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39.禁忌の持ち出し

 私とジュードが訪れた教会の記録庫は、ひんやりとした冷気が肌を刺すような石造りの空間だった。

 厚い石の壁に囲まれ、重い扉が音もなく閉まると、外の世界の気配は完全に遮断される。

 天井は高く、広々とした空間には厳かな静けさが漂っていた。


「……ここが、記録庫なんですね」


 私の小さなささやきが、静寂の中に溶けていく。


 記録庫の棚には、長い年月を経た巻物がずらりと並んでいた。

 羊皮紙の端は茶色く変色し、綴じられた紐はところどころほつれている。

 教会の長い歴史と重みを、否が応でも感じさせられた。


「王族や教会関係者でなければ、入れない場所だ」


 ジュードの声も、堅くこわばっていた。


 唯一揺れているのは、壁の燭台に灯るロウソクの炎だけだった。

 その炎が揺れるたび、棚の間の暗がりもわずかに揺れ動く。

 まるで過去に記された記録たちが、今にも秘密を語りだそうとしているかのようだった。


 埃っぽさの中に、どこか甘い香りが漂う空気が記録庫を満たしている。

 古びた紙と蝋燭の油、そしてわずかに香る香油の匂いが混ざり合い、教会特有の重厚な雰囲気を作り出していた。


「なんだか寒いですね」


 ぽつりとつぶやいた私の声は、石造りの記録庫に吸い込まれるようにして消えていった。

 外では春の陽気が感じられるというのに、記録庫の中はまるで別世界のように静かで冷たい。

 厚い石壁が昼のあたたかさを遮り、空気はひんやりとして肌にまとわりつくようだった。


 そんな空気の冷たさに肩をすくめると、隣を歩くジュードがちらりと振り返る。


「すぐに終わるよ。……床が滑るから気をつけて」


 そう言いながら、彼はさりげなく私の肘に手を添えた。

 強く握るわけでもなく、ただ自然に支えるだけのその手から、あたたかさがじんわりと伝わってくる。


 記録係の老人が、手元の目録をめくりながら、私たちをいぶかしげに見た。


「3年前の教会保管物資の記録簿でございますか……。そんな記録をお調べになるとは、よほどのご事情と拝察いたします。ですが、正直申しますと、あまり閲覧されることもなく長らく棚の奥に眠っている巻物でございます。こちらでよろしければ、ご覧くださいませ」


 案内されたのは、奥の棚の前。

 積み上げられた巻物の束から、数本の巻物が慎重に取り出され、私たちの前に差し出された。

 指先が埃を舞い上げ、古びた羊皮紙の匂いが鼻をくすぐる。


「手分けして見よう。あの時期、クレアが亡くなる1ヶ月前――秋の初めを重点的に」


 私たちは椅子に腰かけ、黙々と巻物を読み始めた。

 記録は想像以上に膨大で、しかも字も記号も癖が強く、ひとつひとつ目を通すのに時間がかかった。

 そんな中、ふと私は視界の端に気になる文字列を見つける。


「……あった」


 声が震えそうになるのを必死に抑えながら、私は細い指で巻物の一か所を指し示した。

 その指先に全神経を集中させ、呼吸を整える。


「この持ち出し記録。間違いないわ。クレアを殺した毒」


 ジュードが身を乗り出し、眉をひそめて記録に目を凝らす。

 部屋の冷気がいっそう肌を刺し、空気が重く圧迫感を帯びていくのを感じた。


「日付は……3年前の9月7日。クレアが倒れる、ちょうど1ヶ月前だ」


 彼の声はかすかに震えていたが、強く張り詰めていた。

 その緊張感が、私にも伝わってくる。


「持ち出し者の欄に、こう書かれてる。“聖女の命により、対外使節への儀礼品として調整済み浄化素材を提供”」


 静かに、けれどはっきりと残された記録。

 それはこれまで仮説にすぎなかったものを、確かな事実へと変える決定的な手がかりだった。


 ジュードと視線を交わす。

 彼の顔には、緊張と抑えきれない興奮がにじんでいた。

 同時に、ようやく証拠を見つけたという安堵も浮かんでいる。

 私の胸にも、まだ言葉にできないさまざまな感情が広がっていた。


「これが、聖女ヴァネッサがクレアの死に関与していた証拠になる」


 帳簿のたった一行の記述。

 それだけのものだが、そこには見過ごすことのできない事実が記されている。

 この一文が、止まっていた時間を動かし、隠されていた真実を暴く決定打となる。


「“儀礼品”なんてもっともらしく書いてるけど、実態は毒の持ち出し。しかも“聖女の命”で。もう、言い逃れはできません」


 そう告げた私の声は、思ったより冷静だった。


 この毒は、“儀礼品”などと呼べる代物ではない。

 教会の外に持ち出されるなど、正当な理由がなければ到底ありえない、“禁忌の毒物”だ。


 ジュードは静かに立ち上がり、慎重な手つきで巻物を封筒に収める。

 その動作から、この証拠の持つ重みを彼が深く理解していることが伝わってきた。


「この記録を王宮に提出すれば、再捜査の要請ができる。教会も完全には無視できないはずだ」


 ジュードの声には揺るぎない自信があった。

 それでも、その表情は険しく、これが平坦な道ではないことを彼はよく理解しているようだった。

 私はそっと彼の手に自分の手を重ねる。

 冷たい石造りの部屋の中で、彼の手のぬくもりがじんわりと伝わってくる。


「……これからが、本当の戦いですね」

「ああ。聖女の仮面を剥がすときが来た」


 私たちは互いの瞳を見つめ、頷いた。

 ふたりの間にあるのは、もう後戻りのできない覚悟だった。

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