星の影放浪記外伝「血涙草始末記」
世界歴195年、和国。
大石官兵衛は、久々に逢坂の実家に帰省した。
築100年は超える、元武家屋敷の実家は、広くはないが外目にも綺麗に整えられたものだった。
「ただいま帰りました」
官兵衛は帽子を外しながら戸を開けた。その頭に髷はなく、今どきのざんぎり頭だった。
「あらあら、お帰り」
母は昔ながらの丸髷、小袖だった。玄関先で両膝をついて息子を出迎えた。
「父さんは帰ってますか?」
洋服の上着を脱ぎながら尋ねると、
「まだ帰っとらんよ。今日は、お雇い外国人さんとこ訪ねる言うとったわ」
「お雇い外国人?」
官兵衛は眉をひそめながら、母に帽子と上着を手渡した。
「なんや、異国の珍しい植物もらってくるとかで……。それより官兵衛さん、家にいる時はその標準語いうの、やめたらどうなんや」
「僕も公僕の端くれですよ母さん。お国がこれで喋れと言ったら、普段から気をつけないと」
「まあ、まあ……、そんなことより官兵衛さん、お巡りさんのお仕事忙しいのは分かるんやけど、もうちっと休みもらえんもんやろか」
官兵衛、居間に入りながら、ひそめていた眉根を、ますます嫌そうに歪めた。
「またお見合いの話ですか、母さん」
「それもあるんやけど……、ああそうや。庭にスズメバチが巣作ってもうたんや」
縁側を通して庭を見ると、スズメバチが一匹飛んでいる。
「危ないなあ……。人は頼めないのかい?」
業者のようなものはないので、ご近所に頭を下げて協力を仰ぐことになる。スズメバチの駆除は、この時代なお、非常に危険な作業だった。
それに母が答える前に、
「おうい、帰ったで」
父の声が聞こえた。母が出迎える。
「あら、お帰り。官兵衛さん、帰ってきとるで……。なんや、また立派な盆栽持って来ましたな」
母の言葉に官兵衛も玄関に出た。
大学教授の父も、ざんぎり頭に洋装だ。丸い眼鏡をかけている。そして今日は、ヒノキの盆栽を抱えていた。
(……うん?)
官兵衛は、そのヒノキの根元から生える、スズランのような赤い実……、いや、赤い花の植物に目をやった。
官兵衛はそれに見覚えがある。
そう、見覚えがある。第一級禁止薬物に関する資料で見た。
魔王の遺産のひとつとも言われる、「ベラ女王の怨念の薬」、通称「レッド・ベラ」の原料となる寄生植物。
この国ではまだあまり知られていないが、海外では持っているだけで官憲が飛んでくる、危険極まりない植物。
「血涙草」。原産地であるアルカナ新大陸での呼び名は「軍隊アリの草」。
官兵衛は、目を丸くしてその植物を凝視し、一度目をこすり、また見た。どうやら見間違いではない。
「なんちゅうもん持って帰っとんじゃ!!」
官兵衛は思わず叫んだ。突然の声に母はびくりと肩を震わせたが、父は感心したようにうなずき、
「なんや、これ知っとるんか」
「わしの職業忘れたんか!? 内務省の警保局、お巡りやぞお巡り! お巡りさんの官僚やぞ!」
官兵衛、すっかり元のなまりに戻っていた。
「お雇い外国人からもろたんか!? どこのどいつや! すぐに踏み込んだるわ!」
「まあ落ち着け」
父は顔を真っ赤にした息子に向け、手をひらひら振った。
「お前こそ、わしの職業忘れとるやろ」
「元本草学者で、今は大学教授やろ!? 知っとるわ!」
「だから、研究のために取り寄せてもらったんや。お国の許可ももろとるで」
「だからってそんなけったいなもん、うちに持って帰んなや!!」
父は口を尖らせて、
「なんやムキになってもうて。明日には大学にもってくさかいに、一晩置いとくだけや」
官兵衛はひと呼吸、肩の力を抜いて、
「どこに置いとくんや」
「庭先でええやろ」
居間で母が茶を出してくれた。
「ほんで、あれはどんな花なんや」
庭先に置かれた盆栽を見ながら母が尋ねると、官兵衛は不機嫌な顔で茶碗を手に取り、
「アブロヌ王が使ったいう草や」
「ひえ……」
