60.セントラムでの最後の日
意識を取り戻してから2日後、わたしの体力もある程度回復したため、レフィルト国に帰る―わたし自身は着の身着のまま誘拐されたので主に周囲が―準備をしていた時だ。過保護なリリーさんからようやくベッドから出る許可が出て、けれどまだ体力も戻り切っていないからと手伝うことは彼女から許されなかったわたしは、廊下で荷物をまとめる人たちを眺めていた。背後に誰かが立つ気配を感じると同時に、声をかけられた。
「アシェラ・イリシオス」
思わず背筋が伸びる。それが固い声で緊張を促されただけでなく、覚えのあるものだったからだ。
まさか声を掛けられるだなんて思わなかった。おそるおそる振り向けば、そこにはやはりジニアス殿下―ライリット国の王太子で、今回ルクリオス殿下たちに協力してくれたお方―が立っていた。
慌てて頭を下げれば「楽にしてくれて構わない」と制されたため、戸惑いながらも顔を上げる。その表情は厳格な雰囲気漂う厳しいものだったけれど、ライリット国を出立した日、はじめてまともに会話した日に向けられていた侮蔑を含んだ視線は感じない。
少し離れたところでリリーさんが心配そうにこちらの様子を見ている。こっそりと彼女に「大丈夫」という合図を送った。
「失礼、君はすでにイリシオスの家を出たのだったか」
「今はシプトンと名乗っております」
「ではアシェラ・シプトン。今回の件で、被害者として話を聞く場面があるはずだ。その時は協力を頼む」
「承知いたしました」
「それから、君がイリシオス関係者として罪に問われることはないから安心するように」
驚いて思わず返事を忘れてしまった。罪に問われることはない、と言いきられたからではない。正直そこは心配していなかった。ダリアの口ぶりからわたしがイリシオス家にいた時から犯罪に手を染めていたのだろうけれど、家の実権を握っていた義母やダリアとわたしの関係性は明るみに出ているはずだし、何より調べられたところでわたしに後ろ暗い所はないのだ。
驚いた理由は、ジニアス殿下が非常に戸惑った顔をしているからだ。いっそ声も揺れている。いつも厳格さと冷静さを前面に押し出して、固い雰囲気を漂わせている姿しか知らなかったわたしは、見たこともない殿下の姿に呆けてしまったのだ。
「あの日、君から告発を受けた後に、君の噂について調査を行った」
「あ…ありがとう、ございます」
「礼を言うのはこちらの方だ。その調査を進めていたからこそ、イリシオス家が犯罪組織と繋がっている事実を掴んだのだから」
例のジニアス殿下とはじめてまともに話した日に、わたしが仕掛けた『賭け』のことだ。イリシオス家の嘘を暴く一石を投じるという『賭け』。本当はそんな大それた話ではなく、わたし自身の噂話を嘘だと暴いてもらって、義母やダリアが後ろ指刺されるくらいを願っていたのだけれど。
「王太子殿下のお力があったからこそです。わたしは、ただ自身の身の潔白を晴らしたかっただけですので」
犯罪組織云々は本当に偶然なので、そう言うしかない。
「拘束したダリア・イリシオスやその関係者についてはレフィルト国とも話し合って今後の処遇を決めるつもりだ。…いや、今話したいのはそこではない」
「はい…?」
むしろそれ以外に、ジニアス殿下がわたしに声をかける理由などあるのだろうか。
思わず訝し気な声を出してしまったが、幸いにもジニアス殿下が特に気にした様子はない。良かった、少し失礼な反応をしてしまったと思ったから。
「―――君にまつわる噂は、ほとんどが嘘だと分かった」
「えっ」と、つい素で答えてしまった。
いやだって、ライリット国にいた頃のわたしって、本当に悪評という悪評がついて回っていたのだ。浪費家、わがまま、ダリアへの嫌がらせ等々。すべて義母やダリアが捏造した話だったけれど、無数に散らばっていたそれらをひとつひとつ調べてくれたというのだろうか。
