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51.ダリア

「いいかい? おまえさんは自分に正直に生きなさい。そうすれば必ず幸せな未来が手に入るよ」

「正直に生きるだけで良いの? そんなのとってもカンタンよ、おばあちゃん」


 ああ、これは夢だとすぐに分かった。

 わたしがまだ、おばあちゃんに守られていただけの幼い頃の夢。幸せも、正直さも当たり前に傍にあったから、その『当たり前』が続くと疑いもしていなかった。実際は幸せはおろか、成長すればただただ正直に生きることすら難しくなってしまうと、まだ知らなかった頃だ。


「どんなに大変でも、自分に正直に、まっすぐ生きなさい。そうして幸せになるんだ―――約束だよ、可愛いアシェラ」


 おばあちゃん。

 約束通り、わたしは誰に顔向けしても恥ずかしくないよう、まっすぐ正直に生きてきたよ。そりゃ時々曖昧な、相手に勘違いを誘うような言い回しもしたけれど、嘘だけはつかなかったよ。おばあちゃんと約束したから。おばあちゃんの言葉を、信じてきたから。

 だから。


 ………わたしは、本当に幸せになれるんだよね?




 意識が浮上した。不思議なことにそんな感覚があった。

 何だか息苦しい。目を開けている感覚はあるのに、目の前は何故か真っ暗だ。体の節々も痛い。

 何事かと少し混乱したけれど、自分が今うつ伏せの体勢で固い地面に横たわっているのだと気付いた。それなら呼吸が上手くできていないのも、目の前が暗いのも理解できた。目も鼻も口も、そもそも顔面が地面に向いているせいだ。ベッドから転がり落ちたのだろうか。体が痛いということはしばらくこのまま寝こけていたらしい。

 全く何てドジを………そう苦笑して起き上がろうとしたけれど、手が動かなかった。まるで何かに縛られているかのように、背中の後ろに回っている腕がびくともしない。


「………っ」


 そこでようやく、わたしは自分の状況を理解して息を呑んだ。


「(そうだ、わたし…あのもみあげの人に…)」


 どうすることもできず、結局気を失ってしまったのだ。その後、間違いなく攫われたのだろう。

 いや、もう一度眠ったら、実はこちらが夢だったりはしないだろうか。実は今も、何度も繰り返し行っていた未来視の中で…わたしは部屋のベッドで目が覚めたり………



「あら、ようやく起きたの?」



 心臓が鷲掴みされたような感覚だった。

 女の声。その高音を、わたしはよく知っていた。

 耳鳴りがする。ガンガンと頭のすぐそばで鍋の底を叩かれているかのようだ。

 ゆっくりと顔を上げる。ぼやける視界に最初に映ったのは、ひとつの扉だ。何度も何度も、繰り返し『視た』それ。


「(ああ…)」


 心の中に絶望感が広がった。

 わたしは、この場所を知っている。


「まさか丸一日も寝ているだなんて。アシェラったら、家を出てから随分お寝坊さんになったのね?」


 薄暗い室内。家具すらもない部屋の中央で、わたしは横たわっている。両手は動かなかった。後ろ手に何かに拘束されているようだ。

 この状況も、よく知っている。


「どうして…」


 気付けばそう口走っていた。声が掠れている。


「どうして、今さら…」


 これではわたしが視たあの未来と同じではないか。そう思うのに、どうしても疑問を押さえ込むことができなかった。

 薄暗い室内の向こうから、コツコツとヒールが鳴り響く。

 ゆっくりと暗闇から現れたのは………


「ひどい顔ねぇ。感動的なあねといもうとの再会だっていうのに」


 腰まで伸びる金色のストレートヘアーが、薄暗い部屋の中ではひときわ目を引いた。口元に引かれている真っ赤なルージュが歪んだ弧を描いている。

 ぞっとするほどの冷たい笑みを浮かべたダリア・イリシオスが、そこにいた。


「………」

「いやあねぇ、そんな睨まないでよ。私はあんたに相応しい場所に連れて行ってあげようと思って、わざわざ迎えに来てあげたのよ? むしろ感謝してほしいくらいだわ」

「相応しい、場所…?」


 繰り返し視た未来の出来事で、こんな会話は出てこなかった。素で聞き返すと、ダリアはにこりと笑った。


「あんた未来視の魔法が使えるんだってね? いもうとがどこにいるのか気になって探したら、まさかその子が魔法を使える挙句、その力を使って他国でちやほやされているだなんて思わなかったから。初めて知ったときはびっくりしちゃったわ」

「………」

「ああ、隠さなくて良いわよ。レフィルト国の爆弾騒ぎの解決に尽力した未来視の魔法使いって、あんたのことでしょ。しかも王子様に見初められて、とっても良い暮らしをしていたみたいじゃない」


