45.ファン
「わたくし、幼い頃からこの国を救ってくださったという未来視の魔法使いさまのお話を繰り返し読んでおりました。未来視の魔法使いさまに関する書物は全部持っておりますわ。中には悪く言うものもありますけれどあんなの嫉妬の類ですもの、ひとまず手元には置いていますが見返すことはしておりませんわね。わたくしのお気に入りは恥ずかしながら童話なのですけれど、やはり出会いのものは格別と言いましょうか」
「あ、あの…」
「あぁ、あなたさまと書物のお方は別人ですわね? そのくらいは分かっております。さすがに年齢が違いすぎますものね。でもあなたさまも先日の爆弾事件を解決した功労者なのでしょう? やはり未来視の魔法使いさまは時代が変われどすごい方ばかりですわぁ!」
「とりあえず離れ…」
「お名前は何というのです? おいくつですか? お住まいはどこに!?」
「放してー!」
背中に当たる鼻息がだんだんと荒くなってくる上、このクラスの美人が決してしてはいけないような表情の彼女に思わず叫んだ。純粋に怖い。距離を取りたいのだがぴったりと背中にくっつかれているし、前は何かにぶつかっているしで身動きが完全に取れなかった。
「いい加減にしろ」
「きゃん!?」
そうこうしているうちに見かねたガラットが女性を背中から引き剥がしてくれた。首根っこを掴まれた彼女は「未来視の魔法使いさまぁ」と言いながら両手を前に伸ばしてばたつかせている。これガラットが手を離したらまたこっちに吸いついてくるのでは?
「何をなさいますの!」
「それはこっちの台詞だ。初対面の相手にして良い態度じゃないだろう。いや、顔見知りにもして良いやつじゃねぇが」
「わたくしなりの愛情表現ですわ!」
「捨てちまえそんな表現。ただの迷惑行為だ」
「お兄さまのオリバーさまに対する歪んだ愛よりマシですわ!」
「気色悪いこと言ってんじゃねぇぞバカ妹!」
お兄さま。妹。目の前で繰り広げられるガラットと女性の言い争いにより、彼らの関係性が確定した。そう言われると、睨み合うふたりの顔もどことなく似ているように感じる。
「兄妹…?」
「このふたりは血の繋がった兄妹だよ。ところでアシェラ・シプトン、君、いつまで殿下にしがみついているつもり?」
第三者の声が聞こえて驚いて反対側へ振り向けば、ラウレルがそこにいた。いつの間にか横に立たれていたらしい。彼はニヤニヤとした笑みを浮かべて人差し指を立てて前へと向けている。促されるように前へと視線を向けて。
「―――すみませんでした!」
自分が正面からルクリオス殿下にべったりとくっついてしまっていたことに気付いて、大慌てで飛び退った。ぶつかった『何か』は殿下の胸板だったらしい。顔面から突っ込んでおいてそこそこの痛みで済んでいたのは、固い壁とかではなかったからのようだ。わたしの心情だけを考えれば壁の方がマシだったかもしれない。
両手を頭の横に上げて、困った表情をしていた殿下は「いや大丈夫だ」と苦笑した。おかしい。あまり彼と関わらないようにしようと決めたのに、いっそ物理的な接触が増えている気がする。ぶつけたことだけではない理由で頬が熱い。
「見かけによらず結構大胆な子なんだねー」
「…どう考えても事故でしょう」
相変わらずニヤニヤとした笑顔でラウレルがこちらを覗き込んでくる。時計台の一件から、彼には良い印象がないので余計にその笑みに苛立ちを感じた。彼の耳で黒い宝石―たぶん彼の身分証―が左右に揺れ動いていて、その動きすら神経を逆なでてくるようだ。
ガラットと妹さんほどではないにしても、わたしもラウレルと正面から睨み合い―彼の方は食えない笑みなのでわたしの方が一方的に睨んでいるともいう―をしている横で、殿下が声を上げて場を収めてくれた。
女性の名前はシェルディ・ラナラージュ。ガラットの妹さんだ。なんとラナラージュ家はレフィルト国の貴族の中でも最上位に位置する家門なのだそうだ。なんでもラナラージュには代々『嘘を見破る』力の持ち主が生まれてくるらしく、その力を使って様々なセキュリティ面で貢献しているのだとか。それこそ入国時や、わたしの住まいの防犯にも活かされているという。実際にはラナラージュの力を応用した『魔道具』でそういった安全性を実現しているらしいのだけれど、とにかくすごい一族ということに変わりはない。
