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自伝小説 氷点下のアンビエント Part4

作者: だぶのー
掲載日:2026/05/27

一話完結の短編になります。

三十二歳だった。


職業は会社員。

趣味は作曲。

特技はパチスロで負けた理由を理論的に説明することだった。


毎日、仕事が終わるとスロット屋へ行った。

家に帰ると負けた金額をExcelに入力した。

グラフにすると、人生がゆるやかに終わっていく感じがして面白かった。


その頃、私は「音楽で一発当てたい」と思っていた。


別に武道館とかではない。


中古のクラウンに乗り、イオンの立体駐車場で少し優越感を持てる程度でよかった。


ある晩、ネットサーフィンをしていて、高速で五十分ほど離れた町の音楽制作会社を見つけた。


会社、といっても小さい。


男二人でやっているらしかった。


ホームページは妙におしゃれだった。

白背景。モノクロ写真。細い英字フォント。


「絶対スタバ好きだろ」


と思った。


デモ曲を聴いた。


そして、少し吐きそうになった。


上手かったからだ。


悔しいとかではない。


もっと嫌な感じだった。


自分が何年もかけて積み上げたものを、他人が軽々飛び越えていく瞬間を見ると、人間の胃は冷える。


私は焼酎を飲みながら、そのホームページを三時間くらい見ていた。


そして電話した。


「はい」


出た男は、落ち着いた声だった。


感じがいい。


感じのいい男というのは、基本的に信用できない。


話しているうちに、私の作った曲をリミックスしてもらう流れになった。


週末、駅前の和風ファミレスで会うことになった。


翌日。


私は会社を仮病で休み、朝からスロットを打っていた。


創作には余白が必要だからだ。


私はそういう言い訳を百種類くらい持っていた。


三千円でラッシュに入った。


止まらなかった。


メダルは増殖した。


島全体が少しざわついた。


隣のジジイが途中から露骨に台を覗いてきた。


私は心の中で、


見ろ。

これが才能だ。


と思った。


もちろん才能ではない。


ただのヒキだった。


換金すると十五万円くらいになった。


私は急に世界の上澄みに触れた気がした。


財布が分厚いだけで、人間は少しだけ人格が変わる。


帰り際、店員が言った。


「すごい出ましたね。どちらから来られたんですか?」


私はなぜか、


「松本です」


と答えた。


別に松本ではなかった。


店員は少し黙った。


私は勝った気分になった。


何に勝ったのかは、わからなかった。


多分、人生全体に対してだった。


週末。


ファミレスには男が二人いた。


二人とも痩せていて、目の下にクマがあった。


音楽をやる男特有の、「風呂より機材を優先してます」という顔だった。


会話は穏やかだった。


社会人同士の、適度に礼儀正しい会話。


それが少し腹立たしかった。


私は常に、自分だけが人生に苦しんでいると思っていた。


「一曲二万円でどうでしょう」


と片方が言った。


普通の金額なのだろう。


だが私は十五万円勝った直後だった。


脳の金銭感覚が焼き切れていた。


「じゃあ十曲お願いします」


と言うと、二人は一瞬だけ沈黙した。


私は思った。


来たな。


俺の才能に気づいたな。


たぶん違った。


単純に「こいつ大丈夫か」と思っただけだ。


だがその頃の私は、自意識がガス漏れみたいに部屋中へ充満していた。


著作者名は私になる。


そこが重要だった。


彼らを使って、自分の曲を“本物”へ進化させる。


あくまで、私の曲として。


私は慎重に話した。


笑顔で。


常識人のふりをしながら。


でも心の中では、かなり危険だった。


二か月後。


彼らは私のアパートへ来た。


古い木造だった。


夏になると廊下がドブみたいな匂いになった。


リミックスを聴いた。


私は絶句した。


凄まじかった。


自分の曲なのに、自分が一番驚いていた。


彼らは、私の曲の“なりたかった姿”を勝手に完成させていた。


その瞬間、嬉しさと同時に、強烈な嫉妬が来た。


胃の奥に冷たい釘を打たれるみたいだった。


「いやぁ、すごいですね」


私は必要以上に褒めた。


もちろん営業だった。


この後に来る“著作権の話”を有利に進めるためである。


案の定、男が言った。


「著作権なんですけど……」


来た。


私は誠実そうな顔を作った。


会社でよく使う顔だった。


「五十・五十でどうでしょう」


私は笑顔で答えた。


「わかりました」


しかし心の中では、ほぼ暴動だった。


はぁ?


十五万払ったの俺なんだけど。


元は俺の曲なんだけど。


お前ら、ちょっと神がかった仕事しただけじゃん。


泥棒か。


だが冷静に考えると、泥棒に近かったのは私の方だった。


私は、彼らの才能を買おうとしていた。


しかも格安で。


さらに、その成果を全部「自分の才能」ということにしたかった。


人間は時々、金を払うと神になった気分になる。


でも実際には、金で買えるのは作業だけだ。


才能そのものではない。


彼らが帰ったあと、私は一人でヘッドホンをつけ、何度も曲を聴いた。


悔しかった。


羨ましかった。


認めたくなかった。


でも、あまりにも格好良かった。


私は焼酎を飲んだ。


止めたはずのタバコも吸った。


夜中の三時、窓に映る自分の顔を見た。


小さかった。


驚くほど小物の顔だった。


私は突然、少しだけ笑った。


結局、人間というのは、自分の夢を叶えたいんじゃない。


「夢を叶える才能が自分にある」と証明したいだけなのだ。


だから他人の才能を見ると、こんなにも醜くなる。

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