53.絶望の足音
「なーんか興ざめしちゃった。以上がボクの話なんだけど、他何か聞きたいことある?」
「…わたしが攫われた日、もみあげの人が言っていた助っ人ってあなたのこと?」
「あー、そう、あれもボク。ていうかもみあげの人ってウケんね。面白いからボクもそう呼ぼうかな」
「あの時わたしはあなたの声を聞いていない。というか姿も見えなかったし。それなのに突然動きを止められたのはどうして?」
「あれはもみあげの人の言葉を催眠のトリガーにしたからだね。あいつ、『動くな』とか『眠らせろ』とか言ってたでしょ? その言葉を聞いて、ボクの催眠の術中にあった君は動けなくなったし眠っちゃった感じ。いやー、色々な積み重ねで君の心が弱っていたのはラッキーだったよね。たぶん普段の君には催眠効かなかったんじゃないかな」
悔しさで唇を引き結んだ。今の話からして、あの時わたしが強くあれば今頃こんな目には遭っていなかったのだ。いや、正直力づくでこられたらどうしようもなかったから、あの日、あの門の外でひとりになった時点でこうなるのは決まっていたのかもしれない。
それよりも彼の―正確には彼のお母様の―魔法は随分と厄介なもののようだ。自分の言葉じゃなくても、彼の力が有効な相手であれば何をトリガーにしても催眠をかけられるということか。
「(どうにもならないことを考えていても事態は変わらない。今は少しでも情報を引き出すことに集中しよう)」
知らず下げていた視線をラウレルに戻せば、いつの間にか彼は笑顔に戻っていた。いつもの、貼り付けたような笑みだ。
「あなたはあの時、ガラットに付いて行ったはずでしょう。さすがに彼も後ろからあなたが来なければ不審に思うはずだし…いったいどうやったの?」
「簡単な話だよ。催眠をガラットにかけたのさ。『後ろから付いて行くからとにかく登れー!』って言えば一発だったよ。ボクが黙って引き返しても全く気付いていなかった。“前”もそうだったけど、あいつ単純だからすごい効きやすいんだよね」
「(前…?)」
まるで以前もガラットに使ったことがあるかのような口ぶりだ。その疑問をぶつけようとしたのだけれど、ラウレルが笑顔を消して何故か苦い表情を浮かべて己の頬を撫でていることに気付く。彼の表情の変化に慣れなくて、思わず口を噤んだ。
「この力って弱点に目を瞑ればすっごい便利なんだけどさ。あくまでも相手に思い込ませるものだから、その人どう考えるかによるんだよね。ガラットに催眠かけてすぐ引き返して、もみあげの人に協力して君を眠らせて、また螺旋階段駆け上がって…ガラットにかけた催眠が解ける前にこのハードスケジュールを何とか終わらせたのに、そんなボクを待っていたのガラットの拳だったんだよ? あいつ、ボクのこと『敵を前に物陰に身を隠して震えている奴』って脳内で補完しやがったんだよね。失礼だと思わない?」
無言を貫いた。本当は少し胸の中がすかっとしたのだけれど、さすがにこの状況でそんなことを言葉にする勇気はない。
それよりも。わたしには、ずっと確かめたいことがあった。彼があの時のことを知っているというのならちょうど良い。
「わたしが攫われた瞬間あの場にあなたがいたのなら、聞きたいのだけれど」
喉が渇く。何とか潤したくて唾を飲み込んだ。それでもつい喉が震えて、言葉も揺れてしまった。ラウレルは少し不思議そうな顔をして首を傾げた。
「何?」
「わたしが付けていたペンダント、どうなったの…?」
意識を失う寸前、何かが砕ける音を確かに聞いた。それでも決して『それ』がペンダントだとは限らないはず。足を振り上げていた男の姿が脳裏に過って、思わず頭を振った。もしかしたらあの時、彼の狙いが狂ってちょうど近くにあった小石を潰してしまったとかあるかもしれない。
両手を強く握りしめて、伺うようにラウレルの顔を見上げた。彼が「ああー、あれね、たぶんまだあの辺で転がってんじゃない?」とでも言ってくれることを想像しながら。どうか、あのペンダントだけは。お母さんとの、唯一の繋がりだけは。
そう願うわたしの心を知らない彼は、きょとんとした表情を浮かべて―――「もみあげの人が踏みつぶしたよ?」なんだそんなこと、とでも言いたげな軽い口調で言いきった。
目の前が真っ暗になった。同時に、唇を強く噛みしめる。涙はさっき散々流したというのに、また目頭が熱くなる感覚があった。慌てて下を向く。
「あそこまでするとかボクも流石に引いたわー。いくらダリア嬢の力に操られていたからって、あんな行動に出るのは彼の性格によるものだよね」
「…そう」
「あれ? 何か大事なものだったの?」
大事だった。義母やダリアから取り上げられないよう、時には怪我を負ってでも守り切ったものだった。
わたしを自身の命と引き換えに産み落としてくれた、おばあちゃん以外のわたしの唯一の『家族』が、残してくれたものだったのに。
「ねーねー、何だったのー?」
「………お母さんの形見」