シェルディさんはとりわけ強い力を持って生まれてきたらしく、目の前でつかれた嘘はもちろん、その人が今までどれだけ嘘をついてきたのか、といったことも見破ることができるらしい。彼女曰く、「嘘つきな方ほど、真っ黒い色を漂わせているのですわ」とのことで、その人がどんな『色』を纏っているのかで見極められるのだとか。
先ほど彼女に「こんなに綺麗な『色』、見たことがないんですもの」と言われたのはこれが関係していたようだ。何でもわたしの『色』は「色なんてないくらい透明…いえ、いっそ透き通って見えますわ!」らしい。例の美人がしてはいけない顔で言われたので脚色されている可能性は大いにあるけれど、確かめる術はないのでひとまず受け入れることにした。
「シェルディ嬢は見ての通りの容姿だし、魔法での社会の貢献度も高い。教養も社交性もあるから、それこそレフィルト国で彼女に憧れない令嬢はいないんじゃないかって言われているほどだよ。淑女中の淑女、高嶺の花、レフィルト国の女神…彼女を称える言葉が溢れているくらいにはね。ただ同時に、未来視の魔法使いが絡むと先ほどの通りでさ」
「どこに出しても恥ずかしい淑女になり下がるんだわ」
「ちょっとお兄さま、わたくしの愛が恥ずかしいとでも!?」
「突っかかるところそこで良いのかお前…」
再び始まった兄妹の言い合いを尻目に、ラウレルがそのまま説明してくれる。「彼女が未来視の魔法使いの熱狂的なファンっていうのは周知の事実」であるらしい。
え、それ周知にして本当に良いやつ…?
「あのぉ、見破りの人は今日、魔法の提供にいらしてくださったんですよねぇ? そろそろ中にお願いしても良いでしょうかぁ?」
ハカセの一言に、シェルディさんはしまったと口元を手で覆う。そんな僅かな仕草も確かに気品を感じる。淑女中の淑女というのは本当のようだ。
「そうでした。今日の目的をすっかり忘れるところでしたわ」
「あはは、見破りの人の定期供給がなくなると国の存亡に関わるので勘弁してくださいよぉ」
ハカセが軽い調子で笑っているけれど、先ほどの話から考えても冗談ではないのだろう。ラナラージュ家の力は国の基盤に関わってくるものだ。だからこそ護衛が彼女に付いているのだろうし。
そもそもハカセがこの場に来るに至った、次回のわたしの訪問についてはすでにルクリオス殿下が話をつけてくれたらしい。帰宅を促され、わたしは一礼してその場を後にしようとした。
「あ、あの、未来視の魔法使いさま」
「はい?」
「その…よろしければ、またお会いしていただけないでしょうか?」
両手を胸元で組みながら固く握りしめ、緊張した様子のシェルディさん。先ほどまでの姿とは打って変わり、今の小さく縮こまっている彼女は儚げな美少女である。
そもそもレフィルト国の女神とまで言われる彼女にそんな反応をされるなど恐れ多い。わたしは慌てて頷いた。「もちろんです」と言いきるのと同時に、彼女の頬が紅潮していく。その横にいるガラットが「やっちまった」と言いたげに頭を抑えたのは見なかったことにしよう。
「わたしの名前はアシェラ・シプトンです。是非、今度ゆっくりお話しさせてください」
淑女中の淑女には遠く及ばないけれど、かつて淑女教育を受けた―詰め込まれたともいう―ことがあるのだ。せめて綺麗に見えるように指先まで神経を使って姿勢を正し、微笑んでみれば。
「…ふっ」
「うわ、シェルディ嬢が気絶した」
「どうして!?」
「そりゃ憧れの未来視の魔法使いに渾身の笑顔を向けられて、こいつが耐えられるわけないわな」
「殿下、どうするべきですかねぇこの状況」
「…これはオレにはどうもできない」
ひとまず横にさせようと研究所に運ばれていくシェルディさんを見送って、わたしは後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。なんとなく責任を感じて残ろうとしたのだけれど、「お前がいたらこのバカはまた気失いそうだからさっさと帰ってくれ」とガラットに追い払われてしまった。何よりハカセもラウレルも、ルクリオス殿下すら彼に同意して帰宅を促してきたので、残ることはできなかったのである。




