明かりに反射した窓ガラス越しには見えないが、おそらく夜空に満点の星が煌々と燃えながら、月の光の元少年を探す人間を照らしているのだろう。そして今日もまた見えない場所で人が死ぬのだろう。
空から剥がれ落ちた星が最後の輝きを散らしながら、闇の中を疾走していた。