自伝小説 氷点下のアンビエント Part4
一話完結の短編になります。
三十二歳だった。
職業は会社員。
趣味は作曲。
特技はパチスロで負けた理由を理論的に説明することだった。
毎日、仕事が終わるとスロット屋へ行った。
家に帰ると負けた金額をExcelに入力した。
グラフにすると、人生がゆるやかに終わっていく感じがして面白かった。
その頃、私は「音楽で一発当てたい」と思っていた。
別に武道館とかではない。
中古のクラウンに乗り、イオンの立体駐車場で少し優越感を持てる程度でよかった。
ある晩、ネットサーフィンをしていて、高速で五十分ほど離れた町の音楽制作会社を見つけた。
会社、といっても小さい。
男二人でやっているらしかった。
ホームページは妙におしゃれだった。
白背景。モノクロ写真。細い英字フォント。
「絶対スタバ好きだろ」
と思った。
デモ曲を聴いた。
そして、少し吐きそうになった。
上手かったからだ。
悔しいとかではない。
もっと嫌な感じだった。
自分が何年もかけて積み上げたものを、他人が軽々飛び越えていく瞬間を見ると、人間の胃は冷える。
私は焼酎を飲みながら、そのホームページを三時間くらい見ていた。
そして電話した。
「はい」
出た男は、落ち着いた声だった。
感じがいい。
感じのいい男というのは、基本的に信用できない。
話しているうちに、私の作った曲をリミックスしてもらう流れになった。
週末、駅前の和風ファミレスで会うことになった。
翌日。
私は会社を仮病で休み、朝からスロットを打っていた。
創作には余白が必要だからだ。
私はそういう言い訳を百種類くらい持っていた。
三千円でラッシュに入った。
止まらなかった。
メダルは増殖した。
島全体が少しざわついた。
隣のジジイが途中から露骨に台を覗いてきた。
私は心の中で、
見ろ。
これが才能だ。
と思った。
もちろん才能ではない。
ただのヒキだった。
換金すると十五万円くらいになった。
私は急に世界の上澄みに触れた気がした。
財布が分厚いだけで、人間は少しだけ人格が変わる。
帰り際、店員が言った。
「すごい出ましたね。どちらから来られたんですか?」
私はなぜか、
「松本です」
と答えた。
別に松本ではなかった。
店員は少し黙った。
私は勝った気分になった。
何に勝ったのかは、わからなかった。
多分、人生全体に対してだった。
週末。
ファミレスには男が二人いた。
二人とも痩せていて、目の下にクマがあった。
音楽をやる男特有の、「風呂より機材を優先してます」という顔だった。
会話は穏やかだった。
社会人同士の、適度に礼儀正しい会話。
それが少し腹立たしかった。
私は常に、自分だけが人生に苦しんでいると思っていた。
「一曲二万円でどうでしょう」
と片方が言った。
普通の金額なのだろう。
だが私は十五万円勝った直後だった。
脳の金銭感覚が焼き切れていた。
「じゃあ十曲お願いします」
と言うと、二人は一瞬だけ沈黙した。
私は思った。
来たな。
俺の才能に気づいたな。
たぶん違った。
単純に「こいつ大丈夫か」と思っただけだ。
だがその頃の私は、自意識がガス漏れみたいに部屋中へ充満していた。
著作者名は私になる。
そこが重要だった。
彼らを使って、自分の曲を“本物”へ進化させる。
あくまで、私の曲として。
私は慎重に話した。
笑顔で。
常識人のふりをしながら。
でも心の中では、かなり危険だった。
二か月後。
彼らは私のアパートへ来た。
古い木造だった。
夏になると廊下がドブみたいな匂いになった。
リミックスを聴いた。
私は絶句した。
凄まじかった。
自分の曲なのに、自分が一番驚いていた。
彼らは、私の曲の“なりたかった姿”を勝手に完成させていた。
その瞬間、嬉しさと同時に、強烈な嫉妬が来た。
胃の奥に冷たい釘を打たれるみたいだった。
「いやぁ、すごいですね」
私は必要以上に褒めた。
もちろん営業だった。
この後に来る“著作権の話”を有利に進めるためである。
案の定、男が言った。
「著作権なんですけど……」
来た。
私は誠実そうな顔を作った。
会社でよく使う顔だった。
「五十・五十でどうでしょう」
私は笑顔で答えた。
「わかりました」
しかし心の中では、ほぼ暴動だった。
はぁ?
十五万払ったの俺なんだけど。
元は俺の曲なんだけど。
お前ら、ちょっと神がかった仕事しただけじゃん。
泥棒か。
だが冷静に考えると、泥棒に近かったのは私の方だった。
私は、彼らの才能を買おうとしていた。
しかも格安で。
さらに、その成果を全部「自分の才能」ということにしたかった。
人間は時々、金を払うと神になった気分になる。
でも実際には、金で買えるのは作業だけだ。
才能そのものではない。
彼らが帰ったあと、私は一人でヘッドホンをつけ、何度も曲を聴いた。
悔しかった。
羨ましかった。
認めたくなかった。
でも、あまりにも格好良かった。
私は焼酎を飲んだ。
止めたはずのタバコも吸った。
夜中の三時、窓に映る自分の顔を見た。
小さかった。
驚くほど小物の顔だった。
私は突然、少しだけ笑った。
結局、人間というのは、自分の夢を叶えたいんじゃない。
「夢を叶える才能が自分にある」と証明したいだけなのだ。
だから他人の才能を見ると、こんなにも醜くなる。




