彼と彼女のオーバードライブ
「お母さんに言われて用意してるだけなんだから、勘違いしないでよね!」
そんな言葉と共に、高崎 恭子は可愛らしい包みに入った弁当箱をズイと突き出した。
「わかった。勘違いはけしてしない」
久保 誠一郎はこれ以上なく実直に、厳めしささえ感じさせる真摯な表情でそれを受け取る。
「……この、鈍感」
俯きぽつりと呟かれた言葉に、誠一郎は軽く首を傾げた。
「今、何て言ったんだ?」
「何もいってない。じゃあ、渡したからね」
憮然として言い放ち、恭子はくるりと背を向けると己の教室へと戻る。
家も隣ならクラスも隣。それも、小学校から高校二年の11年間ずっとだ。
同じクラスになることもなければ、間に別のクラスを挟むこともない。
腐れ縁もここまで来ると呪いの域に感じられた。
弁当を手に自分の席へと戻る誠一郎を注目するものは、もはや殆どいなかった。
初めの一月、二月こそは色々とはやし立てられたものだったが、毎日繰り返されるやり取りに周囲が飽き、慣れきってしまうのには三ヶ月程で充分だった。
十月も半ばを過ぎた今となっては食傷を通り越して、毎日の予鈴と変わらぬ扱いである。
「悪い、待たせた」
「別に待ってないから良いけどさ」
そう返しながら、安藤 孝彦は言葉の通りにもぐもぐと購買で買ったパンを咀嚼した。
恭子ほどではないが、彼も中学以来5年間同じクラスというなかなかの腐れ縁だ。
交友範囲の狭い誠一郎にとって、殆ど唯一と言っていい親友と呼べる存在だった。
「高崎ちゃんも一緒に食べればいいのに」
「向こうは友達が多いから。
それにただ、あいつは響さんが作ってくれた弁当を運んできてるだけだしな」
響さん、というのは恭子の母である。
母親同士が親友であったこともあってか、昔から何かと世話を焼いてくれる。
母親を幼い頃に亡くした誠一郎にとっては母親同然の存在だった。
「……でもそれ、高崎ちゃんの手作りだろ?」
「半分くらいはな。料理の練習をしてるんだと」
駄目だこの男。孝彦は内心、頭を抱えた。
「半分って、ここからこっちの事じゃないの?」
孝弘は弁当の中程から、おかずのある方へと指を示した。
可愛らしい包みとは対照的に大きめの無骨な弁当箱のもう半分には、ぎっしりと白米が詰まっている。
「いや、今日はこの卵焼きとサラダだな。唐揚げは響さんだ」
あいつは揚げ物苦手だから。
そんなことを言いつつ唐揚げを口の中に頬張る。
「どっちにしろさ。
単なる幼なじみが、毎日毎日弁当を手ずから作って持ってきたりなんかしないって。
いい加減、お前恭子ちゃんの気持ちに気づいてやれよ」
孝弘が切々とそう訴えかけると、誠一郎は理解できないものを見る目で彼を見つめた。
「何を言ってるんだ。
あいつわざわざ毎回、勘違いをするなと念を押していくだろ?」
「お前が何言ってんだ」
本当に駄目だこいつ。孝弘は今度こそ、実際に頭を抱えた。
しかし、と誠一郎は思う。確かに彼の言うとおり、恭子の行動は少し変だ。
一体どういう理由なのだろうか。
千夏姉ちゃんがいてくれたら、相談できたかも知れないのに。
誠一郎はふと、そんなことを思った。
「誠一郎ー」
「ん」
一日の授業から解放され、銘々に帰り支度を始める学生達の喧騒の中、恭子が教室に顔を覗かせる。
誠一郎はいつものように空になった弁当箱を指先に引っ提げ、彼女のもとへと向かう。
「……どうだった?」
「うまかった。ありがとな」
「いっつも、それしか言わないじゃない」
「実際旨いんだから仕方ないだろ」
誠一郎がそう答えると、恭子は上目遣いで彼を見つめた。
何でそう睨みつけるんだろう。
誠一郎は心中でため息をつく。
