ガチンコ対決!?
ミコトは作業着姿のまま、非常識にもパチンコ店の正面から堂々と店内に入って行った。
パチンコ店「ニューバード」は、先日飯田と共に訪れた、丹羽鳥彦店長のいる店である。
ミコトはカウンターにいる綺麗なお姉さんに、店長を呼んでくれるよう、頼んだ。
「やあ、篠原さん。今日はどういったご用件で?」
丹羽店長は、濃紺のスーツをかっこよく着こんで、人好きのする笑みを向けた。
ふと、こんな事を丹羽さんに話してもいいのだろうか? とためらいを見せ、ミコトは一瞬口ごもった。
「どうされました? 篠原さん。遊びに来てくださったわけでは無さそうですね」
作業着姿のミコトに向かってそう言うと、丹羽店長は店の奥にあるスタッフ専用ドアを示して、ついて来るように促した。
事務所になっているその部屋に入ってドアを閉めると、耳鳴りがしそうなほどだった騒音が、嘘のように静かになった。接客用のソファをミコトに勧めると、丹羽店長は部屋の隅にある冷蔵庫から缶コーヒーを二本取り出して、一本をミコトに手渡した。
「あ、すみません……オレ」
何から話してよいのか、まとまらない頭の中を整理するように、ミコトは冷たい缶コーヒーのプルタブをあけて、一口飲んだ。
「このあいだのお友達はお元気ですか?」丹羽店長はニコニコと愛想よく笑って言った。
ミコトは目を上げると、唐突に尋ねた。
「あの、今この瞬間、お店の電気がストップしてしまったら、どうなりますか?」
「え?」丹羽はキョトンとした表情で、ミコトを見詰めた。
帝都電力の料金課フロアは、緊迫した空気に包まれていた。
覚悟を決めたらしい坂井課長は、普段は戸棚にしまったままになっているヘルメットを取り出すと、汗で湿った頭に被った。
「じゃあ飯田くんと岩佐くんは私と一緒に先に現場へ行こう。島くんと副長は配電の作業員たちと同行してください」
ふう、とため息をつき、それでもまだ諦めが悪い様子で坂井が岩佐に小声で尋ねる。
「け、警察の人は本当に来るんだよね。大丈夫かなあ」
「さっき確認しましたよ。現地に直接来るそうです」岩佐が答えると、坂井は再び落ちつかなげにささやく。
「こちらから迎えに行って、一緒に行ったらどうだろう? なあ、岩佐くん」
「課長、まだ何をされたわけでもないですし。あくまでもパトロールという形の任意同行ですから、あまりしつこくも言えませんよ」
「でも……」往生際の悪い坂井に、飯田がニヤリとして言った。
「それより早く行かないと、五時を回ったら、パチンコ屋の客が増えて、面倒な事になっちゃいますよ」
坂井の顔がサアーッと蒼ざめた。坂井は「早くしろ」と飯田と岩佐に手で合図をし、ギクシャクとした動きでフロアを出て行った。
坂井がフロアを出て行くと、見計らったように露崎が飯田に声をかけた。
「取り込み中悪いんだけど、飯田くん、携帯かけるかもしれないから、スイッチ切らないでね」
「え? ああ、いつも電源入れてますけど……何か?」飯田が長い前髪をかき上げながら問い返すと、露崎は彼の耳元に赤い唇を寄せてささやいた。
「篠原くんが何やら思いついたらしくて、さっきどこかに出かけて行ったのよ」
飯田は一瞬しかめっ面をしたが、無言で頷くと岩佐を追いかけてフロアを出て行った。
「……そうだったんですか。グランドホールさんが滞納……」
パチンコ店ニューバードの店長、丹羽鳥彦は細面の顔に渋い表情を作った。ミコトは頷くと言った。
「当社の措置は、電力供給約款(経済産業省の認可のある規則集のこと)に則ったものだから問題はないんですが、それでも万が一、パチンコのお客さんに対して補償しろと言われたら、どの程度が妥当なのでしょうか?」
丹羽店長は考え込むと言った。
「機械の故障なんかのときは、この間篠原さんに差し上げたドル箱チケットで対応したりしますね。でも、店全体のお客様にそれをするとなると、大変な損害です」
「そうですか……」ミコトは頭を下げると、丹羽店長にお礼を言って退室しようとした。
「あの、篠原さん、電気止めるのって、いつですか?」
ミコトは他人に言っても良いものかと少々考えたが、ここまで話してしまったら同じ事だと思いなおした。
「今日、これからです。ひょっとしたらもう切ってしまったかもしれません」
丹羽は何やら考え込んでいたが、ニッコリ笑うと言った。
「グランドホールさんがどんな対応をするのか興味がありますし、もしかしたらお力になれるかもしれません。一緒に連れて行ってくださいますか?」
「え?」キョトンとするミコトの前で、丹羽はスーツの上着を脱ぐと、一般人のようなスポーツメーカーのジャンパーを羽織った。