母が思わず腰を引いた。その名は、世事に疎い母も知っている。
中東の不毛な大地に立ち、傍らに魔女を侍らせ、おぞましい兵器の数々で世界を恐怖に陥れた騎馬民族の王、アブロヌ。
魔王とまで呼ばれたその男は、この国にも手を伸ばし、戦国時代の和国に乱入して多くの群雄を滅ぼし、毒を撒き散らした。一時には京の都にも至り、その南半分を吹き飛ばしている。
アブロヌ王が破れた翌年に「世界暦」がはじまり、この年195年。その死から200年近く経ってなお、その名はおぞましいものとして記憶されている。
「そないなけったいなもん、はよどっかにやってください」
母は怯えて父に訴えたが、
「いやいや、かの魔王があの草作ったいうわけやない。草は元より草や。ただ人間の使い方次第で毒にも薬にもなるんや」
「せやけどあれ自体にも、危険はあるんや」
楽観的な父に対し、息子は厳しい目を向けた。
「あれは寄生植物や。他の植物の根っこに取りついて生える」
今も、ヒノキの根に寄生している。
「他の植物に寄生するために、蟻なんかの虫を操るんや。魔法を使ってな」
原産地では、この植物に寄生されまいと、同じように虫を操る植物が他にもあるという。
父はうんうんうなずき、
「それでその原産地、魔法を使う植物が次々に見つかっとる。面白いもんや。一度行ってみたい」
「それが遠い海の向こうの話なら面白いんやろがな。近くにあっても薄気味悪いだけや」
血涙草はその名の通り、血の涙のような赤い花……、実か、つぼみに見えるが、これで花らしい。それが、スズランのように垂れて並んでいる。
笹のように細長いその葉にも、真っ赤な筋が走り、血管のように見える。
「あれで作った薬、『ベラ女王の怨念の薬』言うんやが、それを使った人間は、脳をやられて、どんな悪さするにも一切ためらいが無くなる言われとる。その上、魔法で操り人形にすることもできるいう話や」
「いやや官兵衛さん、怖い話は聞きとうないわ」
母はお盆を持って、小走りに台所に逃げていった。
「で、今晩だけやろな」
官兵衛が怖い目で父にすごむと、父はまたひらひら手を振って、
「当たり前や。明日には大学に持っていくわ」
その夜、官兵衛は夢を見た。
『これ、官兵衛や』
呼ばれて目を開けると、後光を浴びる大きなクスノキの大木の前に、美しい女性の姿が。
千早をまとう巫女のような格好の、美しい女性だった。眉がお公家さんのように丸く書かれたものでなければ、官兵衛の好みだったかもしれない。
「ど、どちらさまで」
身を起こしながら尋ねると、
『わらわは隣の社にある、御神木と呼ばれるものじゃ』
「御神木様!?」
官兵衛は飛び起きて平伏した。そういえば、女性の後ろにあるクスノキの大木は、確かに見覚えがある。
この家のすぐ隣には、小さいながらも歴史の深い神社があり、さらに隣にあるお寺と、仲良く並んで鎮座している。
そのちょうど中間あたりに、大きなクスノキがあった。
「ご、御神木様がいかなる御用で」
『そなたの父が持ち込んだ、あの血涙草なる草のことじゃ』
御神木様は厳しい目で、
『あの草はいかん。危険じゃ。すぐに処分するのじゃ。さもなくば、取り返しのつかぬことになるぞ』
官兵衛は平伏したまま、
「わたくしめも官憲でございます。あれの危険は重々承知しております。恐れながら、明朝にはお言葉の通りにいたしまする」
すると御神木様、うんうんとうなずき、
『そなたはどうやら話が通じるようじゃの。そなたの父は駄目じゃった。なんやかんや言って話をそらそうとし、おまけに神木としてのわらわのことも調べたいなどと言い始めよった』
「えろう、すんまへん」
あの植物狂いの父なら言いそうなことだった。官兵衛は、平伏の頭をさらに下げた。
『とにかく頼みましたよ。目が覚めたら、はよう取り掛かるのじゃ』
そこで光が満ちて、官兵衛はまた眠りに落ちた。
官兵衛は目を覚ました。外で鳥が鳴く気配もなく、暗く静かだった。
「まだ早いやんけ……」
