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40.再捜査の扉

 王宮の政庁棟。

 重厚な扉をくぐった瞬間、ひやりとした空気が肌を撫でた。

 磨き上げられた大理石の床に、天井高くそびえる円柱が等間隔に並び、奥へと続く道を守るかのように立ち並んでいる。

 壁には王家の紋章を刻んだタペストリーが掛けられ、空間全体が静謐な威厳を放っていた。


 静寂のなか、靴音だけが床を打つ。

 私はジュードと並んで歩きながら、胸をひどくざわつかせていた。

 再捜査の要請。それは、過去の扉を再び開くということ。

 いまさら恐れている場合じゃないとわかっていても、足元がかすかに震える。


 けれど、私の手を握るジュードの手は、あたたかくて、そっと支えてくれるようだった。

 指先から伝わる体温が、胸の奥の不安を少しずつ溶かしていく。

 ただ手をつないでいるだけなのに、不思議と背筋が伸びた。


 ――私は、もうひとりじゃない。


 重く静かな音を立てて、正面の扉が開いた。

 冷たい光が差し込む先には、すでに数人の高位貴族たちが集まっている。

 金や紺の刺繍をまとった文官、翡翠の飾りを胸に光らせる宰相、そして陰影の深い瞳でこちらを値踏みする評議員たち。


 私の姿が視界に入った途端、ぴり、と場の空気が張りつめた。

 まるで、水面に一滴のインクが落ちたように。ざわりと見えない波が広がっていく。

 目に見えない感情――不信、侮蔑、あるいは興味。

 それぞれの視線が突き刺さるようだった。


「これは……なんの冗談だ?」

「よりにもよって、あの毒婦を政庁棟に連れてくるとはな」

「まさか第二王子殿下が、兄の女に入れあげていたとは……」

「いや、毒の香りが好みなのだろう。少々、倒錯が過ぎるが」


 押し殺した嘲笑と侮蔑が、会議室の壁を這うように広がっていく。

 言葉の端々に毒がある。

 私ではなく、ジュードを標的にしている。


 その中でも、とくに冷ややかな声が響いた。


「まさか、兄のおさがりで満足しているとでも……?」


 発言したのは、長年政務に携わってきた老貴族だった。

 椅子に背を預けながら、あからさまな侮蔑の笑みを浮かべている。


 私は息をのんだ。


 唇が勝手に開く。言い返したい。

 愛する人を侮辱されて黙ってはいられない。

 

 けれど、私が何かを言うより先に、ジュードの手がそっと私の手を握り直した。

 その力に、私はハッと我に返る。


 横に立つ彼の顔はどこまでも冷静だった。

 怒りを抑えているのではない。

 ただ、感情にのまれず、真正面から事実と向き合っているだけ。


「――静粛に願います」


 ジュードの声が空気を震わせる。

 その声が響いた瞬間、室内の空気が一気に静まり返った。


「ここは、侮辱の場ではありません。本日、私はこの国の一王族として、正当な要請を行いに参りました。かつて未解決のまま幕引きされた王女毒殺事件について、再捜査を求めます」


 そう言って、彼は封筒から羊皮紙を一枚取り出し、机上に広げた。

 そこには、教会保管物資の記録簿と、香料成分の詳細な分析資料が添えられている。


「この証拠によれば、クレア・アルムシュテットの死の1ヶ月前、教会から“儀礼品”として毒が持ち出されていた。しかし、その毒は教会の中でも使用が禁じられた禁忌の劇物であり、外部への持ち出しは重大な規律違反にあたります」


 室内に、重たい沈黙が落ちた。

 一瞬、誰もが息をひそめるように口を閉ざす。

 だが、それも束の間――貴族のひとりが乾いた咳払いをし、皮肉を含んだ声が静寂を裂いた。


「ふん、証拠と呼ぶには弱いな」

「まさか、愛の力で真実を捻じ曲げようと?」


 鋭い言葉が次々と浴びせられ、周囲の貴族たちの冷笑が波紋のように広がった。


 そのど真ん中に立つジュードは、眉ひとつ動かさず、まるで全てを見透かしているかのように静かだった。

 彼の瞳は揺るがず、ただじっと嘲笑を受け止めている。


「王族の立場を利用して、個人の情愛を通すつもりかね、第二王子殿下?」


 その言葉は棘となって私の胸を刺した。

 熱い感情が内側から沸き上がり、押し殺していた怒りが爆発しそうになる。


「それ以上の侮辱は――!」


 声を張り上げようと口を開いたその瞬間。

 隣から静かに、私は手で制された。

 ジュードがゆっくりと小さく首を横に振っていた。

 その仕草はやさしく、しかし決然としていた。


「いいんだ、エマ」


 低く、穏やかで、そして迷いのない声だった。

 彼は一歩前に進み、重鎮たちを真正面から見据える。


「愛する人も守れない男が、王族として国を守れるわけがない。私はそう思います」


 誰かが、息をのむ音がした。


「彼女を守れないなら、私は第二王子である資格も、剣を持つ資格もありません」


 ジュードの言葉は、どこまでもまっすぐだった。

 私はその横顔を見つめた。

 揺るぎのない眼差し。

 理不尽な中傷にも動じず、むしろ堂々と立ち続けるその背中。

 ああ――また、好きになってしまう。


 室内に漂っていた嘲笑は、いつの間にか消えていた。

 残っていたのは、静けさと、誰もが言葉を失ったような空気。

 しばらくの沈黙ののち、評議長が咳払いをひとつ。


「……再捜査の要請、正式に受理しよう。毒物と香料に関する資料は、王室監査官が確認し、必要とあれば、再び教会にも調査を求める」


 胸の奥に沈んでいた緊張が解けていくのを感じた。

 肩の力がふっと抜ける。けれど、すぐにジュードの手が支えてくれる。


「ありがとう」


 私は小さくつぶやいた。

 彼は、穏やかに笑ってくれる。


「……これでようやく、スタートラインだな」


 私は頷いた。

 真実に向かう、私たちの戦いが始まった。

 けれど、もう怖くない。私には愛する人がいるから。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

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