幼馴染の引き立て役でした
エマ・ルゼットは幼馴染のシェイラ・コーウェンの事を嫌っている。
領地が隣接し、家もそれなりに近い。
更に母親同士が昔からの友人で、エマとシェイラが出会うのはそうなると必然であったのかもしれない。
幼い頃は嫌っていなかった。
出会った頃はエマだってシェイラと仲が良かった。
エマがシェイラを嫌うようになったのは果たしていつからだったのか……
正確な事は憶えていない。
ただ……そう、日々の積み重ねで嫌うようになっていったのだと思う。
エマもシェイラも幼い頃はどちらも愛らしい容姿であった。
どちらも親から可愛い可愛いと愛され育ってきた。
そうしてすくすくと成長していくにつれ、差が出るのは当然だったのだろう。
エマは相変わらず愛らしいと言われる娘に育ったけれど、シェイラは美しいと言われる娘へと育った。
背も伸びて、出るところが出て引っ込むところは引っ込んだ美女へと育ったシェイラと、実年齢より少し幼く見られるエマ。
同じ年なのに並ぶとまるでエマの方がどうしたって年下に見えるようになってしまった。
だから、だろうか。
貴族学院で多くの令息たちはエマとシェイラが一緒にいても、大抵はシェイラしか視界に映していないようではあった。
いつだったか。
授業が終わってタウンハウスへと戻ろうとしていたエマの耳に、令息たちの話し声が聞こえてきたことがあった。
内容はどこそこの令嬢がいいだとか、そういうある種ありがちな内容だった。
そこであがった名前はエマも知る有名どころ。
とはいえ、身分の高い令嬢たちは話をしている令息たちからすれば高嶺の花。婚約を申し込む以前に既にお相手がいるような令嬢ばかりだ。
だからこそ、婚約者がいないであろう令嬢たちの中ならどうなんだ、みたいな内容になったのは自然な流れだったのかもしれない。
そこでいくつかの名が出て、その中にはシェイラもいた。
というか、その中ならシェイラが圧倒的に人気だったと思う。
エマもシェイラも男爵家の令嬢だ。
エマには未だに婚約の打診なんて来ないし、ましてや両親が探していても中々いいお相手は見つからない。
エマには少し年の離れた兄がいるから、いずれエマはどこかに嫁に行かなければならない。いつまでも家に居続けるわけにもいかないし、しかし男爵家ともなるといい結婚相手というのはそう簡単に見つからないのである。
高位身分の貴族なら幼い頃に政略で、だとか、そういう事もあるのだけれど。
エマの家はどこにでもある普通の男爵家だと思っているし、実際それは間違いではない。
なので他の貴族の家からこぞってエマに求婚を申し込まれる、なんて事にはならないのである。
結婚相手を貴族ではなく裕福な平民層まで広げれば見つかるとは思うけれど。
裕福な平民が皆貴族と繋がりを持ちたいわけでもない。
下手な相手に婚約の打診をしても、すげなく断られる事だってあり得るのだ。
いっそ修道院とか、どこぞの尊い身分の家で侍女とか。
そういう風に今後の身の振り方を考えた方がいいのかもしれないわ……とエマは考えるようになっていた。
だって、令息たちの話の中でエマの名前は特にあがらなかった。
いや、出るには出たのだ。
なんだっけ、ほら、あの……シェイラ嬢の近くでよく見かける……
あぁ、いたな。
同じ年には見えないよな。どうしたって妹とかそういう感じ。
そんな風に言われてしまった。それどころか、令息たちの口からエマの名前が直接出たこともなかった。
恐らく記憶にないのかもしれない。
つまりはそれくらいの存在でしかないという事。
シェイラとはよく一緒にいるけれど、でもその近くにいても名前すら憶えられない。その程度の存在がエマなのである。
一応、かろうじて。シェイラの友人だとか、そういう認識ではいるようなのだけれど。
だが、そんななので学院でエマに話しかけてくる令息は大抵、エマの友人であるシェイラ目当ての者たちだった。
自分から声をかけてシェイラに余計な警戒をされるのを避けたくて、知り合いを経由して紹介してもらおう。そんな考えの者たちばかりだ。
大半がそれで、エマは学院で将来の結婚相手になるかもしれない令息がいる可能性を割と早い段階で諦めた。
どいつもこいつもシェイラシェイラと馬鹿の一つ覚えみたいにエマの前でそればかりなのだ。
令息にとっては初回の頼みかもしれないが、他の令息からも同じ事を言われているエマからすればうんざりである。
幼い頃はあまり気にした事もなかったけれど。
それでも成長するにつれ、二人には明確な差が生じた。
それはいい。エマとシェイラは違う家の人間なのだから、違うのは当たり前だ。
親が同じでここまで違うとなったらエマだってもう少し思い悩んだりもしただろうけれど、そうではないからこそ諦めたし受け入れた。
だが、それでもエマは徐々にシェイラの事が嫌いになっていったのだ。
これも、最初は何だったのかエマにはもう憶えていないけれど。
それでも無理に思い返してみれば、恐らく最初は何か……持ち物だったと思う。
エマが気に入って身につけた物を見て、シェイラがそれ素敵ね、と言ったのが最初だっただろうか。
どこで手に入れたの? なんて聞かれてエマは自分が気に入った品が他の人からも好意的に思われた事が嬉しくて、隠す事なく教えたのだ。
そうしてシェイラは早速その店で品を購入した。
それを身につけたシェイラは、他の友人たちから褒められていた。
まぁ、素敵ね。
一体どちらの商品なの?
