半人前にもできること
支店長の待つ会議室に入って行ったミコトは、先に来ていた同期入社の女子社員、上条ありさの隣に座った。上条ありさも、やはり一流大学卒の美人で、父親は大手JBトラベルの幹部だと聞いている。根っからのお嬢さまで、カップ焼きそばの作り方も知らなかった事にミコトは唖然とした。食べたことがないのかと尋ねると、彼女はしれっとして言ったのだった。
「そういう低俗なものは婆やが買ってくれないんだもん」
カップ焼きそばが低俗って、どういう意味だ! しかも今どき婆やって……?
ミコトは、目線を上条ありさから会議室全体に向けた。
会議室内には支店長を筆頭に、入社試験の面接の時に見たことのある、支店の幹部がズラリと並んでいた。後で聞いた話だが、支店長と新入社員が懇談会をするのは毎年恒例で、この企画をすることにより、各事業所にその為の多額の予算が下りるらしい。要するに、交際費の予算を獲得する為のイベントなのだった。
そんな事を知らないミコトは、最初から最後までガチガチに緊張したままで過ごし、終わった時には今にも倒れそうなほどに疲労していた。
ミコトとは対照的に、上条ありさは終始リラックスした笑顔を振り撒いて、オジサマたちにおおいにウケていた。
飯田の足のケガが心配で、退室早々に部署に戻ろうとするミコトに、課長の坂井が声をかけた。
「今から五分以内に帰り支度をして、社員通用口に来なさい。我々は先に店に行って、料理を注文しておく役目になっている」
「え……でも、明日の足順も組んでないし」足順とは、現場を回る順番のことで、これをきちんと組んでおかないと効率よく現場作業がこなせないのだ。
ぼそぼそ言うミコトを一喝し、坂井は彼の尻を叩くと繰り返した。
「五分以内だ、いいな。これは課長命令だ。早くしろ!」
『これは課長命令だ!』……何だか理不尽な気がした。
自分は仕事をする為に来てるのだ。飲み会の為じゃない。
どうもこの会社は、何かと言うとすぐに飲み会だの、打ち上げだのをするらしいのだ。きっと、上司がそういうカラーなのだろう。
酒が苦手で、人と話すのも苦手なミコトにとって、宴席は拷問以外の何物でもなかった。
「五分以内」と言われたが、どうも飯田の事が気になり部署に戻ると、ミコトのデスクはきれいに片付けられていた。
「飯田さん……あの」
ミコトの声に、飯田は積み上がったトレイの陰からチラリと彼を見上げて言った。
「ご覧のとおりお前の仕事は片付いている。足順も組んだ。さっさと行けよ」
でも……とぐずぐずしているミコトを見て、飯田はフッと笑ったように見えた。
「接待も仕事のうちだぜ、ミコちゃん」
彼の言葉で、ミコトの顔が一気に赤くなった。心配などして損をした気分だ。ひらひらと手を振る飯田に、ふくれっ面で頭を下げると、ミコトは憤然とした足取りで着替えに行った。
駅近くの新しいビルに入っている小奇麗な居酒屋。その一番奥の個室を借り切って催された宴会は、このご時勢にあってはならない、理不尽な『業務命令』の元、窓口業務担当などの綺麗どころの女子社員を集めるだけ集め、まるでキャバクラのような状態だった。乾杯からまださほど時間は経過していないというのに、オジサマたちは上機嫌だ。不思議系お嬢さまの上条ありさは、何故か経済通で、支店長と人事部長を相手に株式投資の話題で盛り上がっていた。
「ミコちゃ~ん。支店長さんにウーロンハイおかわりね」
ニコニコしながらオーダーを言いに来た上条ありさに向かって、ミコトはムッとして言い返した。
「上条さん、そういう呼び方やめてくれないかな」
