46.シェルディ
翌日。今日はクリンゲル店も営業日で、護衛もガラットに戻った。
顔を合わせるなりガラットが「昨日は殿下と色々話せたか?」とニヤニヤと笑う。昨日ルクリオス殿下が護衛に付いてくださることを黙っていた恨みもあったし、何よりその表情で苛立ちが倍増させられた。だからささやかな仕返しとして彼の手を取り力を使って。
「………あらぁ、これは随分大変な目に遭うみたい。気を付けてね?」
「詳細言ってくれよ!?」
瞬時に顔を青くさせた彼に留飲を下げる。何が視えたのかは「ご想像にお任せします」を貫いた。まあ、大事は起きていなかったので大丈夫でしょう。
「まあ良いや。まだお店に行くまでには時間もあるし、中へどうぞ」
「おい俺は全然良くねぇんだが」
「つべこべ言ってないで入ってよ」
「あー、いや、今日は…というか今日からは外で待機する」
「え?」
部屋の中へと入ろうとしていたわたしが驚いて振り向けば、ガラットは気まずそうに視線を外す。
「急にどうしたの?」
「いや、よく考えたら年頃の女性の家に不躾に入るのは良くないなって」
「今さらあなたがそんなこと気にしてどうするの?」
「なあお前やっぱり初対面のときのこと恨んでるよな」
はあ、とガラットは大きくため息をついて、そのまま扉の横の壁へと背中を預けた。そこで待機するつもりらしい。
「そんなところに人を立たせるなんて、わたしが気になるんだってば」
「いや、俺はここが良い」
「わたしは気にしないから入ってよ。今さら何だっていうの」
「あー、うるさい放っとけ。殿下に睨まれたくねぇんだよ」
「殿下?」
何でそこで殿下の名前が?
驚いて思わず聞き返せば、ガラットはしまったというように口元を手で覆った。半眼になって彼を見れば、相手はさっと視線を逸らす。そちらの方へと体を滑り込ませても、反対方向へとそっぽを向いた。断固話すつもりはないらしい。しばしガラットと無言の攻防を繰り返していたところ。
「あ、あの、アシェラ様…」
突然の第三者の声。それも聞き覚えのあるそれ。
誰かを瞬時に理解したわたしは笑顔でそちらへと振り返った。
「リリーさん!」
「こんにちは…そ、その、ガラット様も…」
「…こんにちは」
柔らかく微笑んでくれたリリーさんは、そのまま強張った表情でガラットへと視線を向けて頭を下げる。対するガラットも少し困ったように挨拶を返していた。もう顔を合わせるのは何度目かになるのに、お互い距離感を測りかねているのかギクシャクとしている。
リリーさんはわたしがルクリオス殿下の客人ではなくなった後も、度々こちらへと足を運んでくれていた。残念ながらわたしの方からおいそれと彼女の方を訪ねることができないため、彼女が来てくれなければ会うことも難しいのだけれど。だってリリーさんのご実家である貴族のお屋敷に理由もなく平民のわたしが行くのはおかしいし、かつてお世話になっていた家―彼女にとっての職場―は気まずくて行けたものではない。
「お仕事前にすみません、その、アシェラ様に差し入れをと思いまして…」
「わあ、ありがとうございます。良ければお茶でもどうですか?」
「ではありがたく頂戴したいです…」
「どうぞどうぞ」
リリーさんが差し出してくれた差し入れを受け取り、中へと促す。同時に、その背後で動こうともしないガラットがやはり気になってしまった。
「ねえ、やっぱりガラットも」
「気にしなくて良いって言ってるだろ」
「あ、あの、私もいるので、大丈夫だと思いますよ…? あ、アシェラ様を気遣わせるのも、ほ、本意ではないでしょう…?」
何とリリーさんが意を決したようにガラットへと向き合った。目の前―しっかり二メートルは離れている―に立たれたガラットの方は珍しく目を真ん丸に見開いて固まっている。まさか彼女がそんな行動に出るとは思っていなかったからだろう。当然わたしも思っていなかった。
しばし無言で睨み合っていたふたりだったが、やがてガラットの方が折れた。
「分かったよ。俺も邪魔させてもらう」
