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64.エピローグ

「いいかい? おまえさんは自分に正直に生きなさい。そうすれば必ず幸せな未来が手に入るよ」

「正直に生きるだけで良いの? そんなのとってもカンタンよ、おばあちゃん」

「いんや。これからおまえさんはとても苦労することになるのさ。お金持ちの家に引き取られるけど、そこで良い暮らしができるのは最初だけ。後からくる継母と継姉には気を付けるんだよ。絶対に気を許しちゃいけない。とーっても悪い子らだからねぇ」

「えー、それならわたし、そんなところ行かないよ。それにわたしはおばあちゃんとずっと一緒にいるもの」


 言いながらおばあちゃんの腰に抱き着けば、優しい手で頭を撫でてくれた。その時おばあちゃんがどんな表情をしていたのか、幼いわたしは顔を上げて確認することすらしなかった。する必要などないと思っていた。


「そうさねぇ、ばあちゃんが一緒にいて守ってあげられればねぇ」

「わたしもう九つになったのよ? わたしがおばあちゃんを守ってあげる番だよ」

「あらあら、この偉大なる魔女を守ろうだなんて、偉くなったもんだねぇ」


 ぎゅ、とおばあちゃんがわたしの頭を抱きしめる。

 自称偉大なる魔女。この時のわたしは、「またおばあちゃんが冗談言ってる」程度の認識だった。


「どんなに大変でも、自分に正直に、まっすぐ生きなさい。そうして幸せになるんだ―――約束だよ、可愛いアシェラ」



 おばあちゃんとの約束。わたしがずっと大事にしてきたもの。

 わたしはおばあちゃんの言葉を信じて、今日までまっすぐ生きてきた。そしてこれからも。


「―――そんな感じで、わたしが嘘をつかないのはおばあちゃんとの約束を守っているからです」


 顔を上げると、向かいに座るシェルディさんは泣いていた。いっそ号泣していた。


「うっ、うぅ、未来視の魔法使いさまはどなたも素敵な方々ばかりですわぁ…!」

「シェルディさん、良ければどうぞ」

「ありがとうございますうぅ! あぁ、でも幼い頃に童話で出会った未来視の魔法使いさまは永遠に憧れですが、目の前にいる優しい未来視の魔法使いさまのことが一番好きですわぁ!」


 差し出したハンカチで溢れる涙を拭うシェルディさんを、わたしは微笑みながら見つめる。彼女のこの反応にも慣れてきた。今は例の美人がしてはいけない顔をされたとしても、そのまま笑みを返せるくらいだ。


 ダリアが起こした事件からしばらく経って、わたしはすっかり元気になっていた。怪我も綺麗に治って、クリンゲル店での仕事も再開している。まだ安全面を考えてルクリオス殿下の家に身を寄せているが、それも明日には出る予定だし。

 最近は警備隊補助員の仕事として、一部の人の未来を定期的に視ている。それは殿下であったり警備隊の人であったり、シェルディさんであったり。時折陛下に頼まれることもあるけれど、未だにあの赤い瞳が向けられると身が竦んでしまう。

 今日はそんな仕事の一環で、すでに謹慎を解かれたシェルディさんの未来を視るために、ラナラージュ邸にお邪魔している。すでにその役割は果たし終わっていて、彼女と雑談をしていたのだ。そのうちふと思いついたように「ずっと気になっていたのですが、なぜ未来視の魔法使いさまは、そんなに綺麗な色をしていらっしゃるのですか?」と聞かれて。彼女の言う綺麗な色はつまり、何故わたしは嘘をつかないのか―今までの人生も含めて―という質問だ。それの回答としておばあちゃんとの思い出を語ったところ、先のやり取りが発生したというわけだ。


「それで、未来視の魔法使いさまは…」

「おいルディ、そこまでにしろ。殿下が外で待たれているんだから」


 身を乗り出すシェルディさんの肩を、背後に控えていたガラットががしりと掴んだ。

 彼は今日非番なのでいつもの警備隊の制服ではない。完全にプライベートだ。ちなみに「何で俺がいなきゃいけないんだよ…」と感情が消えた顔でシェルディさんに引きずられてきた。彼女曰く、「未来視の魔法使いさまとふたりきりはまだ緊張するのですわ」だそうだ。