そして官兵衛は二度寝した。
『これ、官兵衛』
呼び掛けてくる女性の声が聞こえた気がしたが、官兵衛は二度寝した。
「官兵衛さん、官兵衛さん」
母に揺り動かされ、起こされた。
官兵衛は目をこすりながら、
「なんや母上、朝から騒がしいやん……」
「ええからはよ来て」
母に引っ張られるように連れていかれると、庭に接する縁側は、雨戸がまだ閉まったままだった。
「母さん、どうしたんですか、雨戸も開けずに……」
「いいから」
母は戸袋近くで身をかがめ、雨戸を一枚、そっと、少しだけ開けた。
官兵衛も母にならって身をかがめ、雨戸の隙間から庭を見る。
「……」
そこに、大きな蜂どもが群れていた。
黄色と黒の縞模様で、体長は一寸(約3センチメートル)はゆうに超えようか。
いわゆるスズメバチだった。それも大型の。
ただ群れているのではない。それは、庭の、ある植物を中心に飛んでいた。
血涙草。
スズメバチの中には、大将に従う旗本のように、その周囲を警戒して滞空しているものもいた。
「あかん……」
官兵衛は、雨戸を閉じた。
「あかん。よりによってスズメバチかいな」
つぶやいて、額に手を当てた。
虫を操って増える、魔法を使う草、血涙草。
この和国において、考えうる中でも最悪の虫を操っていた。
母は官兵衛に縋り付くように、
「ど、どないしましょ」
「分からん。どないしたらええんやろか……」
そこに、
「なんや、騒がしいのう」
目をこすりながら、寝間着姿の父が来た。
「お父さん、お父さん、見てや」
母はまた少しだけ雨戸を開けて、庭を舞うスズメバチの群れを見せた。
父は顔を輝かせた。
「おお……、本当に虫を操る魔法が使えるんやな」
「喜んどる場合かい!」
官兵衛は思わず声を上げてしまったが、庭のスズメバチが一斉に自分に視線を向けてきたことに気づくと、あわてて手で口を抑えた。
母はまた、動転して、
「どないしまひょ……。そうだ、魔法なら、横町のまじない師さんに……」
「母上、そんなんただの騙りや! 文明開化からこのかた、坊さん神主そのほかも、今はもう、まともな術者はみんな国に抱えられたか、そうでなかったらどっかの山に隠れとる。国がぎゅうと締め付けて、管理されん術者なんぞ、許されとらん」
「せやけど……」
ついでに言うと、文明開化が始まってのち、怪しげな宗教も、雨後のタケノコのようにそちらこちらに現れて、さらには海外からも流入している。
そんな会話を横目に、父は堂々と雨戸を開け、裸足で庭先に下りた。
「何してんねん父上!」
息子の言葉を無視し、父は嬉々として血涙草に向かう。
「ほうほう、敵意を感じなければ、虫をけしかけてこん言うのは本当なんやな」
スズメバチたちは、官兵衛の父を警戒しつつも、遠巻きに飛んでいる。
しかし、父が血涙草の前で身をかがめたときには、歯をカチカチ鳴らし始めた。
「父上、いかん、それ以上はいかん」
蜂を刺激しないように、声をひそめて呼びかける息子を無視し、
「ほうほう」
父は血涙草の周囲を飛ぶ蜂や、その盆栽のヒノキに止まるハチなどを存分に観察し、そして、調子に乗って血涙草の花に手を振れたところで……、
「ぎゃあああ……」
蜂の群れに襲われた。
官兵衛は父を大八車に乗せて病院に担ぎこんだ。というより、放り込んだ。
おそらく蜂たちは警告の意味を込めたのだろう、2か所ほど刺しただけで、あとは歯で嚙みついたようだ。
まだあの庭に入りたいという父を、そのまま病院に預け……、というより、監視してもらうと、官兵衛は昔馴染みを訪ねて回り、どうにか三人に来てもらい、帰宅した。
すると、ヤシの木のような髷に紫の着物、首から粒の大きな数珠をぶら下げた、いかにも怪しげな男を母が紹介し、
「こちら、横町のまじない師の……」
「帰ってもろてくれ!」
官兵衛はむべもなかった。
「せやけどもう、大枚はたいてもうて……」
「ええから!」