心底面倒くさそうにため息をつく彼の前で、リリーさんが勝ったと言わんばかりの良い笑顔でこちら振り向く。わたしも彼女に倣って笑った。いや、わたしの方はニヤリという擬音が相応しいようなそれかもしれない。何せガラットの方がリリーさんに負ける光景なんて、面白いものが見られたという感想にしかならなかったんだもの。
わたしは上機嫌で「三人分お茶淹れますねー」と踵を返した。その後ろで彼らが何か話していたけれど、特に気にすることもなく。
「だ、大丈夫ですよ、アシェラ様とふたりきりでなければ、ご、ご主人様もお怒りには、ならないでしょうから…」
「…お前、もしかして殿下に言われて来たのか?」
「い、いえ、私がアシェラ様に、あ、会いたかったからですが…」
「へえ。シプトンの奴、この国の人間あちこちで誑し込んでやがるのな」
「そ、そんな言い方…」
「ああ悪い、変な意味では言ってない。ただ、仕事しているだけで殿下の嫉妬の槍玉に上げられるんだぞ…ちょっとくらい愚痴も言いたくなるだろ」
「ふふ…その、お疲れ様です…」
その後リリーさんとはお仕事の時間まで談笑して、いつも通り出勤した。その日も変わらず仕事をこなしていたのだけれど、唯一変わったことが。
「お兄さまったら未来視の魔法使いさまとずっと一緒にいらっしゃるだなんて、羨ましい…妬ましい…」
「最後に本音を漏らすな。あー、だからお前にだけは知られたくなかったんだよ、面倒くせぇ」
これだけでお分かりいただけただろう。
シェルディさんがクリンゲル店に訪れたのだ。何でもわたしと出会ったお店に行けばまた会えるのではないかと思ってくれたらしい。そこで店員として出迎えたわたしを見て、彼女が気絶しかけたのはつい先ほどのことだ。今は騒ぎを聞きつけたシャラさんのご厚意で、居住スペースの方にお邪魔させてもらっている。
「お前もう帰れ。また気絶したら店の迷惑になるだろ」
「まさかこんなすぐに未来視の魔法使いさまと会えるだなんて考えていなかったんですもの…心の準備ができていなかっただけですわ」
「いや今まさに迷惑かけてるだろ」
正直、わたしは一刻も早く店番の方に戻りたかった。いや、シェルディさんのせいではないのだ。彼女の熱意に身構えてしまうことはあるけれど、好意を持ってくれているのは純粋に嬉しい。せっかく働かせてくれているシャラさんたちに負担をかけることが申し訳ないという理由がほとんどだ。ただ、残りは。
「おいガラット。そんな言い方はシェルディ嬢に失礼だろう。だいたい、迷惑なのは彼女のせいだけではないと思うが」
そう言ってこちらに鋭い視線を向けてくるのはもみあげが長くて特徴的な男性。先日の爆弾事件で門にてひと悶着あった、通称もみあげさんだ。彼の敵意が鬱陶しくて仕方がないので、とっとと立ち去りたい。
彼は今日のシェルディさんの護衛担当らしい。
「はあ? シプトンの方は何もしてないだろ」
「どうかな」
彼は魔法使い全体を嫌っているのだと思っていたが、どうやら魔法使いの中でも特定の人物にしかそういった感情は持っていないらしい。少なくともシェルディさんには好意的に見える。先日はルクリオス殿下にも同じような反応だったし、地位のある魔法使いには尻尾を振る人間のようだ。随分と素敵なポリシーをお持ちですね。
「(まあ、学園で権力者に媚びへつらう人なんてたくさんいたからなぁ)」
当然良い気分ではないけれど、傷つくようなか弱い心は持ち合わせていない。
「だいたいガラット、お前『その仕事』を引き受けるなんて何を考えているんだ。こんなやつの…」
「おやめください」
シェルディさんの鋭い声が場に落ちた。それと同じくらいの鋭利さで彼女の視線がもみあげさんに刺さる。
「お兄さまの『お仕事』はルクリオス殿下自らお話をいただいた栄誉なことですわ」
「そ、それは…」
「何も知らない方が責めるような真似はおよしなさい」
「確かにそのことは知りませんでした。しかし、その女は――」
「わたくしの前で彼女を侮辱するのは許しませんわよ」
「…ルディ、そこまでにしておけ」
勢いよく立ち上がったシェルディさんの肩をガラットが抑える。もみあげさんは唇を噛みしめて俯いた。
当事者にも関わらず、驚いて声が出せなかった。彼女がここまで怒りを露わにするとは思わなかったから。
「あの、わたしは何を言われても気にしませんから…」