そんな風に。
既にエマが持っているのに、エマが身につけても周囲は気にもしていなかったのに。
シェイラはエマに教えてもらった、とは言わず店の名前だけを口に出したのも、後になってからなんとなくもやもやした。
まだ淑女教育も始まったばかりだった頃だったとは思う。
当時、友人たちもまだまだレディというには足りない部分が多かったけれど、それでもその中でシェイラは周囲よりは目立っていた。
立ち居振る舞いは他とあまり変わらなくとも、その美貌によってカバーされていたのだろう。気づけば友人たちの中でもシェイラは中心にいて。
その頃から、そこはかとなくエマはシェイラの腰ぎんちゃくだとか、取り巻きのように言われる事もあった。
増えてきた、とまで言えないのは、エマの存在が薄かったからだろう。
シェイラによって広められた物を既にエマが持っていても、シェイラの真似をしたと思われてもいた。自分の方が先なのに。
それだけならまだ、そこまでシェイラを嫌う事もなかったかもしれない。
けれど、シェイラは。
エマから教えてもらったの、なんてフォローを一度もする事なく、シェイラを追いかけて同じものを買っているように周囲がエマの事を思っていても、ただ見ているだけだった。
多分その時点でうっすら嫌いになってたんだと思う。
嫌いとハッキリ自分の中で自覚する事がなくても、なんとなくシェイラの事は信じちゃいけない……くらいには思っていた。今にして思えば、というやつだが。
最初はそういった、どこぞで手に入れた品が切っ掛けで。
学院に入るより前にも何度か婚約の打診とかはあったけれど、婚約者になる前にと何度かお茶をしたり健全なお付き合いの範囲で街に出かけたりした時にばったり出くわしたシェイラを見ると、皆ころっとシェイラに靡くのもあって。
嫉妬、と言い切っていいものかはわからないけれど、それもまたエマがシェイラを嫌う要因の一つになっていたのは否めない。
シェイラを前にすると令息は直前まで一緒にいたはずのエマの事など存在丸ごと忘却するようで、それ以降見向きもされなかった。
シェイラが美人なのはそうだけど、でも、それでも惨めに思うのは仕方がなかった。
ちょっとくらいシェイラを目で追うくらいなら、まだエマだって心の中でそうだよねシェイラ美人だものね、と思うだけに留めて何事もなく令息と接しただろう。
けれども新しい玩具を買ってもらった途端、古い玩具には見向きもしなくなる幼子のような気軽さでエマの存在をそういう風に扱われてしまえば、心の中だけで留めるのも難しい。
次にいつ会うかの話をしていたとしても、シェイラと会ってしまえばその次は永遠にやってこなかった。
押せ押せでシェイラに好意を向けていた令息たちと、シェイラは何度かは会ったようだけど、その誰ともシェイラは付き合わなかった。
どうしてなのかと思って聞けば、何というか誠実さに欠けるから……と言いにくそうに答えてくれた。
不誠実。
確かにそうなのかもしれない。
エマの婚約者候補として出会ったし、これから先の事を考えて上手くやっていけるかどうかの顔合わせの段階でコロッとシェイラに靡いてエマの事を蔑ろにするような相手だ。
そういう意味では不誠実と言ってもいい。
エマの家もシェイラの家も男爵家という同じ身分であるのも令息たちにとって鞍替えする事を躊躇わない原因の一つなのかもしれない。
もしシェイラの家が伯爵家や侯爵家といったもっと上の家格であるのなら、エマの婚約者候補の令息たちからすればまさしく高嶺の花。シェイラに婚約者がいなくたって、では自分が……! と名乗りをあげるにはあまりにも烏滸がましいと思っただろう。
だが同じ男爵家の令嬢なのだ。
それならば、自分でも結婚できる可能性はある、そう思ったのかもしれない。
どちらにしろ、エマとの相性を見るべく仮の婚約者としての段階であっさりシェイラに流れるような男をエマは選ぶつもりはないし、その時点で令息だってエマの存在まるっとなかった事にしているようだし、更に言うならそんな男とエマを結婚させるなんて論外だ、とエマの両親だって反対するので、シェイラに靡いた時点でご縁がなかったという事になる。
学院に入る前の時点でそんな事が何度かあって、学院に入った時には既にシェイラという美貌の令嬢の事はそれなりに噂になっていた。
今までそこまで噂になっていなかったのは、お互い領地で暮らしていたからというのもある。
けれども、王都の学院に年頃の男女が多く集まった時、その噂はエマが想像した以上に広く出回っていたのである。そうして、エマという存在がシェイラの近くにいると知って、彼らはエマにシェイラを紹介してくれと詰め寄った。
シェイラに婚約者ができていたなら、そんな風にエマに話を持ち掛けてくる令息はいなかっただろうに。
どうしてシェイラは結婚相手を決めていないのかしら……
エマがうんざりしてそう思うのも、仕方のない事だったのかもしれない。
一度や二度ならそう思わなくても、そうやって声をかけてくる令息の数が十を超えた時点でうんざりもする。まだ百まではいっていないけれど、いずれは到達するのではないかと思えてくる。
そもそも学院に婚約者のいない令息が一体何名いるかまでエマは把握していないので、百まで行かない可能性も勿論あるけれど。
うんざりしながらも、幼馴染という立ち位置のせいかシェイラはよくエマに話しかけてきたし、そうなるとエマから無下に扱うわけにもいかない。
エマとシェイラの母親はお互い仲が良いけれど、別に娘にまでその関係を強要してはいないから、学院に入ってからはエマだってシェイラ以外の友人を作ろうと思っていたけれど。
しかし華やかな美貌で目立つシェイラが近くにいると、エマはいつも日陰のように目立たない存在となってしまって。
友達になりたくて声をかけた令嬢からも、あぁ、コーウェン男爵令嬢の近くによくいる……とまるで取り巻きのような認識でしかなかった。
シェイラを抜きにして人間関係を構築したくても、シェイラが学院内で有名な存在になったせいでそれも難しい。
下手にシェイラに冷たい態度をとって遠ざけようとしたとしても、エマは察してしまった。
下手な態度をとれば、いかなる理由があろうとも悪いのはエマだとなってしまう可能性を。
全部が全部、シェイラが悪いわけではない。
けれどもシェイラのせいで息苦しさを感じていた。
大体同年代で家柄が釣り合う令息たちとの見合いもどきはこの時点でほぼ絶望的となった。
というか、学院に入って一年の間で目ぼしい相手は駆逐されたといってもいい。
二年に上がってからエマはもう貴族じゃなくていっそ平民の裕福な商人とか、そっち方面から相手を探した方がいいかもしれない……と思うようになっていた。
シェイラの周囲には、今までエマを経由してどうにかお近づきになろうとしていた令息たちではなく、それよりも上の――伯爵家からそれ以上の身分の令息たちが近づくようになっていた。
エマもシェイラも一年の時は学院の淑女科で授業を受けていたけれど、エマは何となく将来商人の嫁になる事を考え始めていたので。
二年になってから経営科を選択する事にした。
それもあって物理的にシェイラと離れる事に成功したのはエマにとっても良かったと思える事だったのかもしれない。
ただ、そのせいで今までは教室などで話しかけられたりしていたのが、昼食時、食堂などでシェイラに見つかると高確率で相席をする羽目になってしまったが。
シェイラの近くには本来ならエマが関わる事もないような身分の高い令息たちもいて、同じ科、同じクラスにいた時以上にエマにとってはキッツイものがあったけれど。
昼の間だけ……昼の間だけ……昼休みが終われば解放される……!