「その嘘を信じ、かつて私も君を軽蔑していた人間のひとりだ。王太子という立場でありながら、無実の民にそのような振舞いをしてしまったこと、謝罪させてほしい」
「そ、そんな、恐れ多いことでございます。むしろ調べていただいたことを感謝しております!」
すでにわたしはライリット国の人間ではないけれど、一国の王太子の謝罪に文字通り飛び上がってしまった。
「今更にはなるが、君の名誉回復のために手は尽くそう」
「えっ、いえそこまでしていただく必要はありません。わたしはすでにライリット国を出ておりますし…」
「しかし、レフィルト国の未来の妃に不名誉な噂があってはあまり良くないだろう」
真面目な顔をしたジニアス殿下からとんでもない発言が飛び出して、そのまま固まってしまった。「私としても今後はレフィルト国とは良い関係を築いていきたいと思っているのだ」という話はすり抜けていった。
「あ、あぁあの…」
「どうした?」
「き、きさ、妃、とは…?」
「そのままの意味だが。あの第二王子とそういう仲なのだろう?」
違います、と声を大にして主張しようとしたが、すぐにあの空で交わした競争のことを思い出して言い淀んでしまう。いや、でも今は間違いなく違う。
「そういった関係ではございません…ま、まだ…」
思わず俯いてしまった。絶対顔が赤いと思う。
ジニアス殿下の探るような視線を感じる。
「君はライリット国では貴族の地位があったのだし、教養もあるだろう。何よりレフィルト国では身分よりも力――国への利益をいかにもたらすかを重視すると聞く。君の能力があれば、きっと将来的には先ほど私が述べたことも実現するだろう」
「か、買い被りすぎかと…」
「実際、我がライリット国も君に借りがある状態だ。あの告発がなければ、イリシオス家の裏に気付く頃には手遅れになっていただろう」
いえそれ完全に偶然でした。そう言いたいのはやまやまだったが、あまり謙遜しすぎるのも失礼だろうか。そう思って曖昧に微笑むに留める。
「今後、もし何かあれば力を貸そう。借りは必ず返す」
将来的に、我が国にとっても利になるだろうからな。そう言って僅かに口角を上げたジニアス殿下に、わたしは頭を下げて礼を述べた。これ以上顔を見られたくないという気持ちもあるが、純粋に嬉しかった。
ライリット国を出たあの日。ジニアス殿下とは殺伐とした空気の中向かい合っていたことを思い出す。それが今、同じように顔を突き合わせているというのに、正反対な穏やかな気持ちだった。
「(もしかしたら、おばあちゃんはこの未来も知っていたのかな?)」
まっすぐ、正直に。おばちゃんの言葉を信じてそう生きてきた。
少なくともジニアス殿下は、あの日、わたしのその姿勢を感じ取ったからこそ調査に踏み出してくださったのだろう。
どこまでおばあちゃんが『知っていた』のか定かではない。それでも今、わたしがここにいるのは間違いなくあの約束を守っていたからだ。
「(やっぱり、おばあちゃんはすごいなぁ)」
改めて目標の高さを認識して、それでもその壁に怖気づいて引き返すつもりはないと、気合を入れ直した。
ジニアス殿下と別れ、わたしはとある場所へと向かっていた。隣にはオリバーさんが立っている。可能なら『そこ』に行きたいと言ったわたしに、オリバーさんが同行を申し出てくれたのだ。
見張りとして立っていた警備兵2人―ルクリオス殿下の部下で、身体強化の魔法使いとして王城に出入りしていた時に顔見知りになった人たちだ―に挨拶をして、頑丈な分厚い扉を潜る。薄暗い廊下を進むと、その奥――鉄格子の向こうに、目的の人物が見えた。
「あれ、アシェラ・シプトンにオリバーじゃん」
軽薄な笑みを浮かべるラウレルが、最後に別れたそのままの姿でそこにいた。
