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27.真実を告げる夜

 ヴァネッサの瞳が、ほんのわずかに揺れたのを私は見逃さなかった。

 けれど、それはほんの一瞬。すぐに彼女は、作り物のような微笑みを顔に浮かべてみせる。

 さも余裕たっぷりな聖女としての仮面を被り直すように、くるりとドレスの裾を翻してこちらを向いた。


「……まあ、ではご自身で語られるおつもりですか?」


 広間に、言葉では表現しきれない空気が走る。

 ざわめきが巻き起こる前の、息をのんだような静寂。

 その静けさの中心に、私はいた。


 もう一度深く息を吸い込む。

 逃げないと決めた。震える心ごと、真実と向き合うのだ。


「ええ、もちろんです」


 私はゆっくりと一礼し、そして顔を上げた。


「私はエメリナ・エクルンド」


 その名を口にした瞬間、空気が震えた気がした。


 ざわり、と人々の間に波紋が広がる。

 あの名前を覚えている者は、息を呑み。

 忘れたふりをしていた者は、動揺を隠しきれず。

 初めて聞いた者すら、その場に流れる異様な緊張に息をひそめた。


 数年の時が経とうとも、エメリナ・エクルンドという名前は、王都では「裏切り者」として記憶されていた。

 毒殺犯、王家に仇なした罪人。

 だがその名を、私は恐れずに口にした。

 私は、自分の嘘に、幕を下ろすためにここにいるのだから。


「この王宮に再び足を踏み入れた罪は甘んじて受けましょう。けれど、私は逃げも隠れもいたしません」


 その瞬間、周囲の空気が変わるのを感じた。

 注がれる視線。困惑、動揺、警戒。あらゆる感情が私に向けられる。


 視界の端で、ジュードが凍りついたようにこちらを見ていた。

 まるで時間が止まったかのように、彼はその場に立ち尽くしている。

 整えられた金色の髪も、気品ある姿勢も、今はどこか影を帯びていた。

 彼の薄橙色の瞳には、驚愕と混乱と、それに言いようのない痛みが浮かんでいた。


 否応なく突きつけられた現実。

 ジュードは、私がエメリナ・エクルンドだと気づいた。

 彼の初恋の人。かつて「悪女」として追放された罪人。

 今の私と、記憶の中の私とが、彼の中で激しくぶつかり合っているのがわかった。


 けれど、私は彼の目をまっすぐに見返すことができなかった。

 私の中にも、同じような痛みと葛藤が渦巻いていたからだ。

 ジュードに嘘をついていたこと、名前を隠し続けていたこと。

 どれも「守るため」だったと自分に言い聞かせてきたけれど、本当は、怖かったのだ。

 真実を知られたら、ジュードとの関係が崩れてしまうのではないか。

 その可能性に、私はおびえていた。


 それでも、もう目を背けることはできない。

 この瞬間を乗り越えなければ、私は何も変えられない。


「クレア様を殺した犯人が、今さら何を言うんですの」


 ヴァネッサの声が冷たく会場を切り裂いた。


「あなたは王都から追放されたはずでしょう? 自らの罪に目を背けたまま、こそこそと――」

「私は、王女殿下を殺してなどいません」


 静かに、しかしはっきりと私は言葉をかぶせた。

 どよめく会場。空気が一瞬で凍りつく。


「今夜この舞踏会に現れたのは、自らの潔白を晴らすためです。逃げたことなど一度もない。ただ、そうさせる力が、機会が、なかっただけ」


 そして、私はゆっくりと視線をヴァネッサに向けた。


「私は濡れ衣を着せられました。……そう、あなたに」


 その瞬間、ヴァネッサの笑みが、ほんのわずかに引きつった。

 彼女の完璧な仮面が、ひび割れる気配を私は確かに感じた。

 聖女の足元から、なにかが崩れ始めている。

 緊張が限界まで高まったそのとき、小さく私の名を呼ぶ声が聞こえた。


「……エメリナ」


 ジュードだった。

 低く、けれどかすれるように、心の底から絞り出すような声。

 彼の口から本当の名を呼ばれた瞬間、私はまるで心臓を握りしめられたような衝撃を受けた。


 彼の声音には、驚きと、痛みと、そして、どうしても否定しきれない感情の揺れがにじんでいた。

 信じていた名前が、偽りだったという事実。


 私は彼を振り返ることができなかった。

 その目に、どんな感情が宿っているのかを見るのが怖かった。

 失望か、怒りか、それとも。

 どれであったとしても、私はきっと耐えられなかった。


 もう後戻りはできない。

 今の私はあのとき、何も言えずに消えた公爵令嬢ではない。

 ただ黙って誤解を受け、罵られ、追放された悪役令嬢ではない。


 私は、真実を取り戻すためにこの場に立っている。

 かつて失われた尊厳と、奪われた未来を、たとえどれだけ傷つくことになっても取り返すために。


(さあ、ヴァネッサ。次は、あなたの番です)


 会場の空気がまた、静かに、しかし確実に変わりはじめていた。

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