 ダリアは変わらず笑みを浮かべている。それでもその瞳は笑っていない。


「そんなキラキラした場所、あんたには相応しくないでしょう? だから迎えに来てあげたの。ちょうどあんたのことを欲しいと言っている国が北の方にあってね。そっちに奴隷として売ってあげるわ。すごーく過酷な所らしいから、あんたにぴったりじゃない?」


 身動きが取れていたら、わたしはきっとダリアに殴りかかっていたと思う。勝てるかなんて分からない。いや、ここが相手の用意した場所な以上、きっとダリアひとりだけではないはずだ。どのみちわたしが優位に立てる状況などあり得ないだろう。そう頭では理解できても、この時ばかりは感情が勝った。


「(―――この人は、どこまでわたしの邪魔をすれば気が済むの!?)」


 飛びかかってやらんと全身に力が入ったけれど、腕に縄が食い込む感触がして、一瞬で沸騰した頭が少し冷えた。唇を噛みしめて俯く。

 落ち着いて。この状況で、冷静さまで失ったら本当にどうにもならなくなる。

 せめて未来を視て、相手の隙を伺うくらいはしなければ。そう思って意識を集中する。

 しかしいくら力を込めてみても、いつもの感覚が来なかった。当然未来など視えない。


「(どうして…)」

「ああ、魔法なら使えないわよ」

「え…」

「あんたが悪い子なのは知っているもの。どうせ魔法を使って逃げようとか企むでしょう? そうならないように、魔封じの効果がある縄で縛らせてもらったわ。それ、基本的には魔法使いの犯罪者とかに使うものらしいけど…まあ、今のあんたにはお似合いね」


 目の前が真っ暗になる感覚があった。

 よっぽどわたしは絶望的な表情を浮かべたのだろう、ダリアの顔がさらに笑みを深めた。わたしの苦しむ姿が、楽しくて仕方がないとでもいうように。


「…どうして、ここまでするの」


 気付けばそう零していた。ダリアの前で弱い姿など見せたくないのに、そんなの相手の思うつぼなのに、その声はみっともなく震えている。

 顔は下を向いていて、視界には固い床しか見えないけれど…きっとダリアは、その真っ赤な唇を上に吊り上げて嗤っているに違いない。


「わたしはイリシオスの名前を捨てた。ライリット国にだって戻るつもりはない。義母やダリアとだって、一生顔を合わせるつもりはなかった。もう二度と会うはずのなかった人間に、どうしてここまでこだわるの!?」


 ダリアからすればライリット国の王太子であったジニアス殿下に、わたしが義母や彼女に不利な情報を吹き込んだという事実はある。そのせいでイリシオス家に調査が入ったともリンさんから聞いている。その調査結果がわたしの望む内容だったとして、それでも血統を重んじるライリット国ならば高位貴族であるイリシオス家にそうそう重い罰は下さないはずだ。わざわざ他国に渡ってきてまで、それもこんな犯罪まがいのことをダリアが自らの手を汚してまでする理由が分からなかった。


「…あんたが何もかも悪いからよ」

「いっ!?」


 髪を掴まれて、乱暴に上へと引っ張られた。無理やり顔が上げられる。

 そこではじめて、わたしはダリアの瞳が憎悪に染まっていることに気付いた。


「あんたがジニアス様に私たちの情報を売ったんでしょ? そのせいで私は全部失ったわ」

「全部…?」

「イリシオス家は没落。お母様も投獄されたわ」


 言葉を失った。


「没落に…投、獄?」

「そうよ。あんたが話したりしなければ、こんなことにはならなかったのに」

「ちょ、ちょっと待ってよ! わたしは自分に関する嘘を証拠付きで否定しただけ。それがどうして、イリシオス家が潰れた上、お義母様が捕まることになるの?」


 わたしの企みが成功したとして、せいぜい義母やダリアの嘘が明るみに出た結果、彼女たちを信じていた人たちから後ろ指を指されるくらいだろうと思っていた。ついでにジニアス殿下とダリアの婚約の可能性は完全になくなるだろうと。

 本当に、そのくらいだと思っていたのだ。

 ダリアは少し黙り込んでから、わたしの髪を掴んでいた手を乱暴に払った。床に投げ出されて体に痛みが走るけれど、正直今はそれどころではない。わたしが混乱する様を満足そうに眺めてから、ダリアはその口を開いた。


「少し前まで、レフィルト国で爆弾騒ぎが続いていたことは知っているわね?」


 まさか本当に説明してくれるとは思わなくて少し驚いたけれど、わたしは何も言わずに頷いた。大方、思い通りに事が運んで機嫌が良いのだろう。

 ダリアが言っている爆弾騒ぎというのは先日の即位記念祭のことではなく、それよりも前に起きていた件のことだ。


「その事件の犯行グループとイリシオスに繋がりがあることが、ジニアス様の調査によって明らかにされたのよ」

「は…?」


 思わず呆けた声が出てしまった。

 イリシオスが、犯罪組織と繋がっていた?