真実を伝えれば、少しはラウレルも悪いと思うだろうか。そんな当てつけのような、いっそやけくそのような気持ちで呟けば、視界の隅で彼がぴたりと動きを止めるのが見えた。
「―――それは、ごめんね」
いつも軽薄な響きのある彼のものとは違う、困ったような、申し訳なさそうな声だった。まともな感情がのっているそれに驚いて顔を上げれば、ラウレルはやはり眉を少し下げて、バツの悪そうな顔をしている。
「謝られたって、どうにもならない…」
「そうだね。でもやっぱりごめんね」
「悪いと思うなら、わたしをここから逃がしてよ」
「それはできないな。ボクはダリア嬢に逆らえないから」
一見ラウレルは好き勝手しているように見えるが、きっとダリアの魔法にかかっているのだろう。そもそもあの用心深いダリアが、自身の力が効いていない人間を傍に置くとは思えないし。
「でもそっか、あれ、君のお母さんの物だったんだね」
「………」
「―――母親って、どうあっても子供のことを守ろうとする生き物なのかな」
「え…?」
悲しそうな声だった。目の前にいるラウレルが、どこか迷子の幼子のように見える。どういうこと、と咄嗟に浮かんだ言葉は結局口にできなかった。
「あら、随分仲が良さそうね」
突然響いた女の声に、思わず椅子から転がり落ちそうになったのだ。寸でのところで耐えて振り返れば、そこにはダリアが立っていた。いつの間にか部屋に入って来ていたようだ。
ラウレルはさっと立ち上がり、いっそわざとらしさすら感じる仕草で頭を下げている。
ちらりとダリアがわたしを見て、「何をしているの?」と冷ややかな声を上げながら目の前に立った。
「………」
「聞こえなかったの? あんた、奴隷の分際で――椅子になんて座っているんじゃないわよ!」
思い切り肩を押されて、後ろにひっくり返った。床に打ち付けた痛みに上げそうになった悲鳴は歯を食いしばって耐える。無言で姿勢を正して、平静を装いながらダリアを見上げた。
ここで怯えたり怒った様子を見せるのは、ただダリアを喜ばせるだけだ。今のわたしにできる、精一杯の抵抗である。
「何よその目つき。気に入らないわね」
しかしその様子がお気に召さなかったのか、ダリアは取り出した扇を振り上げた。その姿がいつかの義母と重なる。
「ちょーっと待って」
しかしその扇が振り下ろされることはなかった。何とラウレルがダリアの腕を掴んで止めたのだ。
さすがのわたしもまさか彼がそんな行動に出るとは思わなくて呆けた表情を浮かべてしまう。対するダリアは初めは驚いた顔をしていたものの、段々とその顔を怒りに染め上げていった。
「どういうつもり」
乱暴に彼の手を振り払い、ダリアはラウレルを睨みあげた。瞬間、嫌な気配が彼女から吹き出す。ちくちくと肌を刺してくる、いっそ肌寒さすら感じる気配だ。もしかして魔法を使おうとしているのだろうか。
「急に触れてしまって申し訳ありません、お美しいダリア嬢」
ラウレルはさっと跪くと、つらつらと話し始めた。
「ただ彼女は大切な捕虜です。北の国へ差し出すにあたって、あまり傷を付けるのは良くないですよ。ダリア嬢に比べれば彼女はガラス玉ですが、ヒビが入ったものよりも綺麗な――外見が整った物の方が先方もお気に召すでしょう」
言いながらラウレルはダリアの左手を取り、その手に恭しく唇を落としている。何この茶番、と零れそうになった言葉は飲み込んだ。
ダリアはまだ不満そうな顔をしていたけれど、乱暴に手を払いのけると扇を顔の前で開いた。彼女の動揺した時の癖だ。その仕草といい、ラウレルへ探るように鋭い視線を向けていることといい、彼が嘘をついていないか…もっというなら彼にかけている洗脳魔法が弱まっていないか見極めようとしているように見える。
しばし重い空気が部屋に流れるけれど、ぱちん、とダリアが扇を閉じる音と同時に和らいだ。
「あなたの言う通りね。少しでも高く売りつけられた方が私にとっても良いし」
「耳を傾けてくれてありがとうございます」
「あら、今までも結構あなたの話は聞いてきたつもりだけど? 私、賢い子は嫌いじゃないもの…愛情が裏返って、いじめちゃうこともあるけどね」
ダリアの視線を感じる。まさかその賢い子ってわたしのことじゃないでしょうね。皮肉が籠っていようと、ダリアの口からわたしに対する誉め言葉に近いものが出てくるなど寒気がする。
これ以上ふたりを視界に入れないように下を向きながら、壁へと背中を預けた。まさか楽な姿勢を取るなと殴られることはないだろうし。
「それでダリア嬢、こちらには何用で?」
「ああ、いもうとに教えてあげようと思って」
かつん、とヒールを鳴らしてダリアがわたしの目の前に立った。それでも顔を上げなかった。すると扇の先がわたしの顎の下に差し込まれ、無理やり顔を上に向けさせられる。その先には。
「いよいよ北に向けて出発するわよ。あんたにお似合いな国をわざわざ見繕ってあげたんだもの、あんたも楽しみでしょう?」
狂気的な笑顔が、視界いっぱいに広がっていた。




