54.異変
これから向かおうとしている北の国は、山を越えた向こうに存在する。大きな山脈に土地を隔てられていることから陸の孤島と呼ばれているそうだ。戦いにおいて有利な土地から武力面で発展しているが、近年は国同士での和平を結んでいるためその自慢の兵力がお披露目される機会はないとか。最近は魔石が多く採掘できる土地柄を活かした産業発展を狙い、魔法を国力として利用しているレフィルト国と懇意にしたがっているらしい。実際、レフィルト国の第一王子様は現在進行形で北の国との交渉に赴いていると聞いている。
また一年を通して寒い気候で、北にのぼっていくほど寒さは増していくらしい。特に大陸の最北端は極寒の地で、重罪人の流刑地として有名な土地なのだとか。
「そんな感じだけどあと何か質問ある?」
「特にない」
素っ気なく答えても、前に座っているラウレルは特に気にした様子もなく「そう」とだけ言って足を組み替えた。聞いてもいないのに色々説明してくれるし、ダリアに許可を取って水や食べ物を持って来てくれたりとありがたくはあるのだけれど。その一見親切に見える行動の裏に何があるのか分からなくて、わたしにとって彼はただただ不気味だった。
今は件の北の国に向かうべく粗末な馬車に乗せられ、森の中を進んでいる。行商人を装うためなのか木箱に周りを囲まれて、外からはそう簡単に見えない箇所に無理やり押し込まれた。ラウレルは少し背の低い木箱の上に座って、わたしを見下ろしている。何でもわたしが変な行動を見せたら動きを封じるために傍にいるよう命じられたらしい。
「(さっき確認した限り、相手はダリアを入れて12人だった…山を越えられたらわたしの足で遠くまで走るのは難しいし、何とかそれまでに逃げないと…)」
よりにもよってラウレルを監視に置かれるとはついていない。彼の持つ『魔道具』の力は身をもって知っているし、発動されたらまず動けなくなる。何とかして彼の隙を伺って、さらには他の11人の目もかいくぐって逃げなければ。
それがどんなに難しいことであろうと、そうしなければわたしに待っているのは今以上に悲惨な状況だけだ。
「お水はもうもらえないの?」
「あれまた喉渇いたの? あー、でもまあ仕方ないかー。ボクが来るまでまともにもらえてなかったみたいだもんね。休憩のときにかけあってあげるよ」
「今は難しいの?」
「移動中は君の動向に集中しろって言われてるからねー。ダリア嬢も馬に乗って移動しているからそうそう話しかけられないし。ちょっと難しいかな」
「え、馬に…?」
ダリアが乗馬などできただろうか。少なくとも、わたしがイリシオスであったときに習っていた記憶はない。当然、わたしも経験はなかった。
「あ、もちろんひとりでじゃないよ。下僕のひとりが一緒で、彼女はただ乗っているだけ。その下僕のやつ、指名されたときすごい鼻の下伸ばしてて気持ち悪かったなー。そこそこ使えるんだけど、残念な奴だよね」
「使える…?」
「そいつ、探知の『魔道具』持ってるんだ。有効範囲…確か半径一キロ以内だったかな、その範囲に入った人間の正確な居場所が分かるとかいう代物なんだって。流石に誰がとかの詳細の特定は無理で、あの場所に誰かがいるぞー、ってのが分かる程度らしいけど。まあボクたちは今、人目を避けたいだけだからそれで充分なんだけどさ」
表情が引きつるのが自分でもわかった。そんな物を持っている人間が相手にいるのでは、たとえラウレルの目を掻い潜って逃げだしたとしてもすぐに見つかってしまうではないか。
「(全員の隙を伺った上で、探知の『魔道具』を奪うなり壊すなりして逃げるしかないってことか…)」
渇いた笑いが思わず零れる。はっきり言って無謀だった。特に戦う力があるわけでもなく、さらには未だに魔法を封じられた状態で―未来視が使えたとしてもこの状況を打破できたかは正直怪しい―どうにかできるとは思えなかった。じわりと、滲むように胸の奥から暗い感情が滲んでくる。それが絶望だったり諦念といった負の感情だと認める前に、わたしは唇を強く噛みしめる。強すぎて少し切ってしまったのか、僅かに血の味がした。
―――ダメだ。まだ、まだ諦めるな。心が折れたら本当にもうどうしようもなくなってしまう。
「…もともと、あなたたちはレフィルト国に魔法使い排斥運動を行っていたんでしょう」
「そうだね。その集大成は、君たちに阻止されちゃったけど」
「北の国に亡命するってことは、もう活動する気はないってこと?」
何か突破口はないだろうか。そう思って、とにかく口を開いた。仲間割れを誘うでも何でも良い。何か、何かこの状況を変える手立ては…
「今はもう良いんだよ。というか、もうこの組織自体がダリア嬢に乗っ取られているから、目的が変わっちゃったって言った方が正しいかな。今はただの、彼女に忠誠を誓っている駒集団だよ」
「今の目的って、北の国への亡命?」
