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57.悪夢の終わり

「リ、オスさん…?」


 呆けた声が出た。横抱きにされた状態で、崖下――水面まで1メートルくらいの高さを漂っている。彼の風の力で浮いているのだろう。そう混乱する頭の片隅で思っていると、リオスさんは「言っておくけど本物だぞ」困ったように眉を下げた。

 そのままゆっくりと上へと上っていく。びっくりしすぎて固まることしかできないわたしを見ながら、リオスさんは悲しそうに眉を下げた。


「怪我がひどい。すぐに医者に診てもらおう」

「え、いやそんな大きな傷はないです…って、そんなことよりどうしてリオスさ――ルクリオス殿下がここに?」


 我に返って今一番の疑問を口にすれば、彼は「助けに来たんだ」とだけ言った。


「助けにって、どうやってこの場所が…」

「後でちゃんと説明する。とりあえず今は―――」


 リオスさん、もといルクリオス殿下が地面へと足を付けた。先ほどまで向けられていた柔らかい瞳が、鋭く吊り上がって前へと向けられる。彼の視線を辿ってみれば、青褪めた表情のダリアがいた。


「罪人を捕まえることが優先だ」


 ルクリオス殿下からとんでもない怒気を感じた。自分に向けられたわけでもないのに、思わず背筋が寒くなる。それを直接受けているダリアは座り込んで震えていた。


「な、何が罪人よ…レフィルト国の人には関係ないでしょ…」

「お前が率いている組織がウチに何度も爆弾を仕掛けていたな。さらには今回の誘拐事件。彼女は立派なレフィルト国の住民だ。これでよく関係がないなどと言えたものだ」

「ば、爆弾の件は、他の奴らが勝手にやっていたことよ! 私は直接動いてなんかないわ! そ、それに誘拐だなんて人聞きの悪い…家族に会いに来て何が悪いっていうの!?」


 最早呆れてしまって怒る気すら起きない。ダリアがわたしを家族と呼ぶだなんて。鼻で笑わなかっただけ偉いと思ってほしい。

 しかし殿下はわたしとは違う感想を持ったようで、さらに彼の纏う怒気が膨れ上がるのを感じた。


「まず爆弾の件。組織に所属していた以上、その言い分は通じない。仮に直接動いていなかったとして、爆弾の材料を長期的に提供していた事実がある以上、間接的にであろうがお前は立派な加害者だ」

「な、何でそれをレフィルト国のあんたが…」

「ライリット国とレフィルト国は、重罪人ダリア・イリシオス、およびその者が率いる組織をまとめて捕まえるために一時的に手を組むことにしたんだ。情報はたくさん提供してくれたよ」

「そんなこと、ラウレルは一言も…だ、だいたい、あんたは国に留まっているはずでしょう!?」


 ダリアがわたしに話していた、殿下の動向に関する情報提供者はラウレルだったのか。場違いにそんなことを考えていると、殿下は笑った。見たことのない、嘲りだけをその美しい顔に乗せた笑みだ。


「その情報源が本当に正しいか裏付けを取るべきだったな。自分の魔法を過信しすぎているから、そうやって足元を掬われるんだよ」

「は…?」

「あいつはすでにオレの方に付いている。裏切られているのはお前の方だ」


 これにはわたしも驚いてしまった。しかし同時に腑に落ちる。ラウレルが色々と助けてくれたのは、経緯は分からないけれど殿下側――いわば味方だったからか。

 ダリアはしばし呆然としていたけれど、やがて言われた内容を理解したのか怒りに顔を真っ赤に染め上げた。頭を両手で搔きむしりながら、怒りや悔しさを滲ませた唸り声をあげる。


「あいつ! せっかく重宝してやったのに! だいたい、私の魔法は効いていたはずでしょう!? なのに何で裏切れるわけ!?」


 ひとしきり自らの髪をぐしゃぐしゃにしていたダリアは、やがて「そうだ、魔法よ…」と一言小さく呟いた。何か嫌な予感がする。


「私には、まだ魔法があるの!」


 最早ダリアは自棄になっていた。目を見開いてそう叫ぶ彼女はとても正気とは思えない表情でゆらりと立ち上がった。

 まずい。間違いなく、ダリアは洗脳魔法を発動しようとしている。先ほどは何とか抵抗できたけれど、また同じようにできるかは分からないし、何より殿下を危険に晒すわけにはいかない。慌てて離れるようルクリオス殿下に助言しようとしたが、彼は何故かそっとわたしの顔――正確には目元に手を当てた。突然視界が遮られ、驚いて言葉を飲み込んでしまう。