「もう、殿下なんて待たせておけば良いじゃありませんの」

「バカ言うな。そもそも、シプトンの仕事は終わったんだから解放してやれ。ていうか何でお前、そんな殿下に当たり強いんだよ」

「だって殿下は未来視の魔法使いさまを巡る、わたくしのライバルですもの。しかもこの後、今日殿下は護衛役としてずっと一緒なのでしょう…羨ましい…妬ましい…」

「シプトン、今日も世話になったな。もう帰ってもらって大丈夫だぞ」


 暴れるシェルディさんを抑えるガラット。

 いつも通りなラナラージュ兄妹に、わたしは笑みを返した。うん、もうすっかり慣れたなあ。




 部屋の外に出ると、壁にもたれかかっていたルクリオス殿下―非番のガラットに代わって今日のわたしの護衛役―がこちらに顔を向けた。


「お待たせしました」

「お疲れ。思ったより早かったな。シェルディが離れたがらないと思っていたんだが」


 完全にシェルディさんの行動が読まれている。わたしはただ苦笑だけ返した。

 目深にフードを被った殿下とラナラージュ邸を後にする。彼がフードを被るのはルクリオス殿下だと気付かれないよう、顔を晒さないという目的があるらしいけれど。正直、お祭りの日にその殿下の推定恋人の噂を流されているわたしの顔も広く知られてしまっているので、逆に目立つような気がする。


「あの、殿下。目立ちたくないのであれば、わたしの護衛役は他の人に代わってもらった方が良いのでは?」

「外では『リオス』で頼む。その呼び方されると、せっかく顔隠してても意味がないから。あと護衛役についてはオレがアシェラと一緒にいる時間が欲しかっただけだから、気にしないでくれ」


 相変わらず心臓に悪い発言を突然してくる人だ。わたしは跳ねた心臓を押さえながら「職権乱用…」とだけ言い返した。


「今日はクリンゲル店も休みなんだろ? どこか行くか?」

「図書館に行きたいです。療養中に読んでいたシリーズ物の本の続きを借りたくて」

「じゃあ向こうだな」


 手を取られる。自然な動作だった。まだ慣れなくて体がむず痒いけれど、振り払うようなことはしなかった。わたしの歩幅に合わせて進んでくれる歩みに合わせて、目的地へと向かう。

 がやがやと賑わう道を進んだ。幸い通行人たちは自分たちの用事を済ませることに夢中なのか、わたしたちを気にする素振りはない。平穏な景色だ。


「…もうダリアたちは北に着いたでしょうか」


 ふと思い出して、気付けば呟いていた。

 僅かに殿下の肩が反応したように見えたが、彼は静かに「たぶんな」とだけ返事をしてくれた。少しだけ握られる力が強くなった。あまりわたしに思い出してほしくない、という雰囲気が伝わってくる。


 ダリアと義母はライリット国で裁判にかけられた末、北の国での強制労働を課されることが決まったと、先日ルクリオス殿下から聞いた。貴族として贅沢な暮らしをしていた彼女らにとって、この判決はもしかしたら死罪よりも辛いのではないだろうか。

 北の国、その最北端は極寒の地で、重罪人の流刑地として有名な土地だと以前耳にした。レフィルト国への彼女ら―特にダリア―の行いがそれに値すると判断されたらしい。ダリアは魔法を封じられ、二度と外の地を踏むことはないだろうと。

 関係者として裁判への出席を希望するなら許可する旨の連絡が、少し前にライリット国のジニアス殿下から届いた。少し迷ったけれど、わたしは希望しないと返しておいた。

 正直、今まで散々な目に遭わされた身として、落ちぶれた彼女らを見てやりたいという黒い気持ちがなかったわけではない。しかしそれは、かつて惨めな思いをしていたわたしを嗤っていたダリアたちと同じだと思ったのだ。だからこそ断った。

 彼女らをわたしの人生から切り離す。そうしてわたしは、おばあちゃんやお母さんが望んでくれたように、幸せになる。それがある意味、最高の復讐だろう。


「リオスさん」

「ん?」

「わたし、今すごく幸せです」


 フードの下から覗くエメラルドグリーンの瞳が、見開かれるのが見えた。しかしすぐに優しく細められる。「そうか」と同じくらい優しい声色が返ってきた。


「でもその幸せで満足してもらっていたら困るな。オレがもっと幸せにするつもりなんだけど」

「あら、わたしは自分でその幸せを掴みに行く予定ですけれど」


 あの日、セントラムで交わした約束のことだ。しばしお互いに挑戦的な顔で見つめ合っていたが、同じタイミングで吹き出してしまった。こんな真昼間の道中で、何を恥ずかしい応酬をしているのだろう。