彼が恭子をほめたり手助けしたりすると、彼女は決まって怒ったように顔を赤く染めて睨みつけてくるのだ。
じっと睨む恭子に対し、誠一郎はどうしたものかと悩む。
結果として二人は見つめあったままその場に立ち尽くすという妙な状態が出来上がった。
「ねえ、ちょっと久保借りて良い?」
それを横から打ち破ったのは、誠一郎のクラスメート。立川 沙耶だった。
「借りるも何も別に、私のものじゃないですし」
「そ、ありがと。
今度の文化祭なんだけど、久保って料理とか出来る?」
そっけなく返す恭子を気にした様子もなく、沙耶は誠一郎に向き直って尋ねる。
「無理だ」
「だよね。じゃあ、事前の準備とか飾り付けとかお願いね。
……一応聞くけど、ウェイターとか」
「無理だ」
「だよねー」
納得したようにうんうんと頷き、沙耶は「ありがと」と言い置いてその場を素早く後にした。
「あー……今度の文化祭、うちは喫茶店をやるらしい」
じっと見つめる恭子に、誠一郎はなんとなくそう説明する。
恭子は答えず、何か考え込むかのように押し黙る。
「……ねえ。
立川さんの事、あんたどう思うの?」
「どうって?」
「その……好きとか、嫌いとか」
「別に好きじゃない」
「え?」
きっぱりと答える誠一郎に、恭子は思わず目を見開いた。
「いや、友人としては好きだが。
異性として、って意味だろ?」
「うん、まあ、そう、だけど」
「じゃあ別に恋愛感情はない。
そもそもあいつ彼氏いるし」
「あ、そうなんだ」
ほう、と息をついて、恭子は胸を撫で下ろす。
「……良かった」
そう、ぽつりと言い残し。去っていく恭子に、誠一郎はひたすら首を傾げるのだった。
「……よし」
切り取られたボール紙を目の前に、誠一郎は息をついた。
黙々と文化祭の準備をしているうちに周囲の級友達は一人減り二人減り、気づけば日はとっぷりと暮れて誠一郎一人だけになっていた。
生来愛想というものに置き去りにされ、美的センスというものが皆無の誠一郎である。
力仕事や単純作業くらいしか貢献できないからと、彼なりに懸命に作業をした結果がこれであった。
「誠一郎……ちょっと、良いかな」
と、そこに恭子が顔を出す。
「まだ残ってたのか。どうした?」
「……屋上まで、きてくれる?」
妙な態度の恭子に首をかしげつつ、誠一郎は言われるがままに彼女について屋上へと向かう。
途中、うっかり段ボールを切るために使っていたカッターナイフを持って来てしまった事に気付くが、まあいいか、と彼はそれを制服のポケットに仕舞い込んだ。
階段をのぼり、屋上へのドアを開ける。
空を見上げ、恭子はぽつりと言った。
「……綺麗だね」
「そうか?」
誠一郎は首をかしげた。
曇天というほどではないものの月は雲にかげって見えないし、星も元々この辺りではさほど見えない。
満天の星空、というには程遠かった。
「そうなの!」
叫ぶように言い返した後、恭子ははっとして再びしおらしい態度を作り上げた。
「その……誠一郎」
もじもじと胸元で指を突き合わせながら、彼女は誠一郎に向かい合う。
「私……あのね。今更、私とあんたの間で……
こんなこと言うの、って思うかも、しれないん、だけど」
俯く彼女の表情は、誠一郎からは見えない。
彼はただ、幼馴染の言葉を待った。
「私……あんたの、事が」
恭子が顔を上げ、誠一郎の目を見る。同時に、恭子の手の中にあったものが見えた。
それは丸い、取っ手のない小さな手鏡。
「だいっきらいなの。殺してやりたい」
隠し切れなくなった殺意と憎悪が、誠一郎を捉えた。
凄まじい衝撃に誠一郎はよろけ、がしゃんと音を立てて屋上を囲うフェンスに背をぶつける。
衝撃というのは、精神的な比喩表現ではない。