「先ほどのもうひとつの質問に答えていなかったな。お前が本当にアシェラの家族で、純粋に会いたいだけなら問題はない。だがお前の目的は全く別だろうが」


 強い風が吹き荒れる音だけが聞こえる。髪が煽られて額を叩いた。


「都合の良い時だけ、家族を自称するな」


 地を這うような低い声。それがルクリオス殿下のものだと理解するのに数秒かかった。

 そうこうしているうちに、何故かダリアの悲鳴が聞こえてくる。それはだんだん遠ざかっていった。気のせいでなければ、下の方に。


「で、殿下…?」

「ああ、悪い。突然目隠しされたら驚くよな」


 先ほどの声が嘘のように、普段通りのそれ。明るくなった視界に、同じくいつもの―正確にはいつもより心配そうな―殿下の顔がある。

 ゆっくりと横を向いてみれば、やはりと言うべきかそこにダリアの姿はなかった。思わず唾を飲み込んだ。聞くのが怖くて「あ、あの」と言い淀むわたしを見て、殿下は何を言いたいのか察してくれたのだろう。すぐに苦笑して首を横に振った。


「彼女は生かしているから安心してくれ」

「え、あの、でも…崖から落ちた、んですよね…?」


 先ほどのわたしのように。そして空を飛べる殿下がここにいる以上、落ちた彼女が助かる術はないのでは。


「あの下は水が流れているから大丈夫だ。まあ、そこそこ流れは速いしドレスが水を吸ってしまうから、そのままだったら溺れるだろうがな」

「えぇ!?」

「リリーに回収するよう頼んでいるから大丈夫だよ。オリバーもいるし、意識を失う直前とかでタイミングを見てくれるさ」

「な、なるほど…?」

「彼女はあれだけのことをやらかしたんだし、これくらいしたって罰は当たらないだろ」


 そうなのだろうか。うん、殿下がそう言うなら良いのか。ダリアが生きているならば別に良いかとそれ以上考えるのをやめた。正直、情があるから生きていてほしいと思っているわけではない。生きて、自分の罪と向き合ってほしいだけだ。

 殿下がわたしに、一応身内だったダリアが落ちる瞬間を見せなかったのは彼の気遣いだろう。それだけの優しさを持っている彼だからこそ、わたしは率直に疑問を口にした。


「…ちょっと意外です」

「何が?」

「ルクリオス殿下がここまでするのが。ダリアのこと、風を使って崖から落としたんでしょう? 正義感の強いあなたが、そんなことをするだなんて意外で」

「オレは別に善人ってわけじゃないからな。腹立たしかったら仕返ししたいとも思うさ」

「ダリアがレフィルト国にしたことを考えれば当然のお怒りですね」


 わたしがそう言うと、何故か殿下は難しい表情で黙り込んでしまった。何か変なことを言ってしまっただろうか。どうすれば良いのか分からなくて「えっと」とか「その」等と言い淀んでいるうちに、彼はそっとわたしのことを地面に降ろした。優しい手つきだから怒っているわけではなさそうだ。

 「ありがとうございます」そうお礼を言おうと顔を上げた瞬間、視界が真っ暗になった。


「国に対することもそうだが、何よりもアシェラを傷付けたことが許せなかった」


 ルクリオス殿下に抱きしめられている。そう理解できたのは、彼からそう言われてぴったり5秒経ってからだった。一気に頬に熱が集まる。反射で仰け反って離れようとしたのだけれど、しっかり腰と頭に彼の手が回っていてぴくりとも動けなかった。


「あ、あぁ、未来視の魔法使いって国にとって特別ですもんね!」


 それは自分に言い聞かせる言葉だった。ばくばくと暴れる心臓がうるさい。必死に抑え込んでいた彼への恋心が、場にそぐわず顔を出そうとしてくる。


「そうじゃない。オレにとってもアシェラは特別だ」

「へ!? あ、そ、そっか、そうですよね、おばあちゃんの孫ですもんね!」


 おばあちゃんと孫が並んでいるのって表現として正しかったっけ。そんな、この場ではどうでも良いことをぐるぐると考えてしまうくらい混乱していた。

 落ち着け。自惚れるな。そう心の中で繰り返して何とか自分の感情を抑えているのに、頭と背中に回っている殿下の手の力が強くなった。さらに上がった密着度に悲鳴が零れそうになる。


「マーサ殿の孫というのは確かに特別だが、今言っているのはそうじゃない」

「え、あ、じゃ、じゃあライリット国との繋がりでとか…」


「アシェラのことが好きだからだ」


 ひゅ、と喉が鳴った。

 すきだから。スキダカラ。頭の中で何度もその言葉を繰り返す。はじめは文字の音としてしか理解できなかったが、だんだんと意味を理解して―――最終的に、処理がしきれずに限界を迎えた。


「…アシェラ? え、大丈夫か!?」


 遠くで焦ったルクリオス殿下の声が聞こえてくる。

 大変申し訳ないことに、そのままわたしは気絶したのだと後になって聞いた。




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