「さあ、篠原さん、行きましょう」
丹羽店長に背中を押され、ミコトはタクミ商会のパチンコ店に向かった。
タクミ商会の経営するパチンコ店「グランドホール」は、国道沿いにあり、大規模な立体駐車場を持っている。遠方から車で来るお客を掴んで、換金レートが低い割には意外にも繁盛しているようだった。
帝都電力のロゴ入りの軽自動車を運転する飯田に向かって助手席の岩佐が訊ねた。
「事務所に女社長は居なかったんだよね? とすると店に居るってことか」
「たぶんね。女社長の右腕みたいな、田村っていうおっかないオッサンも居なかったから、手ぐすね引いて待ってんじゃねぇの?」
飯田の答えに、後部座席の坂井がゴクリと唾を飲み込んだ。
間もなく道路の左手にグランドホールの看板が見えてきた。飯田はウィンカーを出すと、パーキングの表示にしたがって立体駐車場に車を乗り入れた。
「け、警察の人は?」車を降りるなり、キョロキョロと辺りを見回す坂井課長に、飯田は苦笑しつつ言った。
「まだみたいですね。ひょっとしたら女社長の機嫌が良くて、今 支払ってくれるかもしれないから、事務所のほうに行ってみましょう」
店の裏にある事務所の扉に向かって歩き始めた飯田と岩佐の背中に隠れるようにして、新品のヘルメットと感電防止作業靴で武装をした坂井がちょこちょことついて行く。立体駐車場を横目で見ながら、岩佐が言った。
「けっこう車入ってるね。こりゃ大変だ」
飯田は笑っただけだったが、二人の後ろを歩く坂井は蒼ざめた顔で何も聞きたくない、と言うようにかぶりを振った。大きめのヘルメットがぐらぐらと揺れた。
事務所のドアをたたき、返事を待たずに引き開けると、思ったとおり田村と呼ばれた怖い顔のオッサンが顔を出した。飯田の顔を見た途端、まさか本当に来るとは思っていなかった様子で、田村は大きく目を見開いた。凄んでいるときには気付かなかったが、案外目がクリクリしていて可愛いじゃないか、などと、飯田は関係の無い事を考えていた。
「予定通り止めに来たぜ。社長さん、居る?」
飯田が本来使うはずも無い腰道具をチラつかせながら不敵に笑うと、田村は「待ってろ」とドスの利いた声で言い捨てて、奥へ引っ込んだ。
三人は事務所の入り口付近に緊張しながら突っ立っていた。すると、今彼らが入ってきた背後のドアから、女社長が姿を現した。光沢のある黒のタイトなワンピースを着ている。まだ五月だと言うのに胸元が信じられないくらいに開いているデザインだ。坂井の目は女社長の胸元から離れなくなってしまったようだった。彼女の後ろから、茶髪の若い美青年が付き従い、後ろ手にドアを閉めた。カチャッとカギが掛かった音がして、ようやく坂井の視線が女社長の胸元から逸れた。
「ど、どうして、カギを?」慌てる坂井を無視して、女社長は飯田の顔を見据えた。
「ホントに来ちゃったんだ。ふふふ……」
女社長は妖艶に笑うと、飯田の唇に人差し指で軽く触れた。なにやら妖しい雰囲気に、岩佐と坂井が一歩後ずさる。
飯田は無表情のままで言った。
「小切手が不渡りになったぞ。今、現金で支払ってくれるなら、間に合うが……。ダメなら止まるぜ、電力が」
「そんなことはさせないわ。ここから出れなきゃ、作業も出来ないでしょう?」
女社長は、飯田の腰道具にチラリと目をやると言った。
その時、坂井の携帯が鳴った。田村がギロリと睨みを利かせる中、坂井はおどおどと電話に出た。事務所内の全員の目が坂井に集中する。
「はい、はい……ちょっと待ってください。今、確認します」
そう言うと、坂井は飯田の背中をつついて言った。
「で? 支払いは……?」
飯田がニヤリとする。不穏な気配を感じたのか、女社長の顔が険しくなった。
「課長、どうやら払ってくれないらしいですよ。外に居る作業グループの方にそう伝えてください」
飯田がしゃべり終わるか終わらないかのうちに、女社長がわめきだした。
「ちょっと! 作業グループってなによ! あんたが止めるんじゃないの?」女社長は坂井の手の中の携帯を奪い、床にたたきつけると飯田に向かって叫んだ。
「冗談じゃないわ。営業妨害よ! 田村、メンバーを全員呼びなさい!」
そのとき、フッと事務所の電気が消えた。
ミコトと丹羽がパチンコ店グランドホールに到着したときには、店内は修羅場と化していた。店の駐車場にはパトカーが三台と帝都電力の高所作業車、そして作業用トラックが二台、さらに軽自動車数台がズラリと並んでいる。
ミコトは眉をひそめた。たかが停止作業に、いったいこの物々しさは何だ?
