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44.あたたかい時間

 あの後、震えるわたしを気遣って殿下が外―研究所の敷地内にある立派な庭―に連れ出してくれた。「次は絶対くださいねぇ」とわたしの魔法の力を欲していたハカセに残念そうに見送られ、部屋を後にしたのは少し前のことだ。しばらく風に当たらせてもらって、ようやく落ち着いてきた。


「すみません、結局ご迷惑を…」


 隣に寄り添ってくれているルクリオス殿下を振り向けば、彼はすぐに首を横に振った。


「オレのことは気にしなくて良い。だいたい、こういうのは迷惑とは言わないから」

「そう、ですか…じゃあ、ありがとうございます」


 そうお礼を言えば、ずっと難しい顔をしていた彼が表情を和らげて「どういたしまして」と応えてくれた。今は彼の優しさが心地良くて、離れたくなかった。普段なら気持ちを押さえつけてすぐにでも距離を取ったけれど、まだ先ほどの未来に動揺しているようだ。


「…アシェラ、いくつか質問させてくれないか。もちろん、話したくなければ話さなくて良い」

「はい…」

「視えた場所がどこか分かるか?」

「詳しくは分かりませんでした。窓も家具もない、扉がひとつあるだけの薄暗い室内で…特に特徴的なものは見当たらなかったです」

「そうか、それだと事前に場所を特定しておくのは難しそうだな…次に、アシェラの義姉以外に誰かいたか?」

「部屋が暗かったのではっきりとは…見えたのはダリア――義姉だけです」

「そのダリアというのは、以前話していた、君が酷い扱いを受けていたという人物のことか?」


 この国に来るとき、殿下とオリバーさんには少し話したのだったか。あの時は世間話のように軽く流したけれど。こんな姿を晒してしまったのでは、掘り下げられて当然だろう。

 わたしはただ頷いて肯定した。


「アシェラがここまで怯えるということは、相当酷い目に遭わされたってことか?」

「…前に話した通りです」


 殿下たちには確か「父が亡くなった後、義母と義姉に家や学園での居場所を奪われた」とだけ伝えたのだったか。詳細は話していなかったと思う。思い出したくないようなエピソードばかりだし、相手も反応に困るような話しかないから。そして何より、あの頃の惨めな自分を誰かに知られることは嫌だった。

 だからこれ以上聞いてくれるなと拒絶を示す。殿下は少し黙り込んだ後、わたしの意思を組んでくれたのか「そのダリアというのはどういう人物だ」話題の方向性を変えてくれた。


「周囲を味方に付けることが上手な人です。気付いたら彼女の味方をするような人ばかりでしたから。それから…自分のことが一番かわいくて、邪魔になる人間を徹底的に追い詰めて排除しようとする性格です」


 イリシオスの『娘』として先に鎮座していたわたしは、邪魔と判断されてああなったわけだから。

 ダリア本人にそう言われたことがあるので間違いない。そんな理不尽な理由で虐げられたことに、どれだけ恨んだり泣いたりしたか。それでもわたしが折れなかったのは、ひとえにおばあちゃんの言葉を信じ続けてきたからだ。


 おまえさんは自分に正直に生きなさい。そうすれば必ず幸せな未来が手に入るよ。


 そして。


「直接手を出してくるのではなく、人を使って間接的に害してくるような人で…一番腹立たしかったです」


 ムカついて仕方がなかったのだ。こんな人に負けてたまるか、という気持ちが強かった。


「………思い出したら、段々腹立ってきますね」

「アシェラ?」

「先ほどは驚いて醜態を晒しましたが、もう本当に大丈夫です。あんな人に絶対負けません」


 そうだ、あれは急に、意外な人物がとんでもないシーンで出てきたから動揺してしまっただけだ。もう乗り越えて遠くに置いてきたはずの障害にいつまでもうじうじしているなど、わたしらしくない。

 座っていたベンチから勢いよく立ち上がって、胸の前で拳を握り締める。


「今自分が誘拐されるかもしれない未来を視たことで、対策が練られるってものです。うん、むしろ今気付いて良かった。以前は自分の身を守ることで精一杯でしたけれど、向こうから手を出してくるなら今度こそやり返してやります!」


