62.奇跡
「洗脳と、催眠道具って…」
とても聞き覚えがある。
思わず振り返ったわたしがぽろりと零した言葉に、ハカセは顔を上げた。「興味ありますかぁ?」やはり楽しそうな表情だ。対するわたしは、おそらく顔が強張っているだろう。横にいるオリバーさんが心配そうに僅かに眉を下げたのが分かったので、わたしは彼に小さく頷いて大丈夫だという意思表示をする。
「それって、ダリアとラウレルの…?」
「魔法の使い手が誰かはちょっと分からないですねぇ。それも名前なんて、聞いた1秒後には忘れますってぇ。あ、代わりに研究材料ならすぐ出せますよぉ」
そう言って、ハカセは棚から引っ張り出してきた何かをふたつ、机に転がした。暗く淀んだ灰色の石と、黒い石の耳飾り。前者はあいにくと見覚えがないけれど、後者は間違いなくラウレルの物だ。
無言で見下ろしていると、察してくれたらしいオリバーさんがわたしの推測で合っているということを教えてくれた。つまり、やはりハカセの言う研究材料というのはダリアの魔法―正確にはダリアの魔法を込めた魔石らしい―と、ラウレルの『魔道具』ということか。
「洗脳の人は他の国に連れていかれたそうなので、残念ながらこれしか材料がないんですよねぇ。でもなかなか強力な魔法なので研究し甲斐がありそうですよぉ」
「…そう、でしょうね」
その強力さがどれほどのものかよく知っている。腕の痣が痛んだ気がして、無意識に服の上から緩くさすってしまった。
ダリアは今頃ライリット国で裁判を受けている頃だろうか。もう終わったことだというのに、彼女には散々苦しめられたせいでどうしてもまだ気持ちが切り替えられない。誘拐されていた間の記憶がフラッシュバックして、嫌な気持ちが胸の奥から広がってくるのが分かる。頭を振って、浮かんできた記憶を無理やり振り払った。
「………催眠道具の不具合って、何があったんですか?」
話を変えたくて耳飾りの方に視線を向けた。
これがラウレルの物だというのなら、不具合とはどういうことだろう。彼は誘拐されていた頃のわたしに、催眠を問題なく使っていたはずだけれど。
「一時的に使えなくなっていたんですよぉ。今は原因と思われる物を取り除いたので、使えるようになっていますけどねぇ」
横にいるオリバーさんが、わたしが攫われている間にどういう経緯があったのか掻い摘んで説明してくれた。なるほどと頷きながら、興味本位で「その原因って何だったんですか?」と聞いてみた。すると何故か、ハカセは真っ直ぐわたしを指さしてくる。
「未来視の人ですねぇ」
「え? わたし、ですか…?」
「正確には、未来視の人が『持っていた物』ですねぇ」
どういう意味だろう。
困惑の表情を浮かべることしかできないわたしを放って、ハカセはポケットから小瓶を取り出した。瓶の底に、何かキラキラとした小さな粒が見える。
「原因、『これ』ですよぉ」
「それは…?」
「メラルド石です。より正確に言うとぉ、未来視の人が身に着けていた、ペンダントだった物ですよぉ」
思わず息を呑んだ。メラルド石と言われている魔石。わたしが常に身に着けていたペンダント。お母さんの唯一の形見。そして攫われた日に、もみあげさんによって踏み潰され、壊された物だ。
破壊されてバラバラになった欠片はルクリオス殿下が可能な限り集めて、すでに返してくれていた。今はせめてこれ以上傷つかないように、家で大事に保管している。
「以前お話した通り、メラルド石は魔法に反応します。詳しく言うなら小さい破片が魔法を発している物にくっつくという性質ですねぇ。それがあって、あの日、ペンダントの破片がこの『魔道具』にはり付いたみたいですよぉ」
あの日――わたしが攫われたあの瞬間、魔法を発動していたのは確かにラウレルだけだった。わたしとオリバーさん間で魔法による連絡は取っていたけれど、あくまでも使用者はオリバーさんなので、遠く離れていた彼には反応しなかったのだろう。
「引っ付いていた破片を除去したら、催眠の『魔道具』も問題なく使えるようになったんです。でも変なんですよねぇ」
「変…?」
「はい。メラルド石に魔法を阻害する性質があるなんて、聞いたことないんですよねぇ。あの後何度か同じような状況を作ってみても再現しませんし…何であんな事象が起きたのか、全くの謎なんですよぉ」
「持ち主として何か心当たりありませんかぁ?」と詰め寄ってくるハカセに、わたしは全力で首を横に振った。本当に心当たりがない。そもそもわたしは、あのペンダントが魔石だということをハカセに教えてもらったくらいなのだ。わたしが知っているのは、ただお母さんの形見ということだけだ。
「―――もしかしたら、アシェラさんのお母様が起こした奇跡かもしれませんね」
ぽつりと。そう独り言のように呟いたオリバーさんの声に思わず振り向けば、彼は優しい瞳をしていた。その口元が僅かに上にあがっていて、微笑んでいるように見える。
ハカセはオリバーさんの方に勢いよく振り向いた。いつも軽い調子のハカセだが、ほんの少し眉をひそめているように見える。
「そんな非科学的なこと、あるわけないですからぁ。そもそも奇跡なんてものは、普通ならあり得ないことだぁ、ってみんなが感動して美談とするための言葉じゃないですかぁ」
「あくまでもそう思っただけですよ」
「根拠のない言葉は遠慮してもらいたいですねぇ。だいたい、世の中の奇跡と言われている事象はほとんど科学的に証明されています。何らかの要素が、ほとんど起きないような低ーい確率で積み重なって起きたものだってねぇ」
ハカセはひとしきりそう捲し立てると、小瓶をポケットにしまう。研究者として、不可思議な事象を『奇跡』という一言で片付けられることは絶対に許せない。そんな強い思いが伝わってきた。
オリバーさんが反対意見を言わないからか、ハカセはひとまず納得したのだろう。これ以上用はないとばかりに、「それでは、またぁ」一切振り返らずに部屋を出て行ってしまった。
「………あの、オリバーさん。さっきの言葉は、どういう…?」
わたしのお母さんが起こした奇跡。
確かにあのペンダントはお母さんの形見だから、それが原因で起こった不具合だというのなら、お母さんが関わっているという表現はある意味正しいのかもしれない。ただ、彼がわざわざ『奇跡』という言い回しをしていることが引っかかった。
「それは俺に聞くより、クロシェットさんに聞く方が良いと思います」
「クロエちゃん?」
想像していなかった人物の名前に、素っ頓狂な声が出てしまった。
わたしの勤め先である、クリンゲル店の一人娘。なぜ今、彼女の名前が出てくるのだろう。彼女に何の関係があるのだろうか。正直、全く思い当たる節がないのだけれど。
困惑するわたしに気付いたのか、オリバーさんはまた少し微笑んだ。
「ちょうど帰り道にお店を通りますし、会って行きましょうか」




