紙コップコーヒー
お風呂キャンセル界隈という言葉があるらしい。鬱などの精神疾患にかかると風呂に入れなくなるそうで、綺麗好きな日本人でも案外生息しているらしい。SNSの発達につれ、少数派の意見も可視化されるようになったとテレビで専門家が言っている。
そんなテレビを見ながら、紙コップのコーヒーをすする、和田未緒子、五十一歳。指先からじんわりと熱が伝わり、冷え性の未緒子には心地いい。
このコーヒーは紙コップに個装のインスタコーヒー、砂糖、粉末状のミルクまでも入ったもの。
正直、インスタントコーヒーの味はものすごく好きではないが、今の未緒子にとってはこれが一番美味しい。
鬱と診断され、休職してからズルズルと一年。一回復職したが、かえって悪化し、また自宅で療養中。このままだと会社もクビになると言われていた。果たして今の未緒子に新しい就職先があるかは謎。
過去には結婚した時もあった。夫だった人にハンドドリップのコーヒーを作り、喜ばれた事もあったが、遠い過去。
今はコップ一つ洗うのも面倒になり、割り箸、紙皿、紙コップで揃えていた。お風呂キャンセルどころか洗い物もキャンセル中。
部屋も散らかり、古着や古雑誌、雑貨類でゴチャゴチャだ。靴下はいつも片方が行方不明。
テレビはお風呂キャンセル界隈の話題から遠くの国の戦争の話題へ。
長く生きてきた未緒子にとっては、いくら戦争被害者のインタビューを見ても心が動かない。無邪気に可哀想とは思えないが。
もう一回、紙コップのコーヒーをすする。
「はあ……。ちょっと美味しいかも……」
とりあえず、まだ命はある。こうしてコーヒーも飲める。そう思ったら明日も起きようと決めた。明日も紙コップのコーヒーを飲もう。