16.聖女の影と王女の面影
白昼の陽射しが、王都の街並みをやわらかく照らしていた。
石畳には陽が反射して、ところどころきらめきの粒が跳ねる。
宿屋への帰路。
私はフードを被ったジュードと連れ立って歩いていた。
穏やかな昼下がりの空気が、街のざわめきをゆっくりと遠ざけてゆく。
ふたりの足音だけが、均等なリズムで静かに響く。
時折、風が通り抜けるたびに、近くの菩提樹の葉がさやさやと揺れる。
ふと目に留まったのは、通りの角に佇む洒落た仕立て屋だった。
木の扉の上にぶら下がる小さな看板には、優雅な筆致で『ロゼ・オースチン』と記されている。
ショーウィンドウの中には、季節の花のモチーフをあしらったドレスやストールが、春の日差しを受けてやわらかく光っていた。
「ジュード。少しだけ寄ってもいいでしょうか? 急な旅だったので、着替えがあまり手元になくて……」
私がジュードの顔をちらりとうかがいながら尋ねると、彼はすぐに笑って頷いた。
「もちろん。なんだか恋人同士のデートみたいじゃないか」
冗談めかした言葉に、少しだけ頬が熱くなる。
扉を開けると、鈴が軽やかに鳴り、小さな店内に入った。
棚に並ぶ布地、壁にかけられた色とりどりのリボン、どこか懐かしい香りがほんのりと漂っている。
私は何気なく、一着のドレスに手を伸ばした。
淡いクリーム色に、繊細な刺繍が施された上品なデザインだ。
今は庶民である私には、不釣り合いなもの。
「それ、いいと思う。エマによく似合う」
背後から聞こえたジュードの声に、どきりとする。
振り向けば、彼がほんの少し、照れくさそうに笑っていた。
「平民の私には、似合わないかもしれません」
「そんなことはない。エマの髪にも瞳にも、きっとよく映えると思う」
ジュードのまっすぐなまなざしが、言葉以上に胸に響いた。
不意に鼓動が早まるのを感じて、私は思わず視線をそらす。
そして、ふと――一着のドレスに目が留まった。
「このドレス……」
吸い寄せられるようにして、その白いドレスに近づき、手に取った。
やわらかな生地、袖にあしらわれた小さな花のモチーフ、すっきりとしたウエストライン。
懐かしい。
クレアが、こんなドレスによく袖を通していたような気がする。
「姉上……」
エマの隣に立ったジュードが、ぽつりとつぶやいた。
彼も、同じことを思い出していたのだろう。
「……ああ、すまない。姉上も、よくそんな白いドレスを選んでいたんだ。懐かしいな」
その言葉に、エマの胸の奥がじんと疼いた。
ジュードの中には、今も鮮やかにクレアの記憶が息づいている。
そのとき、レジ奥から店主と思しき女性が姿を現した。
年配の、やわらかい物腰の女性で、白髪まじりの髪をきちんと結い上げている。
「あら、それは」
彼女の声に、私は手にしていたドレスを見下ろす。
「申し訳ないけど、それはご予約品なのよ。ちょっと前に、聖女様の使いの方がいらしてね。お取り置きしてあるの」
私は思わず、息を呑んだ。
「聖女様、ですか?」
「ええ。聖女様がたいそうそのドレスを気に入られたようで」
私は思わず、手にしたドレスにもう一度目を落とした。
クレアがよく身につけていたドレスに、あまりにもよく似てたそれに。
「……香りだけじゃない」
横で、ジュードが小さくつぶやいた。
彼の声は低く、けれど怒りを隠していない。
「服まで、姉上の真似をしようとしてるのか。彼女は」
私は、何も言えなかった。
香りだけでなく、身につける服まで。
それは偶然では済まされない。
聖女ヴァネッサは、意図的にクレアになり替わろうとしている。
「嘘で塗り固めて姉上の真似をして、いったい何になるというんだ」
ジュードの言葉が、胸にずきんと響いた。
嘘で塗り固められているのは、私も同じだからだ。
本当の自分を、彼にはまだ隠し続けている。
心の奥底で、名前すら偽りであることを呪った。
本当の私はエメリナ。
クレア殺しの嫌疑をかけられた元・公爵令嬢。
けれど今、“調香師のエマ”としてジュードの隣にいる以上、その秘密を打ち明けることはできない。
もし真実を話せば、今の心地よい関係が壊れてしまうかもしれないから。
それが怖くて、口をつぐみ続ける自分に、苦しさと後ろめたさが募るばかりだった。
「……少し休んだほうがいいかい?」
ジュードの声に、はっと顔を上げる。
その瞳には、私を気遣うやさしさがあった。
「すみません。少し驚いただけです」
笑ってみせるけれど、胸の奥はざらついていた。
偽りの香り、偽りの装い。
クレアの記憶をなぞり、まるで自分のもののように振る舞う聖女。
それに怒りを覚えるのは、ジュードだけではない。
私もまた、クレアという存在のすべてを冒涜されたようで、悔しくてたまらなかった。
「いったい聖女は、なにを企んでいるのでしょうか」
不安がじわじわと胸に広がっていった。