「あらぁ、どーしてェ? 私とあなたは二人っきりの同期じゃなーい。親しみを込めて呼んではいけないのぉ?」
からかっているような、甘ったるいしゃべりかたで、上条ありさはクスクスと笑った。
「飯田さんも篠原クンのこと、ミコちゃんって呼ぶじゃない。あれは、よいわけぇ?」
答えに詰まって、顔を真っ赤にするミコトを楽しそうに眺めて、上条ありさはまた、クスクスと笑った。
宴会はなかなか終わる気配が無い。ミコトはひたすらアルコールの注文係に徹していた。人と話をしなくて済む分、この役のほうが好都合だ。このまま早く終わってくれ~。
そんなミコトの祈りも虚しく、トイレから戻ってきたひとりのハゲ頭のオヤジが彼にぶつかった。
「すみません」謝るミコトを、トロンとした目で見ると、ハゲオヤジはニマ~っと笑っていきなり肩に手をまわしてきた。
「ちょ、ちょっと……!」
えーと、この人誰だっけ? あまりに大勢のオッサンが居るので、誰が誰やらよくわからない。そうこうするうちに、ハゲオヤジは「まあまあ来なさい」と言って、ミコトの肩を抱くようにして自分の席の方に連れて行った。
おたおたしているミコトに、ハゲが話しかけた。
「いやぁ、キミ、篠原くんだっけ? 可愛いね。あっちに大勢居る、愛想笑いのおねえさんたちより、よっぽど初々しくて好感が持てるよ」ハゲは酒臭い顔を近づけてきた。すると、もうひとり新手のオッサンが逆サイドからミコトに寄って来た。
「お、配電課長。可愛い新人に、何か良からぬ事をしてるんじゃないですか?」そう言ったオッサンは、見事な馬面だった。
馬面とハゲに両側からガッチリ固められ、ミコトは身動きがとれず、仕方なくテーブルに着いた。グラスを手に持たされ、いらぬ酒を注がれる。この馬面は、確か広報担当の偉い人だと、ようやく思い出した。
ミコトは苦笑いをしながら、一杯、二杯と、注がれるビールを飲み干した。あっという間に、ミコトの白い肌がピンクに染まった。
一次会が終わる頃には、ミコトはすっかりゆでだこのように赤くなっていた。
お金の精算のために、坂井課長について席を立ったミコトは、何も無い所でコケた。ミコトを助け起こしながら、坂井はダメな子供を見る父の様な温かい目を彼に向けて言った。
「飯田と違って、キミは素直で可愛いね。」
「え?」飯田の名前が出て、ミコトはドキリとする。
「あいつは元々、街金の取立て屋あがりだ。しかも、大学も二流の夜学卒だし。キミのように一流大学出の正規の新卒採用とは訳が違う。仕事に関しては見習うべき事もあるだろうが、それ以外はあまり彼とは親しくしない方がキミの為だよ」
温厚で、人当たりの良さそうに見えた坂井課長の口から、こんな辛辣な言葉が出てくるとは……。ミコトは何ともいえない嫌な気持ちになった。
坂井は二次会に出席するようにと、ミコトに促したが、精神的にも体力的にも、もうこれ以上飲み会には参加できない状態だった。
「すみません、気分が悪いんです。今にも吐きそうなのでご迷惑にならないうちに、帰りたいのですが」
ミコトは坂井に弁解して、帰る事を許してもらうと、駅には向かわずに会社への道を戻り始めた。
今日の失敗をふまえて、明日の顧客カードに目を通しておくつもりだった。
夜九時少し前、商店街をぶらぶらと歩きながら、閉まりかけたケーキ屋のウィンドウを見て、ミコトは思わず店内に飛び込んだ。
――あー、シュークリーム食いたくなってきたな……
飯田のつぶやく声と共に、パステルブルーの空の色が頭の中に甦って来た。
「いらっしゃいませ」
店の女性従業員に声をかけられてハッとする。この時間では、もう飯田は帰ってしまっているに違いない。ミコトは苦笑しつつも、シュークリームを三つ買うと店を出た。