そう心の中で何度も唱えてやり過ごす事にした。
「ねぇエマ、貴方どうして経営科にいったの?」
だから、食事を終えても席を立つに立てないエマにシェイラがそんな風に疑問を投げかけるのは、いつかやってくるだろうなとは思っていた。それでもせめて、彼女を取り巻いている令息たちがいない時に声をかけてほしかった、という思いは消えないが。
「どうって……嫁にいかずに家にいつまでもいるわけにはいかないし、家柄が釣り合う相手との縁もなかったし。
学院を卒業した後、それならいっそ手に職つけるべきかなと思ったから……だけど?」
本心をそれなりに隠しつつ答える。
言った事全部が正解ではない。
いずれ商人の家に嫁ぐ可能性も考えて、とか流石にそこまで言うのはちょっと惨めだったし、打算まみれすぎて周囲から後がなくて必死ねと陰で笑われる可能性もあった。
シェイラに群がる男性にエマは興味がないけれど、周囲は生憎そうは思ってくれていないのか、おこぼれにあずかれなくてお可哀そうに……と憐れむように馬鹿にしてくる者もいた。
そんな令嬢たちの中には自分の想い人や婚約者もシェイラに目がいっている者もいて、内心嫉妬しているのがわかる者もいた。そんな令嬢たちは面と向かってシェイラに文句をつけに――いけなかった。
シェイラは自分から令息に言い寄った事は一度もない。
向こうからやってきたから一応話はするけれど、それ以上でも以下でもない。
それなのに婚約者のいる殿方に近づくのは~だとか、そういう事を言えばどれだけお門違いな事を言っているか。嫉妬からくるものであっても流石にそこまで理性を投げ捨ててはいなかったから、シェイラには何も言えなかったのだ。
かといって婚約者に注意したところで、あちらも恋人のような関係をシェイラと築いているわけでもないので、やましい事などしていないと言い張れる。
その上でシェイラを貶めようと悪い噂を流そうにも、そうなれば彼女の美貌に嫉妬して醜い事をしていると思われて自分が想いを寄せる相手から悪く思われるのは自分だ、とわかる程度には理性があるせいで、手を出そうにも出せないのが現状であった。
シェイラがもっと己の立場も何も考えず周囲に媚を売るような娘であったなら、周囲の令嬢たちもさぞやりやすかっただろうけれど、しかしそうではなかったせいで。
ただただ遠くからぐぬぬ……! と内心ハンカチ引き千切る勢いで睨むか、近くでシェイラと親しい友人面しながらどうにかいい方法がないものかと考えあぐねている者たちが多い、というのはエマも流石にわからなかったけれど。
一部の聡い者たちからすると、シェイラの周辺は色々と面白い事になりそうな雰囲気が漂っていたので。
高みの見物をしようと思う者たちも含め、シェイラの周囲には多くの人が集まるようになってしまっていた。
そのせいでシェイラに話しかけられると嫌でもその時だけはエマも注目を浴びるから、とても胃がキリキリするようになってしまった。エマがシェイラを嫌う原因が一つ増えた瞬間である。
シェイラとの接点を物理的に減らしたものの、そのせいでシェイラはエマを見つけるとエマのところへやって来るようになってしまった。
シェイラには他にも友人がいるのにどうして自分にばかり構おうとするのかしら、とエマとしては内心鬱陶しく感じるものの、しかし冷たい態度をとれば周囲が何を言うかわかったものではないので仕方なく相手をするのが、二年になってからの常であった。
どうやらシェイラには婚約のお誘いが多くやってくるようになったようで、彼女の口からは実に様々な令息の名が出てきたけれど。
「ねぇ、エマ。どう思うかしら?」
シェイラはそうやってエマに問いかけるのだ。
エマからすれば実にどうでもいい話である。
いや、これがもっと親しい友人相手であるのなら、その方確かこんな噂があったと思うわ。よく調べてからの方がいいと思うの。とか、まぁ素敵な方。羨ましいわ、だとか、そういう風にこたえもしただろう。
だがエマはシェイラと親しいわけではない。
シェイラはもしかしたらエマに対して親しみがあるのかもしれないが、エマのシェイラに対する親しみはとっくに擦り切れてしまったので。
なのでシェイラを妻にと望む令息の方々については。
「どうでもいいわ」
これに尽きるのである。
だってエマと違って選り取り見取りなのだ。それだけ選択肢があるならそれこそそこから好きなの選べばいいじゃない、とエマは思うのだ。
自分は婚約者になるかどうかの時点で、シェイラを見た令息はその時点でエマの存在なんて忘却の彼方状態になっていたから、選ぶ以前の話だった。
エマは選ぶ側ではなく、選ばれる側で。
シェイラは選ぶ側。
男爵令嬢という身分だけで見るならばシェイラもエマと同じはずなのに、それでもそれくらいの差があった。
「どう、も何も。シェイラが良いと思った方を選べばいいでしょう」
だから、そんな風に当たり障りない答えを返すしかしなかった。
これが自分の姉や妹の婚約者になるかもしれない相手であるなら、エマだってもうちょっと親身になった。まぁエマには姉も妹もいないけれど。
シェイラとはあくまでも母親同士が仲が良い事で関わる事がそこそこあった単なる幼馴染であって、友人と呼べた時期はとっくにエマの中では終わっている。
率先して地獄に落ちろとまでは思わないけれど、エマにとってはもうシェイラの存在は幸せになろうと不幸になろうとどうでもいい他人でしかなかった。