 もうわたしは、ハリボテの貴族だったアシェラ・イリシオスではないのだから。自由を手にした一介の魔法使いアシェラ・シプトンとして、全力で抵抗してやる。そうなればわたしがまずやることは決まった。あの未来を繰り返し視て何か情報を掴まなければ。イリシオスだった頃、自分の身を守るために何度もやっていたことだ。

 そう決意を固めているわたしの頭に、何か温かいものが乗せられる。驚いて顔を上げれば、ルクリオス殿下が複雑そうな表情で目の前にいた。頭に乗せられた温いものが彼の手だと気付いたのは同時だ。


「ひとりで何とかする必要はないんだ」

「…え」

「アシェラは今までひとりで頑張ってきたんだろう。でも、もうそんな必要はない。辛かったら誰かを頼って良いんだ」


 ぽんぽん、と撫でられる感触が心地良い。いっそ子供にするような慈しみを感じるその暖かさに、ひどく安心感を覚える。


「…頼ったら、どうなるんですか」


 気付けばそんなことを口走っていた。殿下は一瞬きょとんとした顔をしたけれど、すぐに笑みを浮かべた。


「助けるよ、絶対」


 その表情があまりにも眩しくて――何より目頭に熱を感じて、思わず顔を逸らしてしまった。助ける、だなんて。当たり前のように言われたのはいつ以来だろう。

 もちろん助けられたことは今まで何度もある。ライリット国ではリンさんやベルちゃんが味方になってくれたし、セントラムやレフィルト国に来てからはルクリオス殿下をはじめ、オリバーさんやリリーさん、ガラットにシャラさんといった人たちに助けられたことだってある。彼らもきっと、わたしが困り果てていたら手を差し出してくれるだろう。

 彼が特別なわけではない。そう分かっているのだけれど、真っ直ぐに、それも直接「助ける」と言われたことが今は嬉しくて仕方がなかった。


「…ありがとうございます。もしどうしようもなくなったら、お願いさせてください…」


 可愛くない言い方になってしまった。少し後悔して伏せていた顔を上げれば、殿下は特に気にした様子もなく笑っている。


「それじゃあその時は『リオスさん』って呼びかけてくれな?」

「はい? 何でそうなるんですか?」

「『ルクリオス殿下』だと長いだろ」

「三文字しか変わりませんよ」

「じゃあ『リオス』って呼び捨てで良いぞ」

「無茶言わないでください」


 どれだけその呼び方を気に入っていたのだろう。殿下の冗談につられて、わたしも思わず吹き出してしまった。




「あ」

「あ」


 いつもの調子が戻って来て、そろそろ研究所を後にしようと出入口に向かっていたところ。ちょうど複数人入ってくるところだった。そのうちのひとりがガラットだということにわたしが気付くのと同時に、向こうも目を見開いた。そうして全く同じタイミングで声を上げて。

 しかしガラットは次の瞬間にはわたしの後ろにいるルクリオス殿下に視線を移し、姿勢を整えていた。


「お疲れ様です殿下」

「そちらこそお疲れ、と言いたいところだが、今日非番じゃなかったか?」

「そう、なのですが…」

「どうなさったのですか?」


 何故か顔色を悪くしたガラットの後ろから、女性が顔を覗かせた。白銀の長い髪をふわりと揺らした彼女はその整った顔立ちを不思議そうにしている。


「(うわぁ綺麗な人…って、どこかで見たことがあるような…?)」


 こんな目を引く美人、一体どこで見かけたのだろう。そうわたしが考えていると、彼女の方もじっとこちらに視線を向けてきて。「あ!」と嬉しそうに顔を綻ばせた。


「そこのお嬢さん、クリンゲル店で見かけた子ですわね」

「えっ」


 てっきり殿下を見て笑顔を見せたのだと思ったのだけれど、まさかのわたしだったらしい。目を真ん丸にしているわたしに構わず、彼女は変わらず上品な笑みを浮かべていた。


「覚えていらっしゃらない? お店で待ちぼうけていたわたくしに、ご主人たちの状況を教えてくださったでしょう?」


 それを聞いてようやく思い出した。まだクリンゲル店で働く前――お店に、それこそお客として訪れたときのことだ。わたしの対応のせいで彼女の来訪にシャラさんたちが気付かなくて。リンベル酒場で働いていたときの接客魂から首を突っ込んで、一言だけ声をかけたような覚えがある。あの時の女性が目の前の彼女ということか。