官兵衛は警官たちを連れて縁側に向かった。まじない師はおろおろする母の前で、声を上げて笑った。
官兵衛は、雨戸を少しだけ開けて、友人たちに庭先を見せた。
「ほんまや……」
みな、息をのんだ。血涙草が生えるヒノキの盆栽を中心に、スズメバチが群れている。
「官ちゃん、君の家、武家やったんやろ? 鎧とかないんか?」
ひとりが尋ねると、
「あるんやが、庭の向こうの蔵の中や」
そこに行くには、スズメバチの群れを突破する必要がある。
別の友人は、
「官ちゃん警官やろ? 銃は?」
「あかん。持ち出しもそんな簡単にでけへんし、弾の一発、何に撃ったかまで厳重に管理されとるもんなんや。そもそもあんな草、簡単に狙えるかいな」
おまけに一本どころでなく、ヒノキの根元から、見えるだけでも五本は生えている。
するとさらに別の友人が、
「それなら弓はあるか? 何か、サスマタのようなものを飛ばして盆栽ごとひっくり返せりゃ」
「それや」
官兵衛は手を打った。
官兵衛は屋根裏から、弓と、矢じりが二股に分かれた矢を持ってきた。
「雁股か」
弓に弓弦を取り付けるが、
「ところで、弓の心得がある者は……」
みんな、互いの顔を見合わせた。
結局、言い出しっぺの斎藤君が弓を引くことになった。
雨戸をそっと開け、隙間から庭を覗く。正面に血涙草の盆栽が見える。
斎藤君は雁股の矢を引き絞り、盆栽目掛けて放つが、
「あっ……」
矢は見事に逸れて、後ろの盆栽の鉢を割った。
蜂どもの顔が、一斉に雨戸の隙間に向く。
「あかん、閉めて!」
戸袋近くに待機していた友人が、ぴしゃりと戸を閉めた。
途端に、雨戸がガタガタ鳴る。蜂たちがぶつかって来る音だ。
それが落ち着いてから、官兵衛は斎藤君に向け、
「アホンダラ!」
「何やと、それなら自分がやったらよかったやん!」
「喧嘩はやめえや!」
とにかく四人は落ち着いてのち、また額を寄せ合う。
「どないする?」
官兵衛が言い出すと、
「定石なんは、夜を待って煙でいぶすことやろな」
「ハチの巣退治でもよくやる方法やな」
「最初から夜待った方がよかったんちゃうか?」
まだ不機嫌な顔の斎藤君が横で言うと、官兵衛もむっとした顔を向け、
「そんなん待っとったら、あの草バカの親父殿が戻ってきてしまうやん」
すると別の友人が、
「親父殿が何言うてきても、もうこうなったからには、あんなけったいなもんさっさと片付けなあかんやろ」
「だから君らに頭下げて頼んどるんや」
さらに、塾を開いている別の友人が、深刻な顔で、
「官ちゃん、とりあえず今は夜を待って、良ちゃんの方法を試してみるのがええと思う。それでも駄目なら、僕らの手には負えん。恥を忍んで警察なりなんなりに……」
「わしも官憲やぞ」
「それなら話が早いやんか。場合によってはバトルメイジ……、戦闘専門の魔法使いが出張る案件やろあれ」
「むう……」
官兵衛がうなる間に、また雨戸がガタガタいい始めた。
「……」
嫌な予感とともに雨戸を見ると、ほんの少し、すっと、隙間が開いて光が差し込み、カチカチと蜂が歯を鳴らす音が聞こえてきた。
「嘘やろ!?」
「閉めて閉めて!」
慌てて四人は雨戸を閉め直し、突っ張り棒をかけた。
「どうなっとんねん! 蜂が戸を開けるか普通!?」
「やっぱり普通やない、普通やないであの草!」
四人がまた顔を見合わせると、次は雨戸を引っ掻くような、カリカリと鳴る音が響き始めた。
「おいまさか……」
「雨戸食い破る気や!」
木製の雨戸の一点に、カリカリ、カリカリと、不吉な音が響く。
「わしら完全に的にかけられとるやん!」
「官ちゃん!」
先ほど警察への連絡を進めてきた友人が、
「ここはあかん、いったん家から離れよう! それにもう、警察に連絡した方がええ!」
「ぐ……」
官兵衛は唇を噛んだ。
唇を噛んで短く呻いてのち、きっと顔を上げ、
「母上!」
すぐに母は小走りでやってきた。ヤシの木頭のまじない師もついてきたが、官兵衛は無視する。