だというのに、シェイラはその答えに納得がいかないようで、その後も何度か顔を合わせるたびにエマに誰を選べばいいか、執拗に聞いてきた。
一度や二度ならまだエマだってそんなに悩むだけ相手がいるなんて羨ましいわ、とか言えたかもしれない。
けれども三度、四度、五度……とシェイラは昼食時に食堂にやって来ては食事そっちのけでエマを探し、エマを見つけては毎回同じ事を聞くのだ。
正直に言って、鬱陶しい。
あぁこれ、もしかしなくても相手がいない私を遠回しに見下してるのかな……? なんて思うようになったっておかしくないくらいシェイラは毎回同じ事を言うのだ。
エマは男爵家の令嬢ではあるけれど、そこまで気位が高いわけではない。
だから内心でイライラするだけだったが、これがもし、もっと身分の高い本当に気位の高い令嬢相手だったなら。
今頃きっと、熱々のスープを頭からかけられていてもおかしくはないんじゃないかしら……?
エマがそう思うくらい、シェイラはしつこかった。
今までは。
少なくとも去年、エマがまだ淑女科にいた時はシェイラの周りには令息だけではなく、令嬢たちも多くいた。エマ以外にもシェイラにだって友人と呼べる相手は多くいたはずだ。
けれど、シェイラに婚約希望者が集中したせいで、エマ以外にも結婚相手が見つからずあぶれている相手もそれなりにいた。そしてそんな令嬢たちがいる中で、わざわざエマに近寄っては、
「結婚相手に誰を選べばいいかしら~、選択肢がたくさんあって困っちゃ~う」
と受け取られてもおかしくないやり取りを何度もやらかしているのだ。
まぁそんな嫌味な言い方はしていないが、そういう風に受け取られるくらい何度もやらかしたせいで、シェイラは一部の令嬢たちから距離を置かれるようになっていた。
誰でもいいからさっさと決めてしまえば、振られた令息たちだって諦めて次の相手を探すだろうに。
しかしシェイラは誰を選べばいいか悩むわ……と物憂げに言って一向に選ぶ気配がなかったので。
周囲がやきもきした状態になっている事に、当事者であるシェイラだけが気付いていなかった。
あまりにも執拗に同じ問いを繰り返されたから、エマも相当イラッとしていた。顔に出さないだけの分別はあったけれど、淑女科にいた時以上にシェイラの事が苦手というか嫌いになっていくのを感じていた。
だから、というわけではないけれど。
これ私が答えない限りシェイラは婚約者を選ぼうとしないのでは……? といやまさか自分の将来の事だしまさかね、と思いながらも、あまりにも同じ質問を繰り返されるから面倒になってしまって。
「私だったら誰も選ばないわ」
そう、答えた。
いやだって、実際エマにはそんな相手がいないから。
正確な答えは、自分には相手がいないから選べる立場じゃないから、選ばないではなく選べない、なのだが。
シェイラに求婚している相手をエマが選ぶのは普通に考えてもおかしいわけで。
エマに複数の求婚者がいて、誰を選ぶつもりなの~? と聞かれるのなら、もうちょっと真剣に考えた。
けれどシェイラの結婚相手を何故エマが真剣に考えなければならないのか。
どうせ誰答えたところで違う人選んではっずれー☆ とかやらかすんじゃないかしら……とも思い始めていたのだ。内心やさぐれまくっていたエマは。
正直本当にどうでも良かった。
シェイラに求婚してきた令息たちは、ロクでもない噂がある人から彼を選べば安心だろうと思える者まで実に多くいたけれど。
どうせ結婚するのはシェイラだしな……と誰選んでもそれがお前の人生だ、くらいの他人事だったので。
エマとシェイラの母親はずっ友かもしれないけれど、エマはもうシェイラの事は幼馴染であって友人だとは思っていない。もし学院を卒業して、その後でエマが結婚した後、家庭を築くようになってもまだ付き合いを続けたい相手ではないのだ。だから別に誰を選んだところでエマにとっては心底どうでも良かった。
エマの答えを何らかの参考にしたいにしても、エマだってそんな人生を左右するかもしれない事を気軽に委ねられても困る。
あの時エマが言ったから彼を選んだのに! なんて何年も後になって恨み言を言われるかもしれない事も考えられてしまったし、だったら誰も選ばない、という答えはエマにとって実にナイスな回答だと思えた。
シェイラだってそんな風に言われれば、こいつ役に立たないわぁ……なんて思ってこの先エマと関わらなくなってくれるかもしれない。
好きでもないけれど、積極的に嫌っていきたい相手でもない。
お互い穏便に距離を取れるのなら、それに越したことはなかった。
――後日、シェイラが婚約の打診をしてきた相手全てにお断りした、という話を聞いて、エマは思わず「え?」と聞き返すくらいには驚いた。
その話を持ってきたのは、同じ経営科のミア子爵令嬢だ。
どこかおっとりした風貌ではあるが、その中身は叩き割られたガラスのように鋭い。
令嬢に対する感想ではないが、その見た目に騙されて侮ると痛い目を見るのは間違いではなかった。
「なんか最近食堂の雰囲気暗いなとは思ったけど……もしかして原因それ?」
「もしかしなくてもそれですわ。花の蜜に集まる虫みたいに群がっていた令息たちの誰も選ばれなかったとなって、集団失恋。
コーウェン男爵令嬢って将来どうするおつもりなのかしらね?」
そんなミアの疑問に、エマもまた思わず首を傾げていた。
そういえば、どうなんだろう……?
