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6. 人差し指の動く先


 「ーーーあ、」

 「あ。」


 トイレに行こうと2階の角を曲がったところで、紙川は例の存在に出くわした。

 ひと月前、不思議な邂逅を果たした人物そのものだった。


 同時に声が重なり合う。静電気のように弾かれて驚いた顔をした安辺まりあの手には、掃除道具の入ったバケツがぶら下がっていた。

 

 トイレの清掃か、と思っていると「いらっしゃいませ」とその顔には前回と同じように和やかな笑みが添えられていた。

 「どうも」と紙川も少しだけ頭を下げる。


 今まで何度となくこの本屋に通っているのにも関わらず、これまで彼女を一度たりとも見た事がなかったのに、前回の不思議なやり取りを果たしてから次にこの本屋に訪れただけでもう出会ってしまうとは。


 なんだか不思議なもんだな、なんて彼女のことを滅多に巡り会えない希少な蝶々のように感じていると「今日発売日ですもんね」と嬉しそうな声が聞こえて紙川は頭を上げる。「“(うらら)“の」


 「ああ、はい」

 「いつもありがとうございます」


 「麗」とは紙川が毎月買いに来ている百合の月刊誌のことだ。

 今日が発売日なので、当たり前のようにまたこの本屋に買いに来た次第だった。


 「紙派なんですか」

 「え?」

 「デジタルでも読めるのに、こんなに毎月律儀に、わざわざ本屋に出向いて買いにみえてるから」

 「ああ」


 まぁ、なんて言葉を繋ぎ合わせながらも「やっぱりページ捲りながら読みたいから」と紙川は答える。「あの趣がやっぱり好きだから」


 「なるほど。 同意見です」


 ふふ、と安辺まりあが笑う。


 今日も相変わらずシンプルな服装で身を包んでいるのにも関わらず、そこから滲み出る気品と華やかさや優美さは、目を見張った。

 その持って生まれた美しさを、地味さでなんとか打ち消そうとしているような、そんな意図が感じられた。


 「ああ、そうそう」


 思い出したように、安辺まりあはバケツを一旦床へ置くと「もしまた次お客様に会えたら、話したいな、と思って」と言いながら、制服であるエプロンのポケットをゴソゴソし出した。「ずっとこれを持って勤務してたんですよ」


 そう言って、目の前で四つ折りのメモ紙がぱらりと開かれる。

 覗くと、それは先月、あの日に、紙川が書いて安辺まりあに渡したメモ紙だった。


 黒くて丸い点の横には、作品名が書き綴られており、それが合計10個。

 下までずらっと羅列されている。


 それは彼女に言われ、紙川が選び書き連ねた、おすすめの漫画作品一覧だった。


 よく見ると、上から7つ目までは、黒い点を囲うように赤丸がなぞってあった。

 「ここまで読みました」そう言って指差す安辺まりあは、どこか偉そうに成果を言う小学生のようなあどけなさがあった。「一気に読んじゃいました」


 「早いですね」


 10作品のうち、もう7つ目まで踏破されていると言うのは早い気がした。

 

 そして、そこまでスピード感を持って読破してくれているということは、彼女の中で少なからず「面白い」と思ってくれている証のような気がして、紙川はくすぐったいような喜ばしさを感じずにはいられなかった。


 「私はですねぇ…えーと…」と言いながら、安辺まりあの長い人差し指が紙の上をさらさら動く。

 

 マニキュアで一切彩られていない綺麗な自爪の、その形作られたスクエアのピンクは、健康的で自然な色合いを発していた。

 紙川は何故か誘導されるように視線を奪われていると「あっ!」ーーー突然、安辺まりあが声を発した。「すいません」


 「…あの、トイレ、行く途中でしたよね?」


 その、端正な真顔さえも女神のように美しいのでどうにもおかしい。


 「あの、ちょっとだけ、読んだ漫画の感想を言いたくて…待ってても、いいですか?」


 その言葉に頷いてから、紙川は男性トイレへと入っていった。正直気付いてくれて助かります、と内心で頭を下げながら。


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