誰かに睨まれるなんて慣れているし、敵意くらいなら鬱陶しいと思うだけだ。それが悪意に変わって害を成してくるなら別だけれど、彼のそれは今のところそうではないし。
わたしの言葉に、彼女は何故か悲しそうに顔を歪ませた。
「………今日の護衛はもう結構ですわ。帰りはお兄さまに送ってもらいますから」
「そ、そんな…!」
「安心なさって、あなたが罰せられることはありません。この事はこの場限りのお話にします」
有無を言わせぬ彼女の口調。
わたしともみあげさんの揉め事のせいでシェルディさんに迷惑をかけるわけにはいかないと慌てて口を挟もうとしたのだけれど、ガラットに視線で制された。思わず押し黙ると、やがてもみあげさんは震えた声で「失礼いたします」と出口の方へと歩いていく。
すれ違いざま、射殺さんばかりの瞳で睨みあげられる。同じ視線を返しても良かったのだけれど、敢えて静かに見送った。同情したわけではない。こういう輩は、相手にせずに受け流すのが一番悔しがると知っているからだ。わたしなりの戦い方である。
扉の向こうに彼の背中が消えるまで、わたしたち三人は黙っていた。バタン、と扉が閉じてようやく息をつく。
「………悪いことをしてしまったかしら」
「まあ、護衛を追い返すとか良いことではないわな。ていうか国の重要人物ふたりを守るとか、俺ひとりだと荷が重いんだが」
「お兄さまならできますわ」
「根拠のない励ましどうもな。…いや、ちょっと真面目にやばいから警備隊の方に連絡入れるぞ。オリバーかラウレル辺り捕まえられねぇかな…」
そうぶつぶつと呟きながらガラットが隣の部屋に向かった。通信機で連絡を取るつもりのようだ。
残されたわたしは何となく居心地が悪くて、組んでいた手に視線を落とした。しかし「未来視の魔法使いさま」シェルディさんの呼びかけられて、顔を上げる。
「先ほどはお見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
「いいえ、そんなことありません。わたしこそ、警備隊の人と揉める原因を作ってしまって申し訳ないです」
「何をおっしゃっているのです? あなたさまは何も悪くありませんわ。彼の態度が招いたことです」
「でも、結果的にあなたもガラットも困ることになっていますし…」
「わたくしは正しいことをしたと思っていますわ」
凛としたその姿に、彼女がこの国の令嬢たちに憧れられる理由が分かった気がした。そんな素敵な女性が庇ってくれた事実が嬉しくて、思わず口元が緩んだ。
「ありがとうございます」
「はうっ」
目の前の素敵な女性は胸を押さえて蹲った。ちらりと見えたその顔が年頃の令嬢がしてはいけないそれで、自分の表情が強張るのを感じた。やがて彼女は「失礼いたしました」と言いながら涼しい顔で椅子に座り直す。
うん、見なかったことにしよう。
「先ほど庇ってくださったことはとても嬉しいのですが、今後は大丈夫ですよ。あれくらいなら自力で躱せますから」
「躱す…?」
「ええ。あれくらいの悪口――いや、あれは正直悪口未満でしたね…とにかく自分でどうにかする術くらいは身に着けていますから」
会ったばかりの彼女にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。そう思っての言葉だったのだけれど、何故かシェルディさんは悲しそうに眉を下げた。それはついさっき見た表情で。
「あなたさまのその『術』というのは、聞き流すということでしょうか?」
「え? そうですね、ああいうタイプは言い返すとそれだけヒートアップしていきますし…」
「それが見極められるだけ、未来視の魔法使いさまは悪意に晒され続けていたということですわね?」
思いもしなかった彼女の言葉に目を見開いて固まってしまった。はく、と何かを言おうとした唇が息だけを吐きだした。否定できなかった。性格上嘘をつけないというのもあるけれど、どのみち彼女の力の前では嘘など意味をなさない。
わたしの無言を肯定と受け取った彼女は、さらに悲しそうに唇を引き結んだ。
「…少し、独り言に付き合ってくださいませ」