「ある時、とある物品を秘密裏に売ってほしいって話が入って来てね。後から聞いたことだけど、その物品が爆弾を作る材料だったらしいわ。普通なら断ったでしょうけど、お義父様が亡くなってからお金が思ったより入ってこなくなって…だから困ったお母様がその話に乗っちゃったのよ」


 まあ、やばい品だけあって高値でやり取りしてくれたわねぇ。

 そう笑うダリアは、果たして自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。


「そのこと、あなたは…」

「知っていたわよ。一回目のやり取りがあった後、お母様に教えてもらったもの。もうちょっと金額を吹っかけても良いんじゃないかしら、って助言もしたくらいだし」

「じゃあ、あなたたちは、爆弾に…人を傷つける道具に使われることが分かっていて、協力していたっていうの…?」

「協力だなんて言い方はやめてよ。ただ金銭的なやり取り――いわばビジネスをしていただけよ」


 狂ってる。そう零れそうになった言葉を何とか飲み込んだ。今ここでダリアを糾弾したところで、返ってくるのは彼女の不興――ひいてはわたしへの暴力だろう。


「(でも、これで分かった。いつもなら高みの見物をするようなダリアが、何で直接出てきたのか)」


 隠れ蓑にしてきた義母や取り巻きがいなくなってしまったから、自分で動くしかなくなった。先ほどの話からして、ダリアは逃亡中の身なのではないだろうか。そしておそらく、わたしを売ろうとしている北の地に亡命するつもりなのだ。未来視の魔法使いをエサにして。


「どんなビジネス関係も、結んでおくに越したことはなかったわね。こうしてあんたを捕まえるのに、役立ってくれているわけだし」

「…そんな薄っぺらい関係性じゃ、きっといずれは裏切られる」

「何ですって?」


 不愉快そうにダリアが顔を歪めた。わたしは構わず続ける。


「そのビジネス相手って、爆弾事件を起こしている犯罪組織っていうことでしょう? そんな法を犯すことに躊躇いのない人たちが、いざって時に守ってくれると思う?」

「………」

「ここから解放してくれたら、わたしがレフィルト国にかけあう。全くの無罪にはならないだろうけれど、減刑の口添えはできるはず――」


 ―――ばちんっ

 何が起きたのかわからなかった。頬を思いきり叩かれたのだと気付いたのは、左頬に痛みが走ってからだった。


「偉そうな口をきくんじゃないわよ」


 瞳だけを上に上げれば、ダリアの瞳に宿る憎悪が増しているのが見えた。


「先に言っておくけど、あんたを解放するつもりも、あんたを売る方針を変えるつもりもないから。万が一邪魔者が来たって、あいつらは私を守るために必死に動いてくれるもの。だからその交渉は無意味よ」


 はったりではない。ダリアは本気の目だ。本当に、彼女の『協力者』を信用しているようだ。


「そんなに、信じられる人たちってこと…?」

「ふふ、信じるねぇ。そうね、裏切るわけないって、そういう信用はしているわ」

「………」

「どういうことか分からないって顔ね。いいわ、教えてあげる。あんたに知られたって、何もできないものね」


 ダリアが膝をついて、わたしの頬に触れた。先ほど叩かれた位置に指先が押し付けられて痛みが走る。


「私は『相手の悪意を増幅させる』力があるの。それだけなら大して使えないわ。せいぜい気に入らないいもうとの悪口を広めて、まんまとその噂を信じた相手の悪意を大きくさせて…たくさん意地悪をしちゃう人間に育てるくらいにしか使えなかったわね」

「え…」


 まさか、ダリアは。

 想像もしていなかった話にわたしは左頬の痛みも忘れて呆けてしまった。そんなわたしを見て、ダリアは愉快そうに口元をゆがめる。


「でも最近は何でか力が強くなってね。それ以上の効果が出てきたのよ」

「それ、以上…?」

「そう。私の力に魅入られた人はね、私のために何でもしてくれるの。私が頼めば本当に何でもしてくれるわ」

「は…?」

「私がお金に困っているって言ったら自分から身ぐるみはいで全財産渡してくれた人がいたし、私が消えろって言ったら崖から飛び降りてくれた人もいたわね」

「(そ、それって、洗脳ってこと…!?)」


 恍惚とした表情で語るダリアに背筋が泡立つ。人の心を捻じ曲げる行為を、彼女は何とも思っていないらしい。その口ぶりは、むしろ素晴らしいものだと確信している節すら見受けられる。

 犯罪組織の人たちはすでにダリアの手駒ということだろう。他人を傷つけてでも自分たちの主張を通そうという人たちだ、ダリアの言う有効な相手としてのトリガーが『悪意』ならば、これ以上ないものを抱えているに違いない。そして魔法の力で彼らを従えているのであれば、確かに裏切られるという心配はないだろう。そんな恐ろしい力を、まさかダリアが隠し持っていただなんて。


「―――ライリット国にいた魔法使いは、あんただけじゃないのよ」




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