丹羽がミコトの肩をつついて促すと、店内へ入って行った。普段はパチンコの電子音が溢れている店内は、罵声と怒号の渦に包まれていた。
「どうしてくれんだよっ! 三万突っ込んで、やっと確変来たってのに!」怖そうな親父が店員に掴みかかっている。
「このまま帰れって、いったいどういう事? 納得できないわ!」おばさん連中も、目を三角にしてわめいていた。あまりの喧騒に、ミコトは眩暈がした。帝都電力の社員たちはどこだろう? 辺りを見回すと、店の奥の事務所から女社長のわめく声が聴こえてきた。
「こんな事して、タダで済むと思ってんの! 損失分の補償金を、必ず払ってもらうわよっ!」
女社長は、事務所内に居た飯田たちを、物凄い形相で睨みつけると、言葉にならないわめき声をあげながら、彼らを店の外へと追い出し始めた。ミコトが飯田たちに混じって店から押し出される中、丹羽店長の良く通る大声が聞こえた。
「ひどい店だなあ、電気代滞納して止められちゃったらしいよ! 今日はもう閉店するしかないみたいだ。こんな店二度と来ないぞ!」
「ええ? 本当かそれは」近くにいたオヤジが丹羽の声に反応して言った。
「だって、外に出てみなよ。電力さんの車がたくさん来てるよ」丹羽は大声を張り上げた。
店の中がどよめく。
さらに丹羽は楽しげに怒鳴った。
「いつ電気が止まっちゃうかわからない店なんかより、違う店に行ったほうがいいなあ!」
女社長が懸命に取り繕おうとする間もなく、店内の客たちが騒ぎ始めた。
「金返せ! ドル箱チケットなんかではごまかされないぞ。また電気切れたらどうするんだよ! 現金をよこせ」
詰め寄るお客の波にもみくちゃにされる女社長やタクミ商会メンバーたちを尻目に、煽るだけ煽ると、丹羽はしれっとして店から出て行った。ミコトはあっけにとられて、丹羽の背中を追いかけた。
「丹羽さん!」
丹羽店長はミコトを振り返ってニッコリ笑った。
「商売敵を蹴落とすチャンスをくださって、ありがとうございます。これでうちのお客も増えるでしょう」
「は、はあ……」目をパチクリさせるミコトに、丹羽は真顔になって言った。
「篠原さん、もしもタクミ商会が、今後補償金だなんだって言ってきたら、ひと声かけてください。我々の商売にはそれなりのルールがあります。あなたの為なら、きっとお役にたてると思いますから」
失礼します、と言って丹羽は帰って行った。
首をかしげて丹羽の背中を見送るミコトに、背後から飯田が声をかけてきた。
「いい人脈、掴んだじゃねえか。あの人誰だか知らねぇだろ、おまえ」
怪訝そうに振り返ったミコトに、飯田が耳元でささやいた。
「ええええええ!」
ミコトは飯田の言葉に悲鳴に近い声を上げた。
「ヤ……ヤクザの若親分?」
暴力団とヤクザの違いも良くわからないミコトは、すくみ上がった。
「あ、あんな爽やかな人が……若親分? ……てゆうかヤクザって何なの?」
はあはあと胸を喘がせるミコトを、飯田は面白そうに見詰めて言った。
「怖がる事はない。丹羽さんの所は昔ながらのまっとうなヤクザだ」
「ま……まっとうなって……ヤクザにそんなのあるんですか!」
涙目でふるふると首を振るミコトの、ネコッ毛頭をポンと叩いて飯田が言った。
「オレが以前取立て屋をしていたオレンジファイナンスも丹羽さんとこの会社だ。家系は代々ヤクザだが、あの人は裏表の無い堅実な青年実業家なんだ。まあ、オレが居たときは親父さんが仕切っていたけどな」
微笑む飯田を虚ろな目で見返して、ミコトは今にも笑いだしそうな膝にぐっと力を入れた。
お客の対応に追われてパニックするパチンコ店グランドホールを後にして、帝都電力の車は何台もつながりながら国道を戻った。
帰りの車の中で、坂井課長は胃のあたりを押さえて真っ青になっていた。
「もう、こりごりだ……とんでもない……」
ブツブツつぶやく後部座席の声に、飯田と岩佐は声を殺して笑った。
会社に戻ると、料金課の応接セットに知らない男性が座っていた。男性の向かいの椅子に座って、露崎と酒場がニコニコしながら相手をしている。
ぞろぞろと戻ってきた集金メンバーを見て、男性は親しげに微笑んで手を挙げた。
「石塚さん!」
島と岩佐が目を輝かせて駆け寄った。
ああ……この人が飯田さんの尊敬する前・課長の石塚さん!
