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63.母

 クリンゲル店に立ち寄ると、まずシャラさんのご主人が出迎えてくれた。すぐに他のお客さんの迷惑にならないようにと居住スペースに案内してくれて、ほどなくして接客中だったシャラさんも合流してくる。無事で良かった、とふたりとも温かい言葉をかけ、シャラさんに至っては抱きしめてくれて。その優しさに目頭が熱くなったのは内緒だ。

 怪我が完治したらいつでも戻っておいで、と優しい言葉を残して、シャラさんたちはお店の方に戻って行った。おそらくお客さんを待たせていたのだろう。申し訳ないと思いつつ、わたしを優先してくれたのだと思うと不謹慎にも嬉しく思ってしまった。

 クロエちゃんはタイミングよく家にいたようで、すぐに顔を見せてくれた。


「事件に巻き込まれたって聞いていたけど、大丈夫なの?」

「うん、もうすっかり」

「そんなことはありません。まだ療養期間中です」

「オリバーさん!?」


 わたしの言葉を真っ向から否定してきたオリバーさんは、素知らぬ顔で立っている。

 え、もしかしてリリーさんに何か事前に言われているとか…?


「あなたって無茶しがちだもんね。即位記念祭の日も無理しすぎて倒れたって聞いたし。あたしに取り繕う必要とかないんだし、楽にしてて良いよ」

「そういうわけじゃ…」

「まあでも、元気そうで良かったよ。お母さんたちも心配してたんだから。その、あたしも気になってたし…あ、少しだけだからね」

「心配してくれてたんだね。どうもありがとう」

「し、心配まではしてない! 気になってただけだってば!」


 唇をひん曲げて、頬を染めたクロエちゃんはそっぽを向く。

 かわいい。そう思うわたしは無意識にだらしない顔を晒してしまっていたのだろう。「何よそのにやけ面は!」とクロエちゃんはもともと吊り目がちな瞳を吊り上げた。その表情は怒っているようだけれど、わたしには毛を逆立てた猫のようにしか見えない。つまり、やっぱりかわいい。


「その顔やめてってば」

「クロエちゃんがかわいいから無理」

「かわっ…もう、いい! ていうか、そもそも療養中っていうならこんな所に来てないで早く帰って休みなさいよ」

「それはその…ちょっとクロエちゃんに聞きたいことがあって…」

「あたしに?」


 本題の話が出て、わたしは顔を引き締めた。対するクロエちゃんも先ほどまでの怒り顔を収めて首を傾げている。まだ少し唇は曲がっているけれど。

 しかし、ここでわたしは困ってしまった。間違いなくクロエちゃんに用があって、クリンゲル店に足を運んだ。そこは間違いない。だが肝心の聞きたい内容――彼女が何を知っているのかが分からないのだ。

 まさか「わたしのお母さんが起こした奇跡って知っている?」と聞くわけにもいくまい。もしそんな馬鹿正直に尋ねれば、クロエちゃんは「何言ってんの?」と怪訝な表情で聞き返してくるだろうと、未来視の力を使わなくても断言できる。


「以前、アシェラさんのペンダントを魔法で見てくださったでしょう。その内容を教えてほしいんです」


 何と切り出すべきか頭を悩ませているわたしに、オリバーさんが助け舟を出してくれた。向かいに座っているクロエちゃんは意外だったのか、その大きな瞳を瞬かせている。

 そしてわたし自身もようやく思い出した。確かに、以前クロエちゃんにお願いした。まだ誘拐事件に巻き込まれる前。お母さんの形見であるペンダントに、彼女の『物の記録を読み取る』力を使ってほしいと。

 あの後すぐに事件に巻き込まれて聞くタイミングを逃し、そのまますっかり忘れてしまっていた。


「あー、あのこと。でもあたし、以前あなたに読み取った内容を伝えなかったっけ? ルカ様の部下であるあなたなら信用できるからって。わざわざこんな所まで来なくても、あなたからアシェラさんに教えてあげれば良かったのに」

「少し聞きましたね。でも俺が聞いたのは概要だけですから、それを言うのは違うと思ったんです。クロシェットさんから正確に伝えてさしあげてください。大切なことですから」

「そういうもの?」


 クロエちゃんは首を傾げるが、別に断る理由もないからとわたしへと真っ直ぐな視線を向けてくる。思わず心臓が跳ねた。いったい、あのペンダントに何が刻まれていたのか…


「『私の可愛い子。元気に育ってね。お母さんはいつでも、傍にいるからね』―――そういう、優しい想いが伝わってきたわ」

「………!」


 今のわたしは、おそらく呆けた表情を浮かべているだろう。口も半開きで、みっともない顔を晒していると思う。そう分かっていても、気遣う余裕などなかった。言葉が出てこない。

 オリバーさんの温かい視線を感じる。きっと先ほど見たような柔らかい微笑みを浮かべているのだろう。表情に乏しい彼がそんな顔をしていた理由が、ようやく分かった。

 鼻の奥がつんとする。


「子供をおもう母親の…なんだろう、想いっていうの? だいたいそんな感じのものが記録されてたよ。あったかい感じの。誰が誰に向けたのかとか、詳細は分からなかったけど。とにかくこの記録の主だろうお母さんは、子供の幸せを願っているんだなーっていうのは分かったかな」

「…そう」

「あのペンダント、アシェラさんのものだったし、何か関係が――って、何で泣いてるの!?」


 驚いて飛び上がっているクロエちゃんに悪いと思いつつも、零れてくる涙が止められない。両手で顔を覆う。嗚咽が漏れてしまった。


「え、えぇ? どうしたの、どこか痛いの?」

「ちがう、ちがうの…」

「じゃあどうしたのよ?」


 わたしは顔を上げて、慌てふためくクロエちゃんを見つめた。泣いたせいで表情は歪んでしまっただろうし、声も震えていたけれど。

 心からの笑顔を浮かべて。


「お母さんの想いが、うれしいんだ…」


 わたしは、お母さんに愛されていたのだ。

 オリバーさんの言う通り、お母さんがわたしを助けてくれたのかもしれないと思った。もしわたしが誘拐された後、ラウレルの『魔道具』が問題なく使えていたなら。彼はルクリオス殿下に寝返ることなく、悠々とレフィルト国を脱出してダリアと合流しただろう。そうなれば当然、わたしは抵抗もできずダリアの思惑通り北の国に連れていかれたはずだ。その後のことは考えたくもない。

 彼女の計画が狂ったのは、ラウレルが裏切ったからだ。そしてその裏切りのきっかけを与えたのは――わたしが助かるきっかけを作り出してくれたのは、お母さんのペンダント。

 原理は何も分からない。もしかしたらハカセの言う通り、何らかの偶然が積み重なって引き起こされたものかもしれない。というか普通に考えればその可能性の方が高いだろう。でも今、わたしにとってそんなことはどうでも良かった。


「…オリバーさん」

「はい」

「オリバーさんの言う通り、お母さんが起こしてくれた奇跡かもしれません」

「はい。俺もそう思います」


 ルクリオス殿下に話を聞いてほしいと、そう強く思った。謹慎中で顔を合わせられないのがひどく寂しい。

 せめてこのことを手紙で伝えよう。オリバーさんには仕事を増やしてしまって申し訳ないけれど、後でルクリオス殿下宛の手紙を預かってもらおう。涙を拭いながら、そう心の中で思った。




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