「正確には、『アシェラ・シプトンに嫌がらせしつつ北の国へ亡命すること』かな」
「随分ちっぽけな組織になったんだね…」
「そうだねー。でもそもそも、始まりもちっぽけなもんだったんだよ。魔法の発展で仕事を追われた人間とか、魔法を怖いと思う人間とか…そんな些細な理由から魔法使いを自分たちの周りから追い出したいと考えた奴らが集まって、集会したりデモしたりさ。それがだんだん爆弾持ち込んで、過激になっていっちゃったんだよねー」
「結局、レフィルト国の即位記念祭で騒ぎを起こすことは失敗したから諦めたってこと?」
「んー、ちょっとだけ違うかな。あの祭りの数日前に、ダリア嬢が組織を掌握しちゃってさ。本当はその時点で目的がさっき言った内容にすり替わってたんだ。だからその時点で、ボクらの最初の目的だった魔法使い――ひいては彼らを重用しているレフィルト国への抗議活動は終わったと言っても良い。ただあれだけの規模の爆弾を仕掛ける計画なんだから、ずーっと前から下準備しててさ…それがいきなり無しになるとか、みんな不満を持って当然だよね。というかボクが一番納得できないし。門の鍵盗んで複製しておいたりとか、滅茶苦茶大変だったんだよ」
しばらくラウレルの愚痴が続いたけれど、話をまとめると。
ダリアが組織を乗っ取った時点で、あのお祭りの日に爆弾を大々的に仕掛ける計画は後に引けないところまできていた。ダリアの魔法をもってすれば無理やり組織の人たちを押さえつけて言うことを聞かせることもできたけれど、彼女は当初の計画通りその事件を起こすことを決めたらしい。やめなかった理由はおそらく、押さえつける労力をかけることが面倒だったのと、彼女自身もレフィルト国が困る様を見たかったとかだろう。
「ま、あの事件は成功しても失敗しても、どっちでも良かった感じだね。ダリア嬢的にはボクたちの不満を解消するために『起こす』ことが大事だったわけだから。それが終わってしまえば、彼女の目的に一直線さ」
「…なに、それ」
軽いとしか思えない口調でそう言うラウレルに、わたしは思わずそう呟いてしまった。自分で言うのも何だか、心底嫌悪感がこもっている声だった。実際、気分が悪かった。胸のあたりがもやもやとして、頭の奥が沸騰するかのように熱い。
下手なことを言うべきではない。そう頭では分かっているのに、わたしの口は止まってくれなかった。
「君の質問には答えたと思うけど、何か問題が?」
「あの事件がもし成功していたら…ううん、最終的に失敗するとしても、どこかひとつでも爆発していたら、大勢の人が犠牲になっていたんだよ? それなのに、ただ『起こす』だけが目的だったって…命を、何だと思っているの…!?」
今でも思い出す、時計台が爆発する未来で視えた赤毛の女の子。もしも止められなければ、あんな小さな子供が犠牲になっているところだったのだ。
ラウレルを睨みつける。気付けば少し腰も浮かせていた。対する彼は、特に変わりなく微笑んでいた。
「こうも綺麗事を正面からぶつけられたの久しぶりだなー。そういうのって、君が安全な世界で生きてきたから言えることだろ。ダリア嬢に聞いた感じだと君もそこそこ悲惨な目には遭ってたらしいけどさー、生きるか死ぬかの状況にはそうそう陥ったことないでしょ? そんなイイコちゃんに何言われたって、ボクには響かないんだよねー」
生きるか死ぬか。その言葉に頭が急速に冷えていった。それこそ今がそんな状況だ。頭に血が上ってしまったとはいえ、こんな状態で喧嘩を売るなど正気の沙汰ではない。
到底彼の言い分に納得はできはないけれど。わたしは歯を食いしばって下を向いた。冷静を取り戻すために深く息を吸い込む。
「うんうん、それで良いと思うよ。誰だって赤の他人の命なんかより、自分の命が大事だもんね」
「………」
「これについては、初めて君と意見が合いそうだよ」
どういう意味だろう。ちらりと視線だけ上に上げると、相変わらずの笑みを浮かべたラウレルと目が合った。
「自分の命が一番ってところ。君、今自分の身を守りたいから口を噤んだろ? その行動は正しいと思うよ、ってこと」
言うが早いか、ラウレルは木箱から飛び降りた。「よいしょ」わざとらしく呟きながら床に着地する。顔を上げた彼の表情から、笑みは消えていた。
「ボクも、自分が生き残ることしか考えてないからさ」
真面目な彼の表情に思わず体が固まってしまった。今までの作ったような笑みではない顔に、漠然と怖いと思ってしまったのだ。だから、反応が遅れてしまった。
「敵襲だ!」
外から野太い男性の、焦ったような声が響いた。それがラウレルが言っていた探知の『魔道具』を持つ人のものだと知ったのは、後になってからだ。
「しばらく大人しくしててね。ほら眠くなーる」
チャリ、とラウレルが自身の耳飾りに触れてそう言った瞬間、わたしの世界が真っ暗になった。




