32.あなたの隣で、朝を迎える
朝の光が、薄いレースのカーテン越しにやわらかく差し込んでいた。
淡く染まる室内は、まるで夢の続きを見ているかのよう。
私はまぶたの裏に残る光の気配に導かれるように、ゆっくりと目を開けた。
静けさに包まれた部屋。
聞こえるのは、遠くでさえずる小鳥の声と、布のこすれるかすかな音だけ。
まだ世界が完全に目覚める前の、特別な静寂。
時が止まってしまったような、やさしいひとときだった。
見慣れない天蓋付きのベッド。
淡いクリーム色のレースが頭上に広がり、まるでおとぎ話の中にいるよう。
肌に触れるシーツはしっとりとなめらかで、ひんやりとした朝の空気をほどよく遮ってくれている。
そして何よりも、私のすぐ隣に寄り添うように眠る人のぬくもり。
ジュード……。
そっと視線を向ける。
彼の穏やかな寝顔が、すぐそこにあった。
長いまつげが頬に影を落とし、唇はいつものようにきゅっと引き締められているが、眠っている今は、どこか幼さすら感じさせる。
こんなにも無防備に、私のそばで眠ってくれている。その事実が胸の奥を熱くして、心をじんわりと満たしていった。
昨夜のことを思い出すと、自然と頬が熱くなる。
たったひと晩のことなのに、何もかもが少し違って見えるようで。
私の中の何かが、静かに、でも確かに変わった気がする。
言葉にできない想いが、胸の奥でふわりと広がる。
触れた指先も、重ねた鼓動も、すべてがやさしくて、あたたかくて。
たしかに彼が私を包んでくれた、そんな記憶だけが、今も私を静かに満たしていた。
このまま、時間が止まればいいのに。
そう思ってしまうほど、今のこの瞬間は、愛おしくて、心地よくて、何もかもが夢のようだった。
「おはよう、エマ」
低くかすれた声が耳元で囁かれ、ドキリと胸が跳ねる。
彼はもう目を覚ましていて、私の髪に唇を落としていた。
「おはようございます、ジュード」
私は照れながらも微笑み返した。ジュードの瞳が、やさしく細められる。
「ちゃんと眠れた?」
「はい、とても」
短いやりとり。
それだけで心が満たされていく。
彼の声を聞けるだけで、安心できるなんて。
「私、本当に、これからもあなたのそばにいていいんでしょうか」
そう問いかけると、ジュードは少しだけ真顔になり、私の手を取って自分の胸に当てた。
「君がそばにいない未来なんて、考えられない。僕は君と生きたい」
その一言に、涙がにじみそうになる。
昨夜の告白も、こうしてそばにいてくれることも、すべてが嘘のよう。
彼は私の世界を変えてくれた。
「ありがとう、ジュード」
そっと彼の肩に頭を預けると、彼は静かに髪を撫でてくれる。
その仕草が、たまらなく愛おしい。
けれど、その甘い静けさは、長くは続かなかった。
ふと、石造りの廊下から規則正しい木靴の音が響いてきた。
カツン、カツン。
音はゆっくり近づいては遠ざかり、けれど足音の主の姿は見えない。
私はそっと体を起こし、足音の聞こえる扉まで歩み寄った。
指先で扉の取っ手を静かに回し、ゆっくりと開けて外を覗き込む。
廊下は静まり返り、冷たい空気だけが漂っている。
誰もいなかった。
それでも、部屋に戻った瞬間、背後に冷たい視線が突き刺さるように感じられて、思わず身震いした。
まるで見えない誰かが、私たちをじっと監視しているかのようだった。
隣で静かに身を固くしたジュードが、ぽつりと呟く。
「気のせいじゃないな」
その声に、胸の奥が重くざわめいた。
見えなくても確かな気配が、私たちを包み込んでいた。
部屋の空気が重苦しくなる。
ジュードは深く息をつき、懐から慎重に一通の封筒を取り出した。
「エマ、これを受け取ってくれ」
手渡されたそれは、王宮の紋章が押された重厚な封筒だった。
私は指先でそっと触れ、その冷たさに身が引き締まるのを感じた。
「これは?」
問いかける私に、ジュードは目を伏せて小さく頷いた。
「兄上――ダナヒューからの手紙だ。君と話がしたいと言っている」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥に小さな波紋が広がった。
第一王子。かつて私が婚約していた相手。
静かな部屋の中で、私の鼓動だけが大きく響いていた。
「私と話したいって……」
言葉に詰まりそうになりながらも、私は封筒を見つめた。
けれどジュードは揺るがない眼差しで私を見つめ、静かに答えた。
「兄上が何を話したいのかは分からない。けれど、無視できない話だ」
私は深く息を吸い込み、手紙の封を切った。
懐かしい筆跡で、私とふたりきりで話をしたい旨が綴られている。
朝の風がカーテンを揺らし、静かな時間が部屋を包んでいた。
私は手紙を握りしめ、じっと見つめた。
これから何が起きるのか、まだ分からない。
ただ、この手紙が届いた時点で、もう後戻りはできないのだと悟っていた。