無言で近づく。それでも鉄格子から一メートルは離れた位置で立ち止まった。彼は『魔道具』も武器も取り上げられて、今まさに逃げられないよう閉じ込められている。
「ボクに何か用? もう渡せる情報は全部渡したと思うけど」
「国に帰ったら、あなたは罪人として投獄されると聞いたの。罪が重すぎて、しばらくは出てこられないだろうって」
「知ってるよ。まあ当然じゃない? ただでさえ爆弾騒ぎ起こしまくってたし、未遂とはいえ大量殺人するところだったし。ボクに至ってはレフィルト国の重要な情報だったり主要施設の鍵を盗んだりとか、罪重ねまくってるからね。本当なら問答無用で極刑ものでしょ。ま、殿下のおかげで命だけは保証してもらえることになってるけど」
ちらりと横にいるオリバーさんを見上げれば、彼は無言で頷いた。ラウレルの言うことに嘘はないということだ。
「もしあなたと話すなら、セントラムにいる間が最後になるだろうって聞いてね」
「そっか、それで文句でも言いに来た?」
何を考えているのか分からない笑みと軽い口調。ダリアに捕まっている間に向き合っていた時と、ラウレルの様子は変わらなかった。わたしと彼の立場は、今と当時で逆だったけれど。
「お礼を言いに来たの」
ラウレルの笑みが消えて、瞳を見開くのが分かった。そんな顔もするのかと少々意外に思いつつ、言葉を続ける。
「助けてくれてありがとう」
わたしがそう言えば、ぽかんという擬音がぴったりな表情をラウレルは浮かべていた。呆気に取られています、と顔に書いてあるようだ。
「…正気? そもそも君が捕まったのって、ボクが原因のひとりなんだけど。え、確かボク話したよね? なに、実は寝てた?」
「しっかり聞いていたに決まっているでしょう」
「なら何そんな相手に、わざわざこんな所にまで来てお礼言っちゃってんの? ここはざまあみろーって嘲るところでしょ?」
「―――前も思ったけれど、あなたって『この場面ではこうあるべき』っていう主張をするよね。他人に…というか、わたしに『こうあって欲しい』という思いでもあるの?」
以前は確か、シェルディさんの代わりにわたしが捕まったという話をされた時だった。あの時、ラウレルが意味深な表情を浮かべて「イイコに生きたって損するだけじゃん。ずる賢く生きた方がずっと良い思いできるのに」と言っていたのを覚えている。
わたしは、彼がまるで『イイコ』の生き方を否定したいようだと感じた。
「…何それ、そんなのあるわけないじゃん。君がどう考えようと、ボクには関係ないんだし」
「そう。それなら別に良い」
わたしも、ラウレルがどう考えていようが関係ないと思っているから。今回は本当に、ルクリオス殿下との取引があったとはいえ、危険を犯してでも手助けしてくれた彼にお礼を言いたかっただけだ。自分なりのけじめとして。
あまり長居をする理由もないしと、わたしはオリバーさんを見上げた。用事が済んだという合図である。オリバーさんは無言で頷き、僅かに体を逸らして道を開けてくれた。先に行けということらしい。
そのまま出入口へと向かうが、特に後ろから声をかけられることはなかった。出ていく直前に振り返れば、ラウレルはこちらを見ていなかった。唇を引き結び、目を伏せた彼は耳朶に指先で触れている。そこはかつて耳飾りを付けていた場所だ。彼の母親の形見が、あったところ。
彼の母親は、自分を庇って命を落としたと言っていた。そして彼自身は自分の命を何よりも大事にしている。その理由は、もしかしたら。
「(ラウレルも、家族の思いを大切にしていたのかな…)」
わたしがおばあちゃんの言葉を支えにしていたように。
本当のところがどうかは分からない。何となくそう思ったのだ。そしてそう感じてしまったからこそ、わたしは彼のことをどうしても憎めなかった。どこか自分と似ていると、思ってしまったから。
扉が閉まって完全にラウレルの姿が見えなくなるまで、彼と目が合うことはなかった。