ハンマーで思い切り殴られたかのような衝撃が全身を震わせる。
胃の奥から込み上げる迸りに逆らわず吐き出せば、吐瀉物に交じって赤い血が地面を汚した。
「……やっぱり即死しないか、この朴念仁」
秋の終わりを告げる風よりも冷たい声音で、恭子はそう呟いた。
止血しなければ。
まず、誠一郎は、そう思った。ダメージは恐ろしく大きい。
許されるなら、目の前の汚物に塗れた地面にだって喜んで寝転がりたいところだった。
だが、手に鏡を持ってこちらを見下ろす恭子が、それを許すはずもない。
「恭子……なんで」
「そんなの、決まってるじゃない」
すぅと恭子の目が細く引き絞られる。
「あんたが、姉さんを……千夏姉を、殺したから」
誠一郎は、目を見開いた。
「違う……それは、誤解、だ」
「誤解? あんたは千夏姉を殺してないっていうの?」
「……結果として俺が死なせたのは、確かだ」
悩んだ末に、誠一郎はそう答えた。
その言葉に、恭子はかえって僅かに態度を軟化させる。
「事情があるなら、言ってみなさい。聞くだけは聞いたげる」
「ああ。あの時……」
しかし、話し始めた誠一郎の顎を恭子は思い切り蹴り上げた。
格闘技の心得どころか、運動神経自体さほど良いとは言えない恭子の蹴りだ。
その威力そのものは大したことはない。
しかし、先ほどの『告白』と同じ種類の衝撃が同時に誠一郎を襲い、彼は地面を転がった。
「っていうのは、嘘。……誰が聞いてやるものか」
「勘違い……だ……」
「まだいうの? 姉さんを殺したのは強盗の仕業って事になってるけど、私は見たの!
あんたが……! 倒れてる姉さんに、包丁を突き刺すところをッ!
何が勘違いだっていうのよ!」
「お前の、能力が……だ。
『勘違いさせた相手にダメージを与える』。そう、だろ……?」
息も絶え絶えに、声を絞り出す誠一郎。恭子は少し意外そうに眼を見開いた。
「ふうん。良く気付いたね。
その通りよ。私は、この『鏡』に映したものに精神的なショックを与える事で、
肉体的なダメージを与えられる。
まあ、それがわかった所であんたにはどうしようも……」
「そうでも、ない」
誠一郎はポケットからカッターナイフを取り出し、振るった。
小さく薄い刃は頼りなかったが、それでも彼の能力を使うのに不都合はない。
「えっ……」
一瞬にして誠一郎は恭子の目の前に移動すると、彼女の手の中から鏡を奪った。
強引に浚った手鏡は、誠一郎の手の中からもこぼれて地面に落ち、割れる。
「『具術師』。俺達は、自分達を、そう呼ぶ。
お前は他の具術師には会った事がないようだな。
共通するのは……道具を媒介として能力を使う事。
使える道具の種類は一人一つ。
必要な道具を持っていなければ……ただの人と変わりない、事」
「あんたはカッター……いや、『刃物』の具術師、ってわけね」
誠一郎の握るカッターナイフを睨み付け、恭子は忌々しげに吐き捨てた。
「その能力で、あんたは姉さんを殺したってわけ……!」
「違う。俺は……」
恭子は誠一郎の言葉を待たず、ブレザーのボタンを外して開いて見せた。
「鏡を壊して、私が能力をもう使えない。
そう、『勘違い』してんでしょ?」
その裏地には、びっしりと縫い付けられた、無数の鏡。
「これで、とどめよ!」
まるで三面鏡の様に、恭子は鏡を誠一郎に向ける。
そのすべてに力を使えば、誠一郎の受けるダメージは鏡の数だけ倍になる。
確実に死ぬ。
その恐怖が心の受ける衝撃を倍増させ、なおさら誠一郎の死を確実なものにするのだ。
「……具術師が能力を使うには、もう一つ、制約がある」
しかし。誠一郎は揺るぎもせずに、ゆっくりと立ち上がった。
「能力があるといっても、道具はあくまで道具だ。