エマには兄がいるから嫁に行くしかない。いつまでも家にいては、兄の結婚相手だって困るだろう。ひとつ屋根の下に小姑とか、仮に仲良くやれたとしてもそれでもちょっと遠慮したい。
せめてご近所とか、ちょっと距離があるならまだしも。
シェイラの家は弟がいて、彼が将来男爵家を継ぐ事が決まっている。
シェイラの祖父母、とくに祖父が孫息子に期待をかけて手塩にかけて育てているのをエマは知っていた。
孫娘に関しては将来素敵な方のところへ嫁げればいいな、くらいの、シェイラの美しさを使いに使って高位貴族と縁づこうとか、そういった野心はなかった。
シェイラの両親も祖父母も、エマは知っている。ギラギラとした野心みたいなのは持っていないし、それもあってシェイラの弟の結婚相手はそれなりに選んでいるようだけど、シェイラに関しては駒のように扱われるわけでもない。許される範囲で、好きな人を選んでもいい自由はあった。
だから沢山の令息から求婚されて、悩んだのだろうな、とは思うけれど。
ぶっちゃけるとエマはシェイラがどういう殿方を好むのか、とかそういうのも知らないのだ。
なので、どうすればいいかしら、とか、誰を選べばいいかしら、なんて聞かれても、何度聞かれたところで知らん自分で決めろという答えしか返せない。
あまりにも漠然としすぎている質問に明確な答えを出せというのがそもそも無理だった。
ふわっとした答えでいいなら、それこそシェイラがビビッと来た人選べばいいよぉ~とかゆるっと返せたかもしれない。まぁそこまでの親しみはないが。
シェイラだってどこかの家に嫁に行かなきゃいけないはずなのに、結局誰も選ばないとか、本当にどうするんだろうな……? とはミアに言われてエマも疑問に思いはしたけれど。
母親経由でそういうのを聞くほどの興味も持てなくて。
まぁシェイラだってシェイラなりに考えているのだろう。
そう思う事にした。
そうして三年目。
学院で結婚相手を見つけるのは難しいだろうな、と思っていたエマは兄の知り合い経由で裕福な商人の家に嫁ぐ事が決まった。
嫁げなくても将来的にそういったところで働く事を考慮して経営科を選んだけれど、まさか本当に商人のところに嫁ぐ事になろうとは。
今まではとりあえず手に職つけるつもりで、という程度でハッキリとした目標もなかったが、自分の夫になる予定の男性とは何度か話をしたけれど、エマの中で彼は当たりである。
彼の力になりたい、と思えるようになったので、より勉学に身が入った。明らかにやる気が出た事で、成績もぐんと伸びた。
シェイラの婚約者誰にすればいいと思う? 事件からエマはそもそも食堂を利用する事をしなくなった。
あの質問に答えた後、今度は別の面倒な質問をされるかもしれないと思えたし、何というか本当に関わりたくなかったのだ。食事くらいゆっくり食べさせてほしいのに、シェイラのどうでもいい話に付き合わなければならないとか、考えれば考えただけうんざりだった。
それもあってあれ以降、使用人に頼んでランチボックスを作ってもらって教室で食べる事にしていた。
だからシェイラが婚約希望者全員振ったという話をミアから聞かされる事になったのだが……
そんなミアが、またも思い出したようにエマにシェイラの話題を出したのは、卒業まであと半年といったところであった。
「そういえば、コーウェン男爵令嬢。彼女学院退学したみたいね」
「えっ!?」
「あら、知らなかったの? お友達だったのよね……?」
「お友達っていうか、親が仲いいだけの幼馴染。私とシェイラはそこまで仲なんて良くなかったわ」
「まぁそうなの?」
「何よ、そのなんとも言えない顔」
「なんともっていうか……そうね、コーウェン男爵令嬢の話は色々と聞こえてきていたから、てっきり少しくらいは知ってると思ったのよ。
でも一切何にも知りませんっていう反応されたから……」
「将来どこぞに嫁入りして女主人として切り盛りしていくつもりなら淑女科にいたままだったし、その場合はある程度噂話にも耳を傾けなきゃいけなかったけど。
でも私経営科に転向して嫁入り先が平民の家になったのだもの。社交界とは無縁になるわけだし、そうなれば情報を集めるにしても所かまわずってわけにもいかないでしょ?