 そうこうしているうちに目的の図書館が見えてくる。早く本の続きが読みたいと気持ちがはやって、意識がそちらに集中していたためか。後ろから走ってきた子供たちに反応ができなかった。


「わっ」


 その子供たちもよそ見をしていたのだろう。そのままであればわたしとぶつかるところだったけれど、すぐにルクリオス殿下がわたしの体を自分の方に引いて庇ってくれた。しかし避けきれず、指先が先頭を走っていた少年の頭にわずかに触れる。

ばちっ、と脳に電流が走ったような感覚の後、すぐに頭の中で映像が流れだした。



 図書館の入口より少し手前。じゃれあいながら走る子供たち。先頭を走る少年の頭上から、黒い影が降って来た。その影が植木鉢だと分かった時には、完全に手遅れだった。


 ―――ガシャンッ


 その植木鉢はちょうど下を通りかかった少年の頭に命中して、粉々に砕けた。

 少年はぐったりと地面に倒れこんでいる――――



「危ないっ!」


 瞬間、わたしは叫ぶと同時に走った。ルクリオス殿下の手を振りほどいた自覚もなく、先ほどの少年目掛けて。

 突然のわたしの大声に、周囲の人たちは驚いて動きを止めてこちらを見ている。少年たちも同じだった。しかしすでに、彼は先ほど視えた植木鉢の落下地点に立っていて。

 その頭上には、黒い影がすでに見えている。

 わたしは必死に走って、追いついた少年の腕を掴んで後ろに引っ張った。同時に、異常に気付いてくれたルクリオス殿下が魔法を使ってくれたらしい。突風が吹いて、植木鉢の軌道を逸らしてくれた。結果的に、植木鉢は誰もいない地面に派手な音を立てて砕ける。


「すみません! 大丈夫ですか!?」


 今度は頭上から慌てた声が落ちてくる。上を見上げれば、男性が建物の数階上の窓から顔を覗かせていた。その顔色は青い。おそらく彼が誤って植木鉢を落下させたのだろう。

 周囲の人たちが心配そうにこちらに近寄ってきたり、その男性に向かって声を荒げたりしている。

 わたしは早鐘を打つ心臓を押さえながら、少年を見た。彼は驚いたのか真っ青な顔で涙を浮かべていた。


「大丈夫?」

「う、うん…」


 ふたりしてへたり込んでいたので、先に立ち上がって少年に手を差し出す。助け起こすついでに彼の体を観察してみるけれど、幸いどこも怪我をしていなさそうだ。

 後ろから近付いてきたルクリオス殿下にも心配そうに声をかけられたけれど、何ともないと返した。


「あまり人目に付くのは良くないな…ちょうど巡回していた警備兵が来たようだし、オレたちは離れよう」

「分かりました」


 ルクリオス殿下の手を握って離れようとしたとき、「あ、あの…」控えめに服の裾を引かれた。そちらを振り向けば、先ほどの少年がこちらを見上げている。


「ありがとう、お姉ちゃん…」


 まだショックで不安そうな顔だけれど、元気そうだ。先ほど視えた未来で、ぐったりと四肢を投げ出していた姿とは全然違う。助けられて良かったと、心の底から思った。


「どういたしまして」

「で、でも、どうしてぼくが危ないってわかったの?」


 わたしは周囲を見回した。人は集まっているけれど、みんなこの騒ぎを収めようとしている警備兵や、問題になった植木鉢やらに注目している。こちらを見ている人はいない。

 ちらりとルクリオス殿下を見上げた。彼は少し困ったように微笑んで、ただ肩を竦める。「アシェラの好きにして良いぞ」と言われた気がした。

 わたしは微笑んだ。擬音を付けるなら、もしかしたらにんまり、という含みを持ったものだったかもしれない。


「それはね、わたしが―――」




 今日も今日とてわたしは、



 ―――――偉大な魔女を目指しています




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