「なんですか、官兵衛さん」
「ありったけの布団持ってきて!」
友人たちは、何を言っているのかと首を傾げたが、
「全身ぐるっと布団にくるまっとけば、蜂の針も通らんやろ! それで強行突破や!」
「何言うとんや!」
斎藤君が止めようとするが、
「うちの親父殿が持ち込んだ問題や! せがれのわしが片付けなあかんやろ!」
「せやけど無茶や!」
「こちとら人間様や! 元武家や! おまけに泣く子も黙る官憲やぞ! たかだか雑草と羽虫なんぞに舐められてたまるかいな!」
するとそこに、母が連れてきたまじない師の笑う声が響いた。
官兵衛はまじない師を睨み、
「なんや、まだおったんか、帰れ帰れ!」
「ぞんざいに扱うのう。まあそれでも、大枚を受け取った分、仕事はするぞ」
低く、心地よく響く声だが、それがまたうさんくさいと官兵衛は思う。
まじない師はそんな官兵衛らの胡乱な視線を無視し、カリカリ鳴る戸袋に手を当てて、口の中で何かを唱えると、戸袋に青白い光の膜のようなものが走り、蜂が戸袋を食い破らんとする音が途絶えた。
「……うん?」
官兵衛らが目を点にする間に、
「草履持ってきてくれんかね?」
母が草履を持ってくると、まじない師は雨戸をひとつ開けた。
あっと声に出したものがいたが、そこに、透明な膜のようなものができていた。
「……あんたこれ、西洋式のシールド魔法じゃ」
官兵衛が聞くが、まじない師は無視し、庭に下りる。降りると同時に、膜は消えた。
庭ではハチどもが陣形を組んで待ち構えていたが、まじない師は顔の前で合掌し、小声で呪文を唱えながら進む。その周囲に膜のようなものができて、飛び掛かる蜂たちは近づけない。
「やっぱ洋式の防御魔法やんけ!」
官兵衛は叫んだ。
まじない師はドーム型の防御結界に蜂を群がらせたまま進み、そのまま鉢植えの前で足を止めると、懐から小さな杖のようなものを取り出し、その先端を向けた。
たちまちケヤキの根元から生える血涙草に火が着いた。
そして、ポンという音とともに、その花が弾けた。
直後、それまで群れていたスズメバチたちが、見る見る散っていく。
「これでいいかね?」
シールドから次々に蜂たちが離れる中、まじない師は官兵衛らに振り向いた。
官兵衛の前で母が両膝をついて手を合わせた。
「ほんま、ありがとうございました」
まじない師は笑いながら、そのまま庭から出ていった。
官兵衛らが何か言う前に、その後ろから、
「いやあ、花がなくなると、すぐに蜂も元に戻るもんなんだね」
官兵衛の父が、感心したように、散っていく蜂の群れを見ながら言った。
「父上!? なんでおんのや!」
「なんでも何も、ここはわしの家やで」
「病院はどうしたんや!?」
「あのくらいでいつまでも病院におられるかいな」
しかし、ほうぼう噛まれた体には、大げさなくらい包帯を巻かれている。
父は、まだ火の残る血涙草を見ながら、
「せっかくの貴重な草やったがしょうがない。面白いものが見れたし、タダでもろたもんやしな。また取り寄せてもらえばええか」
その言葉に官兵衛とその友人たち、ほぼ反射的に、
「ええ加減にせえや!!」
それから官兵衛はあっと口を抑えた。
「どないしたんや」
斎藤君が尋ねると、
「さっきのまじない師、ちゃんと魔法の申請出しているのか聞くの忘れとった」
それがなければ逮捕するしかない。そんな世の中だった。
その夜官兵衛は、友人らへの謝礼をかねて飲み歩き、千鳥足で家に戻るとそのまま寝た。
すると、
『これ、官兵衛や』
また、夢の中に女性の姿の御神木様が現れた。
「御神木様? いかがなさいましたか?」
官兵衛は夢の中であわてて身を起こす。
『いかがなさいましたか、じゃと?』
御神木さまの表情と口調は淡々としたものだが、あまりご機嫌がよくないようだ。
『お前たちを騒がせたあの植物な、燃え尽きる前にポンと弾けたじゃろ。その時飛んだ、粉だか種だかがわらわの根元に来たたんじゃ。このままではわらわの根から、あれの芽が出てしまうぞ』