レイニーヴィル公爵家とか、スラストリア伯爵家とか、そういう注目すべき家の話題ならともかくコーウェン男爵家とかそこまで重要じゃないもの」
「それもそうね……」
エマが言えば、ミアも納得はしたのだろう。
シェイラに注目していたのは大抵淑女科で同じ家格の令嬢たちや、あとは今でも彼女に想いを寄せている令息たちか。
「それで、何で退学したとかは知ってるの?」
「あら、気になるの?」
「知らないままならともかく知っちゃったもの。だったら、多少はね?」
そう言えば、ミアは肩をすくめて仕方ないわね……なんて勿体ぶりながらも教えてくれた。
それからタウンハウスへ戻って母にコーウェン男爵家について聞いてみれば。
どうやら既に母も知っていた話らしく、私にもわからないのよ……なんて困りながらも知っている範囲で教えてくれた。
母とミアの話を合わせる。
シェイラは三年になったら経営科に進みたい、とどうやら両親に訴えたそうだ。
今更別の科に進むにしても、明確な目的ができたのであればともかくそうでないのなら正直時間の無駄である。
たとえばシェイラの弟が死んで、自分が後を継ぐしかない、なんて事になっただとかであれば卒業まであと一年という時に淑女科から他の科へ移るなんて事も必要になるかもしれないが、少なくともシェイラにはそういう事情はなかった。
だからこそ当然経営科への転向は認められなかった。
それどころか、多くの令息たちに婚約者として望まれていながらもそれら全てを断った事も両親にとっては問題だった。
家同士の縁を繋がない方がいいような家もあったけれど、それでも多くはシェイラの両親から見ても良縁だと思えるものだったのに、それら全てシェイラは断ってしまったのだ。
政略結婚をさせるつもりはなかったが、こんな事になるのならいっそ釣書が多数あった時点でこちらで決めてしまった方が良かったのかもしれない。そう両親が後悔したところで今更であった。
断ったのにやっぱり婚約しましょう、なんて言うのも問題がある。
何らかの事情があって両家が納得できるのならまだしも、そうでなければ一度は断っておきながら改めて婚約をなんて持ち掛ければ、家を馬鹿にされていると思われても仕方がない。
コーウェン男爵家の身分でそれをやるのはあまりにも危険であった。
ハッキリとした目的があるでもないのに科を移りたいという話も、あれだけ選び放題だったはずの婚約者候補を全て断ってしまった事があったせいで両親は許さなかった。
しかも今から経営科に移ったところで、淑女科と経営科は学ぶ分野が大きく異なる。
そのせいでシェイラの成績はきっと大きく下がるだろう。
いくら問い詰めてもハッキリとした答えらしいものは返ってこず、では学院を卒業した後シェイラはどうするつもりなのかと問えば、
「まだ聞いていないからどうにも」
と、わけのわからない事を言い出した。
聞く、とは誰にと問えば、エマだと言う。
そういえば……とエマは思い出した。
婚約者を選ぶ話が出てから、エマは本気でシェイラと関わらないようにしようとしていたが、その後になって母にシェイラと最近どうなのか聞かれたわね……と。
その時は科を移ったから接点なんてほとんどないと答えて、母もそれに納得したのでそれ以上聞かれる事もなかったが。
だって、休日に友人の家に誘われた、とかそういう話をしたことはあるけれど、エマの口からシェイラに関しての話題は一つも出なかったのだ。
エマの母もわかっていた。
確かにシェイラの母とは昔から仲の良い友人だけど、娘はそうではないのだと。
娘には娘の人生があるし、人間関係だってそう。
勿論大切な友人の娘という事で、エマとシェイラが仲良くしていけるのなら嬉しいが、そうでなくたって相性の問題もあるし、それならそれで仕方ないと思ってもいた。
憎み合って殺し合うような事にならない限りは、仲がそこまで良くなくたってそれならそれで仕方ないと思っていた。
それ故に母としては、エマの口からシェイラの名前が出てこないようになった事に関しては、仕方のない事と受け止めていたのである。
エマが選んだ相手となら結婚する、と言い出したらしいけれど、それもそういえば母に聞かれた事があったな、とエマは思い出していた。
貴方、幼馴染の婚約者にまで口出すつもりあるの? と母が問えば、エマは何のことかわからないながらも、何でそんな面倒な事を? と聞き返したのだ。
将来自分が生んだ子に関してなら口を挟む事もあるかもしれないけど、幼馴染? シェイラでしょ?
あれだけ相手がいるんだから、好きなの選べばいいでしょうに。
大体私、シェイラの好みの殿方も知らないのよ? それなのに口を出すって意味がわからないでしょう?
なんて、確かに返した。母も確かにそうねと納得した。
シェイラの言動は考えれば考える程おかしい気がして。
このまま結婚しないのなら、学院を卒業後どうするつもりかと聞いてもシェイラは何も答えなかった。エマが経営科に転向したなら私もそうすればよかった、なんていうものだから、シェイラの両親は色々と頭の痛い思いをしたらしい。
淑女教育が中心となる淑女科と、領地を経営したり商会を作って、なんて事をいずれやるだろう相手のための経営科とでは、授業の内容もかなり違う。
シェイラの成績では経営科にきたところで、それも卒業まであと一年という段階で移ったとしても、淑女科の成績より酷いものを晒すだけになるだろうし、特に何も考えずエマの後追いをしようとするなんてシェイラの両親も思っていなかった。
どうやら両親とシェイラとでじっくりと話し合いをしたものの、シェイラはエマのようにしていれば大丈夫だから、と言い出したのもあって。
もしかして我が娘は心を病んでしまっているのではないか?