会社の社員通用口に着くと、ミコトは社員証を取り出した。セキュリティーロックに自分の社員証をスキャンし、暗証コードを入力する。カチッと音がしてロックが解除された。
『省エネ』の為に、ほぼ全館消灯された暗い建物の廊下を歩いて行くと、遥か先のフロアに煌々と灯りがついていた。
「うちの部署だ。誰かいるのかな?」
静まり返った他の部署を通り過ぎて、ミコトがフロアに入って行くと、積み上がったトレイの陰に飯田の頭が見えた。
「飯田さん?」小声で呼ぶが、返事が無い。並んだデスクを回り込んで飯田に近づくと、彼は書類の上に突っ伏して寝ていた。
「飯田さん」もう一度声をかけると、飯田は目を覚ました。
飯田はぼーっとしてミコトの顔をしばらく見ていたが、不機嫌そうな声で言った。
「お前、何してんだよ」
「あ、明日の仕事分の確認を……」言いかけてミコトはハッとした。飯田の顔は真っ青で、額から脂汗が吹き出している。ミコトは手に持っていたカバンとシュークリームの箱を放り出すと、飯田に駆け寄って彼の頬に触れた。
「熱、あるじゃないですか!」そう言ってから、あっと思い当たり、ミコトはしゃがみ込むと素早く飯田のズボンの裾をめくり上げた。
「うわっ!」
飯田の左足は、膝から下が内出血でどす黒く変色し、パンパンに腫れていた。
「オレに構うな!」飯田はミコトの手を払い除けた。真っ青な顔は、本気で怒っているように見えた。
普段のミコトだったら、こんなに怒っている相手に対しては、スゴスゴと引き揚げてしまうところだが、今はアルコールが入っていて、妙に気分が高ぶっていた。
「なんで、すぐに病院に行かなかったんですか」強い口調で珍しく言い返してきたミコトに、飯田は荒い息づかいで、ぶっきらぼうに言った。
「そんなの、お前に関係ねぇだろ。仕事してんだよオレは。じゃますんな!」
強がっているのが見え見えの飯田の態度が、逆にミコトの酔った頭をクリアーにした。
ミコトから目を背け、手当たりしだいに書類を引っ張り出している飯田に向かって、ミコトは言った。
「飯田さんの仕事は、オレがやっておきます」
ミコトの言葉に飯田が振り向いて、目を丸くする。
「……って、言えたらカッコいいけど。残念ながら、オレにはあなたの仕事は出来ません」
ミコトは飯田の整った顔を見据えながら言った。フッと飯田は瞳だけで笑った。
「んじゃ、わかってんなら とっとと帰んな。ミコちゃん」
ミコトは一歩前に踏み出して言った。
「でも! 仕事は半人前でも、社会人としては一人前のつもりです」
再び飯田の目が、何事かというように見開かれる。
「社会人として、オレのせいでケガをした飯田さんを、このまま放って帰る事はできません!」瞳に力を込めてそう言うと、ミコトは飯田の腕をとって、自分の肩に回した。
「おい篠原、何すんだよ!」
喚く飯田を引きずるように、ミコトはエレベーターに向かった。
「救急病院に行くんです!」
嫌がる飯田をタクシーに乗せて、救急センターにやって来たミコトは、ソファに座って処置室のドアを見詰めていた。飯田が入室してから、もう二十分以上経っている。
さらに十分ほど経過してドアが開き、飯田が出てきた。左足のズボンがめくられて、膝から下に包帯がぐるぐる巻きになっていた。
「まったく、すぐに来なきゃダメじゃないか」
飯田の後から出てきた色黒の医師が、不機嫌そうに言った。
「このまま放っておいたら、内出血のせいで左足が壊死してしまうところだったじゃないか。そんな事になったら、ヘタすりゃ膝下を切断だぞ」