 わたしが思い出した旨を伝えれば、彼女は顔を輝かせた。


「またお会いできて嬉しいですわ。わたくし、ずっとあなたのことが気になっていたのです。こんなに綺麗な『色』、見たことがないんですもの」

「色…? あ、いえ、恐縮です」


 確かあの時、シャラさんの旦那さんは彼女に対して特別扱いをしていたはずだ。この国の権力者の一族だと思った覚えがある。確か「ラナラージュ」と呼んでいたような…


「………あれ、ラナラージュって」

「あー、殿下に未来視の人ー、良かったまだ帰っていなかったんですねぇ」


 違和感を言葉にする前に、後ろからの呼びかけに遮られた。振り向けば、ハカセがこちらに向かって手を振っている。


「次の訪問時期を決めさせてください。特に未来視の人は近いうちに来てほし……あれ?」


 こちらに走り寄ってきた彼は、そこでようやく他に人がいることに気付いたらしい。ハカセは口角を上にあげたまま表情を固めてしまい、額には冷や汗を滲ませている。

 殿下もガラットも、揃って頭を抱えた。わたしはもう開き直って笑みを浮かべることしかできない。いや、第三者のいる場で思いっきり「未来視の人」って呼びかけられた以上、もう言い訳のしようがないし。

 ちらりとガラットたちの方へと視線を向ければ、女性は目を見開いて固まっていた。彼女の後ろにいる残りのひとりは、よく見ればラウレル―爆発事件の日に少しだけ話した警備兵―だった。ラウレルは何を考えているのか分からない薄い笑みでそっぽを向いている。関わりたくないという意思表示だろうか。

 わたしが未来視の魔法使いだと新たに知られたのは、少なくとも女性ひとりであるらしい。それならまだマシだろうか、なんてぼんやりと考えていたのだけれど。


「おいシプトン、今すぐ逃げろ」

「へ?」

「何も聞くな。とにかく今すぐ殿下と一緒にこの場から離れろ」


 ガラットの固い声に現実へと引き戻された。

 一体どうしたのだろうと戸惑うわたしの手を、何かを察したらしい殿下が「行こう」と掴むのと同時だった。


「未来視の魔法使い…?」


 女性の声だった。この場でわたし以外の女性と言えば先ほどの綺麗な彼女だけれど。あんな可憐な子から発せられたとは思えないほどの低いそれに、わたしは驚いて視線を女性の方へと向けた。

 彼女は下を向いていて、表情は長い髪に隠れて見えない。しかしドレスのスカートを掴む手が、何故か震えている。


「(え…さっきの声と言い、何か怒ってる…?)」


 もしかして彼女も、魔法使い――ひいてはこの国の在り方を変えたという未来視の魔法使いに悪印象を持っているのだろうか。それならばガラットの「逃げろ」という言葉も理解ができる。

 殿下に引かれるまま地面を蹴った。いや、蹴ろうとした。


「わぁっ!?」


 後ろから何かがぶつかってきた衝撃に体が前へと吹っ飛ぶ。幸い何かにぶつかってコケることはなかったけれど、顔面から突っ込んでしまったのでそこそこ痛い。

 一体何が起きたのかと後ろを振り向けば、白銀がそこにあった。白銀――あの女性の髪の毛で、彼女は何故かわたしの背中にぴったりとくっついているようで。


「しまった、遅かったか」

「あ、え、ちょっとガラット、この人いったい…」


「わたくし、あなたさまの大ファンなんです! お会いできて光栄ですわ、未来視の魔法使いさまぁ!」


 顔を上げた女性が目をキラッキラに輝かせながら、頬を紅潮させてそう叫んだ。

 そんな彼女の思いもしない呼びかけに対し、わたしの口からは「へぇ?」という間の抜けた声が零れ落ちた。




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