そんな風に考えたらしい。
そうしてこのまま婚約者もできずに学院を卒業後も家に居座られても困るし、かといって手に職をつけようとかそういうわけでもない。
このままでは行き遅れになってしまうし、親の欲目ではないがシェイラは美しい娘だから。
このままではどこぞの身分だけは高い貴族の後妻となってしまうのではないか。
家にもっと権力があればともかく、コーウェン家は男爵なので正直身分が上の貴族は沢山いる。断れないようなところからそんな話を持ち掛けられたらシェイラが不幸になるとわかっていても、家を潰すわけにもいかず差し出すしかない状況になってしまうかもしれない。
最悪の展開を想像して、そうしてシェイラの両親は、シェイラは心を病んだ事で休養させるべく学院を退学させ、修道院へと送ったとの事だった。
修道院へ送られる事に関してシェイラは納得がいかないようで、エマと話をしたいと言ったようなのだが。
シェイラの両親からエマの母親経由でエマは確かに言われたのを思い出す。
シェイラが会って話したいって言ってるけれど、と。
しかしその時エマは出された課題をこなすのに忙しかったし、そもそも幼い頃はともかく成長した今となってはシェイラと話が合うわけでもなかったので。
話すも何も、共通の話題もないのに何を話すの? お茶会を開くから招待に応じてほしいって事かしら? でも、意味なくない? 仲の良いお友達は他に沢山いるのだからそっち呼べばいいじゃない。
――そんな風に言って、シェイラと会う事を拒んだ。
課題を終わらせるのに忙しかったのもあるけれど、わざわざ時間を割いてシェイラと会いたいとは思わなかったから。
そういえば何度か手紙も来たようだけど、最近はどう? とか特にこれと言った話題もなかったから返事に困って放置していたとはいえ、会ったところで実りのある話ができるとも思わなかった。
シェイラ自身の近況が綴られているとかでもなく、ただただこちらの内情を探るような感じも、シェイラの事を好意的に思えなくなってしまったエマからすると、なんだか嫌な感じだった。
素直に教えたとして、その話を他の誰かとの話のタネにされる可能性が高いと考えると、とてもとても嫌だった。
そうでなくとも。
会いたい、と言われてもし会ったとして。
エマが誰も選ばないっていうから選ばなかったのに、なんて婚約者を決めなかったのは最終的に自分の決断だったのに、それをエマのせいにされたらと思うと余計に面倒で会いたくなかった。
だってあの時点でエマはもう普通に貴族の家に嫁ぐ事は諦めていた。
シェイラのように望まれていたわけでもないし、むしろエマの存在はシェイラという強烈な光によってかき消された影のようなもの。同じ男爵令嬢という身分であっても、エマとシェイラが置かれている状況は大きく異なっていたのだから、エマとシェイラが見据えた未来が違うのだって当然の事。
エマだったら、と自分の考えを聞かれただけ。
エマはシェイラではないし、シェイラはエマではない。そんな当然の話。
いつまでも幼馴染という立場にしがみつく程エマの世界は狭くはなかった。
けれど、シェイラはどうだったのだろう……?
今更ではあるがふとそんな事を考えて、それでもエマはそっと頭を振った。
だって、もう成人も間近という年齢になって未だにそんな事もわかっていないとか、あるはずがないのだから。
きっとシェイラにはシェイラなりの考えがあったのよね……そうじゃなければ、あれだけ大勢婚約者にと望む相手がいながらも、誰も選ばないなんておかしいもの。
もしかしたら実は他の好きな人がいて、その人に想いを捧げていたから選ばなかっただけかもしれない。
好きな相手が、男爵令嬢という身分では手の届かない相手だったのかもしれない。
だから、修道院へ行く事を内心でシェイラも望んでいたのかも……
そんな風に考える。
淑女科から経営科に移った事でシェイラと関わる事はだいぶ減ったけれど、それでも時折シェイラの近くにいた者から、エマを下に見るような発言が聞こえてこなかったわけではない。
それでも。
もう会う事もないのなら。
この先もうシェイラとエマが一緒にいる事もないのだ。
二人がいるところを見て、そうして比べられるような事もないとなれば。
エマはようやく息苦しさから解放された気がした。
――初めて会った時から、幼馴染のエマは目が良かった。
彼女が選んだものは、その場で一番良いものだった。
庭に咲く花の中で一番きれいに咲いているのを見つけるのも、並んだお菓子の中から一番美味しい物を選ぶのも。エマは当たり前のように選んでいた。
私にはできない。
シェイラがこれが良いと思って選んだものは、後になって考えるとあまり良いものではなくて。
お店でこれいいな、と思って選んだアクセサリーがいざつけてみたら、持っている服とあまり合わなくて店で見た時より良いと思えなくて。
エマはそういうのもなかった。
その時はあまり良いように思えなくても、彼女が選んだ物は最終的に素敵なものだった。
お茶会に誘われていった先で知り合った令嬢たちも。
エマがあまり関わりたくない、と思った家は後から悪事がバレて罰を受けたりしていたのもあった。
シェイラはそんなものにも気付けず、エマがいなかったらきっと深い関わりをもって、きっと何かしらの犯罪に巻き込まれていたかもしれない。
そんな事があったからだろうか。
シェイラはエマが選んだものを自分も選べば間違いではない、と思うようになっていった。
自分に近づいてきた令嬢たちがエマを見下すような事を言っていても。
シェイラはそれを正そうとは思わなかった。
だって、エマが凄い事が知られたら、皆エマの周りに集まる。
そうしてエマの見る目が良い事を知られてしまうのは、なんだか嫌だった。
エマの優れた部分は自分が知っていればそれでいい、と思ってしまった。
エマはそういった令嬢たちとは距離を置いていたようだから、シェイラも当たり障りなくそんな令嬢たちとは一線を引いていた。
露骨に距離を取ると面倒な事になりそうだったから、それとなく一線を引いて浅い付き合いだけに留めた。
エマの婚約者に、という話が出ていた令息たちは、シェイラを見るとコロッとシェイラに靡いてエマの事はそっちのけだったけれど。
見る目のない令息にシェイラだって靡くつもりはなかった。
むしろ早々にダメな部分が浮き彫りになった事で、エマから断るのだって堂々できた。