医師の剣幕に、飯田が「うへっ」と言って、肩をすくめた。
担当の色黒医師は、今度はミコトに向かって言った。
「付き添いの人だね。足のケガ、二十二針縫ったから。入院を勧めたんだけど、彼、嫌がるから仕方ない。今夜たぶん発熱して痛がると思うけど、足を動かさないように注意してやってくれよ。それから、六時間後に薬を必ず飲ませるように。いいね」
ミコトは深々と頭を下げると、色黒医師に何度もお礼を言った。当の飯田はムッとして、あさっての方を向いたままだった。
救急センター前から再びタクシーに乗り、飯田のアパートに向かった。飯田は数年前からこのアパートの二階で一人暮らしをしているとの事だった。
ミコトが肩を貸してようやく階段の上までくると、飯田はぺこりと頭を下げた。
「悪かったな。手間かけさせちまって」
いつもと違って殊勝な飯田の態度に、ミコトは信じられない、という顔つきで目をパチクリさせた。
カギを開け、敷きっぱなしになっている布団に飯田を寝かせると、ミコトは台所に行って病院で買ってきた水枕に砕いた氷を入れた。
目を閉じてぐったりと横たわっている飯田の頭の下に水枕をあてがうと、彼は形の良い眉をしかめて薄目を開けた。
「サンキューな、篠原。……もう、帰れ」
「先輩こそ、何も考えないで寝てください」
ニッコリ笑って声をかけると、飯田は目を閉じて静かになった。
飯田の荒い呼吸が寝息に変わったのを聞いて、ミコトはようやくホッとすると、ネクタイを弛めた。改めて、飯田の住まいをぐるりと見渡す。一人住まいと聞いて、想像していたよりは片付いていたが、やはり男の一人住まいはこんなもんだろう、というような部屋だった。
二間続きの間取りは、玄関を入ってすぐがフローリングの四畳半で、隅の方に台所が付いている。 今、飯田が寝ているのは奥の部屋で、畳の六畳間だった。こういうのを1DKというのだろうか。よくわからないけど。ミコトは興味深げに部屋の中をチェックし始めた。開けっ放しの押入れには、カラーボックスが押し込んであり、本がずらりとならんでいる。中でも分厚い六法全書が目を惹いた。飯田があの本を手に法律の勉強でもしてるのかと思うと、なんだか物凄くミスマッチな気がする。どう考えても週刊誌を読んでいる姿の方が似合っている。
けれど、その他にも債権確保に関するものや、交渉術のノウハウなどというタイトルの本が目に付いた。
「飯田さんが仕事出来るのは、陰で努力しているからなんだな……」
人は見かけによらないものだ。
フローリングの部屋の隅に座椅子を見つけると、飯田の布団のそばにそれを持って来て座った。六時間後、ちょうど明け方の四時ごろに彼に薬を飲ませなければならない。今夜はここに居るしかないと諦めて、ミコトはスーツの上着を脱いだ。
眠る飯田の青ざめた顔は、見事なまでに整っていて、見ているだけで目の保養といった感じがする。ミコトはふといたずら心をおこして、ポケットから自分の携帯を取り出すと、飯田の寝顔にピントを合わせてシャッターを切った。
「いじわるされた時とか、何かの役に立つかもしれない」
いつもからかわれたり、使いっパシリをさせられたりしている分、ささやかな仕返しのつもりで、ミコトは数枚にわたって写した飯田のアップを、携帯のフレーム機能を使って加工してはひとり楽しんだ。
「ハゲのヅラをかぶせてみよう。さらに鼻眼鏡を追加。うひょひょ、おもしれえ」
いつの間にか携帯を握ったまま、ミコトは寝息をたてていた。
足の痛みに、飯田は突然目を覚ました。天井を見て、自宅であることがわかった。
今、何時だろう?