使わなければ、使えない。持っているだけでは駄目なんだ」
「なんで!? なんで、死なないの……!?」
恭子は錯乱し、衣服に付けた鏡を覗き込む。
「馬鹿、やめろ!」
誠一郎の制止も間に合わず、恭子は鏡に映った己の顔を見た。
瞬間、まるで体内で爆弾が爆発したかのような衝撃が彼女の中ではぜる。
臓腑を焼く苦しみに、恭子はたまらず膝を突き地面を転げまわった。
身体をくの字に曲げ痛みに耐える彼女を、誠一郎はカッターを手に見下ろす。
そしてその刃を長く伸ばすと、恭子に向かって一気に振り下ろした。
ぷつりという音と共に、恭子は切り刻まれる。
「……どうだ?」
「何……した、の」
顔を覗き込んでくる誠一郎に、恭子は忌々しげに何とかそう尋ねた。
何をしたのかはわからないが、痛みがだいぶ引いている。
「『出血』と……あとは少し『痛み』を『斬った』。
傷が治ったわけじゃないから、出来れば病院に行った方がいい」
そろりと体を動かしてみれば、鈍く痛みが走る。
誠一郎の言っている事が本当なら、実際はまだのた打ち回るほどの痛みがあるのだろう。
「これが俺の能力。媒介は『刃』。効果は……『斬れないものを何でも斬る』事。
さっきは鏡に向かう『光』を斬って、俺の像を映らなくした」
その代わり、刃で斬れるようなものは全く斬れないんだけどな、と誠一郎は付け足す。
誠一郎の能力が刃物を振り回さなければ斬れないように、恭子の能力もまた、鏡に相手を映さなければ効果を発揮しない。
そして、能力を発動中に映してしまえば敵も味方も、自分自身だろうとお構いなしだ。
道具に善悪や敵味方という概念はないのだから。
「……千夏姉ちゃんも。こうやって、助けようとした。
でも俺も未熟だったし、止血も間に合わなかった。
俺が自分の能力をきちんと理解してれば、死なせずに済んだかもしれない」
だからある意味で、俺が殺したというのも事実だ。誠一郎はそう呟く。
「……それを、信じられると思う?」
恭子の問いに、誠一郎は「どうだろうな」と答えた。
「信じられないなら構わない。
俺を殺しても、いい」
誠一郎はカッターナイフを捨て、恭子の瞳をじっと見つめた。
「……そこまで言うならとりあえずは信じる」
ゆっくりと体を起こし、恭子は立ち上がる。
「ん。じゃあ、病院行くぞ」
「ねえ、せーちゃん」
懐かしい呼び名に、誠一郎は振り向く。
すると、恭子は笑顔で鏡を誠一郎に向けていた。
「やっぱり、死んでよ」
鏡に映る己の顔をじっと見つめ、誠一郎は息をつく。
「お断りだ」
そして軽く恭子を小突き、誠一郎はもう一度彼女に背を向けた。
「……ダメージなし、かあ」
それはすなわち、恭子の殺意に対して何の動揺もなかったという事。
言い換えれば、「信じられないなら殺せばいい」という言葉が、嘘でも何でもない事を示していた。
「大体お前は昔っから思い込みだけで行動しすぎるんだ」
「あんたが紛らわしいマネするのが悪いんでしょ!?」
叫んだ拍子によろける恭子の体を、誠一郎は支えてやる。
元々の体力の差はあれど、それだけの力を残している彼に恭子は不満げに唇を尖らせた。
「大体、あたしが必死でモーションかける振りしてんのに、
大してダメージも受けないし……」
「それはどっちかというと納得した。
なんで俺の事を好きでも何でも無いくせに思わせぶりな事を言うのか、
ずっと不思議だったからな」
さらりと言ってのける誠一郎に、恭子は気まずげに顔を歪める。
「……鈍感で気づいてないんじゃなくて、バレバレ、だったの?」
「当たり前だ」
はあ、と誠一郎はため息をつく。
「好きな奴の言葉を聞き逃すわけないだろ」
口の中で小さく呟く言葉は、聞き返されることすらなく溶けて消えた。