エマの家からは断りにくいような相手もいたけれど、シェイラを見た後の令息たちの態度はどれもこれも同じようなものだったから、エマの家から断るのなんて簡単だっただろう。
けれど、そうしていくうちにエマの婚約者になろうと言う相手がいなくなって、代わりに自分に婚約の打診が多く届けられて。
これには困った。
エマと一緒にいてもエマには目も向けないような連中。
シェイラは自分が見る目のない事をよくわかっている。
だから、適当に選んでもじっくり考えて選んでも、どっちにしても悪い結果を招きそうだったから。
だから、エマに相談しようと思った。
けれどもエマの返答はそっけなくて。
答えになっていないようなものだったから、どうにかして答えが欲しくて。
何度も同じ質問をした。
結果として、エマは誰も選ばない、と答えてくれた。
そうか、そういう事なのね。
今婚約を申し込んでくる人たち皆、選んじゃダメなのね。
そう納得して、シェイラは全てお断りした。
そうしたら次はきっと、エマが選ぶだろう素敵な結果がやってくると信じて。
学院に通って二年目、教室にエマの姿がなかった。
どうしたのだろう、と思えば経営科に転向したらしい。
なんで。
どうして教えてくれなかったのだろう。
エマが行くなら、自分も行ったのに。
エマが選んだのなら、それが正しい事だ。
今からでも経営科に自分も転向できないだろうか、と思ったけれど、家の事情で急遽転向しないといけないような事もなければ、将来を明確に決めたわけでもないシェイラの言い分は通るはずがなかった。
両親にも経営科に、と話を持ち掛けたけれど、あれだけいた婚約者候補たちを全て断った事で両親は色々と忙しそうだったので、シェイラの話をあまり真剣に聞いてくれなかった。
大体商会を立ち上げるにしてもコーウェン男爵が治める領地では特産品と呼べるようなものもないので、目玉商品として取り上げられるようなものもない。それでも、今ある物を活かして価値を高められるような案があれば話は別だったかもしれないけれど、シェイラにはそんな発想もなかったから。
結局経営科への転向はできなかった。
大勢の婚約者候補だった人たちを断った後、シェイラが本当なら関わる事もないような高位貴族の令息たちがシェイラと関わる機会が増えた。
けれども彼らには既に婚約者がいて、どうして自分と関わろうとするのかシェイラにはわからなかった。
エマに相談したかったけれど、クラスが離れすぎていてそう簡単に会いに行けないし、唯一受ける科が異なっても出会える場所は限られている。
食堂はその中の一つだったけれど、エマと出会う事は婚約者の相談をして以来、めっきりとなくなってしまった。
手紙を出したりもしたけれど、エマからの返事はなかったし、母親に、エマの母と会う事があるなら自分も一緒に会いに行きたいと言ってもお互い都合がつかなかったのか、ここ最近は手紙のやりとりだけと言われてしまった。
自分一人でエマのところに会いに行けばよかったのかもしれないけれど、突然押しかけられても迷惑だろうから、と思ってせめていつなら行ってもいいか確認をとりたかったのに、その返事すらなくて。
そうしていくうちに、両親からシェイラの今後についてを尋ねられてしまった。
シェイラは将来どこかの家に嫁ぐつもりではあるけれど、政略的な面をあまり重要視していないからシェイラに好きな人ができて、その人と結婚できるようならば……とある程度の自由は許されていた。
けれどシェイラにはそういった好きな相手というのはいなかったし、そうでなくとも自分が選ぶのは怖かった。
エマが選んだ相手ならきっと安心できる。
だから、せめてエマに相談したかったのに。
両親との話はこじれて、シェイラは学院を退学して修道院へ行くことが決められてしまった。
あれだけいた婚約者候補を全員捨てた以上、この先シェイラに求婚するような令息はほとんど残っていない、と言われたのも衝撃だった。
彼らを選ばなくても、その後で出てくる相手がきっと正解だと信じていたから。
どうしてエマは彼らを誰も選ばなかったのだろう。
その疑問も、しかし本人に聞く機会は与えられなかった。
修道院での生活は、シェイラにとってそこまで苦ではなかった。
一番良いものを選ばなければならない、と思っていたシェイラだが、しかし修道院にはそう多くの選択肢はない上に、そもそもそこにある物の中で一番いいもの、というのは滅多に存在していなかった。
食材だって限られていて、自由になんでも選べるわけではない。
その中から一番良いもの、ではなくそこにある物でせめて少しでも良い物を作らなければならない。
そういった考えは、今までのシェイラにはなかったもので。
自分がいかにその考えに固執していたのか、それをまざまざと見せつけられたのだ。
別に一番を選ばなくてもいい。
中には確かに選んではいけないもの、というのもあるけれど、しかしそういったものは他のシスターたちに色々と教えてもらって、シェイラにも何となく理解できるようになってきた。
その考えが根付いてから、エマが選んでいたのも実は一番いいものではなく、エマにとって良いと思ったから選んだであろうもの、というのも理解できるようになっていた。
あの時婚約者に誰を選べばいいか、何度も聞いた。
けれど、エマにとっては自分の婚約者ではないのだから、誰を選ぶもなにも……というのも今更になってシェイラは理解したのだ。どれだけ面倒くさい事を言っていたのか。気づくのがあまりにも遅かった。
でも、と思う。
でも、もしあの時自分で選んでいたとしても、そもそも自分に貴族としての生き方はきっと向いていなかった。結婚した後もエマに頼りきりになっていたなら、夫人として家を切り盛りするなどいずれどこかで破綻しただろうし、そうなった時に嫁いだ先の家に迷惑をかける事になっていたかもしれない。
あぁ、エマは私よりずっと先に自立していたのね……
そう気付くまでに相当の時間がかかってしまったけれど。
シェイラはそんな自分を戒めながら、修道院で生涯を過ごした。
案外こちらの生活が性に合っていたので。
次回短編予告
本来予定していた転生はまだ少し早いのでワンクッション挟みます。
そう言われてしまった転生者は、本来の転生を心待ちにしていた。
周囲はそんな事実を知らず、一番手助けしちゃいけない奴は知らないままその背を押した。
次回 処刑するべきじゃなかった
投稿はそのうち。