2. ようやく会えた
徒歩15分にも満たない距離に、その目的地はある。
至って何の変哲もない、ごく一般的な本屋だ。
腕時計を確認すると、9時1分だった。開店が9時からなので、何の躊躇もなく滑り込むように自動ドアの開閉の真ん中から紙川は突入する。「いらっしゃいませ」の声はどこからも聞こえてこない。本屋さんは準備や作業の仕事量がとにかく多いのだと、以前何かの動画で見たことがある。開店と同時に入ってくるような客に出迎えの挨拶ができるほど、書店員たちの時間に余白はきっとないのだろう。
ホルンだかサックスだか分からない楽器ののほほんとしたBGMを耳に入れながら、紙川は迷いもなく突き進む。まるで線路を用意された滑車の如く、その動作に澱みはない。買うものは決まっているのだ。最短距離も熟知している。
漫画雑誌のコーナーに到着すると、うろうろと視線を彷徨わせてから「あ。」ーーーやがて、ひとつ声を漏らす。
あった。
心の中で、嬉しい産声が上がる。
赤子を抱えるように、その一冊を両手で優しく手に取った。ビニールで綺麗に個包装され、中身が確認できない状態のそれを、訳もなくしげしげと、色んな角度から、見る。
表紙、裏表紙、背表紙。
この重み、この色彩、この手触り。月に一度の、至福の存在。
ふ、と少しだけ紙川は目尻を和らげた。
そして再び踵を返すと、そのままレジへと直行する。早く帰って読みたい。鳩尾あたりで、あたたかな沸騰がくつくつと音を立てている。人間はこの現象に「わくわくする」という名前を付けたらしい。なるほど、粋だ。そういうところは、人間のいいところでもある。
並んでふたつ存在するレジは、どちらも無人だった。
開店したばかりなのだ。やっぱり忙しいんだな。と、ひとまず台の上に月刊誌を置いてみる。ーーーと、それをまるで引き金のようにして台を挟んだ向こう側から、ぴょこっと何かが生えてきた。
「おお」と思ったが感情の発露が乏しい紙川の閉ざされた唇の固さの方がリアクションより勝り、声が出ることはない。
まるでたけのこの成長みたいに、女性店員が顔を出したのだ。下でしゃがんでいたらしい。その女性店員もまさか紙川がいるとは思わなかったようで一瞬びっくりしたように反応すると、すぐに「あ、いらっしゃいませ」と頭を下げた。「大変お待たせ致しました」
初めて見る書店員さんだな、と紙川は思った。
この本屋に通い始めて、ある程度店員さんの顔も覚え始めていた。そもそも店員の数があまり多くない印象のこの本屋では「あ、またこの人だ」と自然と認知する機会が多かった。
女性の胸元には「安辺」と名札が付いている。
正直、とても目立つタイプの女性なのだと、紙川は一瞬で理解した。
髪は自然な茶髪で上品な色味を放っており、かなりの色白で、白雪姫が現実にいたらこんな肌の色ではないのだろうか、というほど大げさでも何でもなく発光するようにまるで透き通っていた。一本にまとめ上げられたこめかみのあたりに、薄く走る血管さえ見える。
透き通った肌の輪郭だけが、ふわふわと浮いて動いているように見えて、その不思議さに、少し視線を奪われる。
制服である深緑色のエプロン姿で、なんとか庶民的に寄ってはいるものの、しかしその枠組みから漏れ出すほどの美貌とオーラが、そこからは果てしなくこぼれて落ちていた。
綺麗に上までとじられた白いシャツの首元には少し余裕がある。それだけ首も、細い。そして、白い。
この美しさでは苦労することもありそうだな、と他人事のように紙川は思った。
地球に降り立った女神が、地球人と同じ生活やフリをしながらこの世の日常の暮らしを学び、楽しんでいる。そう説明された方がよっぽど納得できるような、そんな異質さだった。
そんなことをぼやっと無意識下で自動的に流していたせいだった。「あの」と目の前の女性店員に声を掛けられていることに、ワンテンポ遅れてようやく「あ、はい」と、生返事をする。