ミコトは納得しながらじっと石塚を見詰めた。意志の強そうな太い眉と、眼光鋭い猛禽類のような目。がっしりしたアゴのラインは、極自然に、太くて筋肉質の首へと続いている。白い歯のこぼれる口元は、自信に満ち溢れた表情を湛えていた。
本店の債権確保部門のトップにいると聞いたが、坂井よりもずっと若そうに見えた。
「いやあ、みんな、久しぶり! 元気そうだね」
石塚のキラキラする瞳が、みんなの背後に居る背の高い飯田の姿を捉えたようだった。
石塚は飯田に向かって微笑み、何かを言おうとした。飯田がわずかに首をかしげた。そのとき、配電課長に報告を終えた坂井課長がフロアに戻ってきた。石塚は飯田から目を逸らし、坂井に向き直った。
「坂井さん、暴力団タクミ商会の停止、実行されたんですね。ご苦労様でした」
労をねぎらう石塚に対し、坂井は表情を硬くして言った。
「これはこれは石塚さん、本店のお偉いさんがこんな場末の事業所まで、わざわざどうなさったんです?」つっかかるような坂井の口調にも臆することなく、石塚は笑顔で言った。
「隣のK事業所まで出張だったものですから、ついでに古巣に寄っただけですよ」
「それで、配電課長と昔語りをするうちに、ふがいない今の料金課の話になって、心配のあまり何台も現場に作業車を差し向けて援護してくださったというわけですか」
嫌味な坂井の口調に気付かないフリで、岩佐がにこやかに割って入った。
「ああ! なるほど。それであんなにたくさんうちの会社の作業車が来てくれたのか。見た目に数が多いってのも、効果があるんだなあ。ねっ、篠原くん」
急に話を振られて、ミコトはドギマギしながら笑顔を引きつらせた。
話題が逸れて、石塚は岩佐と島のほうに顔を向けると言った。
「どうやらキミたちもずいぶん成長している様子じゃないか。私が居た頃はケンカばかりしていたが、助け合って仕事に当たれるようになるとは、さすが坂井さんのご指導が行き届いているとみえる」
坂井とは正反対の、まったく嫌味のない爽やかな口調の石塚に、何か言おうとしていた坂井はぐっと言葉を飲み込んだようだった。
坂井は面白く無さそうな表情で一番端っこに立っているミコトを手招きすると、五百円玉を渡して言った。
「篠原くん、石塚さんと会議室に行くから、コーヒー二つ買って来てください」
坂井と石塚は連れ立って料金課のフロアを出て行ってしまった。二人の上司を見送る集金メンバーに向かって、それまで黙っていた飯田が、信じられない事を言った。
「みなさん、今日は本当にありがとうございました。タクミ商会にケリがつけば、もう、心残りはありません」
ペコリと頭まで下げて見せた飯田の顔には、何の表情も浮かんでいない。一同は唖然として彼を見詰めていた。
「あ……」
何か言おうとするミコトを、露崎が手で制した。誰も何も言わない。
飯田は自席に戻ると、机の上のタバコを掴んでフロアを出て行った。
業務終了のチャイムが鳴った。