閉め忘れたカーテンから見える窓の外はまだ真っ暗だ。首をめぐらせると、座椅子に座ったまま眠っている後輩の姿が目に入った。
「篠原……帰れって言ったのに」
わずかに口を開けて眠るミコトの顔は、とても社会人には見えないくらい幼い。
――仕事は半人前でも、社会人としては一人前。
そう本人が言っていたのを思い出して、飯田はクスッと笑った。
「腹、減ったな……」
ゆっくりと身を起こすと、ミコトのカバンのそばにケーキ屋の箱を発見した。手にとって開けてみると、シュークリームが入っている。
「賞味期限がせまってるから、食っといてやるか」
飯田は勝手にシュークリームをほおばった。
「ん、うまい」
薬を飲んで、ふとミコトのほうを見ると彼の携帯が目に入った。画面に自分の顔が出ている。
「このやろう、人が寝てるうちに妙な事しやがって。油断もすきもないな」
飯田はミコトの携帯から自分のフォトを消去した。無防備に眠りこけるミコトのメガネを外し、毛布を掛けてやると、飯田は彼の顔をまじまじと覗き込んだ。
「ホント、ガキみてぇな顔してんな……」
飯田はミコトの携帯をカメラモードにすると、彼の顔に近づけてシャッターを切った。
がくりと首がかしいで、ミコトはハッと目を覚ました。起き上がった拍子に、掛かっていた毛布がズレた。視界がぼやけて、一瞬自分がどこに居るのかわからず、鼻の頭に手をやった。メガネが無い。
「メガネは……?」
手元を探ると携帯に触れた。ほとんど鼻にくっつけるようにして時間を確認する。
『AM6:47』
「あれ?」
違和感に、携帯画面をもう一度見直すと、待ち受けの壁紙が自分の寝顔になっていた。みっともなくヨダレを垂らしている。
昨夜の記憶が一気に甦って来た。
「しまった! 飯田さんに薬を飲ませるの、忘れた」何の為にここに居たんだか、まったく意味が無い。ぼんやりする視界で横を見ると、飯田の布団は空っぽだった。
のろのろと起き上がった時、玄関のドアが開いて、飯田が外から帰って来た。彼は玄関に杖代わりの傘を放り出すと、ひょこひょことびっこをひきながら歩いて来た。
「飯田さんっ! その足でどこに行ってたんですか!」
ミコトの言葉を無視して、飯田はコンビニの袋から何かを取り出す仕草をした。
「朝メシだ。顔洗って来いよ」
ミコトはおぼろげな視界で、怖々と一歩進み出た。飯田の手が頬に触れたかと思うと目の前が明るくなった。
「あ、メガネ……どうも」
ミコトは、ズボンのシワを伸ばしながら台所に行ってメガネを外すと、流し台で顔を洗った。ナイスなタイミングでタオルが飛んできて、パフッと頭に乗っかった。
「あ、ありがとうございます」
ミコトは落ち着かない様子で戻ってくると、飯田に尋ねた。
「飯田さん、薬、ちゃんと飲みました?」
「ああ、ちっと時間ズレたけど、飲んだ」
「足は?」
心配そうなミコトの顔を見て、飯田は大丈夫だ、と言うように大きく頷いた。
よかった……。心の中でつぶやいて、ミコトは俯いた。
結局、ここに泊まっても何にもできなかった。薬だって、飯田はちゃんと自分で飲んだ様子だし、逆に朝食のサンドイッチまで買いに行かせてしまい、迷惑をかけただけだったと気付いた。
そもそも飯田が犬に噛まれる原因を作ったのが自分なのだから、本当にどうしようもない。こんな自分に、飯田はさぞ呆れて嫌気が差している事だろう。きっと、彼は「もう指導員を降りる」と言うに違いないのだ。
朝っぱらから自己嫌悪に陥って、ミコトはポツリとつぶやいた。
「役立たずの後輩で、ごめんなさい」
小さくなって、いじけたようにサンドイッチをかじっているミコトの頭に、ふわりと飯田の手が乗っかった。
「役立たずじゃない。お前のおかげで、オレ、足一本無くさずに済んだんだぜ。感謝してるよ」
今まで聞いた事もないような優しい口調で言われ、ミコトは急に胸に熱いものが込み上げて来た。鼻の奥がツンとして、メガネを掛けているのに視界がぼやけた。自分自身の感情がコントロール出来ない。
なんで? なんで飯田さんに優しくされただけで、涙が出ちゃうんだろう?
飯田はミコトの慌てぶりを見てみぬフリをして、枕元にあった灰皿を引き寄せると、タバコに火をつけた。
メガネを外し、手の甲でそっと目元を拭っているミコトに、飯田がぼそりと言った。
「お前さあ、仕事、向いてないって言ってたけど、もうちっと頑張ってみろよ。お前なりのやり方でさ。……オレも手伝うから」
ミコトはメガネを掛けぬままの顔で、ビックリして飯田を見た。
昨日の犬事件で、もう絶対に指導員を断られると勝手に思い込んでいただけに、今の飯田のセリフが信じられなかった。
「これからも……一緒に仕事して、教えてもらえるんですか?」
うるうるする瞳で見詰めるミコトに、飯田は照れくさそうに言った。
「オレにとっちゃ、お前は初めての後輩だしな。面倒みてやるよ。……ただ、今日はちっとムリっぽいけどな」




