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22.仕立て屋の静かなときめき

 朝のやわらかな陽ざしが、薄いカーテンを通り抜けて、小さな宿の部屋の隅々までやさしく満たしていた。すがすがしい空気の中で、私は机の上の荷物を整えている。

 そんな時、控えめなノックの音が聞こえた。


「エマ、ちょっといいかな?」


 扉の向こうから聞こえる声。

 私は心がほんの少し跳ねるのを感じながら、急いで立ち上がり扉を開ける。

 そこにいたのは、やわらかな笑みを湛えたジュードだった。


「実はね、そろそろ舞踏会の衣装をオーダーしたいと思っているんだ。今日はいっしょに仕立て屋へ行かないかい」

「私も、ご一緒していいんですか」


 ジュードは少しだけ目を細めて、くすりと笑った。


「もちろんだよ。むしろ、君に見てもらえたら僕は心強い」

「では、よろこんで。お供します」


 そう答えると、ジュードは嬉しそうに頷き、にっこりと微笑んだ。

 舞踏会はまだすこし先の話。

 そう思っていたけれど、その日が近づいてくるのを、肌に感じていた。



   ***



 王族御用達の仕立て屋の中は、上質な布地が壁一面に並び、独特の落ち着いた香りが漂っていた。

 ジュードはゆっくりといくつかの布を手に取り、じっくりと色味を確かめている。


 まずは漆黒のような深い黒。

 次にまるで夜空のような深いネイビー。

 そしてやわらかく光を反射するシルバーグレー。

 どれも高貴で上品な色合いばかりだ。


「この色、きっとジュードの肌がいっそう綺麗に見えますよ」


 私はふと、その中のひとつを指してさりげなく伝えた。

 するとジュードはにやりと笑う。


「じゃあ、君が見つけた色にしよう。君に似合うって言われたら、他に選べない」


 その冗談に、私は思わず顔が熱くなった。

 そんな私たちのやり取りを見ていた店主が、おだやかな声で口を開く。


「淑女用のドレスもお取り扱いがございますが、いかがでしょうか?」


 私はつい遠慮して首を振ろうとした。

 けれど、ジュードがやさしく私の手を握りながら言った。


「君にも相応しい一着を、ぜひ」


 その言葉に背中を押されるように、私は小さくうなずいた。


 ジュードが手に取った布は、光り輝くマンダリンオレンジ色だった。

 やわらかくて、どこか女性らしいあたたかみを感じさせる色合いだ。

 彼はその布と私の髪や瞳の色とを、そっと見比べていた。


「この色、エマに似合うと思う。太陽の光を受けた君の髪みたいなんだ。やさしくて、あたたかくて」


 ジュードの言葉に、私はまた少し呼吸を忘れそうになった。

 私は鏡の前に立ち、その布を合わせてみる。淡いオレンジの布が肌に溶け込むように馴染み、いつもよりやわらかく輝いて見えた。

 しばらくジュードは黙って私を見つめている。


「どう……ですか?」


 鏡の前で不安げに尋ねる私に、ジュードは少し照れくさそうに笑みを浮かべた。しかし、その瞳の奥には真剣な光が宿っている。


「……すごく、似合ってる。その色、君のためにあったみたいだ」


 彼の言葉に心臓が熱く高鳴った。

 軽口で「本気にしてしまいますよ」と返そうとしたが、できなかった。

 だって、ジュードの薄橙色の瞳があまりにもまっすぐだったから。

 ジュードはふと目を細めて、ドレスの布地に目を落とす。


「ここ。少しだけ、整えてもいい?」


 そう言うと、彼は静かに手を伸ばし、私の肩のあたりの布をそっと整えようとした。その距離が、急に縮まる。


 ほんの数センチの差に、息をのむ。

 お互いの目が合いそうになるその刹那、鼓動が耳まで響く。

 慌てて視線を逸らし、急いで話題を変えた。


「あの、丈の長さはどうしましょうか……?」


 私の声は少し震えていたかもしれない。ジュードもまた、苦笑交じりに視線を外し、軽く笑った。



   ***



 仕立て屋を出ると、夕暮れの空気はまだひんやりと冷たさを残していた。

 細い街路には柔らかな黄昏の光が降り注ぎ、街灯がぽつぽつと灯り始めている。

 ジュードは静かにあの淡いマンダリンオレンジの布地を思い浮かべているようで、少し微笑んでいた。


「あの布で仕立てたドレスで君が舞踏会に現れたら、きっと誰よりも注目の的だろうな」


 その言葉に、私は自然と顔がほころんでしまう。

 思わず肩の力が抜けて、軽く笑いながら答えた。


「冗談はやめてください。私はあくまで第二王子の引き立て役ですから」


 ほんの少し茶化すつもりで言ったけれど、彼はそんな私の言葉をまっすぐに受け止め、真顔で返してきた。


「僕はそう思っていないよ」


 その一言が胸にじんわりと沁みて、心臓がどきどきと高鳴るのを抑えられなかった。

 言葉にできない気持ちが胸の中で膨らんでいく。


 私は視線を少し落としながらも、彼の隣を歩き続けた。

 夕暮れの街並みが少しずつ夜の色に染まっていく中、帰りの足取りはどこか軽やかだった。

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