「ええっ!?」
官兵衛は、夢の中で目が覚める思いがした。
「ですが御神木様、あれは花であって実ではなく……」
『知っておるわ。じゃが、あのけったいな植物、わらわもどうなってるのかよく分からん。多分、やられると思って最後にまき散らしたものであろうが……、とにかく、あれを普通の草と思うでない』
官兵衛は唸った後、
「しかし御神木様、仮にも神様であらせられるなら、わしなんぞ使わなくとも……」
言ってはいけないようなことを口に出したが、
『あのな官兵衛、わらわは木じゃぞ木。しかもお年のいったババアじゃ。せいぜいわらわの根元に小便かけたやつを祟るくらいしかできん」
「……あの、それって、わしの子供の時の話でしょうか」
『そなた、三年前の正月に酔っ払って……』
「えろう、すんまへんでした!!」
官兵衛は深く平伏した。
御神木様は淡々と表情を変えず、
『まあ冗談はさておき、わしに大した力はない。こうして人に頼むのがせいぜいじゃ。神の位にも段々があるもんじゃ。たとえば日の大神に比べたら、わらわなんぞ燃えかすの灰以下じゃ』
「神様からそんな話、聞きとうありまへんでしたわ……」
『ちなみに言うておくが、偉大な神というものは、人間ごときがこうして意志を交わすことなど到底かなわぬほどの存在じゃ。この世のことわり、摂理そのものに近い。そなたらが祈ったところでミジンコ、いや、細菌が人間に声をかけるようなものじゃから、あまり意味はないと思うがよい』
「は、はあ……」
『そのくらい強大な、それこそ星を持つような神なら、「星の影」を降ろせるのじゃろうが、わらわにそんなことできん。そもそも「星の影」を降ろすような大事でもないのじゃがな」
言ってる意味がよく分からず、「はあ」と言うしかない。
『まあとにかく、あの草じゃ。うちの神職と、となりの坊主にも声を掛けるから、なんとかしてたもれ』
そこで光が満ちて、夢が終わった。
翌日、隣の神社に出向いた。
どうやら夢でお告げを受けていたらしく、紫袴の宮司と、さらにお隣の住職が、社務所の縁側で仲良くお茶をしながら待っていた。
三人は竹ぼうきを持って御神木の根元に至る。神社とお寺の、ちょうど間にあり、主に神社の方で管理してきたものだ。太く大きなクスノキで、縄がめぐらされ、紙垂が垂らされている。
一礼の後、根元を掃くと、土に混じって、確かに赤い粒のようなものが散見された。
「ほんま、けったいな植物や」
落ち葉とともにそれを集める。
(これでもう堪忍や)
クスノキを見上げ、官兵衛は心で手を合わせた。
羽音が聞こえ、その眼前を一匹のスズメバチが通り過ぎた。
「あ……」
すっかり忘れていた。帰省した日、母が、庭にスズメバチの巣があると話していたことを。
その蜂は、官兵衛らが集めたゴミの中に入り込むと、そこから赤い粒を器用に抱えて飛び立った。
「……待てコラーッ!!」
官兵衛はほうきを振り回しながらそれを追おうとしたが、背後から何か聞こえたと思ったところで、その蜂、ぽとりと赤い粒を落とし、戸惑ったように旋回してから去っていった。
官兵衛が振り向くと、宮司とお坊さん、それぞれ神社とお寺に向けて、小声で何かを唱えていた。
すると、それまで気づかずにいた、空気の中にただよう何か……、官兵衛はそれを、西洋で言う魔力のようなものと理解したが、それがすっと、消えていくのを感じた。
宮司と住職は、ほとんど同時に口を閉じると、唱えた先にそれぞれ一礼し、それから官兵衛ににこりと笑いかけ、何も言わず帰っていった。
官兵衛はそれを見送り、ふたりの姿が消えると、御神木を見上げ、
「最初から自分とこ頼ってな!」
すると頭の中に、
『そなたが二度寝かましてわらわの忠告を無視しなければ、こんな苦労しなかったじゃろ?』
「えろう、すんまへんでした!」
官兵衛、御神木の前で、腰を直角に折るのだった。
おわり




